日別アーカイブ: 2016年8月15日

巴有吾有[昔]

文学と神楽坂

 石田衣良(いら)氏が平成21年(2009年)、『チッチと子』という本を書いています。

石田衣良 耕平がむかったのは神楽坂の坂したにある喫茶店だった。ログキャビン風の重厚な造りで、ギャラリーを兼ねているのか、二階には美術品が飾られている。その日は針金細工の立体作品だった。いつも空いているので、編集者との打ちあわせによくつかうカフェである。

 坂下にある喫茶店というのは、この本が出た時にはなくなっていましたが、「巴有吾有(パウワウ)」以外にあり得ません。場所はここ。1970年代に創設し、木造の山小屋風で、2階はギャラリー、しかし、2006年にはなくなり、代わって理科大の巨大な「ポルタ神楽坂」の一部になりました。

かつての巴有吾有。今はなくなりました。


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powwowです。


昭和5年頃平成8年令和2年
甲斐屋布団太陽堂陶器
大川時計店増田屋食肉
八幡小間物松屋 牛丼
村田煙草店
山岸玩具店安曇野食堂ポルタ神楽坂
伊沢袴店
盛光堂煎餅十奈美化粧
酒場ユリカ
三好屋玩具喫茶パウワウ
カフェ神養軒
三好質屋バーゲン場

寿徳庵[昔]|神楽坂1丁目

文学と神楽坂

 新宿区教育委員会が書いた『古老の記憶による関東大震災前の形』(神楽坂界隈の変遷、昭和45年)では下の左図で「菓子・寿徳庵」。場所はここ

 昭和12年の『火災保険特殊地図』(都市製図社)では下の右図で「壽徳庵」です。

「昭和初期の神楽坂」(「牛込区史」昭和5年)では左側の土蔵づくりの家でした(下の写真)。
神楽坂昭和初期

 安井笛二氏が書いた『大東京うまいもの食べある記 昭和10年』(丸之内出版社)では「壽徳庵――坂の左側角点。菓子屋の二階が喫茶室になつてゐます。簡素な中にも落付きがあつて、女學生などにも這入りよい店です」。現在は「スターバックス」です。

スターバックス

「スターバックス」



赤井|神楽坂1丁目

文学と神楽坂

 新宿区史編集委員会『新修新宿区史』(昭和42年)で、明治40年代の神楽坂入口にあった「赤井」です。写真の看板は「赤井」、それから大きな「⩕」の下に「三」でした。

赤井

東京都新宿区役所「新修 新宿区史」(新修 新宿区史編集委員会、昭和42年)明治40年代の神楽坂入口付近

 野口冨士男氏の『私のなかの東京』(文藝春秋、昭和53年)では「ずんぐりした足袋の形をした白地の看板には黒い文字で山形の下に赤井と記されていた」といっています。「⩕」を山形と書いたわけです。

 大正時代の「神楽坂通りの図。古老の記憶による震災前の形」にはここです。

「牛込区史」(昭和5年、牛込区役所。復刻版、昭和60年、東京都旧区史叢刊、臨川書店)では、「昭和初期の神楽坂」として、向かって右側が赤井です。やはり赤井の「ずんぐりした足袋の形をした白地の看板」が見えます。左側は寿徳庵です。

神楽坂昭和初期

「牛込区史」(昭和5年、牛込区役所)「復刻版」(昭和60年、東京都旧区史叢刊、臨川書店)

 新宿区の「ガレキの中から、30年のいま…… 写真集 新宿区30年のあゆみ」(昭和53年)で、この「現在」では「Akai」になっています。また左側はパチンコ店「ニューパリ―」です。

ガレキの中から、30年のいま

新宿区「ガレキの中から、30年のいま…… 写真集 新宿区30年のあゆみ」(新宿区、昭和53年)

 新宿区立図書館の『神楽坂界隈の変遷』(1970年)「古老談義・あれこれ」では

足袋屋
 その頃の足袋屋ってものは夏冬なしに忙がしかったものです。夏一生懸命作っておいたものを冬には全部さばききってしまいます。夏からやっておりませんと間に合わないのでございます。何しろ昔はミシンてものがありませんので皆手縫いでございますから夏からやっておりませんと時間的にも労力的にも間に合いません。そこで足袋の甲つくりなんか、全部下職に出しました。今でいうなら家庭内職とでも申しましょうか。出来上った品物は店でさばいておりましたが縁日だからといって特に売上げが多いということはありませんでした。私ども(赤井足袋店)などはむしろ縁日には植木屋にはびこられてしまいますので店商い(みせあきない)の方はさっぱりでした。ほかのところでもそうなんでしょうが町がにぎわうので皆さんが喜んでいました。考えてみるとやっぱりおおらかとてもいうんでしょうね。
 手前ともにおいで下さるお客様は、お屋敷の方が多うございました。それに数をお買い下さる方の所へは、こちらから寸法をとりにうかがったり納めに参ります。ですから親爺のお供で随分いろいろなお屋敷に伺っております。
お屋敷回り
 お屋敷回りのきらいなことのひとつに犬に追いかけられることがありました。徳川様のまん前のお宅にきらいな犬のいるお得意がありました。誰が参りましても必らず追かけられるんです。とうにも仕方ありませんのでそのお宅に伺う前には電話をかけまして「今日は何時頃伺いますので恐れ入りますが犬をつないでおく様お願い申しあげます」なんてたのんでから出かけるようにしていました。
 早稲田の大隅さんの犬はまるでライオンみたいでした。然もそれが2匹もおりまして,はなしがいですから恐ろしうございました。でもこの犬はちっとも吠えませんで黙ってついて来まして私共がお宅の方にご挨拶をすると,すうっと帰ってしまうんです。実によく飼いならしたものでした。

 1980年には赤井商店になり、1985年にはメンズショップアカイ、1995年まではアカイですが、新宿区郷土研究会『神楽坂界隈』(平成9年)の岡崎公一氏の「神楽坂と縁日市」の「神楽坂の商店変遷と昭和初期の縁日図」では1996年には別の商店「カフェベーカリー ル・レーブ」になりましたが、経営者は同じ赤井氏でした。ル・レーブ(Le Reve)はフランス語で「夢」です。下図は2006年の「ル・レーブ」です。

 現在は不動産仲介業のアパマンショップで、左はスターバックスコーヒーです。なお、アパマンショップ(旧赤井商店)もスターバックスコーヒー(旧寿徳庵)も拡幅計画のため将来は取り壊されて外堀通りの一部になります。

アパマン