日別アーカイブ: 2016年8月29日

セイジョー

文学と神楽坂

 セイジョーは薬の店舗で、「ココカラファイン神楽坂店」に変わり、現在は全て閉店中です。

セイジョーの跡

 新しいビルが出てきました。(写真は2020年12月20日)



 神楽坂アーカイブズチーム編「まちの思い出をたどって」第1集(2007年)にはセイジョーが出る前の話が出ています。なお、この会談の当時(昭和63年)は、「馬場さん」は万長酒店の専務で、「相川さん」は大正二年生まれの棟梁で、街の世話人でした。

馬場さん それでタカミさんの隣は?いまの「リード」*さんのところでしょう。
    *「リード」さんは今のドラックストアーのセイジョウの場所
相川さん あの人はね、「神楽坂煎餅」というお煎餅屋さん。
馬場さん ああ、戦争前は。
相川さん その隣は「松葉屋」っていう塩物屋(魚の塩漬け屋)さん。
馬場さん そこのところがあとで床屋になったでしょ。
相川さん 「ナトリ」ね。昭和五年に開業したんです。
馬場さん 昭和五年? そんなに早かったの。
相川さん 二、三年遅れているな。昭和七、八年だな。
馬場さん ナトリさんはモダンな床屋でしたよね。その当時までは、床屋さんってのは履物を脱いで、床でもってやっていたけど、ナトリさんは違うんだ。タイル張りなんですよ。僕も子ども時分を覚えていますよ。
相川さん ナトリさんの兄さんっていうのが、東京駅の地下だか上だか知らないけど、「ショウジ」っていう床屋さんをやっていてね。その人の肝煎りで、お嫁さんももたせるについて、あのうちを借りたんですよ。その持主は。白銀町に「くびきや」って米屋があるでしよ、その田原さんが建てたんです。だから結局、家賃です。
馬場さん 借地権は「くびきやさん」がもっていたの? 地所は?
相川さん 地所は天利さん。それで、「くびきやさん」の女中さんをしていたのを世話されて、ナトリさんのお嫁さんになった。
馬場さん ご隠居、ナトリさんで散髪したことある?
相川さん ありますよ。
馬場さん あそこは、洗髪するのにそこで椅子のまま、できるんですか?
相川さん そうだったかな。
馬場さん これがモダンだったってことなんですよ。当時は。洗い場へ行って頭を洗うのに、ナトリさんはその場所でもって頭が洗えるっていうんでね。なにしろモダンだったんだよ。
相川さん 十台ぐらい椅子がありましてね、タカミさん寄りにずーっと。奥深いお店でしたよ。
馬場さん それはリードさんといまの大和田さん*のあたり。
    * 大和田さんは「うなぎや」でリードさんと大和田さんは今のセイジョウのところ。
相川さん 大和田さんまでは行かないの。リードさんのところに、布袋屋さんの基礎がまだ夕カミさんのところに残っていますよ。このあたりは軒数は多いがそんなに。軒の間口は広くはないんだね。


タカミ タカミブティックです。

5丁目12など

神楽坂アーカイブズチーム編「まちの思い出をたどって」第1集から

 実際にはセイジョーは「リード」と「大和田」を2つまとめた大きな店舗です。

1980と2010

時代←北西南東→
震災前洋服・都築機山閣玩具店松葉塩物神楽坂せんべい
震災後菊岡三味線山岡書店三角堂メガネ
昭和5年頃
(1930)
高島屋十銭ストア
(昭和7年以降)
ナトリ理容室岡沢菓子店
1952(空き)雑貨パチンコ楽器レコード
リード商店
1955明治牛乳関口商店うなぎ大和田
1963(空き)
1980Fance
1999菱屋弁当たぐち(建)
2010五十番キッチンママセイジョー
2018チカリシャス買い取り店
2020全て閉店
2021将来の道路神楽坂5丁目ビル

ブティックタカミ、布袋屋[昔]

文学と神楽坂

 5丁目11番地です。戦前はほていや呉服屋、戦後はタカミ(高見)洋品店(ブティック)です。場所はここ。現在は大久保通りの拡幅のため、取り壊し、一部はセブンイレブンになりました。タカミ

 神楽坂アーカイブズチーム編「まちの思い出をたどって」第1集(2007年)には次の話が出ています。なお、この当時は、「相川さん」は大正二年生まれの棟梁で、街の世話人。「馬場さん」は万長酒店の専務。「山下さん」は山下漆器店店主で、昭和十年に福井県から上京。「佐藤さん」は亀十パン店主でした。

馬場さん そうすると、いよいよ「タカミ」さんのところが前の「布袋屋」さんだった。
山下さん あそこは菱屋さんの天利さん(注)の地所なんだよね。戦後は甘利さんが借り上げ所をやっていて、それをタカミさんが買ったわけだ。(注)菱屋さん(天利さん)は三丁目にある洋装小間物屋で五丁目に今もかなりの地所を所有している。
相川さん 聞いた話だが、なんでも私のそのときの主治医の話だと、あのとき高見さんは地所付きの天利さんの家を普請するということバラックをあそこへ建てたんですよ。それを私が三丁目から、大八車二台で両方へつけて、下ヘ丸太をかまして、家をそのまま乗っけてきた(一同、大笑い)。のんきなもんだよ。また、おばあさんも何にも言わないんだ。「あ、動いた」なんて、丸太の上に乗っけてね、引いてきたよ。そこへ着いたらダーっと下ろして、あとはコウロ(ジャッキのようなもの?)でグイグイっとあげて、奥へ。菱屋さんの家を持ってきた。
山下さん ええっ? 大八車に乗るような小さなうちだったんですか。
相川さん だから下へ縁台人れて。
馬場さん (大八車に)台を乗っけて、その上に(うちを)乗っけてきたの。
佐藤さん じやあ、道路いっぱいだった?
相川さん ほとんどいっぱい(一同笑)。そのころは終戦の直後で原っぱ同然だから。のんきなもんですよ。
馬場さん 強盗が出たって(平気? 一同笑)。
相川さん だから、いまの先生に話をすると、「ああ、そうだったな」つて思い出しますよ。三丁目のシサンっていう(かしら)がいるんですけど、「お前んところの町内へうちの天利さんが仮ごしらえでいくんだけど、「俺はあんなのは壊さなきやだめだ(と思うよ)」と言ったら、「いま壊そうにもお金かない。なんとかうまく運べる方法を考えてくれ」と言われたんだ。「お前、どうする?」って言われて、それで私のところへ来ていた若い衆が、「一か八かやってみますか」って。床をすっかり取っ払ってね、丸太で縁台をこしらえて、それで乗っけてきたんですよ。
佐藤さん じゃあ、土台はしっかりしているんですね、昔の家だから。
山下さん バラックでしょ。要するに、堀っ立て小屋だから動いたんだよね。でも、ちゃんと人間が住めるようになっていたんだよ。

タカミ 高見さんでしょう
布袋屋 ほていやと読みます
甘利さん 天利さんでしょうか

ほていや

 明治35年、西村酔夢氏が『文芸界』に書いた「夜の神楽坂」で芸妓の服装は

服裝(ふくさう)  と()たらあはれ(、、、)(もの)で、新柳(しんりう)二橋(にけう)藝妓(げいしや)衣裳(いしやう)三井(みつゐ)大丸(だいまる)(あつら)へるのと(ちが)ひ、これは土地(とち)石川屋(いしかはや)ほていやなどで(こしら)えるのだが、()(やす)(かは)りに、(がら)(わる)ければ品物(しなもの)(わる)くて、まあ()()いた田舎的(ゐなかてき)だ、

と酷評しています。また「ほていや」はこの写真の中心にあります。