日別アーカイブ: 2017年6月5日

銀扇|神楽坂

文学と神楽坂

 銀扇は喫茶店で、左側上り囗、私の考えでは、神楽坂二丁目にありました。昭和5年頃の神楽坂で銀扇の出店はまだなく、しかし、昭和8年には出店し、少なくとも昭和14年にもありました。戦後はなくなりました。

 白木正光氏の「大東京うまいもの食べある記」(丸之内出版社、昭和8年)では

 坂の中腹(ちうふく)左側。ベーカリー式の菓子、喫茶(きつさ)、カツレツ御飯(25銭)等婦人連(ふじんれん)にも()かれ(そう)な店です。

 安井笛二氏の「大東京うまいもの食べある記」(丸之内出版社、昭和10年)では

銀扇堂 (さか)中腹(ちうふく)左側。ベーカリー式な家で、比較的(ひかくてき)落付いた店です。喫茶(きつさ)の外にランチも出來コーヒーとケーキは此の(みせ)自慢(じまん)のものです。場所柄(ゐき)な婦人(れん)がよく出入りし、學生間にも却々好評(こうへう)です。高級の喫茶として、レコードにゆっくり落付(おちつけ)ます。此所の洋菓子(ようくわし)はなか/\うまい。

 なお、「却々」は「なかなか」と読みます。

『製菓実験』昭和14年4月号で描く銀扇(牛込神楽坂)は

神楽坂の喫茶店、銀扇 缺點もなく、又、探り立てゝ云うこともない無難な店である。左端にある二個の六角の装飾電燈は無意味で、もし現在電氣を點けてゐるのならば、これを取りのけて、簡單な長方形の突出し行燈をつけて、同じ電流を活用させた方が、ずつと効果的だ。
 尤も、こゝは以前、資生堂の店だつたのを、そのまま入れ變つたところだから、わざわざつけたのではない。

 中村武志氏の「目白三平のあけくれ」(大日本雄弁会講談社、昭和32年)では

 この「田金」果実店の並びに、「志満金」という蒲焼屋があるが、そのあたりに、当時は「ギンセン」という喫茶店があった。「ギンセン」では、二十五銭のカレーライスと、三十銭のハヤシライスを食べさせてくれた。味が非常によかったから、金のある時は、ここへいつも来たものだ。

 同じく中村武志氏で、「神楽坂の今昔」(毎日新聞社刊「大学シリーズ法政大学」(昭和46年)から「ここは牛込、神楽坂」第17号に転載)で

 戦後か、その少し前に消えたなつかしい店がいく軒かある。左側上り囗に、銀扇という喫茶と軽食の店があった。コーヒー、紅茶が八銭、カレーライス十五銭。法政の学生のたまり場であった。

 『かぐらむら』の記憶の中の神楽坂では

 坂の中腹にあった。ベーカリー式の菓子喫茶で、コーヒーとケーキはこの店の自慢のもの。ランチもあり、カツレツご飯は25銭。高級喫茶としてレコードを聴きながら、ゆっくり落ち着ける店だった。この写真の注目すべき点は、左側2個の六角形の電灯である。ここは、震災後資生堂の店だったのを、そのまま入れ替わったため、お菓子屋に不似合いな装飾電灯がついているのだそうだ。
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