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大〆|神楽坂6丁目[昔]

文学と神楽坂

 成金横丁の大〆おおじめは明治43年(1910年)創業の大阪寿司の老舗でした。押し寿司と蒸し寿司のセットなどが有名でしたが、平成29年(2017年)7月に閉店。代わって蕎麦の「かね田 宝庵」が開店しました。

大〆 食べログから

大〆 食べログから


 昭和59年(1984年)「東京みてあるき地図」(昭文社)では

その先の神楽坂六丁目八の大〆は宮内庁御用の由緒ある店で、凝った大阪寿司を出す。洋風の落着いた店構えでクラシック音楽が流れてくるという異色篇。

 倉持公一の「宮内庁御用達カタログ」(東京人。160号。2000年)では

 このお店のことは、三十年ほど前に知った。亡くなった三宅艶子さんに教えていただいたのである。三宅さんのお宅は、「大〆おおじめ」のある神楽坂のすぐそばにあった。
 大阪鮨の店だが、蒸し鮨があるのが珍しかったし、「宮内庁御用達」というのも気になって、通い始めた。
 そのころはまだ今のようにそこで食べられる大きな店ではなかったが、白木の、いかにも頑固な鮨職人が守っているという感じの店だった。いまは三代目当主の趣味なのか、レストラン風の大きな店になっている。
 宮内省の大膳寮に寿司部ができたとき、大阪から招かれてやってきた内海清吉さんが、のちに大正六年、独立して店を開いたのが始まりだ。それからもずっと「御用達」をつとめてきている。
 ここの蒸し鮨についてくる陶器のどんぶりが、我が家にはもうずいぶんたまった。

 けやき舎の『神楽坂まちの手帳』第9号(2005年)では

 バロックの流れるクラシックな洋館。ここが大阪寿司専門店「大〆」である。ゆったりと間隔をとって配置されたテーブルで食事をすれば、優雅な気分に浸れそう。
 三代目店主である加藤さんは、二十年前から店のある一角をイタリアの田舎町のイメージにプロデュースしてきた。大阪寿司に合わせるのはイタリアワイン。壁に掛かるイタリアの風景画まで加藤さんの作品というほど、イタリアヘの愛は徹底している。
 しかしそんな加藤さんも、大阪寿司の製法は伝統的な作り方を忠実に守り続けているという。しいたけは八時間煮てから一日以上落ち着かせる。魚はおろしてから酢でしめて、二、三日ならす。大阪寿司には、広い厨房と人手が必要で、「鮨は四、五人前を一人の職人が握るが、大阪寿司は一人前作るのに四、五人の職人がいると言われています」。大〆では加藤さんが一人で作っているので、ランチのみの営業なのだそうだ。
 いただいてみるとふわっと酢の香りが立ち上る。品のいい味だった。しっかりと煮含められたしいたけのおいしさは、一度食べると忘れられないはずだ。

 でも、とにかく値段が高い。神楽坂の中でも特に高い。でも、大阪寿司というものが全体的に高いからなあ。江戸前の握りは普通はできないが、大阪寿司の箱寿司なら箱さえあればできる。まあ一種のオマージュですね、はい。

 牛込倶楽部の『ここは牛込、神楽坂』第13号の「路地・横丁に愛称をつけてしまった」の駒坂で、

井上 それから。おまけでページがあったら入れたいということで、消防署の前の大久保通りを渡って、『ひょうたん坂』を越えて白銀公園の方へゆく。そこから有名な「大〆」のところを通ってすぐのところを、左に曲がって『玉の湯』の方に下りる道。
坂崎 あそこは『駒坂』。となりのひょうたん坂と対で、ひょうたんから駒、ということで。
井上 あの階段のあるところですね。

大〆

 関係ないことでも、ひょうたん坂に向かって西北に曲がるのではなく、そのまま南に進むと駒坂にでてくる。なんで南に進まないのか不思議です。大〆のせいでしょうか。