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尾崎紅葉旧居跡(360°VRカメラ)

 平成28年、新しく説明文がでました。これは新しいものです。なお「十千萬堂」は、この説明文では「とちまどう」となっていますが、やはり「とちまんどう」でしょう。ここだけは「とちまんどう」としています。

文化財愛護シンボルマーク

新宿区指定史跡
 ざき こう よう きゅう きょ あと
所 在 地 新宿区横寺町47番地
指定年月日 昭和60年3月1日


 この地は、小説家の尾崎紅葉(1867~1903)が、明治24年(1891)から明治36年(1903)10月30日に亡くなるまで12年間暮らし、代表作「金色こんじきしゃ」など多くの作品を執筆した場所である。
 紅葉は、本名を徳太郎といい、江戸の芝中門前町(現在の港区浜松町)に生まれた。東京府第二中学や三田英学校で学び、明治16年(1883)大学予備門に入学、同18年にはやまみょうらと硯友社けんゆうしゃを結成、回覧雑誌『らくぶん』を発行した。同21年には帝国大学法科大学(現在の東京大学)政治科に入学、翌年には文科大学国文科に移るが同23年に退学した。在学中から読売新聞社に入社し、「きゃまくら」「三人妻」などを連載して人気作家となり、やがて明治めいじ文壇ぶんだん重鎮じゅうちんとして幸田こうだ露伴ろはんとともに紅露こうろ時代じだいを築いた。
 紅葉は鳥居家の母屋を借りて居住したが、自らの号でもある「まんどう」と称した。二階の八畳と六畳を書斎と応接間にし、一階にはいずみきょうら弟子が起居したこともあった。当時の家屋は戦災により焼失したが、鳥居家には今も紅葉がふすまの下張りにした俳句の遺筆が保存されている。
 平成28年3月25日

新宿区教育委員会