日別アーカイブ: 2021年9月14日

神楽坂1丁目(写真)昭和34年頃 ID 59から63

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 59から63までは、夜になって牛込橋の方向から神楽坂1丁目などを撮ったものです。撮影の方向は、坂下から坂上で、街灯は昭和36~7年まで続いた鈴蘭灯でした。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 59 神楽坂入口から坂上方向夜景

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 60 神楽坂入口から坂上方向夜景

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 61 神楽坂入口から坂上方向夜景

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 62 神楽坂入口から坂上方向夜景

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 63 神楽坂入口から坂上方向夜景

「ID 59-63の撮影時期は、かなり絞り込めます」と地元の方。逆転式一方通行の標識があるので1958(昭和33)年以降。大島ビルは完成し、従って、1959(昭和34)年2月以降、「神楽坂」の標識ポールの鉄骨の柱には、ID 31-34(昭和34)にも写っているけれど、ID 7002(昭和34年)、ID 5510(昭和35年)にはなく、ニューマヤの看板がないので、1960(昭和35)年以前。つまり「ID 59-63の撮影時期は1959(昭和34)年と推測されます」と地元の方。
 ただし、新宿歴史博物館の撮影は昭和37年(1962)頃になっています。しかしこの説明は標識ポールの柱があるところから難しいと思っています。

 左端にパチンコニューパリー(New Paris)があり、そこにエッフェル塔に似たネオンが出ます。ID 52(昭和36年頃)にも確かにそっくりのネオンが出ています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 52 神楽坂入口から坂上方向

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 52の部分 神楽坂入口から坂上方向

 しかし、と地元の方。「ID 52に写っているネオンは残骸じゃないかなあ。もし現役なら、電柱の向こうに塔の頭が見えていると思う。古いネオンで補強していなくて、強風でダメになったと想像します」。う~ん、そうかもしれぬ。(しかし、昭和36年頃、ID 5995では塔の上半分もでています。機能はわからないとしても、塔の外見はあります)
 これ以降で昭和48年5月22日に撮影したID 68にはこのネオンは全く出ません。
 また、より早い場合で、昭和27年(1953年)、火災保険特殊地図では「伊藤菓子」という店舗がありますが、ネオンはなし。1954年、ID 21もネオンはない。パチンコニューパリーはいつから開店したのかわかりませんが、昭和34(1959)年には営業していて、この時点ではエッフェル塔そっくりのネオンもありました。
 エッフェル塔に似たものをつくった理由は? 1957年6月に東京タワーの工事が開始して、昔だから国民は全員わくわくして、タワーにあやかったものでしょうか? それともエッフェル塔を単に作ってみたかったのでしょうか? まあ、どうでもいいですね、はい。