新潮社(写真)昭和30年後半 ID 121

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 121は、新潮社前を撮ったものです。撮影時期は昭和56年(1981)頃と説明されていますが、この正門は大正時代のものなので、昭和41年8月までになくなっているはずです(佐藤俊夫「新潮社七十年」新潮社)。したがって撮影は昭和40年(1965)以前のいつかです。さらに下の3枚目の写真を見ると、昭和34年(1959年)には奥の倉庫ができています。そうすると、撮影は昭和34年から昭和40年まででしょうか。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 121 新潮社前

 佐藤義亮氏が明治29年、月刊誌「新声」を創刊し、明治37年、月刊誌「新潮社」を創刊、大正2年、矢来町で社屋を建て、大正12年、4階建ての新社屋を建築しました。

 この大正期の社屋があるのは矢来町71番地です。ID 121の手前に見える社屋は、元は72番地でした。この建物には玄関がなく、奥にある石造りの旧社屋を手前に建て増したものでしょう。ID 121では古い玄関と、その上の丸みを帯びた旧社屋の外壁が確認できます。

新潮社

 さらに奥にも別棟(倉庫)が続いています。ここは元の69番地です。
 手前の72番地は1957年、69番地の別棟(現在は営業部書店係)は1959年の完成でした。さらに国立国会図書館で調べると1966年「新潮社新社屋落成記念」(新潮社、昭和41年)が出版されています。新潮社は発展と共に本社を建て増したようなので、何が新社屋なのか分かりにくいようです。
 現在の新潮社本社は、石造社屋を取り壊し、4階建てのビルを奥に伸ばした形になっています。玄関も新しくなりました。また別棟も含め、すべてが「矢来町71番地」に合筆されています。

新潮社。営業部書店係と本館

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