文豪の素顔|森鴎外(5)

文学と神楽坂

 あとから考へると、もうあの時分から鷗外先生は、『ヰタ・セクスアリス』の下ごしらへにかかつてをられたのである。あのお作は僕が後年「スバル」の編集をやつてゐる時によせられたものだが、鉛筆で走りがきした、無雑作な草稿であつた。一読びつくり仰天して、なんぼ鷗外先生のものでも、これがどうして発禁にならずにゐようかと早速大あはてにあはてて、相棒の江波文三君のところへすッ飛んでいつた。
 江波君はその時分、本郷弓町の素人下宿にゐて、あの肥つた夫人と同棲したばかりのところであつた。あの通りの変人であつたからその生活振りもずいぶん脱線したものであつた。本立と本立との間の薄暗い谷間へ七りんをすへて、何かじいじいやつてゐる。みると古ぽけたフライパンへ四五日来のボロボロな冷飯を山もりに入れて、へットをぶちこんで、それへ又カレー粉をまぶして、焼飯にいりあげてゐるのである。まアこれをたべてからゆつくり話をしよう、幹さんもくへよといふので、ふちのかけたお椀にこてこてつけてくれる。中に何かソーセージのくさいのや、ぐにやぐにやした椎茸のやうなものが入つてゐるのが、どうにも気味がわるかつた。
 江波はそれをうまさうにかッ込みながら、わきの本立のうへへ、『ヰタ・セクスアリス』の草稿をひろげて、体ごとのめり込んだやうな格好で読み耽つてゐる。真黄色な飯粒がボロボロこぼれるのも忘れて夢中である。
 やがて読み了ると、大きな鼻の穴をふくらかして、感に堪へないやうに、
「鷗外先生はこれから二三十年後になつて価値を認められる大作家だね。こりや発禁をくらうやうな誨淫の書じやむろんないよ。平出さんにすすめてむりに出させようじやないか。」
最新大東京案内図 昭和17年(1942年)

最新大東京案内図 昭和17年(1942年)

ヰタ・セクスアリス イタ・セクスアリス。題名はラテン語のvita sexualisで、性生活の意味。森鴎外の小説で、明治42年(1909)に発表。幼年期から青年期に至る性欲を自叙形式で描いて、発禁に。
江波文三< 江南文三。えなみぶんぞう。明治から昭和時代前期の詩人、歌人。生年は明治20年12月26日。東京帝大に入学した明治43年から石川啄木のあとをうけて「スバル」の発行・編集人となり、同誌の全盛期をつくりました。詩歌、小説などを発表。卒業後千葉や東京などの中学でおしえ、没年は昭和21年2月8日。60歳。
本郷弓町 春日通りに添い、地下鉄「本郷3丁目」のそば
七りん しちりん。七輪。七厘。土製のこんろ。ものを煮るのに炭の価が七厘ですむといわれていました。
へット ドイツ語ヘット(Fett)とは牛の脂を精製した食用油脂で、牛脂とも
誨淫 カイイン。みだらなことを教えること

 校正の出たときにも僕はどうも何んだか不吉な予感があつた。それでもみんなが相談した結果、たうとう発行したが、案の定、配本してから二十七八日目に発禁のうき目をみた。しかしその時分にはもう殆んど売り切れてゐて、全国の小売屋で押収されたのは大した部数ではなかつた。
 その次に先生にお眼にかかつたら、平気なお顔で、近いうちにあの続篇をかくといつてをられた。その不敵な文学精神には、僕たちもすつかり圧倒されてしまつた。それから『阿部一族』までの道はずゐぶん長かつたがやはり江波がいつたやうに、死後三十年も五十年も経つてから初めて光芒を放つお作もずゐぶんあるのぢやないか。僕は夏目漱石先生なんか、鷗外先生にくらべたら太陽の前の月ほどにも買つてゐないのである。昔から僕はさうであつた。
 北原白秋は、鷗外先生の『即興詩人』を四十何回とかよんだといふ。僕なんかにしても確実に三十回は反読してゐる。こんな老年になつても、 心寂しい晩なぞにはあの死せる白鳥の浮べるがごときヴェニスの情景に恍惚とするのである。
 僕が北海道の荒凍たる山野を放浪して歩いてゐる間、つねに幻影のごとくに胸中にほうふつしたのは、あの『即興詩人』と、そして泉鏡花先生の『照葉狂言』である。それが僕に『零落』『みお』あの一連の旅役者ものをかかしてくれたモチーフになつたのである。その恩義は今だに忘れてゐない。
 それに、あの『埋木』のゲザも、西欧文学が僕に与へてくれた、忘れ得ぬ性格のひとつである。函館の裏町で、僕はブリュッセルのあの貧民窟のたそがれ時を、いつも心に描いた。ブリュッセルと同じやうにカトリック修道院の鐘の音が雪催いの空からいんいんと落ちてきた。

阿部一族 森鷗外の短編小説。大正2年(1913年)、『中央公論』で発表。阿部一族が上意討ちで全滅した事件を中心に殉死をとりあげて書いています。
光芒 こうぼう。尾を引くように見える光のすじ。ひとすじの光
即興詩人 デンマークの童話作家として知られるハンス・クリスチャン・アンデルセンの出世作となった最初の長編小説。森鴎外がドイツ語版から約10年の年月をかけて翻訳し、単行本初版は、明治35年(1902年)に春陽堂から出ました。
ほうふつ 髣髴。彷彿。ありありと想像すること。ぼんやりしていること。
照葉狂言 泉鏡花の小説。明治29年(1896)発表。孤児の美少年(みつぎ)が姉と慕うお雪や照葉狂言師匠小親(こちか)に寄せる清純な愛を叙情的に描いています。
みお 澪、水脈、水尾。浅い湖や遠浅の海岸の水底に、水の流れによってできる溝。河川の流れ込む所にできやすく、小型船が航行できる水路となる。船の通ったあとにできる跡。航跡。長田幹彦氏の『澪』は明治45年に出版しました。
モチーフ 仏語のmotif。創作の動機となった主要な思想や題材
埋木 うもれぎ。ドイツの女流作家オシップ・シュピンの「一人の天才の物語」を森鴎外が訳出。音楽家ゲザが、高名のピアニスト、ステルニイの知遇を得て、バイオリニストとして成功し、続いて作曲も始めますが、ステルニイの奸計にかかって挫折します。
ゲザ その主人公がゲザ・フアン・ザイレンです。
雪催い ユキモヨイ。今にも雪の降りそうな空模様。雪模様

文豪の素顔|森鴎外

文学と神楽坂

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください