チカリシャスニューヨークアマリージュ

文学と神楽坂

 新しいケーキのお店がここにできました。中町に出ているチカリシャスニューヨークアマリージュが引っ越ししてきました。売りはコブラーですが、ケーキは全て美味しい。おそらくアマリージュも河合陶器店山下漆器店と同じようにいずれはなくなると思います。そして、2020年、なくなりました。

アマリージュ、山下漆器店、河合陶器店の跡

 チカリシャスニューヨークアマリージュについて。

コブラー
  以前は五十番2号店がここにでていました。神楽坂4丁目の本店とまったく同じ中華まん等を売っている店舗です。

五十番2号店

 以前の店舗は右側が旧五十番、左側が山下漆器店です。

旧五十番と山下漆器店

 大正から昭和後半までは菊岡琴三絃店でした。三絃は「さんげん」と読み、三味線と同じ意味です。

菊岡

 また写真も半分だけですが、あります。左側に「岡菊」と書いてあります。これは国友温太氏が書いた『新宿回り舞台―歴史余話』(昭和52年)に載っていました。

大正時代の神楽坂通り

 神楽坂アーカイブズチーム編「まちの思い出をたどって」第1集(2007年)には次の話が出ています。なお、会談が行われた昭和63年(1988年)の当時は、「馬場さん」は万長酒店の専務。「相川さん」は大正二年生まれの棟梁で、街の世話人でした。

相川さん それからいまの塚原さん(注。元三味線屋さん、今は葛屋さんの松屋本店)。その前は「ツヅキ」つていう洋服屋さんだった。そこを買って。
馬場さん それがいまの場所ですよね。これはみんな天利さんの地所で。
相川さん そうです。

 最後に昭和51年(1976年)8月16日の読売新聞「都民版」イラストの一部を拡大しました。

菊岡

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