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うを徳開店披露|泉鏡花

 

文学と神楽坂

 泉鏡花が大正九年三月に書いた「うを徳」の開店披露の祝辞です。「うを徳」は料亭で、現在も神楽坂3丁目にあります。

 魚德うをとく開店かいてん披露ひろう

 それあたり四季しき眺望ながめは、築土つくどゆき赤城あかぎはな若宮わかみやつき目白めじろかね神樂坂かぐらざかから見附みつけ晴嵐せいらん緣日えんにちあるきの裾模樣すそもやう左褄ひだりづま緋縮緬ひぢりめんけてはよるあめとなる。おほり水鳥みづとり揚場あげばふね八景はつけい一霞ひとかすみ三筋みすぢいと連彈つれびきにて、はるまくまつうち本舞臺ほんぶたい高臺たかだいに、しやちほこならぬ金看板きんかんばん老舗しにせさらあたらしく新築しんちく開店みせびらき御料理おんれうり魚德うをとくと、たこひゞききにぞ名告なのりたる。うをよし、さけよし、鹽梅あんばいよし、最一もひと威勢ゐせいことは、此屋ここ亭主ていしゆ俠勢きほひにして、人間にんげんきたる松魚かつをごとし。烏帽子ゑぼしことや、蓬萊ほうらい床飾とこかざりつるくちばしまなばしの、心得こゝろえはありながら、素袍すはうにあらぬ向顱巻むかうはちまき半纏はんてんまくに、庖丁はうちやううでたゝ。よしそれ見得みえわすれ、虚飾かざりてて、只管ひたすらきやく專一せんいつの、獻立こんだて心意氣こゝろいき割烹かつぽう御仕出おんしだしは正月しやうぐわつより、さて引續ひきつゞ建増たてましの、うめやなぎいろ座敷ざしき五分ごぶすかさぬ四疊半よでふはんひらくや彌生やよひ大廣間おほひろま、おん對向さしむかひも、御宴會ごえんくわいも、お取持とりもち萬端ばんたんきよらかに、お湯殿ゆどのしつらへました。これもみな贔屓ごひいき愈々いよ/\かげかうむたさ。お心置こゝろおきなく手輕てがるに、永當えいたう々々/\御入おんいらせを、ひとへねがたてまつる、と口上こうじやうひたかろう、なん魚德うをとくどうだ、とへば、亭主ていしゆ割膝わりひざひざつて、ちげえねえ、とほりだ、とほりだ、えねえと、威張ゐばるばかりで卷舌まきじたゆゑ、つゝしんだくちかれず、こゝおい馴染なじみがひに、略儀りやくぎにはさふらへど、一寸ちよいと代理だいり御挨拶ごあいさつ
(大正九年三月吉日)

 翻訳はなにか非常に難しい。言葉の洒脱と、中身よりもリズムがいい五七調や七五調などでできています。

[現代語訳]このあたりの、四季を眺めてみよう。筑土の雪、赤城の桜、若宮の月、目白の鐘、そして、神楽坂から牛込見附にかけての霞。
 縁日になって歩いていると、裾に模様、左の褄には緋色の縮緬をきた人(芸者)がいる。夜になると、雨が降る。お堀の水鳥、揚場の船。この八景にも霞がかかる。三味線の連奏が聞こえてくる。
 春がきて、正月で松飾りがある間、晴れの舞台で高台に、金文字の看板で、老舗はさらに新築の店開き。料理店の「うを徳」だと、凧の響きに似て、そう名乗ろう。
 魚の生きがよく、酒はいいし、味もうまい。もうひとつ、威勢がいいのは、ここの亭主だ。気っ風がよく、まるで活きたカツオのようだ。
 烏帽子もいいが、床の間を飾るのは外国製、鉄の工具やまな箸の心得はできる。江戸時代の服ではなく向こう鉢巻をかぶり、半纏の腕まくり、包丁で腕をたたく。見栄を忘れ、飾りを棄て、ただひとつ、お客様のことだけを考えて、献立をつくる気構え。正月からこの割烹店は仕出しする。
 更に建て増しするのは「梅の香」「柳の色」の座敷。少しも声を通さない四畳半を開けると「弥生」の大広間。差し向かいでも、宴会でも、もてなしはどこをとっても清らかに。お風呂もつくりました。皆様、ますますもってご贔屓を賜りますように、来店の時には気兼ねは不要、お手軽に、末永く、お願いします……
 と、挨拶はこう言いたいところだ。うを徳、どうだ、と聞くと、亭主は正座して見栄をはり「違いねえ、その通りだ、違いねえ、その通りだ」と、威張るだけ。巻き舌があるので、うやうやしい口はできない。よく知っている亭主だし、ここで、略式ではありますが、ちょっと代理のご挨拶。

魚徳 当時は魚屋です。現在は料亭「うを徳」です。
築土赤城若宮目白見附揚場 全て周辺地域の名前です。
 目白下新長谷寺(旧目白不動)の鐘は、江戸時代に時刻を知らせる「時の鐘」の1つでした。
晴嵐 晴れた日に山にかかるかすみ。晴れた日に吹く山風
裾模様 着物の上半分を地染めした無地のままに残し、裾回りにだけ模様を置いたもの。衣装全体に模様を施すより手間が省ける。
左褄 和服の左の褄。褄は長着のすその左右両端の部分。
緋縮緬 ひぢりめん。緋色にそめた縮緬。多く婦人の長襦袢じばん、腰巻などに使う。縮緬とは表面に細かいしぼのある絹織物。
八景 八つのすぐれた景色。中国の瀟湘しようしよう八景が起源。日本では近江八景や金沢八景など。
一霞 一面におおうかすみ。一すじのかすみ。いっそう。ひとしお。見渡すかぎり。
三筋 三味線。三本のすじ。
連弾 つれびき。琴・三味線などを二人以上で奏すること。連奏。添え弾き。
松の内 正月の松飾りのある間。元旦から7日か15日まで。
本舞台  歌舞伎の劇場で、花道・付け舞台などを除いた正面の舞台。地方の劇場の舞台に対して、中央の劇場の舞台。本式に事を行う晴れの場所。ひのき舞台。
高台 周囲の土地よりも高くて、頂上が平らになっている所。実際にお濠よりは高くなっています。
 城などの屋根の大棟おおむねの両端につける想像上の海獣をかたどった金属製・瓦製などの飾り物。
金看板 金文字を彫り込んだ看板。世間に対して誇らしく掲げるしるし。世間に堂々と示す主義・主張・商品など。
塩梅 あんばい。飲食物の調味に使う塩と梅酢。食物の味かげん。
俠勢 「俠」は「おとこぎ。俠気」。「勢」は「いきおい。力。」。「任侠」は弱い者を助け、強い者をくじき、命を惜しまない気風。
松魚 カツオ。鰹。堅魚。たたき、煮物、かつお節、缶詰などに使う。
烏帽子 日本における男子の被り物の一種
蓬莱 ホウライ。台湾の異称。
床飾 掛物をかけたり、花・置物などを置いて、床の間を飾ること。その掛物など。
鶴の嘴 つるはし。鶴嘴。堅い土を掘り起こすときなどに用いる鉄製の工具。
まなばし 真魚箸。魚を料理するときに用いる長い箸。
素袍 上下二部式の衣服。武士が常服として用いた。
向こう鉢巻 結び目が額の前にくるようにして締めた鉢巻き。
半纏 半天。和服の一種。労務用と防寒用。普通の羽織と異なる点は、襟返しがないこと、前結びの紐がないこと。
捲り手 まくりで。腕まくり。袖まくり。
敲く 手や手に持った固い物で、物や体に強い衝撃を与える。打つ。目的は、破壊、音を出す、攻撃、注意を喚起、確認、その他いろいろ。
見得 見た目。外見。みば。みかけ。体裁。人の目を気にして、うわべ・外見を実際よりよく見せようとする態度。
専一 せんいつ。せんいち。他の事を考えずに、ただ一つの事柄に心を注ぐこと。
献立 料理の種類、内容、供する順序。
心意気 物事に積極的に取り組もうとする気構え。意気込み。気概。
割烹 食物の調理。料理。日本料理店。
建増 たてまし。現在ある建物に新しく部屋などを建て加えること。増築。
五分 ごくわずかな量・程度
彌生 弥生。草木がますます生い茂ること。陰暦3月。
対向 向き合うこと
取持 人をもてなすこと。もてなし。
万端 ある物事についての、すべての事柄。諸般。
湯殿 入浴するための部屋。浴室。風呂場。
しつらえる ある目的のための設備をある場所に設ける。
贔屓 気に入った人に特に目をかけ世話をすること。気に入ったものを特にかわいがること。
おかげ 御陰。他人の助力。援助。庇護。
蒙る こうむる。他人から、行為や恩恵などを受ける。
心置きない 気兼ねや遠慮がない。
手軽 手数がかからず、簡単。
永当 えいとう。興行などで、見物人が大勢つめかけるさま。
 ひとえに。ただそのことだけをする。いちずに。ひたすら。
奉る その動作の対象を敬う謙譲表現をつくる。
口上 興行で、俳優または頭取が観客に対して、舞台から述べる挨拶をいう。
割膝 わりひざ。膝頭を離して正座すること。男子の正しい座り方とされた。
肘を張る ひじをはる。肘を突っ張っていかにも強そうなようすをする。威張る。気負う。意地を張る。肩肘かたひじ張る。
卷舌 巻き舌、巻舌。舌の先を巻くようにして、威勢よく話す口調。江戸っ子に特有。
謹んで つつしんで。かしこまって。うやうやしく。
略儀 正式の手続きを省略したやり方。略式。
 
 

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春着|泉鏡花④

文学と神楽坂

 少々せう/\はなしとほりすぎた、あとへもどらう。
 まんちやんさそつたいへは、以前いぜんわたしんだ南榎町みなみえのきちやう同町内どうちやうないで、おく辨天町べんてんちやうはうつてことはすぐにれた。が、家々いへ/\んで、したがつてみちせまつたやうながする。ことよるであつた。むかしんだいへ一寸ちよつと見富けんたうかない。さうだらう兩側りやうがはとも生垣いけがきつゞきで、わたしうちなどは、木戸内きどうち空地あきち井戸ゐどりまいてすもゝ幾本いくほんしげつてた。すもゝにはから背戸せどつゞいて、ちひさなはやしといつていゝくらゐ。あの、そこあまみをびた、美人びじんしろはだのやうな花盛はなざかりをわすれない。あめにはなやみ、かぜにはいたみ、月影つきかげには微笑ほゝゑんで、淨濯(じやうたく)明粧めいしやう面影おもかげにほはせた。……
[現代語訳] 少々話は通りすぎた。もとに戻ろう。
 その日、この万ちゃんの家は、以前、私が住んでいた南榎町と同じ町内だが、弁天町の方へ近いことはすぐにわかった。が、家々は立て込んでいるし、したがって道も狭くなったよう気がする。ことに夜だった。むかし住んだ家はどこなのか、ちょっと見当はつかない。そう、両側とも生垣つづきで、私の家などは、木戸内の空地に井戸を取りまいて、すももの木が何本も茂っていた。すももは庭から裏門まで続いて、小さな林といってもいいぐらい。あの、底に甘みを帶びた、美人の白い膚のような花盛を忘れない。雨では悩み、風では腐敗し、月影にはほほえんで、きよらかで美しいよそおいの面影を匂っていた。……

南榎町。弁天町。右図を
背戸。家の裏口。裏門。背戸(せど)(ぐち)
浄濯。きよらかで洗う。
明粧。美しいよそおい。美しい化粧。

 たゞ一間ひとまよりなかつた、二階にかい四疊半よでふはんで、先生せんせい一句いつくがある。

(ふん)きよう乳房ちぶさかくすや花李はなすもゝ

 ひとへしろい。ちゝくびの桃色もゝいろをさへ、おほひかくした美女びぢよにくらべられたものらしい。……しろはなの、つてころの、その毛蟲けむし夥多おびたゞしさとつては、それはまたない。よくも、あのみづんだとおもふ。一釣瓶ひとつるべごとにえのきのこぼれたやうなあか毛蟲けむし充滿いつぱい汲上くみあげた。しばらくすると、毛蟲けむしが、こと/″\眞白まつしろてふになつて、えだにも、にも、ふたゝ花片はなびららしてつてみだるゝ。幾千いくせんともかずらない。三日みつかつゞき、五日いつか七日なぬかつゞいて、ひるがへんで、まどにも欄干らんかんにも、あたゝかなゆきりかゝる風情ふぜいせたのである。
 やがてみのころよ。――就中なかんづくみなみ納戸なんど濡縁ぬれえんかき(ぎは)には、見事みごと巴旦杏はたんきやうがあつて、おほきなひ、いろといひ、えんなる波斯ペルシヤをんな爛熟らんじゆくした裸身らしんごとくにかをつてつた。いまだと早速さつそく千匹屋せんびきやへでもおろしさうなものを、川柳せんりうふ、(地女ぢをんなりもかへらぬ一盛ひとさか)それ、意氣いきさかんなるや、縁日えんにち唐黍たうきびつてかじつても、うちつたすもゝなんかひはしない。一人ひとりとして他樣ひとさまむすめなどに、こだはるものはなかつたのである。

[現代語訳] ただ住んでいるのは一間だけだった。二階の四疊半で、先生の一句がある。
     紛胸の乳房かくすや花李  (膨らんだ胸の乳房を隠すのか、花すもも)
 ひとえに白い。乳首の桃色さえ、おおいかくした美女に比べたものらしい。……この白い花が、散って葉になる頃の、その毛虫のおびただしさといっては、もうひどい。よくも、あの水を飮んだと思う。一釣瓶ごとに榎の実のこぼれたような赤い毛虫をいっぱいに汲みあげた。しばらくすると、この毛虫が、ことごとく真っ白な蝶になって、枝にも、葉にも、再び花片をちらして舞ってみだれていく。数は何千あるのか、わからない。三日続き、五日、七日続いて、蝶はひらめき、飛んで、窓にも欄干にも、暖かな雪の降りかかる風情を見みせたのである。
 やがて実る頃になる。――特に、南の納戸の濡縁にあった垣根には、見事な()(たん)(きょう)があって、おおきな実と言い、色といい、艷なるペルシャの女の爛熟した裸身のごとくに匂っていた。今では早速千匹屋でも卸そうなものだが、例の川柳では、(地女は振りもかへらぬ一盛り)。(その土地の女なら無視する、これぞ若さだな)。つまり、意気のさかんな青年は、縁日のトウモロコシは買って食べても、家でなったすももなんか食いはしない。一人として他人様の娘などには、こだわる人はなかったのである。

紛。物事がもつれる。
ひとえ。そのものだけだ。重ならないこと
翻る。ひるがえる。風になびいて揺れ動く。ひらめく。
就中。なかんずく。多くの物事の中から特に一つを取り立てる様子。とりわけ。中でも。特に。
籬。ませ。竹や木で作った、目の粗い低い垣根。多く、庭の植え込みの周りなどに作る。
巴旦杏。はたんきょう。スモモの一品種。果実は大きい。熟すと赤い表皮に白粉を帯びて、甘い。食用。
地女。じおんな。その土地の女。商売女に対して、素人の女
一盛り。ひとさかり。一時期盛んであること。若さの盛んな一時期。
こだわる。気にしなくてもいいようなことを気にする。

 が、いまはひらけた。そのころともだちがて、酒屋さかやから麥酒ビイルると、あわたない、あわが、麥酒ビイルけつしてあわをくふものはない。が、あわたない麥酒ビイル稀有けうである。酒屋さかやにたゞすと、「ときさかさにして、ぐん/\おりなさい、うするとあわちますよ、へい。」とつたものである。十日とをかはらくださなかつたのは僥倖げうかうひたい――いまはひらけた。
 たゞ、しいかななかまる大樹たいじゆ枝垂櫻しだれざくらがもうえぬ。新館しんくわん新潮社しんてうしやしたに、吉田屋よしだや料理店れうりてんがある。丁度ちやうどあのまへあたり――其後そのご晝間ひるまとほつたとき切株きりかぶばかり、のこつたやうにた。さかりときこずゑ中空なかぞらに、はなまちおほうて、そして地摺ぢずりえだいた。よるもほんのりとくれなゐであつた。むかしよりして界隈かいわいでは、通寺町とほりてらまち保善寺ほぜんじ一樹いちじゆ藁店(わらだな)光照寺くわうせうじ一樹いちじゆ、とともに、三枚振袖みつふりそで絲櫻いとざくら名木めいぼくと、となへられたさうである。
 むかがは湯屋ゆややなぎがある。此間このあひだを、をとこをんなも、一頃ひところそろつて、縮緬ちりめん七子なゝこ羽二重はぶたへの、くろ五紋いつゝもんした。くにも、蕎麥屋そばやはひるにも紋付もんつきだつたことがある、こゝだけでもはるあめ、また朧夜おぼろよ一時代いちじだい面影おもかげおもはれる。
 つい、その一時代前ひとじだいまへには、そこは一面いちめん大竹藪おほたけやぶで、よわ旗本はたもとは、いまの交番かうばんところまでひるけたとふのである。酒井家さかゐけ出入でいり大工だいく大棟梁おほとうりやうさづけられて開拓かいたくした。やぶると、へび場所ばしよにこまつたとふ。ちひさなだうめてまつつたのが、のちに倶樂部くらぶ築山つきやまかげたにのやうながけのぞんであつたのをおぼえてる。いけちん小座敷こざしきれうごのみで、その棟梁とうりやう一度いちど料理店れうりてん其處そこひらいたときのなごりだといた。
[現代語訳] が、今では開けた。その頃、友だちが来て、酒屋からビールを取ると、泡が立たない。ビールは泡を食べるのはないが、泡の立たないビールは稀だ。酒屋にただすと、「抜く時にさかさにして、ぐんぐん、ふりなさい。そうすると泡が立ちますよ、へい。」といわれた。十日間、腹をくださなかったのは僥倖といいたい――今は開けた。
 ただ、惜しいことがある。中の丸の大樹のしだれ桜がもう見えない。新館の新潮社の下に、吉田屋という料理店がある。ちょうどあの前のあたり――その後、昼間通った時、切株ばかりが見えて、根だけが残ったように見えた。盛りの時は梢が中空に、花は町をおおい、そして地摺りの文様には枝を使っていた。夜もほんのりと紅色だった。昔から界隈では、通寺町保善寺に一樹、藁店光照寺に一樹とともに、三樹合わせて、三枚振袖として、糸桜の名木と、称えられたそうだ。
 向側の銭湯に柳がある。このあいだ、少し前だが、男も女も、そろって、縮緬と羽二重の絹織物、金工技法の魚々子、さらに黒の五紋を着て町に出た。湯へ行くにも、そば屋へ入るにも紋着だった。ここだけでも春の雨、また朧夜という一時代が思い出される。
 その一時代前には、一面の大竹藪で、気の弱い旗本は、いまの交番のところまで昼も駆け抜けたというのである。酒井家に出入の大工の大棟梁が工事を請け負い、開拓した。藪を切ると、蛇をすてる場所がなく、困ったという。小さな堂にまとめて祭ったのだが、矢来倶楽部の築山の影に谷のやうな崖があり、堂はそこにあったと覚えている。その棟梁は池、東屋、小座敷、茶室などが大好きで、この堂も一度料理店をそこに開いた時のなごりだと聞いた。

僥倖。ぎょうこう。思いがけない幸い。偶然に得る幸運
惜しい。おしい。大切なものを失いたくない。むだにすることが忍びない。もったいない。
地摺り。じずり。生地に文様を摺り出した織物。地に藍や金泥で模様を摺り出すこと、その織物。
曳く。ひく。地面をこすって進むようにする。引きずる
となえる。唱える。称える。名づけていう。呼ぶ。称する。
縮緬。表面に細かい(ちぢみ)) がある絹織物。縦糸に()りのない生糸、横糸に強く撚りをかけた生糸を用いて平織りに製織した。
七子。ななこ。魚々子。魚子、七子、魶子とも書く。金工技法の一つ。切っ先の刃が小円となった(たがね)を打ち込み、金属の表面に細かい(あわ)粒をまいたようにみせる技法。
羽二重。日本の代表的な高級絹織物の一種。生糸を用いて平織か綾織にしたのち、精練と漂白をして白生地とし、用途によって無地染や捺染模様染にする。
五紋。着物に付いている家紋の数。一つ紋は家紋は背中心に1つ。三つ紋はさらに両後ろ袖。五つ紋はさらに両胸。紋が増えるほど格が高くなり、黒留袖と喪服は必ず五つ紋。写真は五つ紋。
紋着。紋をいれた着物。「格」が最高な紋着は礼装着(第一礼装)で、打掛、黒留袖、本振袖、喪服など。
授かる。さずかる。神仏や上位の人から、大切なものを与えられる。授けられる。 学問や技術を師から与えられる。
堂。神仏を祭る建物。
籠める。こめる。物の中にいれる。詰める。表に出さないよう包み隠す。閉じこめる。
亭。眺望や休憩のために高台や庭園に設けた小さな建物。あずまや。
寮。茶室としてつくった小さな建物。数寄屋。江戸の富裕町人の別宅。下屋敷。
ごのみ。好み。名詞の下に付いて、複合語をつくる。好きなものの傾向。ある時代や、ある特定の人に好まれた様式

 かけはしちんで、はるかにポン/\とおる。へーい、と母家おもやから女中ぢよちうくと、……たれない。いけうめ小座敷こざしきで、トーンと灰吹はひふきたゝおとがする、むすめくと、……かげえない。――その料理屋れうりやを、たぬきがだましたのださうである。眉唾まゆつば眉唾まゆつば
 もつともいま神樂坂上かぐらざかうへ割烹かつぱう魚徳うをとく)の先代せんだいが(威張ゐばり)とばれて、「おう、うめえものはねえか」と、よつぱらつてるから盤臺ばんだい何處どこかへわすれて、天秤棒てんびんぼうばかりをりまはして歩行あるいたころで。……
 矢來邊やらいへんは、たゞとほくまで、榎町えのきちやう牛乳屋ぎうにうや納屋なやに、トーン/\とうし跫音あしおとのするのがひゞいて、いまにも――いわしこう――酒井家さかゐけ裏門うらもんあたりで――眞夜中まよなかには――いわしこう――と三聲みこゑんで、かたちかげえないとふ。……あやしいこゑきこえさうなさびしさであつた。
[現代語訳] 架け渡した橋の東屋で、遙かにポンポンとお掌が鳴る。へーい、と母家から女中が行くと、……誰もいない。池の梅の小座敷で、トーンと灰吹をたたく音がする、娘が行くと、……影も見えない。――その料理屋を、狸がだましたのだそうである。ご用心。ご用心。
 もっともいま神楽坂上の割烹(魚徳)の先代が(威張(いば)り)と呼ばれて、「おう、うめえ魚を食わねえか」と、酔っ払っているから魚を運ぶ盤台はどこかに忘れて、天秤棒だけを振りまわして歩いた頃で。……
 矢来あたりの夜は、ただ遠くまで、榎町の牛乳屋の納屋に、トーントーンと牛の足音のするのが響いて、今にも――いわしこう――酒井家の裏門あたりで――真夜中には――鰯こう――と三回、売り子が売る声が聞こるが、形も影も見えないという。……怪しい声が聞こえそうな寂しさだった。

桟。サン。かけはし。険しいがけなどに、架け渡した橋。かけはし
はるか。遥か距離が遠く隔たっているさま
灰吹。タバコ盆についている、タバコの吸い殻を吹き落とすための竹筒。
眉唾。まゆつば。眉に唾をつければ狐や狸にだまされないと信じられたことから、だまされないように用心すること。信用できないこと。真偽の疑わしいこと。盤台。はんだい。ばんだい。板台。半台。魚屋が魚を運ぶために浅くて大きな楕円形か円形の桶。比較的小型の円形のものはすし飯を作るのに用いる。

鈴木春信 『水売り』/棒手売をする水売りの童子を描いた浮世絵。1760年代の作。東京国立博物館所蔵

天秤棒。両端に荷をかけ物を運ぶための棒。中央を肩にあてかついで運ぶ。天秤とも。
榎町。左図を参照。

いわしこう。鰯こう。後半に「鰯こ」と書いているところもあります。「…こ」「…っこ」は①まだ一人前でない状態の人物や動物などで、乳幼児、ひな、幼虫など。たとえば「売り子」「おばあさんこ」「売れっ子」「江戸っ子」など。②特定の状態にいる人物や動物、物品で、たとえば「振り子」「根っこ」など。いわしを売っていた売り子が「いわしこ」「いわしこう」と声を掛けながら売っていたのでしょう。三浦哲郎が書いた『笹舟日記』の随筆「鰯たちよ」(毎日新聞、1973年)では「鰯っこ」で出ています。家で食べる食品としての鰯なのです。

 

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私のなかの東京|野口冨士男|1978年⑥

文学と神楽坂

 全長三百メートルといわれるのは、恐らく坂下から以前の電車通り――現在の大久保通りまでの距離で、坂自体はそのすこし先が頂上だが、四階建てのビルに変貌しているパン屋の🏠木村屋は、いまもその先のならびにある🏠尾沢薬局🏠相馬屋紙店とともに土蔵造りで、そこの小判形をした大ぶりな甘食はげんざい市販されている中央部の凸起した円形の甘食より固めで、少年期の私が好んだものの一つであった。
 木村屋よりすこし先の反対側に、いまのところ店がしまっている婦人洋装店シャン・テがあって、そこと🏠宮坂金物店とのあいだの横丁を左折するとシャン・テの裏側に🏠駐車場があるが、かつてその場所には神楽坂演芸場という神楽坂最大の寄席があった。前記した「読売新聞」の「ストリート・ストーリー」にあるイラストマップには、その場所に『兵隊さん』の落語で鳴らした柳家金語楼似顔がえがかれていて≪私のフランチャイズだった≫と書き入れてあるが、私が出入りした時分にはまだ金語楼もかすんでいた。
 ついでに『神楽坂通りの図』もみておくと、シャン・テのところには煙草屋と盛文堂書店があって、後者は昭和十年前後には書店としてよりも原稿用紙で知られていた。多くの作家が使用していて、武田麟太郎もその一人であった。
 右角の宮坂金物店の先隣りはいまも洋品店の🏠サムライ堂で、私などスエータやマフラを買うときには、母が電話で注文すると店員が似合いそうなものを幾つか持って来て、そのなかからえらんだ。反物にしろ、大正時代には背負い呉服屋というものがいて、主婦たちはそのなかから気に入ったものを買った。当時の商法はそういうものであったし、女性の生活もそういうものであった。

距離。交差点「神楽坂下」から交差点「神楽坂上」までの距離
反物。大人用の着物を1着分仕立てるのに必要な布地

シャン・テ 国立図書館の住宅地図によれば、1976年、1978年には🏠カナン洋装店、1980年はシャンテでした。したがってシャンテで問題はないと思います。

3丁目(85)

木村 カナン シャンテ 宮坂金物店 駐車場 サムライ 三菱銀行 善国寺 本多横丁 近江屋 五十番 毘沙門横丁 裏つづき

イラストマップ 下図で、絵はもっと拡大できます。
読売新聞(76/08/16)

読売新聞(76/08/16)

うを徳 金語楼

 現状でいえばその先が🏠三菱銀行で、横丁の先が毘沙門さまの🏠善国寺だが、サムライ堂の前あたりに出た草薙堂という夜店の今川焼は私も好物で、『神楽坂通りの図』には≪三個で二銭、大きくて味が評判だった≫と記されている。少年時代のことで記憶があやしいが、三個で二銭とは逆に二個で三銭ではなかったろうか。他の店よりとびきり高価だったはずだが、それだけの価値はあった。形が大きかっただけではなく、ツブシアンとコシアンの二種があって、後者には白インゲンが混入してあった。その後、私はそういうものに一度も行き遭ったことがない。
 サムライ堂の向いにある横丁が筑土八幡前へぬけて行く🏠本多横丁――横関英一の『江戸の坂 東京の坂』や石川悌二の『東京の坂道』というような著書によると三年坂ということになるが、本多横丁の呼称は江戸切絵図をみると、そのあたりに本多修理の屋敷があったためだとわかる。いま左角は傘はきものの🏠近江屋で、右角が中国料理の🏠五十番だが、後者は加能作次郎が行きつけにしていたという豊島理髪店の跡で、その前に出たバナナの叩き売りは夜店の中で最も人気があった。最近テレビにショウとして出て来るバナナの叩き売りは関西系なのか、あんなゆっくり節をつけたお念仏みたいなものでは客が眠くなる。東京の夜店のバナナ売りの口上は、どこの土地にかぎらず、もっとずっと歯切れのいい早口の恐ろしく勇ましいものであった。
 本多横丁のはずれの右角はいま熊谷組の本社になっているが、その手前の右側の石垣の上には、向島に撮影所があったころの初期の日活映画俳優であった関根達発の家があって、幼稚舎一年のとき寄宿舎にいた私は二年のときから三、四歳年長だった関根達発の長男大橋麟太郎に連れられて通学した。筑土八幡の石段は戦前には二つならんでいたような気がするが、いまは一つしかない。

筑土八幡:つくどはちまん。東京都新宿区筑土八幡町にある神社。

江戸の坂
東京の坂
東京の坂道

この横丁の坂は『江戸の坂 東京の坂』でも『東京の坂道』でも「三年坂」として書かれています。たとえば『東京の坂道』では

三年坂(さんねんざか) 三念坂とも書いた。神楽坂三、四丁日の境を神楽坂の上の方から北へ下り、筑土八幡社の手前の津久土町へ抜ける長い坂。三年坂の名のいわれはすでに他のところで述べたので省く。津久土町はもとは牛込津久土前町とよんだが、「東京府志料」はこれを「牛込津久土前町 此地は筑土神社の前なれば此町名あり、もと旧幕庶士の給地にして起立の年代は伝へざれども、明暦中受領の者あれば其頃既に士地なりしこと知るべし。」とし、また坂については「三念坂 下宮比町との間を新小川町二丁日の方へ下る。長さ五十七間、巾一間四尺より二間二尺に至る。」と記している。この坂道通りは花柳界をぬけて神楽坂通りに結びつく商店街である。

「三年坂」と「本多横丁」を考えてみれば、かたや「坂」、かたや「街」なので、全く出所は違います。

本多修理

本多修理の邸地は本多横丁と接する場所にありました。本多修理は少なくとも本多家の二代から四代までが名乗っていました。

寛政四年

寛政四年

関根達発 セキネ タッパツ。生年は1883年1月17日。没年は1928年3月20日。俳優。日本映画草創期に活躍した二枚目俳優。新派俳優から日活向島撮影所、松竹蒲田撮影所に入社。退社後はマキノ・プロダクションの作品に出演。
筑土八幡の
石段
昭和5年牛込区全図から

昭和5年牛込区全図から


筑土(つくど)八幡(はちまん)。新宿区筑土八幡町の神社。一時、神社の2社があったことがあります。元和2年(1616年)、江戸城田安門付近にあった田安明神が筑土八幡神社の隣に移転し、北の「八幡」と比較して南の「津久戸明神社」と呼ばれてきました。その後、第二次世界大戦で2社はどちらも全焼。北の八幡神社は現在でも当地に鎮座しますが、津久戸明神社は千代田区九段北に移転します。戦前では地図でも明らかなように石段も2つありました。明治時代も同じように2社がありました。

新宿区の津久戸明神社

 関根達発の家よりさらに手前の十字路は軽子坂上だが、その右側にある料亭🏠うを徳の初代が、泉鏡花の『(おんな)系図(けいず)』のめの惣のモデルだといわれている。
 🏠善国寺本堂の右横へ行くと毘沙門ホール入口と標示されていて、「毎月五日・二十五日開演神楽坂毘沙門寄席」と濃褐色の地に白い文字を染めぬいた幟が立っているが、ニカ所ある善国寺の石の門柱にはそれぞれ「昭和四十六年五月十二日児玉誉士夫建之」と刻字されている。戦前の境内には見世物小屋が立ったり植木屋が夜店を出したが、少年時代の私にとって忘れがたいのは本堂の左手にあった駄菓子屋で、そこで買い食いした蜜パンは思い出してもぞっとする。店主は内髪の老婆で、ななめに包丁を入れて三角に切った食パンに糊刷毛のようなもので壺の中の蜜を塗って渡されたが、壺や刷毛は一年になんど洗われたか。大正時代の幼少年は、疫痢でよく死んだ。
 三菱銀行と善国寺のあいだにあるのが🏠毘沙門横丁で、永井荷風の『夏姿』の主人公慶三が下谷の(ばけ)横丁の芸者千代香を落籍して一戸を構えさせるのは、恐らくこの横丁にまちがいないが、ここから🏠裏つづきで前述の神楽坂演芸場のあったあたりにかけては現在でも料亭が軒をつらねている。

落籍:らくせき。抱え主への前借金などを払い、芸者や娼妓(しょうぎ)の稼業を止めること。身請け

うを徳

その写真は

うを徳

うを徳

毘沙門寄席 現在も中身は変えながら続いています。たとえば毘沙門寄席
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