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オーシャニアクルーズ。第2日と第3日。乗船と海上ー身障者の外国旅行

 10月24日(水)午後2時ごろ、オーシャニアクルーズのリビエラに乗船。

https://www.ytk.jp/cruise/ship/oceania_riviera/

 部屋にはいるとシャンパンとカナッペ4個があった。

 ペントハウス以上の乗客でないと、掃除が終わる3時以降まで船室に入れない。甲板にいる人も多い。

 1715、全員が避難訓練を行った。しかし、我が家は車椅子がないと訓練は無理で、家の避難訓練は翌日に。

 1800、ピレウスから出港。1830、6階のグランドダイニングルーム夕食

 食後、風呂に入る

 夜になり、出航後3時間が経ったところで、船長のアナウンスがあった。医者が診断して、客一人が病気になって、この船はピレウスに戻る予定だという。夜12時に再度ピレウスを出港。

 10月25日(木)630、起床。朝、妻は11階のエグゼクティブ・ラウンジでコンシェルジェから聞いた話として、6時間遅れなので、予定通りには行かず、ロードス島の寄港は不可能だという。

 800、朝食でグランドダイニングルームに行くときに、正式な船長のアナウンスがあり、前日の異常事態でロードス島はキャンセルになったという。これで、1日中、海上に。あとで手紙が回ってきた。

 朝は、私は朝のステーキ(breakfast steak)とクランベリージュース、コーヒーを、妻はオムレツ、オレンジジュース、コーヒーを頼む。朝のステーキは昔米国に住んでいたときに食べたことがあるものとまったく変わらない。ただただスジが硬く、噛んでも噛み切れない。それを何切れか噛んでいると、それが喉の先に行かない。苦しくなり、スタッフを呼ぶ羽目に。すぐに落ち着いたが、これが「朝のステーキ」です。850、朝食終了。現病に「強直性脊椎炎」があるので、これが関係する可能性もある。

グランドダイニングルーム

グランドダイニングルーム

 930、バルコニーのドアが開かない。バトラーを呼ぶが、彼でも直せない。1030、メンテナンスが来て、直る。

 TVを見ると、ニュースにはMSNBC、BBC、さらにルパート・マードックがつくったFoxとSkyを放送中。FOXがでてCNNがでないのは変。

 1130、昼食は12階のウェーブズグリルで。2人でサラダ、神戸牛バーガー、トロピカルのスムージー、アイス、レモンクッキー。

 後方のエレベーターで帰り、11階のエグゼクティブラウンジでカプチーノ、クッキー。

 1500ごろ、14階のバリスタスでコーヒー。ただなので、部屋に焙煎装置がなくてもいい。

バリスタス

バリスタスでもコーヒーが飲める。

 もし外に出たとすると、ものすごい風が吹き荒れている。見るだけで、よくわかる。

 1800、5階で4組が避難訓練。1組は救命胴衣を忘れていた。2組がアメリカ人。1組がヨーロッパの人。タバコを吸わないこと以外には何もなかった。10分以内で終了。

 船にいる日本人は数名が個人で、JTBの団体が20人ぐらいで、他にはなく、それ以外はアジア人(国籍で米国人も含む)が3~40人ぐらい、ヨーロッパの人やイギリス人も多くはなく、あとは全員アメリカ人だった。しかも、全員がアメリカ語を使い、きれいで上品でゆったりした発音。日本にいるときには全く忘れていた感覚だった。

 1810、15階のホライズンで船長主催の歓迎パーティー。船長は挨拶を。

船長主催の歓迎パーティ。

船長主催の歓迎パーティ。

 1830、14階のトスカーナ夕食

オーシャニアクルーズ。第4日。クレタ島ー身障者の外国旅行

 10月26日(金)クレタ島のイラクリオン市に。

 545、起床。630、15階のホライズンにCoffee Cornerに行ったが、まだ暗くて、誰も来ないし、コーヒーもない。700、12階のテラスカフェで朝食。

テラスカフェ

テラスカフェ。中央奥に料理の山が沢山ある。右のアフリカ系の男性は正確にアメリカ英語を話していた。

Currents 2018/10/26

Currents 2018/10/26

 毎日、船内新聞「CURRENTS(海流)」が届く。今日、どんなことを行うといいのかを説明したもので、1頁目はイラクリオンの案内、2頁以降はその他の情報。港湾局が無料シャトルバスを出すという情報もあった。ここで、イラクリオンの情報をGoogleの手を借りて最初のページを翻訳してみました。で、日本人が好きな情報はまずないか、とっても少ない。

 820、5階のシアターステージがエクスカーションの出発点に。(このエクスカーションという言葉は寄港地ツアーや小旅行と訳すのが良さそうです)

 バスは、クノッソスに行く。私たちの寄港地ツアーは「クノッソス遺跡を3Dで」である。ガイドは女性でした。

Knossos in 3D software

これが”Knossos in 3D”の本体。これを首にかける。

 クノッソスへの寄港地ツアーは写真で。昔は半身麻痺では歩くのは難しいところもあったけど、現在は慎重に動ける限り、まず大丈夫。(写真は全部で10枚。順番に出てきます)

廃棄抗行列が並ぶ王座の間中央広場から王座の間王座の間中央広場からの光景柱廊の間王妃の間牛の壁画牛の壁画


















 この遺跡としてははっきり分かる嘘も多く、だから世界遺産に入らない。インターネットの「旅人 legend ej の世界紀行・心に刻む遥かなる『時』」では「コンクリートを初め、自然界からの顔料などではなく、石油化学で製造された塗料を使った過剰な『こうであろう復元・複製』は、かなり『やり過ぎ』と批評され、純粋な意味での考古学研究の精度を狂わせている、という手痛い意見もある」と書いてあります。

 また説明板があるものの一部ですが、訳すことに。ところが、英語にはあっても日本語にはないものもあり、欧米だけでしか知られていない情報も。

 1215、考古学博物館に。入場料は一人€10。これも写真で。€10は高く、普通は行かない。でも、これだけのものがあるなんて。絶対行くべきでした。

大理石の彫刻

大理石の彫刻

貝を持った女性

貝を持った女性

印鑑

印鑑

クノッソス遺跡の模型

クノッソス遺跡の模型

象牙、金などの芸術品

象牙、金などの芸術品

儀式用双斧

儀式用双斧

人間や昆虫の模型

人間や昆虫の模型

巨大瓶

巨大瓶

ある部屋

ある部屋


 1250、バスに戻り、1325、船の部屋に戻る。

 帰ってみると、右足の装具についていた金具が外れていた。困った。困ったときのバトラー頼り。しかし、バトラーは1700にならないと出てこないという。

 妻は1355~1420に洗濯室に行く。米ドルだけが使用可能で、1台が2ドル。洗濯と乾燥で1台ずつ使うので4ドルかかる。

 1600、15階のホライズンで、弦楽四重奏団の演奏を聞きながら、昔ながらのアフタヌーンティー。私はすべてのお菓子を食べる。1645、終了。

右足装具。かかとで装具ががなくなった。代わりに6角ボルトが入っている。

右足装具。かかとで装具ががなくなった。代わりに6角ボルトが入っている。

 1730、右足の装具についてバトラーがまだ来ない。そこで電話をかけ、来てもらう。1740、バトラーがやってくる。直せそうだという。

 1830、装具の救急処理は終って、直ってきた。足には6角ボルトが止めてあった。これが直るのもクルーズのおかげで、大感謝。

 1845、テラスカフェで夕食。ロブスターとエビのグリル、パパイヤサラダ、豚ロースト、ギリシャとベトナムの春巻き、前菜のサーモンなど。お寿司は食べにくく、うまいとはいえない。1930、終了。

 2000、風呂

オーシャニアクルーズ。第5日。サントリーニ島ー身障者の外国旅行

 530、起床。サントリーニ島に行く予定。今日の船内新聞『Currents』はサントリーニ島の一般的な情報、ロバに乗るのはやめよう、連絡船(tender boat)についてなど。

gangway

gangway

 なお、gangwayの訳は自宅に帰るまでわかりませんでした。これは船の舷門(げんもん)か舷門に通ずる通路のこと。舷門とは、上甲板の横にあり、タラップを使って、人が出入りする戸口(ドア)のこと。実際は「舷門への通路」で使っているのが、一番多いようでした。

 630。モーニングを部屋で。昨夜からドアに「モーニングサービス」の紙をかけておく。ホテルで食べる普通の朝食でした。
In-suite breakfast serviceIn-suite breakfast service2朝食はモーニングで


 830、寄港地ツアーに。私たちが選んだのは「サントリーニのワイン醸造所とイア」。1人で$199(約22,500円)。

 クルーズ船からテンダーボート(連絡船)に乗ろうとして、杖を手から離した。そのままでは、杖は海の中に落ちる。しかし、船員が空中で杖を拾ってくれて、大事には至らなかった。次にテンダーボートから上陸しようとして、また杖を離した。今回は妻が拾ってくれた。

 半身麻痺がある場合、クルーズ船からテンダーボートに乗り換える場合と、テンダーボートから上陸する場合に、一瞬だが麻痺がない片手は、船からもボートからも離れる。別の片手は麻痺している。つまり、宙に浮く。慌てて、何かを持とうとして動くのだが、これで杖は意識から消え、最悪の場合、海中に消えてしまう。テンダーボートに乗り換える場合、自分の身は乗員に任せること。杖は妻に渡すこと。これがわかったのはもう少し先のことである。

テンダーボートから

テンダーボートから

アティニオス港

アティニオス港

サントス・ワイナリー

サントス・ワイナリー

 今回のガイドは中年の男性。なかなか、かっこいい人物。アティニオス港から約20分で最初の場所、ワイナリーにつく。

 ワイナリー(Santo Wines Winery)では、工場の見学などはなく、 直ちに試飲に。赤ワイン、白ワイン、デザートワインの3種類が飲める。赤と白は私たちにとっては美味しくなく、同乗者でも残す人も多い。デザートワインはおいしく、まあ安い。妻はデザートワイン2本(2本で€42.99、つまり約5500円)と、菓子2箱を買う。

Wineryで。ここでも外輪山の頂上にある。

外輪山の頂上にあるワイナリーで。

イアの地図

イアの地図。「地球の歩き方」から

 ここからイア(Oia)に。同乗の米国人はオアと読んでいる人が多い。

 バスは島の東側を高速で走る。外輪山の風景はどこにもなく、普通の島を突っ走る。

 約20分でOiaに。バスは駐車場に止め、私たち2人だけは一直線に、ショートカットで行く。地図は上のバスステーションから一直線に、まず下のメインスクエアに。

メインスクエアに建つ教会。

メインスクエアに建つ教会。

Oiaから見た風景

Oiaから見た風景

Oiaから

Oiaから

フィラに。右側の○で降ろしてくれて、左側の○で昼食。

フィラに。右側の〇で降ろしてくれて、左側の〇で昼食。この図はコンシェルジェからもらった地図。

 その後フィラに。今度は外輪山の頂点を回る。長さでいうと一番長く、Oiaからフィラに行くのに約30分。

 私たちがやはり最短距離(右図の右〇)でケーブルカーに乗るように降ろしてくれる。ケーブルカーのチケットをもらい、これでバスはおしまい。

 直線的に上に行くと、ケーブルカーの入口はここにある、という看板が出ているようだ。ケーブルカーの隣で食事(右図の左〇)。

 1330、ケーブルカーで急降下して降りる。

ケーブルカーは1台6人ぐらい。

ケーブルカーは1台6人ぐらい。4人というのは嘘だと思う。

テンダーボートで帰る

テンダーボートで帰る

 1400、クルーズ船に。もう一度、サントリーニ島の火口を見る。真っ黒な岩がゴツゴツとしている。活火山なので、草木はまだ見えない。

 1610、出航に気がつく。

Oiaに。遠くに風車も見える。

Oiaが見え、遠くに風車も見える。

 1640、妻は ブティックに。

カナッペ

普通のカナッペ

 1700、カナッペが来る。カナッペとは「パンを薄く小さく切って、その上に魚や肉などをのせたもの」。普通はこれぐらい。それがこうなる(写真)。

 1830、ポログリルで夕食。ポログリルは伝統的なステーキハウス。私たちがとったものは

  • 牡蠣のオーブン焼き
  • フォアグラとマッシュルームのパイ生地仕立て ポートワインソース
  • 仔牛肉のパンチェッタ包みとロブスター尾の盛り合わせ
  • サーフとターフ。フロリダ産ロブスターテイルとフィレ・ミニヨンの盛り合わせ
フォアグラとマッシュルームのパイ生地仕立て

フォアグラとマッシュルームのパイ生地

牡蠣のオーブン焼き

牡蠣のオーブン焼き


 2110、5階でミュージカル「What the World Need Now」を見る。1時間。

 2240、2310、風呂に

オーシャニアクルーズ。第6日。ケファロニアー身障者の外国旅行

 10月28日(日)、10時からケファロニア島アルゴストリ市に着岸する予定。ケファロニア島は石灰岩ばかりの島。地図を参照。目的は地底湖だけです。

ケファロニア島は石灰岩が見える

ケファロニア島は石灰岩が見える

 630、起床。どうもおかしい。実際は530だった。昨日で夏時間が終わって、標準時間になったのでした。

 今日の船内新聞はケファロニア島について。それ以外に面白い記事はなさそう。

 705、ウェーブズグリルで朝食。ここで食べたくはないと思っても、寄港地ツアーに参加してみると、食べ物はここだけしかないのです。

アルゴストリ港。長い桟橋。

アルゴストリ港。長い桟橋。私たちのバスは中央左手に見えている。

島とバスの経路

バスの経路は橙色に

 1015、5階で寄港地ツアー「メリッサニ湖とドロガラティ洞窟」に。1人$129(約15,000円)。1030、出発。ガイドは中年女性で、英国的な訛り。

 最初はドロガラティ洞窟。私は洞窟に行かない。ここで1時間。「たいしたことはなかった」と妻。ただの鍾乳洞だし。そうでしょう。

ドロワガティ洞窟

ドロワガティ洞窟。撮影は妻。1周すると終わり。

 米国の中年の女性は中で撮った写真を見せてくれる。すごく明瞭なアメリカ訛り。どうもほとんど全員がアメリカの訛りだった。そういえば、船のエレベーターの前や中でもアメリカ英語だけをしゃべっていた。
 アメリカ人だと半額で乗れる。たとえば、日本人は1人で40万円かかる場合だとすると、アメリカ人だと同額で2人が乗れる。2人で40万円。1人だと、わずか20万円。だから米国人はこれほど多くなったのですね。

 メリッサニの地底湖もやはり1時間。メリッサニ湖はブルーホールのひとつで、元々はただの鍾乳洞だった。今年の「地中の歩き方」のメリッサニ湖の写真でも、また「グレートブルーホール」の写真でも、なぜか、まん丸な穴になっている。

「地球の歩き方」から

「地球の歩き方」からメリッサニ湖

ブルーホールブルーホールは鍾乳洞だった

中米ベリーズのブルーホールも鍾乳洞だった


 地底湖に行く場合、最初は長いスロープで、1人だけで進めた。200m弱ほど進み、最後に階段。4~5段ぐらい。なんとかこの階段を進むと、漕ぎ手が私を抱きかかえて、新しいボートに乗せた。やはり抵抗しないこと。漕ぎ手は「Tip」と書いた箱を見せている。

メリッサニ湖。対面の2人も日本人。

メリッサニ湖。対面する2人も日本人。

メリッサニ湖は鍾乳洞の名残がある。

メリッサニ湖は鍾乳洞の名残がある。

 最後はツアーの最北端、きれいな白亜のミルトス・ビーチ。夏になると店舗も数店でているという。250、ツアーは終わり。

ミルトス・ビーチを上から見る

ミルトス・ビーチを上から見る。

 300、またウェーブズグリルで昼食。私はマグロバーガー。

 船長のアナウンスははいるが、よくわからない。あとで手紙が回ってきた。暴風雨でコトルで1泊する予定だという。

 630、夕食。フレンチの「ジャック」で。ジャック・ペパン自身がお年寄り。生まれは1935年。彼はフランス生まれの米国人で、有名になったのもテレビ。昔ながらの料理が有名で、新しい料理(キュイジーヌ)などは論外です。私たちが頼んだものは背景が黄緑色になったメニューの料理。

 昔からやっていたテレビ料理人よりも星3つや2つの料理人のほうがよく聞こえるし、星3つや2つのレストランは東京や京都ではそれこそ沢山ある。美食の船といっても、日本人にとっては嘘っぽく聞こえる。「なんとか、ここまでやったんだ、えらいえらい」と褒めてあげよう。でも星はまだまだ。

オーシャニアクルーズ。第8日。ドゥブロブニクー身障者の外国旅行

クロアチアのドゥブロブニク

クロアチア・ドゥブロブニク

 2018年10月30日(水)、目的地はクロアチア・ドゥブロブニク(Dubrovnik)である。

 400、目を覚まし、1週間に1回のボナロン経口ゼリー(骨粗しょう症の薬)を飲む。それから30分間、座る。430、ベッドに戻る。

 600、起床。船内新聞『Currrents』ではドゥブロブニクについてと、無料のシャトルバスについて
 700、船はコトルを出航。‎11階のラウンジでコーヒー、オレンジジュース、ヨーグルト、イングリッシュマフィンを食べる。

 715、妻は11階前方のランドリーに。

 800、テラスカフェで朝食。私も自分でバイキングを取っていたら、船員が介助に入った。

 1100、着港。1115、下船。シャトルバスで約15分で旧市街に。シャトルバスがない場合、とてもいけない。

船と旧市街

リベリア船と旧市街.相当離れている。

ドゥブロブニク地図の案内

ドゥブロブニク地図の案内

ドゥブロヴニクの地図

ドゥブロヴニクの地図

市外からミンチェタ塔 市外からミンチェタ塔


 シャトルバスから降りてすぐの塔はミンチェタ塔(上図)。一番高い砦で、1464年に完成。日本は室町時代にあたる。

 同じ場所で東の方を見るとピレ門が見える。1537年に建築。

ピレ門

ピレ門

 昔は跳ね橋になっていた。それがわかる仕掛けになっていた。

跳ね橋だった

ピレ門は跳ね橋だった

 さらに奥に進むと、聖ヴラホの石像の下で、また門になる。

聖ヴラホの石像

聖ヴラホの石像

内側の門

内側の門

 2つ目の門を渡ると、すぐにオノフリオの大噴水が出てくる。頭像16個の口から水が流れ落ちている。

オノフリオ大噴水

オノフリオ大噴水

 プラツァ大通り。10月末日なのに沢山の人が出ている。ヘーゼルナッツのソフトを食べる。

プラツァ大通り

プラツァ大通り

 プラツァ大通りでさらに東に行く。

プラツァ大通り

プラツァ大通り

 鐘楼がはっきり見えるようになった。中央右寄りの屋根に、たぶん聖人の像が見える。聖ヴラホ教会で、バロック様式。聖ヴラホは町の守護聖人。

鐘楼

左は鐘楼。その右側の像がある建物は聖ヴラホ教会。

 右に入り、振り返ると、スポンザ館が見える。16世紀に造営。現在は古文書館に。

スポンザ館

スポンザ館

 さらに奥に行くと、元首官邸。これは15世紀のゴシック・ルネサンス様式。

元首官邸

元首官邸

 1130、グンドゥリチ広場(青空広場)で昼食。チキンサラダとリゾット。お土産を買う。
 グンドゥリチ広場には詩人I.グンドゥリチの青銅像が建っていた。

詩人I.グンドゥリチの青銅像

詩人I.グンドゥリチの青銅像

 城壁に行く。最初は東入口はどこなのか、わからない。妻が右往左往して、聞いても知らないという人ばかり。それでも、ようやくわかった。入るのに100クーナが必要だが、EUの紙幣はだめで、妻はカードで払う。2人で200クーナ。家で換算すると3514円だった。高い。

東入口は真ん中の高い場所

城壁の東入口は右側にアーチ状の空間がある。そこをくぐる。これよりも小さい場所だった。

 なんとか上に行き、上半分を歩いた。

城壁から1城壁から2城壁から2

城壁から4

城壁から

 一度、下に行くところで転んだが、直ちに外国の男性が助けてくれた。

 1500、シャトルバスで帰る。

 1600、アフタヌーンティー。1630、終了し、帰ってみると、カナッペが部屋にあった。チーズクラフティケーキとプチパン

 1750、洗濯。640、終了。

 1855、ルームサービスでオーダーしたいが、メニューはどこにあるのか、わからない。バトラーに聞くと、電話のそばにあるという。電話の側の戸棚の中に分厚い本があった。聖書と同じぐらいのサイズ。2人で頼んだものは、カリフォルニアロールと牛肉のプチフィレ。

 2130、今日は5階のステージで「Light, Camera, Music」のショーを見に行く。

 2215、ショーが終わると、リベエラのクルーが挨拶。その後、船長の挨拶がある。観客は大喜び。終わっても、クルーは帰らず、全員で通路脇で1列に並び、拍手で乗客を見送った。なんかなー。でも感動はしました。

オーシャニアクルーズ。第9日。ベニスー身障者の外国旅行

 2018年10月31日、12時にイタリア・ベニスに到着予定。

 550、起床。船内新聞『Currents』はベニスと無料シャトルバスについて。

 600、11階のラウンジでヨーグルト、ジュースなどをもらってくる。700、妻はアイロンをかけるため、11階前方のランドリーに。

 来年のオーシャニアクルーズの本が部屋にはいくつもある。また本の中に「2 for 1 Cruise Fares」という文言も沢山ある。船の運賃1人分でなんと2人が乗れる! 嘘でしょ。11階のコンシェルジュに聞くと、6階のアンバサダーに聞いてほしいといわれ、700、聞きに行くと、これはアメリカ人用のコマーシャルで、アメリカに住んでいる人だけが対象だという。
 たとえば、クルーズの「Inspiring Italy」で、2019年8月6日~9月2日の10日間、船に乗る場合を考えてみたい。例えばペントハウス1とOLIFE CHOICEの乗船券を買う場合、アメリカでは「2 for 1」があるので、2人で$7699である。日本人では1人で$6699、2人で$13398になる。1ドル113円と考えるとアメリカでは2人で約87万円、日本人では2人で約150万円になる。さらにアメリカ人では往復の旅費も含めるので、この値段になる。破格だが、会社は何でもできる。
 なぜアメリカ人が多いか、ようやく、わかった。なぜ普通のアメリカ人ばかりがこの船に多いのか、これも納得。オーシャニアクルーズは日本人では破格でも、アメリカ人にはお手頃の価格なのだ。

アメリカ人用のパンフ。

アメリカ人用パンフ

日本用のパンフ

日本用のパンフ


 830、朝食でグランドダイニングに行く。サーモンやラムチョップを取った。この時、アメリカ人の男性が私たちの所にやってきて、「あなたの頑張りには感動した」という。どうもケファロニア島で地底湖のことをいっている。う~ん、困る。

 1030、ベランダからベニスの入港を見る。




















ベニスのクルーズ。シャトルバス。券を買う。水上バス。ピープルムーバ―の場所

シャトルバスが停止する場所、水上バス、係員がいる切符売り場、ピープルムーバ―の場所は遠い。

 1215、着岸。シャトルバスがでている。シャトルバスはすぐに終点になったが、次の水上バスは時間がかかった。自動券売機なんてものはなく、窓口に並んで係員から切符を買うのだが、一人一人が質問するのだろうか、20分以上もかかった。

http://livingveniceblog.com/venice-instructions/coming-going/venice-by-cruise-ship/

http://livingveniceblog.com/venice-instructions/coming-going/venice-by-cruise-ship/

水上バスに入る

水上バスに入る

 1330、サンマルコ広場に到着。€1.5のミントのソフトを買う。€10で絵を買う。

ドゥカーレ宮殿

有翼の獅子の像とドゥカーレ宮殿

聖テオドロス像(左)と有翼の獅子の像(右)

聖テオドロス像(左)と有翼の獅子の像(右)

サンマルコ寺院

サンマルコ寺院

右側は鐘楼。左側は時計塔

正面はサンマルコ寺院。右側は鐘楼。左側は時計塔。

 1400、Ceffè Uroraで、昼食。残念ながら、Caffè Florianではありません。Florianはもう少し左側だった。

Ceffè Urora

Ceffè Uroraで昼食。

何かのコーヒー

何かのコーヒー

ロールサンド

ロールサンド


 鐘楼に登る。2人で€14。エレベータの2方向が同時に開く。1方は乗車する人たちで、もう1方は下車する人たち。

サンマルコ広場を鐘楼から見た場合

サンマルコ広場を鐘楼から見る

 鐘楼を終え、元の高さに戻ってみると、水かさが高くなっている。この現象をアクアアルタ(acqua alta)といい、満潮のこと。多い年では1年間に60回以上もアクアアルタが発生するという。鉄製支柱と木製の厚板でつくった道もできている。この道はgangwayというらしい。

アックアアルタ

アクアアルタで囲まれたサンマルコ大聖堂

 目的地のサンマルコ大聖堂やドゥカーレ宮殿に行くのは私では大変。また、大運河へも、つまり南方へ行くのも私ではできない。そこで、来た場所から反対の北側に行く。

反対側に

反対側に

 20分ぐらいのあとで、なんと、リアルト橋にたどり着いた。水上バスで帰る。

リアルト橋

リアルト橋が見えた。

あっという間に夜

あっという間に夜になる

 1830ごろ、クルーズ船に戻る。部屋にはカナッペが届いていた。冷フルーツミネストローネと新鮮生野菜。

 1900、夕食はまた同じグランドダイニングに。ステーキなど。

 2100、今日は私たちの部屋には誰も来なかった。メイドもいない。ベッドメイキングで清掃はしていない。全部を変えるべきだと思って、そう伝えると、別のメイドがいやいやベッドをすべて換えてくれた。風呂に入るが、シャンプーブースの下で詰まっていた。風呂も清掃はしていなかった。逆に、貯めたお湯は妻から私になってから、なぜかなくなっているし、もう一度、貯めたら、またなくなった。私の番で3回、水を代えた。あ~あ。そろそろ総点減の時期に来ている。

 2018年11月1日、540、起床。8時に下船の予定。すさまじい雨が降っている。
 朝食をテラスカフェで食べた。sticky bunがあった。これはベトベトする甘いパンだが、日本には全く入ってこない。
 740、下船。750、ターミナルに。出口でコンパニオンというフィリピンの男性の大学生がタクシーまで送ってもらう。800、タクシーに乗り込んで、820、空港に着く。あとは待合室にいって、待つだけ。