データベース 写真で見る新宿」タグアーカイブ

横寺町(写真)ID 8278-8280 昭和44年

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 8278-8280では、昭和44年(1969年)横寺町の駐車場の写真を撮ったものです。道路は舗装し、左右に側溝があります、
 北側(左)は矢来町で、やや低い電柱は木製です。南側(右)は横寺町で、高い電柱はコンクリート製で、柱上変圧器や蛍光灯の街灯もついています。

[A]

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8278 横寺町

横寺町(昭和44年)
  1. 電柱広告「旺文社」
  1. 冠木門と、運動施設のような網のついた高い木柵。駐車場。牛込清掃事務所か?
  2. 看板「児童遊園地あり 注意徐行 牛込警察庁」。電柱広告「 加藤質店」「神楽坂眼科」
  3. あさひ児童公園
  4. 東洋綿花牛込寮。
  5. 電柱広告「大佐和

現在の駐車場

[B]

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8279 横寺町

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8280 横寺町

  1. 電柱広告「横寺町二十六 電(2XX)二八五八 / 加藤質店 / ここは横寺町53」
  2. 冠木門と、運動施設のような網のついた高い木柵。駐車場。
  3. 旺文社
  1. 木製の電柱。現在は右側の電柱はなくなった。
  2. 三叉路のうち右に行くものは見えない
  3. 遠くに突き出し看板「パーマ ミハル美容室」スタンド広告「パーマ MIHARU 美容室」

現在の三叉路

住宅地図。1970年

横寺町(写真)ID 8277 昭和44年

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 8277では、昭和44年(1969年)朝日坂にさしかかるあたりから、坂下に向けて、横寺町の写真1枚を撮りました。道路は舗装し、左右に側溝があります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8277 横寺町 1944年頃か。

 左右に電柱があります。左側の奥の木製電柱は、道路中央に寄っているように見えます。ID 461でも同じです。側溝もねじれたようになっていて、ここから先の道路が狭くなっていることが分かります。この部分の道路は現在でも、やや狭くなったままです。
 写真左の眼科の脇の路地に4文字の標柱のようなものが建っています。「芸術座跡」だといいのですが、恐らくは行き止まりを示す「進入禁止」等でしょう。

横寺町(昭和44年)
  1. 神楽坂眼科 診察時間/午前9時~午後 時/午後3時~午後6時/(コ)ンタクトレンズ出来ます/(神)楽坂眼科
  2. 標柱?
  3. 白い塀の家
  4. ソテツの木(内野医院)
  5. 消火栓。広告福屋不動産」
  6. 突き出し看板「清酒 ※ 澤之鶴 飯塚」。塩
  7. (駐車禁止)
  1. 自転車
  2. 電柱広告「ヤナギサワ ここは横寺町 36」。柳沢理髪は見えないが、神楽坂眼科の隣にある。
  3. 看板「飯塚工務所」

現在の神楽坂眼科

住宅地図。1970年

横寺町(写真)ID 455-463、昭和45年

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 455-463では、昭和45年(1970年)牛込中央通りから左側は横寺町、右側は矢来町の裏通りを北東方向に入り、やがて朝日坂を下がって神楽坂通りに抜けるまで、5種の写真を撮ったものです。道路は舗装し、左右に側溝があります。

[A] 赤尾好夫氏の邸宅

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 455 裏通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 456 裏通り 横寺町と矢来町

 左側は矢来町で、右側は横寺町です。
 道路左には木製の低い電柱、右側にはコンクリートの高い電柱があります。これは朝日坂の下になるまで変わりません。現在は片側のコンクリート電柱だけなので、この昭和45の写真は過渡期だったかもしれません。
 街灯は長い蛍光灯で右側の電柱に付いています。また、柱上変圧器もあります。

横寺町(昭和45年)
  1. パーマ MIHARA 美容室。テント「ミハル」。50年強たっても現在も営業中
  1. 電柱看板「龍門◯ 照心会 書道 教室 この先 ここ(は)横寺町」
  2. 屋敷門(棟門)とシャッター。赤尾好夫氏邸。旺文社の元社長で、テレビ朝日の初代社長。
  3. 冠木門と、運動施設のような網のついた高い木柵。駐車場。
  4. 看板「児童遊園地あり 注意徐行 牛込警察庁」。電柱看板「 加藤質店」「神楽坂眼科」
  5. あさひ児童公園
  6. 東洋綿花牛込寮。
  7. 電柱看板「大佐和

現在の裏通り

住宅地図。1970年

[B] あさひ児童公園

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 457 裏通り、あさひ児童公園前

 左側は矢来町で、右側は横寺町です。

  1. 普通の家々
  1. あさひ児童公園
  2. 電柱看板は「創業㐂永五年 お茶とのり 老舗 大佐和 神楽坂 ここは横寺町51」

現在の裏通り、あさひ児童公園前

現在の裏通り、あさひ児童公園前

[C] 三孝酒店

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 458 横寺町46、三孝商店前

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 459 横寺町46、三孝商店前

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 460 横寺町46、三孝商店前

 直前が三叉路になっていて、ここから左側も横寺町です。三孝商店はその前には三孝酒店でした。現在は商売を止め、自動販売機だけは営業中。「キムラヤのパン」もなくなりました。

  1. 三孝商店
    壁面看板「千福 三孝商店」「〇〇 三孝商店」「発売元 黄桜酒清酒造株式会社 黄桜 三孝商店」「〇〇清酒 山邑酒造株式会社蔵 櫻正宗 三孝商店」「白鷹 ハクタカ 三孝商店」
    店名「合資会社 三孝商店 リボンジュース」
    店先「サントリー」「あさひ本◯」「Cola」トイレットペーパーの山
  2. 消火栓 電気工事設計・施工 上原電気設計事務所
  3. (駐車禁止)
  1. 電柱看板「加藤質店  ここは横寺町46 」「ゴミ搬出の注意 一 ゴミは……」
  2. キムラヤのパン
  3. 電柱看板「内野医院」「皮膚科」

現在の三孝商店跡

[D] 内野医院

s新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 461 裏通り、飯塚酒店前

  1. (内野医院)
  2. 消火栓 火事と救急車 119 消火栓看板「神楽坂 福屋不動産 フクヤ」
  3. 突き出し看板「清酒 ※ 澤之鶴 飯塚 酒店」
  4. (駐車禁止)
  5. 電柱看板「セルフサービス アライ
  1. 看板「ポンプ 養生 水道 飯塚工務所」
  2. 電柱看板「 買入 丸越」「右門の和菓子」
  3. 「(龍)門禅(寺)」
  4. 電柱看板「野口商会
  5. チェッカーボードに似た「歯(科 川)畑」

現在の内野医院

[E] スーパーアライ

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 462 横寺町入口附近

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 463 横寺町入口附近

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 464 横寺町入口附近

 ID 462とID 464はほかの写真とは違いますが、ID 463はID 8316と同じで、時期は昭和45年3月と述べています。立木の葉は枯れ落ちています。右側の電柱は2本目以上は木製ですが、最初の1本目はコンクリート製でしょう。「スーパーアライ」はマンションと「ろばたや次朗」に変わり、ほかのほとんどは商売をやめ、マンションに変わりました。

  1. 花輪(フラワー 一紀)開店祝い?
  2. 突き出し看板「理容サトウ」床屋のサインポール
  3. 電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る」。街灯(蛍光灯)
  4. 突き出し看板「日本第一清酒 白鷹 ハクタカ 〇総本舗 寿司清」
  5. 電柱看板「歯科 川畑」「土地家屋 野口商会」
  6. チェッカーボード様の「(川)畑」
  1. 盆栽。リンゴ、香川みかん(八百政)
  2. 「天台宗 薬龍山 光圓寺 正蔵院/伝教大師/草刈薬師如来/閻魔大王尊/安置」「宗顕流 古流 いけ花」「坂」
  3. 高知ピーマン、静岡みかん、キャベツ(八百政)
  4. 「Super ARAI」
  5. 電柱看板「セルフサービス アライ  ココ 」
  6. 「(寺島巧芸)社」(看板・標識製作の会社)
  7. 突き出し看板「清酒 ※ 澤之鶴 飯塚」
  8. 内野医院
  9. (消火栓)

現在のスーパーアライ

芸術倶楽部跡(写真)1980年頃 ID 208

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 208は昭和55年(1980年)頃、芸術倶楽部跡を中心に撮ったカラー写真です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 208 芸術倶楽部跡 1980年頃

 この写真は下図のように撮ったものでしょう。

住宅地図。1980年

 また田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の05-05-34-2 「芸術倶楽部跡近景 1975-08-28」は「酒屋の後ろ側から撮影したもの」で、ID 208とよく似ています。

05-05-34-2 芸術倶楽部跡近景 1975-08-28

 では芸術倶楽部はどこにあったのでしょうか。ところが➀ 住所、➁ 方角についてまちまちです。
 住所は
▼「横寺町9番地」と書くもの
  ❍佐渡谷重信氏『抱月島村滝太郎論』明治書院 昭和55年
  ❍新宿区郷土研究会『神楽坂界隈』平成9年
  ❍新宿区横寺町校友会今昔史編集委員会『よこてらまち』平成12年)
▼「横寺町8・9・10番地」と書くもの
  ❍高橋春人「ここは牛込、神楽坂」第6号『牛込さんぽみち』
▼「横寺町9・10番地」と書くもの
  ❍昭和53年、新宿区文化財
▼「横寺町9・10・11番地」と書くもの
  ❍平成3年、新宿区指定史跡
  ❍籠谷典子『東京10000歩ウォーキング』真珠書院、平成18年
などがあがります。最古の「火災保険特殊地図」(都市製図社、昭和12年)では大正8年(1919年)に芸術倶楽部は改修して、木造3階建ての建物(小林アパート)に変わった後の図で、この図も「小林 9」、つまり小林アパートで9番地だと書いています。
 高橋春人「ここは牛込、神楽坂」第6号『牛込さんぽみち』は「芸術倶楽部の建坪は二階建て百八十余坪ある」と当時の「演劇画報」から引用しています。
 8、9、10、11番地の広さは198、199、178、180坪です。また東京区分職業土地便覧. 牛込区之部(大正4年)では、8番地の所有者は飯塚八重氏、9、10番地は株式会社東銀行、11番地は安田銀行でした。これから住所は横寺町9番地1筆か、あるいは9、10番地を合わせて2筆なのでしょう。「一般論では、199坪の土地に180坪を建てるのは困難で 、9、10番地にまたがっていた」と地元の人。そうなんでしょうね。芸術倶楽部や、そこに住んだ島村抱月・松井須磨子は当時の資料で「横寺町9」と書かれていますが、土地をまたいだ建物は一方の番地で呼ぶのが普通なので、その点では納得できます(下図)。
 ただし、新宿区のように、途中から11番地が加わり(昭和53年から平成3年)、公式文書になってしまうのは、あーあ……と思っています。
 次は芸術倶楽部の方角、つまり向きです。芸術倶楽部の向きは朝日坂の向きと平行(A)か直角(B)です。松本克平氏の『日本新劇史-新劇貧乏物語』(理想社、昭和46年)200頁では長手方向が朝日坂に並行(A)としています。他はすべて長手方向は朝日坂から奥に向かって(B)伸びています。入り口は(B)の黒い四角以外はないでしょう。同様に『日本新劇史』以外の資料はかすべて、朝日坂から一歩奥に入ったところに建物があると記述しています。さらに高橋春人氏は当時の「演劇画報」に「将来、建物前の空地に増築、そこでバーを開く予定」と書いてあります。

芸術倶楽部の方角。新宿区郷土研究会の『神楽坂界隈』(新宿区郷土研究会、平成9年)

 昭和12年の地図の番地は、大正元年に比べて入り組んでいます。これは10番地(かその一部)がまず9番地(芸術倶楽部)になり(上図)、さらに分かれたり、一緒になったりした結果が下図になりました。橙色は芸術倶楽部の想像図(約180坪)。


横寺町58番地(写真)昭和45年 ID 451-454

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 451~454は昭和45年(1970年)3月、牛込中央通りに南からやってきて牛込北町交差点を通り越した場所(横寺町58、旺文社前)を撮ったものです。またID 8308はID 452と、ID 8309はID 453と同じ写真です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 451 横寺町58、旺文社前

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 452 横寺町58、旺文社前

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8308 牛込中央通り 旺文社前

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 453 横寺町58、旺文社前

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8309 牛込中央通り 旺文社前

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 454 横寺町58、旺文社前

 旺文社本社が右にあります。ID 452で道が曲がった左奥に長い万年塀が見えます。これは日本興業銀行(現みずほ銀行)の矢来寮です。それ以前は酒井子爵の邸でした。ID 453ではバスが走っていますが、これは西武バスと都営バスが手を結んだバス路線です。大泉学園駅前から出発し、練馬駅通り、目白駅前、護国寺前、江戸川橋、矢来町、牛込北町、納戸町、市ヶ谷見附、赤坂見附、溜池、虎ノ門、最後は新橋駅前です。昭和45年10月、この路線は廃止しました。

横寺町。住宅地図。1970年

 ではこの地域になにかニュースになることがあったのでしょうか? 明治時代には訳者としても有名な上田敏氏が横寺町58番地に住んでいました。しかし、昭和時代になるとウィキペディアによれば横寺町でも牛込北町でも特にニュースでなりそうではありません。
 昭和45年には何かがあるのでしょうか? 新宿区の「新宿区史 区成立50周年記念」では「昭和45(1970)年5月に表面化した牛込柳町交差点付近における自動車排気ガスによる鉛公害問題は、地域住民に不安と衝撃を与えるものであった」と書いてあります。3月には「データベース 写真で見る新宿」は「牛込柳町の交通渋滞」が取り上げられます。これでしょうね。牛込北町交差点は、牛込柳町ほどではないにしても両側から坂が落ち込んだ地形です。この3月以降、横寺町や矢来町でも「交通公害」が問題になっていきます。

飯田橋駅東口 令和元年 ID 13319

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13319は令和元年(2019年)飯田橋歩道橋の下から飯田橋交差点を中心に撮ったカラー写真です。ここは飯田橋駅東口に近く、昭和58年8月5日に区境変更していますが、この写真を撮った場所はおそらく新宿区でしょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13319 飯田橋交差点令和

 この飯田橋交差点は五叉路ですが、道路は奥に行く大久保通りと左右の外堀通りしか見えず、前後をつなぐ目黒通りは見えません。歩道橋には「外堀通り/新宿区下宮比町」と書かれています。空に雲はなく、無電柱化の成功のため電柱もありません。左側の中央分離帯にあるのはブリンカーライト(障害物表示灯)です。

飯田橋交差点(令和元年)
    1. 名代 富士そば 24
    2. TULLY’S COFFEE 
    3. 格安販売 チケット モモ 新幹線自販機 黄色のバックカラーに「魚」か?
    4. (駐車禁止)
    5. (店舗 TULLY’S COFFEE)
    6. 「ふくの鳴」「ラーメン」
    7. 鳥よし
    8. 遠くに熊谷組ビル
  1. THE SUIT COMPANY ECC外語学院 英・中・韓・仏 伊・西・独 3F Leave a Nest 4, 5F 鳥どり B1F
  2. 魚盛  うおもり  みずほビジネスパートナー MIZUHO みずほ銀行
  3. 大野屋
  4. サンワード貿易 飯田橋内科歯科クリニック  JJS 〒
  5. 東京新宿メディカルセンター別館(東京厚生年金病院別館を平成9年に改築、平成26年に改称)

住宅地図 令和2年

飯田橋交差点(写真)昭和53年 ID 673

文学と神楽坂

新宿区立新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」の写真ID 673は、昭和54年3月に飯田橋交差点の新宿区側を撮影した写真です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 673 飯田橋交差点

 左右は外堀通りで、コンクリート製の中央分離帯から立っているのはブリンカーライトでしょう。横断歩道から左奥へ通じるのは大久保通りです。この他に目白通りも交差していますが写っていません。
 道路はすべて都道で、ナトリウム灯と思われる街路灯が高い位置にあります。この時代の大久保通りの左右は下宮比町でした。後に町域が変更され、写真左側は揚場町に変わりました。また図の左上にある電柱に長四角のものは自動式開閉器でした。
 東京厚生年金病院の別館は下宮比町に、本館は津久戸町にありました。

673 飯田橋交差点

飯田橋交差点(昭和54年)
  1. 剣菱 天麩羅みやこ
  2. 清酒大関 ニューア(サク)サ
    (ここから揚場町)
  3. 朝日生命 鳥よし(飯塚ビル)
  1. 東海銀行(飯田橋東海ビル 1965年竣工)
  2. 日本写真学園/(カ)ワセコンピューターサプライ株式会社/不明/銀座コージーコーナー/第一勧業銀行(第一勧銀稲垣ビル 1974年竣工)
  3. 大野屋(武道具店)
  4. 津多屋
  5. 読めない看板(日本精鉱株式会社)
  6. 東京厚生年金病院 別館
    (ここから津久戸町)
  7. 東京厚生年金病院 本館

下宮比町付近 1980年

 

神楽坂1丁目(写真)平成23年 ID 16075, 16710, 16711

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 16075, 16710, 16711は、平成23年(2011)、牛込橋と神楽坂下交差点から、坂上に向けて写真を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 16075 神楽坂入口

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 16710 神楽坂入口

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 16711 神楽坂入口

 四つ角は「神楽坂下」交差点、左右の道路は外堀通り、前後の道路は神楽坂通りです。平成7年(1995)のID 16074と比べると整備が進みました。
 交差点名は信号機とは別に上に表示されています。「牛込見附交差点」の表示は信号機にくっついていました。
 牛込橋の土橋部分には街路樹と、その足元の植栽ができました。街路樹は落葉樹で、葉を落としています。ID 16075の右側の大きく茂っている木々は街路樹ではなく、隣接する飯田橋セントラルプラザの緑地です。
 街灯は6角形の2灯用ランタンから逆正4角錐の街灯に変わりました。この街灯は平成15年(2003)に完成したものです。
 さらに大きな違いは、ID 16074に見られる架空の電線が地中化されたことです。これに伴い、地中線を管理する地上機器(ID 16075の左側歩道の2個の緑色の小型ボックス)が設置されています。分かりにくいですが、神楽坂通りの電柱も地中化されています。
 歩道はブロック(インターロッキング)で舗装されています。歩行者の衣服はどれも冬用でした。
 ID 16074で外堀通りの角にあったマクドナルドは、カグラヒルズに移転しています。また、道路標識はここでは省略します。

神楽坂1丁目(平成23年)
  1. アパート・マンション Mini Mini
  2. はんこ屋さん21 (事務所向けサービス)
  3. アパート・マンション(ニューハウス)
  4. 親子丼・うどん な(か卯)
  5. (メガネドラッグ)
  6. (カナルカフェ)
  7. (外堀通り)
  8. New Paris スロット 新台 入替「新台 アントニオ猪木が 元気にする パチスロ後」
    (→左)(サカイ書店)
    (→左)三河屋酒店
  9. エイブル
  10. モスバーガー「MOS BURGER この下すぐ モスバーガー神楽坂下店」
  11. 15 いちご ナビ 高収入  検索
  12. 神楽坂 翁庵「24時間営業 まんが喫茶 ゲラゲラ 4階」「神楽坂 吉 5F|まんが喫茶 4F|リーチ麻〇 ふじ 3F|きそば 神楽坂 翁庵 1・2F|〇B1」
  13. 駅前留学 NOVA こども駅前留学 NOVA KIDS
  14. 志満金
  1. (都のシンボルマーク)と  (東京都飯田橋庁舎の案内看板)
  2. (外堀通り)
  3. アパマンショップ
  4. ボナ(カレーショップ)
  5. 文具 原稿用紙 山田紙店
  6. 不二家 ドトールコーヒー Doutor 「J Soul Brothers 12.01 デビュー第2弾シングル」「BOOK OFF 250m」
  7. 神楽坂 あんみつ 紀の善
  8. カグラヒルズ 「Tokyo Walker 角川文庫」各階 カグ「カラオケの鉄人 AM/11:00~AM/6:00」「McDonald’s|にんにく 鶏 おでん まんま|(カラオケ)の鉄人 3F」

住宅地図。2010年

神楽坂1丁目(写真)平成7年 ID 16074

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 16074は、平成7年(1995)、牛込橋から神楽坂に向けて写真を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 16074 神楽坂入口

 四つ角は神楽坂下(旧・牛込見附)交差点ですが、信号機に交差点名の表示はありません。左右の道路は外堀通り、前後の道路は神楽坂通り(早稲田通り)です。
 最初に写真の手前から見ていきます。左右の歩道には植木やガードレールはなく、工事用の柵で車道と仕切っています。交差点に最も近い場所に街灯(2灯用ランタン、上向きの6角形の外灯と歩道に近く下向きのやや小さい6角形の外灯、正面から見ると卍に似てる)があり、腕木に緑色の「神楽坂」の文字が見えます。一方、手前の左側には仮設の照明と電気盤でした。
 撮影位置の背中側には牛込橋があり、戦前から使っていた石橋を現在の鉄橋に架け替え、平成8年(1996年)に完成しました。写真では橋は工事中でした。
 次に外堀通り。街路樹は葉を落としています。高所から左右を照らす街路灯が車道の中央に建っています。商店街の街灯ではありません。
 最後に神楽坂通りの奥。神楽坂通りは歩行者天国中で、車道は注意喚起のギラギラ塗装で赤くなっています。ここの街路樹も裸木です。
 信号の奥には緑色の「神楽坂」の標識ポールがあり、その向こうには信号手前と同じ2灯用ランタンの街灯が続いています。道路標識も沢山ありますが、ここでは省略します。
 現在は晩秋から早春です。

神楽坂1丁目(平成7年)
  1. 名代 うどんそば
  2. 白鷹 特製とんかつ 森川
  3. メガネドラッグ ホントにホントに安い!
  4. マクドナルド ハンバーガー
  5. 外堀通り
  6. (パチ)ンコ ニューバリー
  7. 神楽坂 翁庵 ジャンプ
  8. 5Fカラオケ

▶は歩道上で車道寄りに広告がある
▶がない場合は直接店舗から広告に

  1. 1年間保険付 ホントにホントに安い!
  2. 地下鉄 SUBWAY 飯田橋駅
  3. 外堀通り
  4. AKAI
  5. 薬 ヒグチ
  6. 紙店
  7. 不二家
  8. 神楽坂 あんみつ 紀の善
  9. カグラヒルズ 各階名店ぞろい 英会話ECC 飯田橋校
  10. TWIN STAR Disco &

神楽坂1丁目(写真)令和2年 ID 14799, 14915, 14917

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 14799, 14915, 14917は、令和2年(2020)、牛込橋から神楽坂下交差点、さらに神楽坂の坂上まで写真を撮ったものです。撮影した日はID 14799は3月21日、ID 14915とID 14917は5月24日でした。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14799 神楽坂入口

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14915神楽坂入口

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14917 神楽坂入口

 四つ角は神楽坂下交差点、左右の道路は外堀通り、前後の道路は神楽坂通りです。歩道の縁石は一定間隔で黄色に塗り、意味は「駐車禁止」。
 街路樹は、3月はまだ裸木だけですが、5月に若葉や青葉が一杯になっています。
 左右の歩道の縁石側に、神楽坂通りと同じ上を向いて逆正4角錐の街灯(アイ ツインアークが光源)があります。ここはちょうど千代田区との区境で、手前右上の下向きの正六角体の街灯は千代田区側で、3月の写真では街灯の時計が見えていて、午前9時27分でした。
 左側にある2個の緑色の小型ボックスは無電柱と地下の共同溝に伴ってできたものです。左右の街路樹の下には植え込みがあり、歩道はインターロッキングという小型ブロックでした。
 歩く人はほぼ全員がマスクを付けています。この年の1月末にクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号で新型コロナウイルス感染が流行し、4月に初の緊急事態宣言が発せられました。このため外出時のマスク着用が定着しています。

神楽坂1丁目(令和2年)
  1. アパート・マンション Mini Mini
  2. ▶消火栓 Fire Hydrant パチンコ店スロット PRESAS プレサス「お部屋探しは/ミニミニへ」「大学生協指定店」
  3. はんこ屋さん 21 激安 「実は、はんこ/以外も〇〇/名刺 〇 〇/ご予定と〇〇を教えてください 〇〇通りさせて頂きます!」
  4. 〇貸・売買(ニューハウス 不動産会社)
  5. (不明)
  6. ▶街灯に旗「神楽坂」
  7. 名代 富士そば。のぼり旗「生蕎麦」
  8. ⓘ(カナルカフェ)
  9. (歩行者横断禁止)
  10. 最高速度30km (駐車禁止)
  11. 外堀通り
  12. ▶警告(道路に関する立て看板)
  13. ▶「神楽坂下」交差点。(歩行者専用)「自転車を除く/12-13/日曜休日は/12-19」(駐車禁止)
  14. (STARBUCKS COFFEEのトレードマーク)(喫茶店)
  15. エイブル(不動産会社)
  16. モスバーガー
  17. 屋上広告「インターネット まんが喫茶」(向かいのカグラヒルズに入居)「神楽坂 翁庵」「4Fはダーツバー A’s」「居酒屋 プッシュ 5F」(会田ビル)(翁庵=そば屋)
  18. 駅前留学 NOVA 子ども駅前留学 NOVA KIDS(三経 第22ビル)
  19. (志)満金(うなぎ店)

▶は歩道上で車道寄りに広告がある
▶がない場合は直接店舗から広告に

  1. 警告 この道路は駐車禁止です。運転者が乗車中でも取締りを行います。牛込警察署 新宿区
  2. 神楽坂
  3. 東京都飯田橋庁舎
  4. Free WiFi 公衆電話ボックス
  5. 千代田区の街灯と時計
  6. 神楽坂の絵
  7. アパマンショップ(不動産会社)
  8. (一方通行)「自転車を除く 0-12」。(歩行者専用)「自転車を除く/12-13/日曜休日は/12-19」(車両進入禁止)「自転車を除く/0-12」
  9. のレン NOREN MURO 室(生活用品店)
  10. (一方通行入口)「12-24」
  11. ▶消(火栓) Fi(re Hydrant)
  12. ▶地下鉄のマーク(入口)
  13. Fujiya GINZA ペコちゃん焼
  14. 「ドトールコーヒー」「300m ホットヨガ/カルド神楽坂」「未〇〇」
  15. 右に「神楽坂 あんみつ」「紀の善」
  16. カグラヒルズ デジタルサイネージ「女性の顔 〇〇〇」「インターネット まんが 喫茶 自遊(空間)」「マツモトキヨシ」(薬屋)「ミライザカ」(唐揚)

善国寺(写真)昭和44年頃 ID 14126-28

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14126~28は、善国寺の写真を撮ったものです。撮影の年月日は「昭和44年頃か」と書かれています。
 この時期、善国寺には昭和45年 ID 8299-ID 8300昭和44年 ID 8271-ID 8272などがあり、これらを元として解説します。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14126 善国寺

 境内の隅から斜めに撮影しています。手前右側の四角い石はおそらく建物の基礎で、戦前にはこの場所には建物があり、東京名所絵図(明治37年)の挿絵には賽銭箱なども描かれています。その奥の建物は基礎がない仮設の小屋と思われ、商店街のセールの福引所などに使われました。
 T字に並んだ敷石は参道です。戦前のものと思われ、凹凸が目立ちます。左手間は毘沙門横丁側の門につながり、左側は本堂(毘沙門堂)に、右は正門に続いています。
 参道の向こうに四角い石があります。このあたりも戦前は建物があったので、礎石の一部かもしれません。左には屋外灯と旗の掲揚塔。さらに左は石虎で、土台に「奉」の一文字が掘られています。
 その奥の手すりは、写真には写っていない石造滑り台から降りてくる子どものための安全柵です。黒っぼい角柱は日よけの支柱で、その足元は砂場。ベンチの広告は「ビタ明治牛乳」。いずれも区立毘沙門児童遊園の施設です。
 最も左奥の建物には「易占えきせん/毘沙門天/易断所」という看板がかかり、そこで易者が占っていました。
ビタ明治牛乳 ビタミンなど栄養強化系の加工乳でした。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14127 善国寺

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14128 善国寺

 ID 14127とID 14128は、いずれも北側の正門の外から本堂を見ています。左側にはベンチと、わずかに見えるくじ引き用の抽選器。その上には「餅花もちばな」を模した小さな正月向けの飾り。本来は餅が柔らかいうちに団子にして、花に見立てて木の枝につける冬の風習でした。軒下には提灯が並びます。
 中央の5列の敷石は参道。右は門柱で、大きく欠けているようにも見えます。いずれも戦前から残存したものでしょう、
 屋外灯、石虎、中央奥には本堂と鈴紐すずのお、賽銭箱には右書きで「奉納」と「神楽坂振興会」。石虎の右奥は、背もたれが独特なベンチでしょう。
 参拝者はコートを着ています、時期は年末で「陽差しから見ても、ID 8299と同時撮影でしょう。本堂は昭和46年に再建されるので、その建築前、おそらく昭和44年の年末でしょう」と地元の方。

善國寺。住宅地図。1970年

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8271 善国寺

若宮八幡神社(写真)昭和44年 ID 14124~25

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 14124と14125は、若宮公園(若宮八幡神社と境内)の写真を撮ったものです。写真と撮った年月日は「昭和44年頃か」と書かれています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14124 若宮公園(若宮八幡神社)

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14125 若宮公園、若宮八幡神社境内

 以下について地元の人は……

 同時期の昭和44年秋に若宮八幡神社を撮ったID 8245~ID 8252があります。全体の雰囲気はよく似ていますが、以下の点が違います。
 ・陽差しが違う。ID 14124-25は曇天らしく影がない。
 ・稲荷社の神前幕、内陣を仕切る木柵、三宝の供物や御幣などが細かく違う。
 これから撮影時期は異なると推測できます。
ID 14124
 写真の正面左は流造ながれづくり拝殿。左はおそらく松の木で、右は裸木。左に見える「自動車 駐車禁止」の看板は道路を挟んで向こう側の家のブロック塀にあるもの。つまり神社と公園には塀も柵もない。写真の右手前にはブランコ、奥にすべり台。数人の子どもが冬服を着ている。中央に1本の屋外灯があり、ランプは下がやや狭い直円錐で丸い傘がある。
拝殿 はいでん。「本殿」を拝するための社殿。 本殿は神のための建物。 拝殿は人間のための建物。

ID 14125
 左にブランコとすべり台。正面には摂社の「正1位稲荷大神」の稲荷神社。奥に丸紅(株)若宮寮。右側に社務所。針葉樹と広葉樹が混ざっている。
摂社 せっしゃ。神社の格式の一つ。本社に付属し、その祭神と縁故の深い神をまつった神社。本殿に祀られている神様がメインの神様(主祭神)。境内にあるほこら、つまり小さな社殿にあるのはサブの神様。サブの神様を祀る小規模の社殿を「摂社」または「末社まっしゃ」と呼ぶ。

五軒町(写真)平成31年 ID 14059-62

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 14059から14062までとID 14196は、平成31年(2019)東五軒町と西五軒町から、相生坂の方面の写真を撮ったものです。道路の右側は西五軒町、左側は東五軒町です。なお、平成31年は5月1日に令和元年に変わりました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14059 西五軒町 西五軒町6-12から南方面を望む

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14060 西五軒町 西五軒町6-19から南方面を望む

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14196 西五軒町 西五軒町6-19から南方面を望む

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14061 西五軒町 真清浄寺から相生坂を望む

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14062西五軒町 東五軒町から西五軒町を望む

 5枚の写真をID 14059は➀、ID 14060とID 14196は②、ID 14061は③、ID 14062は➃として地図に撮影した場所を書き込むと、以下のようになります。➃の道路の右側は「ラ・トゥール神楽坂」という地上24階、地下2階建の賃貸マンションです。

 新宿区は、何を目的にこの場所を撮影したのでしょうか。
 この界隈は印刷製本の町でした。昭和39年(1964年)の東京オリンピックや、昭和44年(1969年)の首都高速5号池袋線の共用開始の頃から、小さな印刷工場が店じまいしてマンションを建てる動きが目立ち始めました。芳賀善次郎著『新宿の散歩道』(三交社、1972)では……

印刷製本工業地帯          (神田川ぞい)
 新小川町から神田川にそった両岸一帯は、上流の戸塚まで、印刷製本の盛んな地域である。東京における四大印刷工業地帯の一で、文京区の小石川低地一帯、神田神保町一帯、中央区京橋裏通り一帯とともに有名である。
 これは、神田の本屋街に近いためであるが、牛込にも代表的な印刷、出版会社がある。これと関連して見のがすことのできないものに、その印刷した紙をたたむ仕事や内職をする「折り子」が多かったことである。しかし、製本の機械化がしだいに進み、さらに昭和四十四年神田川にそった道路上に高速道路ができると、道路拡張が行なわれ、会社が高層ビル化するとともに近代化が促進されて手工業の姿は姿を消した。
 地理学者田中啓爾は、つぎのよういっている。「小石川地区や牛込地区の印刷工場の周囲は、谷間も完全に住宅地や商店街となってしまっている。それでもこの印刷工場は、住宅地や商店街と両立しないことはない。
 この印刷工場のようなものは、周囲にめいわくをかけない文化工業であるからである。こんな文化工業は、山の手方面にいつまでも残ることができる。」
 〔参考〕東京都新誌

 現在では、すっかり住宅街に変わっています。歴史上の価値がある何かが写っているのか、定点観測か、それとも単に「相生坂」を撮影したのか、目的がよくわかりません。
 なお、新宿歴史博物館『新修新宿区町名誌』(平成22年、新宿歴史博物館)は、相生坂は一つだけと読めそうです。

 白銀町から東五軒町と西五軒町の間を下る坂を俗に相生坂あいおいざかという。また別名鼓坂つづみざかともいう。赤城元町の赤城神社西側の赤城坂と相対しているので、相生坂と一対にして鼓の両側になるという意味で鼓坂と名付けたという(町名誌)

 つまり、西五軒町と東五軒町の間だけを相生坂だとしているようです。ただ東側に並行するもう一本の坂も相生坂と呼ばれており、教育委員会による標柱は二つあります。

渡邊坂(写真)平成31年 ID 14057-58

文学と神楽坂

  神楽坂通りを上り切ってそのまま西へ進み、地下鉄神楽坂駅を過ぎると「逆転式一方通行」の区間が終わり、ゆるやかな下り坂の対面式になります。その道が突き当たるような三角形の変則交差点が「牛込天神町交差点」です。
 この交差点を右折し、北に下る坂に標柱「地蔵坂」が建っています。さらに100mほど進むと標柱「渡邊坂」にやってきます。「マティーニバーガー」の前です。

わた なべ ざか  江戸時代、坂の東側に旗本渡邊源蔵の屋敷があったのでこう呼ばれた。源蔵は五百石取りの御書院番で、寛文七年(一六六七)に市谷鷹匠町の屋敷と引換えにこの屋敷を拝領し、渡邊家は幕末までこの地にあった。

渡邊坂。北から望む。

御書院番 江戸幕府の職名のひとつ。若年寄の下で、営内を警備、 将軍外出の際には行列に従い警護にあたるほか、遠国出張や交替で駿府在番などを務める。

 でもおかしな問題があります。「地蔵坂」と「渡邊坂」、どこが違うの? 東京の坂について書いてある3冊を調べました。
 まず、横関英一氏の『江戸の坂 東京の坂』(有峰書店、1970年)によれば……

渡辺坂 新宿区天神町と中里町の境を南へ矢来のほうへ上る坂。昔、坂のふもと東側、中里町に「渡部源蔵」の屋敷があった(万延元年図)

 岡崎清記氏の『今昔東京の坂』(日本交通公社出版事業局、1981年)の本とほとんど同じで……

渡辺わたなべ(天神町、中里町の境)
 矢来町二七、矢来町派出所前を、早稲田通りと分かれて、北に下る広い道。なだらかに下る。この道をそのまま進むと、山吹町を経て、江戸川橋にいたる。
 むかし、坂下東側、中里町に渡辺源蔵の屋敷があった。『江戸切絵図』(尾張屋版)に、中里町から矢来下に向かう道の東側に、渡辺源蔵の名が見える。道に、坂のマークはついていない。現在、坂の東側に、「渡辺歯科」がある。源蔵さんの家系か。

 これは岡崎清記氏の図ですが、渡邊坂は大きな場所を占め、地蔵坂はここではなく右側の場所が正しいと書かれています。

岡崎清記氏の『今昔東京の坂』(日本交通公社出版事業局、1981年)

 では、石川悌二氏の『東京の坂道-生きている江戸の歴史』(新人物往来社、1971年)によると……

渡辺坂(わたなべざか)
 中里町と天神町の境を南へ、天神町三四番と三五番の間を入って南に上る。坂上は同町二六番と二七番の間に出て、東西に延びる崖下の狭い道につき当たる。裏町の露地という感じの道である。坂名の起りは、むかし、この坂のふもとに旗本渡辺源蔵の屋敷があったことによる。『諸家系譜』によると、渡辺源蔵は五百石取りの御書院番で、寛文七年に市谷鷹匠町の屋敷と引き替えに通称天神下の御書院番組屋敷の内を賜った。

 こんどは渡邊坂と地蔵坂、180°正反対です。

石川悌二氏『東京の坂道-生きている江戸の歴史』(新人物往来社、1971年)

 これは歴史から調べないとだめ。万延元年では旗本渡部源蔵はここにありました。

万延元年

 上と左の辺が道路になり、上辺はほぼ水平なので、坂をつくるのには左辺しかありません。

復興土地住宅協会著『東京都市計画図』(内山地図、昭和41年)

 明治20年の地図は下のようになっています。なるほど二つのT字型交差点の間を結んで「渡邊坂」があったんですね。つまり、天神町から「渡邊坂」はクランク状で、まっすぐの道ではないのでした。

明治20年。地図で見る新宿区の移り変わり。昭和57年。新宿区教育委員会。

 ところが明治29年、このクランクが改修されます。「渡邊坂」の西、地図で言うと左側に新たな道の建設が始まったのです。

 明治40年の地図では完成しており、この道路が令和になるまでそのままです。

明治40年地図で見る新宿区の移り変わり。昭和57年。新宿区教育委員会。

 つまり、渡邊坂は今ではありません。

 最後に2019年、新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」の渡邊坂です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14057 渡邊坂 「山吹町」交差点から南方面を望む

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14058 渡邊坂 新宿天神局前から北方面を望む


神楽坂5丁目(写真)平成31年 ID 14056

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 14056は、平成31年(2019)神楽坂5丁目から神楽坂上交差点をはさんで神楽坂6丁目方面の写真を撮ったものです。交差点の向こうは左側が5丁目、右側が6丁目になります。なお、平成31年は5月1日に令和元年に変わりました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14056 神楽坂上交差点から神楽坂六丁目方面を望む

 四つ角は神楽坂上交差点、左右の道路は大久保通り、前後の道路は神楽坂通りです。歩道の縁石は一定間隔で黄色に塗り、意味は「駐車禁止」
 左右の歩道の縁石側に、上を向いて逆正4角錐の街灯(光源はアイ ツインアーク)があります。横木には「神楽坂」を染め抜いた紫の旗が下がっています。
 神楽坂上交差点を越えると、左の5丁目も右の6丁目も同じ街灯(やじろべえ型)になります。やはり「神楽坂」の旗が見えますが、違うデザインで、色も赤く変わります。
 電灯はなく、左側の緑色の小型ボックスは無電柱と地下の共同溝に伴ってできたものです。歩道はインターロッキングという小型ブロックでした。
 大久保通りの拡幅計画のため、交差点の右前にあった河合陶器店山下漆器店はなくなり、2019年にみんなの買い取りプラザがなくなり、2020年にはアマリージュもなくなりました。
 ケヤキは裸木で、人々は厚い上着を掛け、おそらく季節は晩秋から冬。買い取りプラザは2019年4月のストリートビューでは取り壊されているので、2019年1~2月の撮影と推定されます。

神楽坂5丁目→6丁目(平成31年)
  1. (くすりの福太郎)。垂れ幕「24時間年中無休のフィットネスジム ANYTIME FITNESS 2階」「FITNESS」
  2. (駐車禁止)
  3. マルゲリータパリアッチョ(Margherita Pagliaccio)神楽坂店。PAZZERIA & TRATTORIA。薪の数束。
  4. TSUKIJI 築地すし(好)SUSHIKO
  5. (つくば商事)
  6. ▶神楽坂通り
  7. 大久保通り。
  8. 神楽坂上交差点。
  9. 信号機。
  10. ココカラファイン(薬)。JOY FIT(2階)
  11. (神楽坂)商事
  12. ( 歩行者専用)「自転車を除く/12-13/日曜休日は/12-19」(駐車禁止)

▶は歩道上で車道寄りに看板がある
▶がない場合は直接店舗に

  1. みんなの買い取りプラザ「お売りください 高価買取 無料査(定)/かしこい 生前整理 遺品整理 ご予約受付中/貴金属・ダイヤ・色石・ブランド品・時計/骨董品・美術(品) 中国骨董(・刀剣) 掛け軸(・絵画) 茶道具・書道具 象牙・珊瑚(・翡翠) 着物・帯・(毛皮)」
  2. アマリージュ
  3. 仮設のパイプ柵と緑色のネット(店舗の撤去跡)
  4. 大久保通り。
  5. 「↑ 280m  地下鉄駅 神楽坂駅」「← 100m 地下鉄駅 牛込神楽坂駅」「牛込消防署→ 160m」
  6. 安養寺
  7. 五十番
  8. (一方通行)12-24
  9. 株式会社アドバリュー2・3F(広告代理店)。株式会社ケイ・トゥー・ワン2F(デザイン会社)。証明写真(55 Station)。
  10. (Panasonic しのはらでんき)

住宅地図。平成27年。

牛込神楽坂駅(写真)平成31年 ID 14053-55

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 14053~55は、平成31年(2019)1月、大江戸線の牛込神楽坂駅付近の地上の写真を撮ったものです。牛込神楽坂駅は、平成12年(2000年)12月12日開業し、大久保通りに沿って3つの出口があります。
 A3出口は神楽坂上交差点、神楽坂、岩戸町が最も近い場所です。A3出口は右手です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14053 牛込神楽坂駅

 A2出口は袖摺坂、南蔵院、「新蛇段々」などが最も近く、A2出口はこの写真では見えない場所です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14054 牛込神楽坂駅 A2出口と神楽坂上方面を望む

 つまり、交差点から右側に渡り、南蔵院事務所の影に入って、A2出口は現れます、

 A1出口は牛込北町の交差点寄りで、牛込箪笥区民センター(旧牛込区役所)にあります。横寺町、矢来町などに最も近く、A1も見えません。遠くに見える信号と横断歩道の手前、あるいは左の軽自動車バン付近で、視点から100メートルほど向こうに離れた場所です。なお、左のガラスの壁はタリーズコーヒージャパン本社です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14055 牛込神楽坂駅 箪笥町から牛込神楽坂駅を望む

兵庫横丁(写真)平成31年 ID 14052

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 14052は、平成31年(2019)1月、兵庫横丁の北の入り口から南方を見て写真を撮ったものです。影が長いので夕方の撮影のようです。なお、平成31年は5月1日に令和元年に変わりました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14052 神楽坂から南方面を望む

 前方の石畳が兵庫横丁、手前のアスファルトが公道で名前はありません。左側のゆるやかな上りは2番目の四つ角から下り坂になり、この坂は軽子坂です。右側の先、曲がり角からは和泉屋横町です。斜め後方は材木横丁。兵庫横丁と材木横丁の大部分は私有地です。

道路台帳平面図

 兵庫横丁の石畳には歩行者用の白線はなく、車を想定していません。ただ荷運びなどで例外的に車が入ることはあるようで、この写真でもバンが停まっています。
 石畳の中央部は扇形に並んでいますが、左右は少し違っています。これについて地元の人の解説は……

 石畳は路地の歴史を色濃く残します。この写真の右側には雨水を流す側溝があり、境石を挟んでモザイクのような石敷になっています。石畳とアスファルトの境に正方形の金属製プレートがあり、おそらく土地の境界標です。建物を建てる時に路地を広げて側溝を作ったと想像できます。
 左の家の前は、幅40センチくらいにわたって石畳が直線的に敷かれています。よく見ると赤い三角ポール(駐車禁止)の左側に窪みがあります。この窪みは別の写真で見ると排水溝です。昔はこの位置が路地の端で、今の建物を建てたときに後退して石畳を追加したことが分かります。
 私有地では、こうした側溝や上下水道は路地に面した家が費用を負担して整備します。おそらく下水管は路地の中央にあり、公道に出たところのマンホールにつながっています。
 工事で石畳を部分的に掘削した時は、そこを石畳に戻すのがルールです。従って時代を経るにつれて石畳は傷んでいきます。ちなみに神楽坂通りの歩道のインターロッキングは公道ですが、工事した店が掘削部分を同じ材料で復旧する義務を負っています。
 私有地である路地でも、住人が区に共同で申請すれば上下水道や石畳の整備に補助がもらえます。住人の意見がまとまらない場所では、徐々に石畳を維持できなくなっていくようです。
境石 きょうせき。境界石。きょうかいせき。隣の敷地や道路との境界ライン。素材はコンクリート、金属、プラスチック、鋲など。境界標と同じ
石敷 平たい石を敷き詰めて舗装した所。ピンコロ石より大きい。
境界標 目に見えない境界点を現地で示す標識

https://to-ki.jp/center/useful/kiso010.asp

 左の家1軒目はイタリア料理店ラストリカート(意味は石畳)で、2軒目は「おいしんぼ」です。中央部には旅館「和可菜」があります。ここで終わりに見えても右側に小路があり、さらに奥にはいっています。上の絵(ID 14052)も電柱があり、やはり奥にはいけないという幻想があります。ここから心理的には昭和初期、ちょっと怖くて、わくわくする世界が始まります。

兵庫横丁 住宅地図 2017年

 遠景のビルは左は島田ビル(地上6階、1階はワヰン酒場)、右はオザワビル(地上7階と地下1階、1階は郵便局とカフェ・ベローチェ)です。どちらも神楽坂通りに接しますが、縦横高さの大きさでもオザワビルのほうが巨大です。

赤城神社(写真)平成31年 ID 14051

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 14051は、平成31年(2019)1月、赤城神社駐車場から写真を撮ったものです。なお「データベース」には「赤城神社から早稲田方面を望む」と書いてありました。また平成31年は5月1日に令和元年に変わりました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14051 赤城神社から早稲田方面を望む

赤城神社と豊島区のビル

 はい、早稲田はもっと左側なので、方向が違っています。
 近くの赤い建物は「ライオンズマンション神楽坂第三」です。遠くの高いビルは左から豊島区役所などの「としまエコミューゼタウン」(地上49階)、ライズシティ池袋の「エアライズタワー」(地上42階)、最も高いのが「サンシャイン60」(地上60階)、重なって見えるのが「アウルタワー」(地上52階)と池袋周辺のビルです。最も右は少し手前で、音羽の講談社(地上26階)のようです。

14051b 赤城神社から池袋方向を望む

 ではなぜこの場所を撮ったのでしょうか。野田宇太郎氏の『文学散歩』「牛込界隈」「赤城の丘」(初稿は昭和44年)を読むと分かってきます。

   赤城の丘
 昨年秋、パリのモンマルトルの丘の街を歩いていたわたくしは、何となく東京の山の手の台地のことを思い出していた。パリほどに自由で明るい藝術的雰囲気はのぞめないにしても、たとえばサクレ・クール寺院あたりからのパリ市街の展望なら、それに似たところが東京にもあったと感じ、先ず思い出したのは神田駿河台、そして牛込の赤城神社境内などだった。規模は小さいし、眼下の市街も調和がなくて薄ぎたないが、それに文化理念の磨きをかけ、調和の美を加えたら、小型のモンマルトルの丘位にはなるだろうと思ったことであった。(中略)
 無惨に折れていた赤城神社の大さな標石が新らしくなっているほかは、石灯籠も戦火に痛んだままだし、境内の西側が相変らず展望台になって明るく市街の上に開けているのも、わたくしの記憶の通りと云ってよい。戦前までの平家造りの多かった市街と違って、やたらに安易なビルが建ちはじめた現在では、もう見晴らしのよいことで知られた時代の赤城神社の特色はすっかり失われたのである。それまで小さなモンマルトルの丘を夢見ながら来た自分が、恥かしいことに思われた。戦後は見晴らしの一つの目印でもあった早稲田大学大隈講堂の時計塔も、今は新らしいビルの陰にかくれたのか、一向にみつからない。
 それでも神殿脇の明治三十七、八年の日露戦役を記念する昭忠碑の前からは急な石段が丘の下の赤城下町につづいている。

モンマルトル Montmartre。パリで一番高い丘。パリ有数の観光名所。
サクレ・クール寺院 Basilique du Sacré-Cœur de Montmartre。モンマルトルの丘に建つ白亜のカトリック教会堂。ビザンチン式の三つの白亜のドームがある。
赤城神社境内 現在はビルが建築され、なにも見えません。
昭忠碑 日露戦争の陸軍大将大山巌が揮毫した昭忠碑。平成22年9月、赤城神社の立て替え時に撤去。かわって赤城出世稲荷神社・八耳神社・葵神社の3神社を建立。

TV「気まぐれ本格派」29 神社の恋の物語

若宮町(写真)平成31年 ID 14050

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 14050は、平成31年(2019)1月、若宮町から善国寺方面を望んで、写真を撮ったものです。なお、平成31年は5月1日に令和元年に変わりました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14050 若宮町から善国寺方面を望む

 新宿区の「新宿区史・昭和30年」「市街の概観」を見ると、「神楽坂」として写真4枚が出ています。この3枚目(下図)が、実は同じ場所です。時間は65年ほど離れています。

新宿区史・昭和30年3

新宿区史・昭和30年3

 中央の「毘沙門横丁」は石畳からアスファルト舗装に変わっています。右側は神楽坂3丁目、左側は若宮町で、町のかつての料亭「松ヶ枝」はクレアシティ神楽坂若宮町というマンションになりました。
 この写真の少し後、2019年(令和元年)7月7日にメロン専門工房「果房 メロンとロマン」が開店しました。場所は右から2軒目(地図のジャスバー「もりのいえ」の隣)です。

若宮町 住宅地図 2017年

 

神楽坂1丁目(写真)平成31年 ID 14049

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 14049は、平成31年(2019)1月、牛込橋から神楽坂通りをのぞんで、写真を撮ったものです。なお、平成31年は5月1日に令和元年に変わりました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14049 牛込橋から神楽坂通りをのぞむ

 四つ角は神楽坂下交差点、左右の道路は外堀通り、前後の道路は神楽坂通りです。歩道の縁石は一定間隔で黄色に塗り、意味は「駐車禁止」
 左右の歩道の縁石側に、神楽坂通りと同じ上を向いて逆正4角錐の街灯(アイ ツインアークが光源)があります。ここはちょうど千代田区との区境で、手前右上の下向きの正六角体の街灯は千代田区側でしょう。左側にある2個の緑色の小型ボックスは無電柱と地下の共同溝に伴ってできたものです。左右に背の低いお花畑があり、歩道はインターロッキングという小型ブロックでした。

神楽坂1丁目(平成31年)
  1. ニューハウス(不動産会社)か?
  2. 神楽坂バル Lasana
  3. ▶街灯に旗「神楽坂」
  4. 名代 富士そば。のぼり旗「生蕎麦」
  5. (カナルカフェ)
  6. (歩行者横断禁止)
  7. 最高速度30km (駐車禁止)
  8. 外堀通り
  9. ▶「神楽坂下」交差点。(歩行者専用)「自転車を除く/12-13/日曜休日は/12-19」(駐車禁止)
  10. (STARBUCKS COFFEEのトレードマーク)(喫茶店)
  11. エイブル(不動産会社)
  12. 屋上広告「(インター)ネット (まん)が喫茶」(向かいのカグラヒルズに入居)「神楽坂 翁庵」「4Fはダーツバー A’s」「居酒屋 プッシュ 5F」(会田ビル)(翁庵=そば屋)
  13. 駅前留学 NOVA 子ども駅前留学 NOVA KIDS(三経 第22ビル)
  14. (志満)金(うなぎ店)

▶は歩道上で車道寄りに広告がある
▶がない場合は直接店舗から広告に

  1. 千代田区の街灯
  2. 神楽坂の絵
  3. ▶街灯に旗「神楽坂」
  4. ▶消火栓
  5. アパマンショップ(不動産会社)
  6. その右に「りそな銀行」、さらに「リアット」(靴修理)
  7. (一方通行)「自転車を除く 0-12」。(歩行者専用)「自転車を除く/12-13/日曜休日は/12-19」(車両進入禁止)「自転車を除く/0-12」(一方通行入口)「12-24」
  8. のレン(生活用品店)
  9. 「ドトールコーヒー」「 ホットヨガ/カルド神楽坂」 ONE DX BOCX
  10. 右に「神楽坂 あんみつ」「紀の善」
  11. カグラヒルズ デジタルサイネージ「盾の勇者の成り上がり シリーズ〇〇1~20巻 絶賛発売中 ファンタシー 2019年1月〇日よりTV アニメ放映」「カラオケの鉄人 11:00~AM/6:00」「インターネット まんが 喫茶 自遊(空間)」「マツモトキヨシ」(薬屋)「ミライザカ」(唐揚)

神楽坂1丁目(写真)昭和29年 ID 14048

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」ID 14048を見ましょう。撮影時期は1953年(昭和28年)頃と書いてあります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14048 神楽坂

 本当に28年に撮影したのでしょうか。メトロ映画で上映中だったのは「燃える上海」と「謎の黄金島」という映画で、ともに公開日は昭和29年ですので、昭和28年というのはありえません。この写真は「新宿區史」(新宿區役所、昭和30年、784頁)でも出ています。また「区成立30周年記念 新宿区史」(新宿区役所、昭和53年)でも同じものを使っていて、これは「昭和29年ころ」と書いてあります。おそらく昭和29年が正しいのでしょう。
 写真はプリントではなく、「新宿区史」(新宿區役所、昭和30年、784頁)から複写したものでしょう。また、ID 5190ID 21は昭和28年、ID 23はさらに昔です。

新宿区史・昭和30年

新宿區史(昭和30年)784頁

神楽坂1~2丁目(昭和29年)
  1. 外堀通りと都電の軌道
  2. 標識ポール「神楽坂」
  3. ゼブラ柄の背面板の信号機
  4. 街灯は鈴蘭灯
  5. (伊藤菓子店)
  6. (植木洋服店)
  7. 清(水衣)裳店
  1. 信号機の裏側。
  2. 看板「水野外科」
  3. 看板「産婦人科 加藤医院
  4. 外堀通りと都電の軌道
  5. フチを2色縞で強調した看板
  6. 赤井商店)(下の菓子屋は多分間違い。足袋が専門で、シャツは戦後)
  7. (その右側)「さ(くらや靴店)」
  8. 看板「茶」(東京円茶)
  9. 屋上看板「メトロ映画(燃える上海と謎の黄金島)」

都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年

若宮八幡神社(写真)昭和36年 ID 13987, 88, 90

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」で若宮八幡神社(若宮公園)のID 13987、ID 13988、ID 13990を見ましょう。撮影時期は1961年(昭和36年)の秋です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13987 神楽坂若宮八幡神社

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13988 神楽坂若宮八幡神社

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13990 神楽坂若宮八幡神社

 8年後の1969年(昭和44年)秋のID 8248と比較します。正面に流造(ながれづくり)の簡素な拝殿、狛犬と石灯籠が左右に1対ずつ。3列の敷石の参道。向かって右には笠をかぶった境内灯と、滑り台とブランコの遊具。敷地の奥には丸紅(株)若宮寮など、ほとんど同じです。
 昭和36年の場合は、区の「若宮児童遊園」の看板が右側の狛犬の向こうにあること。参道の左右に柳らしい木が見えますが、8年後にはなくなっていて別の木が大きく育っています。

神楽坂?(写真)昭和20年代 「祭風景」 ID 13794-99

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 13794からID 13799までの写真を見ましょう。撮影時期は昭和20年代で、題名は「祭風景」です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13794 祭風景

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13795 祭風景

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13796 祭風景

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13797 祭風景

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13798 祭風景

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13799 祭風景

 私には難しいので、地元の方はどう見ているのでしょうか。

 紅白幕のテントの中に、たくさんの僧侶が座っています。僧侶を取り囲む人々は肩袈裟をして「団扇太鼓」(「法華の太鼓」)を手にしているので、日蓮宗のイベントでしょう。地面はおそらく舗装されておらず、後方は隣家との間に木塀があります。大きなフラッシュのカメラで祭を記録しています。ID 13794の賽銭箱を拡大すると「日光ホテル」の墨書があります。
 別のテントには烏帽子や天冠をかぶった子どもらが稚児行列の出番を待っているようです。秋のイベントである日蓮宗の「お会式」と思われます。
 この写真が神楽坂と結びつくかどうか。毘沙門天善國寺は日蓮宗で「お会式」を挙行しますが、ID 13794の賽銭箱と木塀の位置関係やID 13799の本堂は違うようです。
 地下鉄神楽坂駅から少し離れた榎町の宗柏寺(矢来のお釈迦さま)も日蓮宗で、秋に「お会式」があります。民家に囲まれて奥まった場所に本堂があります。こちらのイベントだった可能性があります。

団扇太鼓 うちわだいこ。円形の枠に1枚の膜を張った太鼓。日蓮宗・法華宗などが多く、通称「法華ほっけの太鼓」

お会式 おえしき。日蓮門下の諸派で日蓮の命日の10月13日等にあわせて行われる法要

神楽坂(写真)昭和20年代 ID 13793

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」に「神楽坂付近か」として写真ID 13793があります。撮影時期は昭和20年代です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13793 神楽坂付近か

 奥には家があり、屋根の左側はあまり長くはなく、下がり棟が始まっています。前の2軒とはほぼ直角になり、10段内外で奥の家のほうが高くなっています(高さで2~3m)。前の2軒同士の間隔は30cmもないようですが、しかし、ゼロではなさそうです。一番前の家にはひょうたんの絵が型抜きされています。
 ではこれとよく似た場所を探しましょう。都市製図社の『火災保険特殊地図』しか残っていません。探していくとクランク坂だと……と書いてきましたが、実は『火災保険特殊地図』は正しいのですが、昭和27年ではなく、昭和12年を探していました。大間違いです、はい。クランク坂も大間違いで、改めて探しています。では、地元の方はどう考えるのかは……。

 ID 13793の場所は分かりません。ただ360度VRカメラで「クランク坂」を数えると15段あります。1段は16-18cm(20cmだと急すぎる)ので、「クランク坂」の高低差は2.5mくらい。この写真の段差は人の背丈や軒より低いので「クランク坂」とは違うように思います。
 階段を上がったところに門灯(裸電球)がついています。この路地は袋地で、階段は突き当たりの家のもののように感じます。同時代と思われるID 1379113792に比べて路地が未舗装で雨水用の側溝がないのも、路地が行き止まりで整備されていないためかも知れません。
 地形的には「かくれんぼ横丁」の突き当たりなど、裏道の袋地の奥が1mくらい高くなっている場所がいくつかあります。特定は出来ませんが、そうした路地の写真ではないかと思います。

神楽坂1丁目(写真)昭和33年頃? ID 13505

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 13505は、神楽坂通りの入口の夜景を撮ったものです。撮影は昭和33年(1958)10月だといいます。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13505 神楽坂通り入口 夜景

 これと非常によく似たID 59から63までの夜景の写真があります。とくにID 62はそっくりです。新宿歴史博物館は昭和37年(1962)頃だといいます。地域ごとのファイルは「1962年頃」、フィルムごとのファイルには「昭和33年10年」と書いてありました。
 この5枚は詳細に検討していて、昭和34年の撮影だろうと結論しています。とくに左方の標識ポールの柱(下図)は昭和34年(1959)のID 47(ID 5510)ID 50(ID 7002)では見えないので、それより早く写真を撮ったはずです。

 ではID 13505が昭和33年10月というのは正しいのでしょうか? 判断材料はID 59-63と同じで、ネオンサインの見えている大島毛糸のビルが完成したのは昭和34年(1959年)5月です。まだ建築中なのにネオンだけ点灯したという特別な理由でも無い限り(たとえば店舗の1、2階の完成は早く終わった、あるいはネオンだけが終わったなど)、昭和33年10月はおかしいと思います。
 ID 31-35(夜景)ID 36-39(夜景)と同じようにID 59から63まで(夜景、昭和37年?)とID 13505(夜景、昭和33年?)は実は昭和34年に撮影したと考えると、全てはっきりします。

神楽坂1丁目(写真)令和元年 ID 13318

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 13318は、令和元年(2019)6月、牛込橋あたりから神楽坂入口を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13318 神楽坂入口

 四つ角は神楽坂下交差点、左右に流れる道路は外堀通り、前後に流れる道路は神楽坂通りです。手前の舗装が違う部分は牛込橋です。戦前からの石橋を、平成8年(1996年)に鉄橋に掛け替えました。道路との間に黒いゴムを挟んでいて、小さな段差があるように見えます。おそらくコンクリートで舗装しています。歩道の縁石は一定間隔で黄色と無彩色に塗り分け、意味は「駐車禁止」。
 縁石に近い歩道から左右で上を向いて茶色に塗った街灯があります。新宿区の街灯とは違うので、千代田区の街灯でしょう。

街灯。Google

 次に「神楽坂通り」がここから始まり、さらに道路標識が続きます。

高 田 馬 場
Takadanobaba
市 谷
Ichigaya

飯田橋
Iidabashi
◀━   外堀通り  ━▶
牛込橋→神楽坂1丁目(令和元年)
  1. ▶街灯
  2. ▶神楽坂通り
  3. ▶道路標識
  4. 部屋探し/(mini) mini/xx9-x532(賃貸物件仲介)
  5. ▶消火栓
  6. 名刺 印鑑(「はんこ屋さん」)
    ――神楽坂下交差点
  7. (STARBUCKS COFFEE)
  8. (エイブル)
  9. モスバーガー
  10. 屋上広告「いちごナビ 「ねぇ 15pay 知ってる?」「いちごナビ求人」(風俗求人情報)「(インターネッ)ト (まんが喫)茶」(向かいのカグラヒルズに入居)「神楽坂 翁庵」「4Fはダーツバー A’s」「居酒屋 プッシュ 5F」(会田ビル)(翁庵=そば屋)
  11. 駅前留学 NOVA 子ども駅前留学 NOVA KIDS(三経 第22ビル)
  12. 志満金(うなぎ)

▶がある場合は歩道上で車道寄りに、ない場合は直接店舗に広告があった、

  1. ――神楽坂下交差点
  2. ▶街灯。横断幕「神楽坂まち舞台・大江戸めぐり 2019年 宵祭 5月11日(土)本祭 5月11日(日)」
  3. (車両進入禁止)が2つ
  4. カグラヒル(ズ)「ひとりぼっちの まる まる生活 TVアニメ NOW ON AIR」「カラオケ(の鉄人)」「インター(ネット) まんが(喫茶 自遊空間)」「マツモト(キヨシ)」
  5. 遠くの高層ビルは「ヴァンテ・アン神楽坂」(3丁目・マーサ美容室跡/10階建て、1998年完成)と「神楽坂アインスタワー」(5丁目・寺内地区再開発/26階建て、2003年完成)

神楽坂1丁目(写真)令和元年 ID 13298

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 13298は、令和元年(2019)5月、「神楽坂入口」を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13298 神楽坂入口

 交差点名は「神楽坂下」。信号機にはゼブラ柄の背面板はありません、車道と歩道はアスファルト舗装。歩道の縁石は一定間隔で黄色と無彩色に塗り分け、「駐車禁止」の意味です。街灯の柱は灰色で、光源はアイ ツインアーク(水銀ランプと高圧ナトリウムランプ)で、逆さまの正四角錐で包まれています。回転式の「(車両進入禁止)自転車を除く 0-12」の標識も見えます。
 横断歩道の奥の車道が赤く舗装されています。通称「ギラギラ舗装」で、交差点付近の駐停車禁止の注意喚起を目的に東京都が平成13年頃から導入しています。ただし交通標識や路面標示のような全国一律のルールではないので、道路管理者が判断しているようです。この部分は新宿区道です。
 左右に走る外堀通りは、いつか都市計画で拡幅されます。このため写真手前の建物は2階建てで、少し奥の建物から高くなっています。左側の建物が斜めに切れたようになっているのは、その部分まで道路が広がることを意味しています。

神楽坂1丁目→坂上(令和元年)
  1. ▶看板「交通事故多発 取締強化路線」
  2. STARBUCKS COFFEE(喫茶店)パチンコニューバリー跡
  3. ▶交差点名「神楽坂下/Kagurazaka-Hill」信号機。(歩行者専用)「自転車を除く/12-13/日曜休日は/12-19」(駐車禁止)
  4. エイブル(不動産会社)田原屋フルーツパーラー跡
  5. ▶街灯。横断幕「神楽坂まち舞台・大江戸めぐり 2019年 宵祭 5月11日(土)本祭 5月11日(日)」
  6. モスバーガー(ハンバーガー屋)清水衣裳店跡
  7. 翁庵1・2F。梨々苑(焼肉)B1。「4Fはダーツバー A’s」「居酒屋 プッシュ 5F」「Darts bar」
  8. 屋上広告「インターネット まんが喫茶 自遊空間」(向かいのカグラヒルズに入居)

▶は歩道上で車道寄りに広告がある
▶がない場合は直接店舗に

  1. 情報満載お部屋探し♪ Dramatic Communication アパマンショップ Network 飯田橋店(不動産会社)赤井足袋店跡
  2. (車両進入禁止)自転車を除く 0-12」。(歩行者専用)「自転車を除く/12-13/日曜休日は/12-19」(車両進入禁止)「自転車を除く/0-12」(一方通行入口)「12-24」
  3. カレーショップ ボナ。
  4. ▶消火栓
  5. ▶神楽坂通り
  6. ▶標柱、三角コーン
  7. のレン 室(米麹食品専門店)白十字診療所跡
  8. ▶街灯。横断幕・「神楽坂」
  9. のレン(生活用品店)山田紙店跡
  10. ▶地下鉄 神楽坂駅
  11. 地下鉄 神楽坂駅出入口
  12. 「ドトールコーヒー Finest Quality Doutor 1F 34席 2F 41席 3F 57席」「300m ホットカルドカルド神楽坂」「パク・ボゴム」「ペ(コちゃん)」突き出し看板「ペコちゃん」「ペコ(ちゃん焼)日本で(ここだけ!)」
  13. カグラヒル。屋上にあるのはKADOKAWAのデジタルサイネージ広告で、この時に表示されていたのは…「とんび」の重松清x堤真一が贈る感動作 泣くな赤鬼。6.14 FRI ROADSHOW 堤真一/柳楽優弥/川栄李奈。原作:重松清「せ(んせい。)」「(カラオケの)鉄人」「地域最〇 SEG(A)神楽坂」「インターネット まんが 喫茶 自遊(空間)」「マツモトキヨシ」

デジタルサイネージ広告 デジタル技術を活用し、平面ディスプレイやプロジェクタなどで映像や文字を表す情報・広告媒体。英語でDigital Signage(電子看板)

料亭「松ヶ枝」(写真)昭和20年代 ID 13791

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 13791は「昭和20年代 神楽坂付近か」とあり、時代と場所を特定していません。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13791 神楽坂付近か

 右手は毘沙門横丁の今はなき料亭「松ヶ枝」だと考えています。写真の道路の突き当たりは一段高く、手前に来るほどゆっくりと低くなっています。この地形は現在も同じで、奥の親子連れの向こうの塀は若宮町の料亭街です。
 都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年によれば、カメラはおそらく赤丸に置き、写真を撮ったのでしょう。

都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年

 さて、以下は地元の方の説明です。

 向かって左の奥の塀の木戸は人間には大きすぎて、自動車のための駐車場でしょう。手前の潜り戸は別の店の入り口で、花街らしい黒塀が続いています。これに対して右は土塀で、腰高まで貼り石の化粧があります。これが松ヶ枝の塀で、格式の高さが写真からも分かります。
新宿区史・昭和30年」の3枚目は、ちょうど反対側から撮った写真です。黒塀の潜り戸は同じですが、駐車場の木戸は4枚になっています。
 それ以外にも、いくつか違いがあります。ID 13791の松ヶ枝の塀から棒が飛び出し、そこに笠のついた電球が見えます。また左の駐車場の角にもボール状の灯りがあります。街灯が十分に整備されておらず、私設の外灯で来店客に便宜を図っていたと思われます。
 またID 13791の土塀はコンクリートで塗り固めたような外観ですが「新宿区史・昭和30年」では肩高より上を白い漆喰で塗っていて、貼り石との間に化粧していない壁が出ています。ここは後の時代のID 11841ではすっかり貼り石で覆われます。
 ID 13791の中央手前には、うっすらと丸い下水のマンホールが見えます。舗装はしているようですが、かなり荒れています。左手前には側溝のようなものがチラりと見えます。一方「新宿区史・昭和30年」では松ヶ枝の側に側溝を掘り、小さな石橋を架けていますが、これはID 13791には見えません。雨が降った時は、黒塀の前の少しくぼんだ部分を雨水が流れていたでしょう。
「新宿区史・昭和30年」の写真は同じ昭和20年代に撮影しているはずですが、ID 13791の方が古い時代と思われます。
潜り戸 門の扉や壁などに設けられた、背の低く幅のせまい小さな戸のこと
黒塀 黒く塗った、板づくりの塀。黒渋塗りの板塀。黒い塗装は渋墨しぶずみ塗といって、日本古来の伝統技術で柿渋と松木を焼いた煤(松煙)を混ぜたもの。防虫・防腐・防湿効果があるため建物の化粧として用いられた。
貼り石 建造物の壁に薄い石
化粧 建物の表面に、白など、見栄えのする色の塗料を塗ること

善国寺(写真)平成22年 ID 13351

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 13351は平成22年(2010年)3月に、神楽坂4丁目にあるちんざんしゃもんてんぜんこくを撮影したものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13351 神楽坂毘沙門天

 車道はアスファルト舗装、側溝はL型で、縁石は一定間隔で色が違い、黄色と無彩色で意味は「駐車禁止」。歩道もアスファルトのインターロッキング(interlocking)ブロック舗装。
 街灯は戦後4代目で、水銀と高圧ナトリウムの2つのランプ。この街灯は令和4年に更新され、古い街灯が本堂前の境内灯として再利用されました。続いて三角コーンがあり、次の標柱の内容はここで解説しています。
 石囲いは無地で、左端に「毘沙門寄席」の看板があります。ちなみに神楽坂毘沙門寄席の第一回は2005(平成17)年11月、22年7月では50回以上だそうです。看板は「七日の出演者」、<昼席 十三時半開場 十四時開演>は五街道彌助、三遊亭遊雀、柳家喜多八、<仲入り>、松旭斉 美智 美登、柳家花緑。<夜席 十八時開場 十八時半開演>古今亭菊六、金原亭馬遊、柳家さん喬、<仲入り>、三遊亭小円歌、林家たい平。下に行って<十三日の出演者 出演順>春風亭一之輔、入船亭扇辰、柳亭市馬、林家正楽、古今亭菊之丞、立川らく次、三遊亭白鳥、古今亭志ん輔、柳亭小菊、立川志らく、<十四日の出演者 出演順>柳家三之助、桃月庵白酒、林屋正雀。その右側に白と青のポスターが2枚、「墓地売出中」と読めます。門前を歩く人は背広、ダウンジャケット、上着を手に持った人などで、肌寒かったと想像します。
 赤い山門は平成6年(1994)に作られたものです。梁の間に「毘沙門天」「善國寺」の提灯が多数。左側の門柱には「毘沙門天」、右側の門柱は「善國寺」と銘板「神楽坂興隆会」。
 山門を潜り、境内にはいると 左の青銅色の屋根は浄行菩薩。境内灯は街灯とは違い、傘と円筒形の照明でした。本堂前の2体の石虎(右は阿形あぎょう、左は吽形うんぎょう)。その右に読めない看板、さらに右には石虎を描いた絵馬やおみくじを結ぶ棚があり、さらにその上は藤棚で、境内はアスファルト舗装されています。さらに右、門脇の石囲いの中はしだれ桜ですが、こちらもシーズン前です。
 最後は本堂(左、おみく[じ]と読める)と庫裏くり(右、住職や家族の住む場所)です。本堂と庫裏とは渡り廊下でつながっています。また庫裏の受付でおみくじが買えます。

和可菜|新宿歴史博物館

文学と神楽坂

 旅館「和可菜わかな」は昭和29年に木暮実千代氏が出資して、神楽坂4-7(兵庫横丁)に建築。女将は妹の和田敏子氏。一時は脚本家・映画監督・作家たちが本を書く「ホン書き旅館」として有名でした。2015年末に一時閉店、隈研吾設計事務所の手を借りて、2022年、再出発、営業再開予定ですが、22年7月。再開はまだのようです。
 和可菜は路地の小さなクランクに印象的な看板を出しています。ここは曲がり角というより、兵庫横丁が狭くなっている場所です。
 路地の石畳は水道工事などで部分的に掘り返すことがあります。ID 13350の左下の石畳が少し新しく見えるのは、そうした工事のせいかもしれません。
 ここでは新宿歴史博物館がカメラで撮った写真を4枚(2008年、2010年、2014年、2017年)収録します。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13350 旅館和可菜 平成20年(2008)3月

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13691 旅館 和可菜 平成22年(2010)

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13255 旅館 和可菜 平成26年(2014)

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13984 旅館和可菜 平成29年(2017)

 なお、平成29年のID 13984では前半分が他の建物です。

和可菜 住宅地図 2017年

 では現在の和可菜の写真です。少し化粧直しをして看板を新しくした以外は、変わっていないようです。

和可菜 2022/7/8

和可菜 2022/7/8