右側に瀬戸物の河合陶器店、上に山下漆器店が並んでいます。2店は平成29年(2017年)、道路の拡幅があり、なくなりました。河合陶器店の向こう側、都電ごしに見える6丁目の右手は果物の「田中屋」。左側の上には協和銀行の看板があります。 右手の上に標識ポール「神楽坂」が立っています。なにか「神楽坂」ではなさそうですが、表裏の二方向が必要なので、こうなっています。 「神楽坂下」交差点では、昭和35年頃までには標識ポール「神楽坂」がなくなっています(新宿歴史博物館 ID 5510)。つまり街灯の「鈴蘭灯」はあるが、標識ポール「神楽坂」はなくなっています。
昭和35年頃。新宿歴史博物館 ID 5510
以下は地元の方が発見したことですが、新宿歴史博物館 ID 7430(撮影は昭和45年11月14日)では、標識ポールはまだ残っている。写真の左側の矢印が「神楽」を隠しているけれど、標識ポールがある。
ID 11862について、左端の街灯の下には「神楽坂商栄会」があります。この会は神楽坂6丁目の商店会のことで、現在の神楽坂商店街振興組合(昭和58年設立)の前身です。次の電柱にはポスター「6.25/左翼連合結成/全国総決起集会」が少なくとも4枚、その下に「日本電信電話公社」(NTTグループの前身)のロゴマークがあります。 店舗は乾海苔問屋髙です。店内に「新海苔」、ガラス戸の左右に「賀正」「地方発送承ります」のポスター。右端のポスターは内容不明ですが「〇〇堂」らしく読めます。 右から左にかけて、ゆるやかな上り坂です。店の床と、歩道の段差が少しずつ狭くなっているのが分かります。ダラダラした上りは神楽坂6丁目商店街の特徴です。 ID 11863は店内の正月飾りを狙っています。上端で見切れている半円は何かの組合員証のようなものと思われますが、残念ながら店の手がかりはありません。 では、この乾海苔問屋はどこでしょうか。普通に考えれば折井海苔店(神楽坂6-15)です。同店は1986年11月に「折井ビル」になっていて、それ以前の姿はよく分かりません。 一方、1970年の地図には「小松海苔店」(神楽坂6-24)もあり、1973年10月に「小松ビル」になりました。この店である可能性もあります。ただ現在もある小松ビルの1階は歩道から少し後退していて、段差はなくスロープです。この写真とは様子が違うので、折井海苔店でしょう。 現在は折井ビル、小松ビルとも1階は別の店舗になっています。