側溝」タグアーカイブ

料亭「松ヶ枝」(写真)昭和20年代 ID 13791

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 13791は「昭和20年代 神楽坂付近か」とあり、時代と場所を特定していません。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13791 神楽坂付近か

 右手は毘沙門横丁の今はなき料亭「松ヶ枝」だと考えています。写真の道路の突き当たりは一段高く、手前に来るほどゆっくりと低くなっています。この地形は現在も同じで、奥の親子連れの向こうの塀は若宮町の料亭街です。
 都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年によれば、カメラはおそらく赤丸に置き、写真を撮ったのでしょう。

都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年

 さて、以下は地元の方の説明です。

 向かって左の奥の塀の木戸は人間には大きすぎて、自動車のための駐車場でしょう。手前の潜り戸は別の店の入り口で、花街らしい黒塀が続いています。これに対して右は土塀で、腰高まで貼り石の化粧があります。これが松ヶ枝の塀で、格式の高さが写真からも分かります。
新宿区史・昭和30年」の3枚目は、ちょうど反対側から撮った写真です。黒塀の潜り戸は同じですが、駐車場の木戸は4枚になっています。
 それ以外にも、いくつか違いがあります。ID 13791の松ヶ枝の塀から棒が飛び出し、そこに笠のついた電球が見えます。また左の駐車場の角にもボール状の灯りがあります。街灯が十分に整備されておらず、私設の外灯で来店客に便宜を図っていたと思われます。
 またID 13791の土塀はコンクリートで塗り固めたような外観ですが「新宿区史・昭和30年」では肩高より上を白い漆喰で塗っていて、貼り石との間に化粧していない壁が出ています。ここは後の時代のID 11841ではすっかり貼り石で覆われます。
 ID 13791の中央手前には、うっすらと丸い下水のマンホールが見えます。舗装はしているようですが、かなり荒れています。左手前には側溝のようなものがチラりと見えます。一方「新宿区史・昭和30年」では松ヶ枝の側に側溝を掘り、小さな石橋を架けていますが、これはID 13791には見えません。雨が降った時は、黒塀の前の少しくぼんだ部分を雨水が流れていたでしょう。
「新宿区史・昭和30年」の写真は同じ昭和20年代に撮影しているはずですが、ID 13791の方が古い時代と思われます。
潜り戸 門の扉や壁などに設けられた、背の低く幅のせまい小さな戸のこと
黒塀 黒く塗った、板づくりの塀。黒渋塗りの板塀。黒い塗装は渋墨しぶずみ塗といって、日本古来の伝統技術で柿渋と松木を焼いた煤(松煙)を混ぜたもの。防虫・防腐・防湿効果があるため建物の化粧として用いられた。
貼り石 建造物の壁に薄い石
化粧 建物の表面に、白など、見栄えのする色の塗料を塗ること

神楽坂1丁目(写真)昭和45年、ID 13126、ID 13128とID 13130

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 13126、ID 13128とID 13130を見ていきましょう。3つとも昭和45年(1970)3月、牛込橋付近から神楽坂1丁目や坂上を撮ったものです。ID13117、ID13118、ID13121-22、ID13124と同様の画角ですが、より左側に寄った場所から撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13126 牛込見附、神楽坂通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13128 牛込見附、神楽坂通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13130 牛込見附、神楽坂通り

 交差点名は「牛込見附」。信号機にはゼブラ柄の背面板があり、逆転式一方を示す回転式の「進入禁止」の標識も見えます。通りに入ると標識「神楽坂通り/美観街」があります。
 車道は4方向ともアスファルト舗装で、側溝と縁石は牛込橋で確認できますが、他の車道も同じでしょう。また神楽坂の車道はガードレールはなく、牛込橋と右側の外堀通りの車道にはあって、おそらく左側の外堀通りもあったでしょう。また、歩道はアスファルト舗装です。
 街灯は昭和36(1961)年以降の大きな円盤形で、その下に「神楽坂通り」があります。電柱の上には大きな柱上変圧器があるものもあります。
 いずれ有楽町線「飯田橋駅」が外堀通りの下にできる予定ですが、工事開始は1970(昭和45)年8月なので、この写真より少し後です。
 牛込橋には桜の古木があります。ID 67(昭和48年(1973)5月)では取り除かれています。

牛込橋→神楽坂(昭和45年)
  1. 富士見 〇〇入学随時☎ 英会話タイプ学院 この手前
  2. 電柱看板「独特 とんかつ 森川
  3. 東山酒蔵
  4. 電柱看板「 大久保
  5. (12-24 駐車禁止)(区間内)
  6. 交通標識の裏面
    ――「牛込見附」交差点
  7. 看板「無事故運転は/教養のあらわれ」
  8. 電柱看板「東電のトレードマーク 中〇」
  9. (車両通行止め)
  10. 電柱看板「八千代鮨
  1. (歩行者通行止め)
  2. 萩の宮
  3. ファサード看板「加藤医院
  4. 貸間 アパート 学生会
  5. 映画ポスター「大いなる男たち」(日本公開1969年10月25日)
    ――「牛込見附」交差点
  6. 株式会社 さく(らや)(靴)
  7. 佳作座の看板「〇〇上映中」(「尼僧物語」か))
  8. 赤井商店
  9. カレーショップ ボナ
  10. (白十字医院)
  11. 紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田(紙店)
  12. (車両進入禁止)
  13. 不二家洋菓子
  14. (消火栓)
  15. 突き出し看板「喫茶 軽い心」 屋上看板「喫茶 軽い心」屋上看板「3,4F 麻雀 桜/2F 喫茶室 軽い心/1F パブ ハッピージャック」スタンド看板「ハッピージャ(ック)」「今宵楽(しく軽い心で)」
  16. (右のネオンサイン)(キャ)パレー(ムー)ンライト(仲通り)
  17. (さらに右のネオンサイン)神楽坂トルコ(仲通り)
  18. 看板「パチンコはマリーで」
  19. ニュ(ーイト)ウ(靴店)
  20. 純喫茶 クラウン(喫茶店)
  21. MAX FACTOR(化粧品)
  22. 資生堂(化粧品)(さわや
  23. ナショナルのマーク(竹谷電気工事)
  24. 東京電力(サービスステーション)
  25. 鮨どころ 二葉(寿司)

住宅地図。1970年

神楽坂1丁目(写真)昭和45年 ID13117-18, 21-22, 24

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID13117-18, 13121-22, 13124を見ていきましょう。全ては、昭和45年(1970)3月、牛込橋付近から神楽坂1丁目や坂上を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13117 牛込見附、神楽坂通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13118 牛込見附、神楽坂通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13121 牛込見附、神楽坂通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13122 牛込見附、神楽坂通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13124 牛込見附、神楽坂通り

 交差点名は「牛込見附」。信号機にはゼブラ柄の背面板があり、逆転式一方を示す回転式の「進入禁止」の標識も見えます。通りに入ると標識「神楽坂通り/美観街」があります。
 車道は4方向ともアスファルト舗装で、側溝と縁石は牛込橋で確認できますが、他の車道も同じでしょう。また神楽坂の車道はガードレールはなく、牛込橋はあり、おそらく外堀通りもありでした。
 歩道もアスファルト舗装ですが、カメラの足元の牛込橋部分は石敷でした。ID 13117の右下のガードレールの切れ目あたりで、アスファルトの歩道が縁石で終わっているのが分かります。
 街灯は昭和36(1961)年以降の大きな円盤形で、その下に「神楽坂通り」があります。ただし、牛込橋の最も手前に逆円錐形の街灯があり、これは千代田区のものと思われます。電柱の上には大きな柱上変圧器があるものもあります。
 いずれ有楽町線「飯田橋駅」が外堀通りの下にできる予定ですが、工事開始は1970(昭和45)年8月なので、この写真より少し後です。
 牛込橋には桜の古木があります。ID 67(昭和48年(1973)5月)では取り除かれています。

牛込橋→神楽坂(昭和45年)
  1. 登録商標東山 東山酒蔵〇会 東山酒蔵
  2. (12-24 駐車禁止)(区間内)
  3. ▶電柱看板「 大久保」「東電のトレードマーク 中〇」
  4. 交通標識の裏面
    ーー「牛込見附」交差点
  5. 看板「無事故運転は/教養のあらわれ」
  6. (車両通行止め)
  7. (パチン)コ Pachinko(ニューバリーパチンコ)
  8. (駐車禁止)(区間内)
  9. 田原屋(フルーツパーラー)
  10. 田口屋生花店。五階建て
  11. 「ダイヤモン(ド毛糸)」(大島糸店)
  12. (喫茶)五(条)(五条ビル)
  13. 遠くに「協和銀行」

▶は車道寄りの歩道上に広告があり、ない場合は直接店舗に

  1. 立て看板「アルバイト 下宿 アパート 貸間 日本学生会
  2. ▶立て看板「盛況 酒ビール飲放題確定サービス 8時迄〇〇一五〇〇円」
  3. 電柱広告「洋装店 ナカノ」
  4. 萩の宮
  5. ファサード看板「入院設備あり 産婦人科 加藤医院
  6. ▶映画ポスター「大いなる男たち」(日本公開1969年10月25日)
    ーー「牛込見附」交差点
  7. 佳作座の看板「〇〇上映中」(「尼僧物語」か))
  8. 赤井商店
  9. カレーショップ ボナ
  10. 紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田(紙店)
  11. (消火栓)
  12. 突き出し看板「喫茶 軽い心」 屋上看板「喫茶 軽い心」屋上看板「3,4F 麻雀 桜/2F 喫茶室 軽い心/1F パブ ハッピージャック」スタンド看板「ハッピージャ(ック)」
  13. (右のネオンサイン)(キャ)パレー(ムー)ンライト(仲通り)
  14. (さらに右のネオンサイン)神楽坂トルコ(仲通り)
  15. クラウン(喫茶店)
  16. 資生堂(化粧品)(さわや)

住宅地図。1970年

神楽坂1丁目(写真)昭和54年牛込見附→飯田橋駅西口 ID 11874とID 11876

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11874とID 11876は、昭和54年(1979年)の神楽坂1丁目の牛込見附から飯田橋駅西口に向かって撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11874飯田橋駅前 牛込見附

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11876飯田橋駅前 牛込見附

 右側の歩道が狭くなっている部分が牛込橋です。この少し手前から向こうは千代田区富士見になります。右側の自動車のフロントグリルには正月飾りがついています。ID 94、ID 11873と同時の1月17日の撮影でしょう。
 車道はアスファルト舗装で、両側には側溝と縁石があります。歩道もアスファルト舗装です。飯田橋駅の前の橋の部分はおそらく戦前から続く石畳でしだが、ここでは見えません。
 右の商店の前には、神楽坂通りと同じ円盤型の街灯が2つあり、「神楽坂1丁目」で、店は神楽坂通りの商店会の会員。一方、左側は水銀灯のようで、同じ新宿区でも「神楽河岸」という別の町でした。さらに奥の牛込橋のあたりには別の街灯があり、これは千代田区の管轄でしょう。
 交差点名の「牛込見附」は、現在は「神楽坂下」に変わりました。交通標識は「逆転式一方通行の延長」の写真と同じで、「歩行者専用」と「歩行者専用道路 12-13」「スプーン・フォーク・スープの標識」。「30」は最高速度が30km/h。右側で、上には「調整中」「自転車を除く」、下には「歩行者専用」と「歩行者専用道路 12-13」です。さらに「立喰そば 飯田橋」の道路側に「歩行者通行止め」があります。

神楽坂1丁目(昭和54年)牛込見附→飯田橋駅西口
  1. 波板の囲い(旧・神楽坂警察跡地、再開発準備中)
  2. 看板「神楽坂 ナカノ」(中野洋装店)
    (ここから千代田区)
  3. 飯田橋駅西口駅舎
  4. 巨大な日本歯科大学体育館
  5. ビリヤードニッポン(濃い灰色にみえるビル)
  6. ホテルグランドパレス(遠くかすんでいるビル)
  7. 看板「麻雀 ビリヤード」
  1. 東山(酒蔵)
  2. 麻雀 COFFEE SHOP
  3. 電柱看板「質 大久保
  4. (白)鷹 とんかつ 森川
  5. 金鷹 〇〇〇/ラーメン(二鶴)
  6. 立喰そば 飯田橋<
  7. 電柱看板「とんかつ 森(川)」
    (ここから千代田区)
  8. 富士見町教会(黒い低い建物)
  9. 東京警察病院(大きな白いビル)

住宅地図。1976年

神楽坂2丁目(写真)昭和54年 神楽坂通り ID 11869

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11869は、昭和54年(1979年)1月の神楽坂2丁目を坂上から坂下に向かって撮ったものです。なお、ID 88とID 11868はほぼ同じ時刻に神楽坂3丁目を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11869 神楽坂

 車道はΟリングのくぼみがついたコンクリート舗装で、側溝と縁石があり、歩道はアスファルト舗装です。街灯は昭和36年(1961)以降の巨大な円盤形で、「神楽坂通り」を覆うように木と人工葉があり、正月の飾りとして、足元には細長い竹と松が結びつけられています。さらに奥には標識「神楽坂通り/美観街」があります。

神楽坂2丁目(昭和54年)
  1. (ビ)クターレゴ―ド リード商会。チャコ。でんでんむし。(神楽坂)ビル
  2. やっ(「」は変体仮名の「こ」)
  3. 音楽 坂(珈琲)
  1. TONAMI(十奈美化粧品)
  2. 巴有吾有」(おそらくシャッターの貼り紙は年賀で、正月休みでしょう)
  3. 地図によれば「仲門堂」(閉鎖中)
  4. 西川みゆき
  5. 電柱看板「 大久保」「歯 石川
  6. 夏目鍼灸治療/夏目写真館 夏目写真館。PHOTOGRAPH
  7. (消火栓標識)と消火栓広告「(神楽坂)針灸院
  8. 「麻雀」
  9. 電柱看板「 大久保」「歯 石川」
  10. 「純喫茶 カ(ブト虫)」
  11. 大(島歯科)
  12. 「(ジロ)ー 5F 4F 3F う」(志満金)(下の写真を)
  13. 丸和(証券)
  14. 神楽坂通り/美観街
中央に(横断歩道)2つ

住宅地図。1976年

気まぐれ本格派 25話 赤字は[ジロー」(志満金)

毘沙門横丁(写真)昭和54年 ID 11832, 11833

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11832とID 11833は、昭和54年1月、毘沙門横丁を撮ったものです。 この2枚とID 76ID 78ID 83は同一の撮影でしょう。季節は冬で、ID 72、73ID 74。75、77もおそらく同じ時期です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11832 神楽坂5-37 善国寺の横の道

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11833 神楽坂5-37 善国寺の横の道

 ここは以前から毘沙門横丁といっていました。道路はアスファルト舗装で、両側に下水溝(側溝)と縁石があり、車道と歩道の区別はなく、街灯はID 9779と同じ水銀灯に見えます。また、電柱の上には柱上変圧器があります。

神楽坂4~5丁目(昭和54年1月)
  1. 三菱銀行の側面と夜間通用口
  2. 菊正宗 すき焼 割烹 牛もん
  3. 寿し処 寿し作
  4. 一條
  5. 黒い塀(松ヶ枝駐車場)
  1. 石焼いも
  2. (消火栓)
  3. 毘沙門天のコンクリートフェンスと石材数枚
  4. 電柱看板「宮城道雄記念館」「十字路右折」「神楽坂5-37」
  5. 取り外した看板「所」「会」。おそらくID 8299のような「福引所/神楽坂通り商店会」が、歳末の売り出し時に毘沙門天境内に設けられていたのでしょう。
  6. 藤間高寿
  7. 看板「藤間高寿/小勝 /はやま
  8. 電柱看板「あまなっと 五十鈴」「麻雀クラブ 三功」
  9. 料亭「松ヶ枝

神楽坂5丁目(写真)昭和54年 ID11824 神楽坂上交差点

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11824は、昭和54年1月、当時の神楽坂交差点(現、神楽坂上交差点)から神楽坂5丁目を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11824 大久保通りから神楽坂通り(早稲田通り)を見る

 車道はアスファルト舗装で、平坦で、凸凹もなく、両側には側溝と縁石があります。歩道もアスファルト舗装で、平坦です。街灯は昭和36(1961)年以降の大きな円盤形で、その下に「神楽坂通り」、さらにその下に木と人工葉があります。標識(一方通行)が大きく描かれて、その奥には大きなサイン「神楽坂」があり、さらに奥には標識「神楽坂通り/美観街」があります。
 ID 7430(昭和45年)とよく似た写真ですが、10年の間に違いが生じました。
・信号機に交差点名の標識がついた。
・ロール型の方向指示標識の矢印が横から縦に変わった。
・横断歩道が「はしご型」に描かれている。
・大久保通りの路面電車13系統がなくなった(廃止は昭和45年3月)。
 変わっていないのは、電柱が向かって右側だけにあること、標識「神楽坂通り/美観街」があること、それに一方通行の矢印の陰になって「神楽坂」の標識ポールがあることです。この標識ポールは昭和20年代後半に坂下(ID 23)と坂上(ID 9495)に設置した古いものです。坂下は昭和30年代に取り外されましたが、坂上はまだ残っています。
 矢印の下の「自転車を除く」は坂下のロール型の方向指示標識にも見えます(ID 9109など)。しかしID 65(昭和48年)にはありません。自転車は一方通行に従わなくていいことを明確にしたのでしょう。
 店の並びはあまり大きく変わっていませんが、正面の大きなビルは相馬屋ビルで、1978年(昭和53年)3月築です。
 DPE(Development, printing, enlargement)は現像・焼き付け・引き伸ばしの略で、ID 7430(昭和45年)にはつくば商事が行っていたようです。今回の昭和54年では、DPEは2つあります。右側の「DP(E)気軽に海外旅(行)」はそのすぐ下に鳩のトレードマークと「ヒ」があり、ヒグチのDPEだと思います。左側の「DPE 37円」はつくば商事かヒグチか、はっきりしませんが、つくば商事の一部を借りてヒグチが業務を始めたとすると、つくば商事からすれば、ヒグチに全てあげた方がいいでしょう。

ID 11824 DPE

神楽坂5丁目(昭和54年)
  1. 裏向きのスタンド看板(歩行者天国時に車道に出す)
  2. 標識(一方通行)「自転車を除く」。標識(自転車及び歩行者専用)。「歩行者専用道路/12-13/日曜 休日は/4月-10月/12-20/11月-3月/12-18」。標識(駐車禁止)0-12。「ランチタイム・プロムナード」のマーク
  3. 古い標識ポール「神楽坂」
  4. 河合陶器店 陶磁器 ガラス食器 陶芸用品
  5. 山下漆器店
  6. 菊岡三味線店
  7. 明治ゴールド牛乳(田口牛乳店)。2階はBoss ルネ
  8. 割烹 うなぎ 蒲焼 大和田。歩道に出前用と思われるバイク数台。
  9. 立て看板「英会話」
  10. リード商会)ビクター レコード
  11. タカミ洋品店
  12. 中国料理 東花飯店
  13. 標識「神楽坂通り/美観街
  1. 電柱。「神楽坂」交差点。電柱看板(牛込犬猫病院)。貼り紙
  2. 営業案内/土地・建物・売買・管理/賃貸借・周旋/電話買取及販売/不動産一般代理(つくば商事)
  3. DPE 37円。
  4. 看板は「貸出の物件」。あるいは読めない
  5. 薬ヒグチ。DP(E)気軽に海外旅(行)。
  6. 田原屋 フルー(ツ)
  7. 三菱銀行

住宅地図。1980年

坂上の風景

神楽坂4丁目、5丁目(写真)昭和51年 ID 11482

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11482は、昭和51年、神楽坂4丁目から当時の神楽坂交差点(現、神楽坂上交差点)方向を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11482 神楽坂

 車道はアスファルト舗装で、次に側溝、縁石があり、車の渋滞はかなり長くなっています。歩道もアスファルト舗装で、看板「まず徐行 あそこに子どもとお年より 牛込警察署」が見えます。街灯は大きな円盤形で、下に「神楽坂通り」、さらにその下に数本の木と人工的な葉があり、また電柱の上には柱上変圧器があります。半袖の人が多いので夏、逆転式一方通行の向きから午後1時以降でしょう。

神楽坂4~5丁目(昭和51年)
  1. 善国寺。4角柱?などが見える部分は児童遊園
  2. レストラン フル(ーツ) 田原屋
  3. パチンコ おおとり
  4. 甘なっと 五十鈴
  5. やきとり(殿)堂 鮒忠
  6. 藁店に入る道のカーブミラー
  7. (中)河電(気)
    ここまで5丁目。ここから6丁目
  8. 遠くに協和銀(行)
  1. 福屋不動産
  2. (毘沙門)せんべい(福屋
  3. 神占 思召し/(福屋ビルテナント「神楽大国」)
  4. (事務用)品(福田屋文具店)
  5. 紳士服(テーラー島田)
  6. 尾)沢薬(品)(ク)ス(リ)尾沢
    ここまで4丁目。ここから5丁目
  7. 工事中(神楽坂コアビル 1978年4月竣工)
  8. 路上に積み荷(魚金鮮魚店)
  9. (か)やの木
  10. (第一勧業信用)組合
  11. (消火栓)

神楽坂まっぷ。1985年

住宅地図。1976年

善國寺(写真)昭和51年 ID 11481

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11481は、昭和51年、毘沙門天善國寺やスゴオ洋菓子店仮営業所などを撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11481 神楽坂 善国寺前 スゴオ洋菓子店仮営業所

 善国寺は昭和20年5月25日夜半から26日早朝にかけて大空襲で焼失、昭和26年、木造の毘沙門堂が再建し、昭和46年に今の本堂を建てています。したがって、昭和51年には現在の本堂ができてから5年目になりました。
 左奥には毘沙門横丁という道路があります。車道はアスファルト舗装で、歩道はありません。続けて、側溝、縁石です。
 毘沙門横丁に面して善国寺の脇門があり、大きな鉄枠の門扉が横に開く構造になっています。ここは境内をイベント会場や臨時の駐車場に使う時の入り口です。現在も同じ場所に脇門がありますが、この写真当時より幅が広くなっています。
 境内のスゴオ洋菓子店仮営業所は、ID 9911の竹谷電気工事の仮店舗と同じ建物のようです。続けて利用したのかも知れません。
 スゴオ洋菓子店は4丁目、三菱銀行前にありました。ID 6338(1958年)には古い店舗の看板「純フランス菓子ス(ゴオ)」が見えます。また1977年のTVドラマ「気まぐれ本格派」第10話には新築したビルの1階店舗「洋(菓子) ス(ゴオ) COFFEE」が映っています。この写真の1976年頃は新ビルが完成間近だったと思われます。

楽山旧店舗とスゴオ洋菓子店(後の英和ビル)(TVドラマ「気まぐれ本格派」第10話から。1977年)

 ID 89(1979年)でもスゴオが確認できます。現在はこのビルも取り壊され、隣の楽山と一緒の「楽山ビル」の一部になりました。

神楽坂5丁目(昭和51年)左→右
  1. 電柱1本。上から電柱看板「料亭 松ヶ枝」、蛍光灯、看板「 大久保」、「神楽坂3-7」
  2. 掲示板。上に横書き5文字(ID 8247によれば「新宿区役所」) 、脇に縦書き8文字(「箪笥町特別出張所」か)
  3. 奥に善國寺
  4. 善国寺の脇門。模様はない。
  5. 車両進入禁止マーク。「自転車を除く」
  6. 女性の顔に一見みえるが、多分違う。電気の盤かな?
  7. 石囲いはここで終わり…
  8. 毘沙門天の境内で、スゴオ洋菓子店 仮営業所 洋菓子のスゴオ。店内にはショーケースと化粧箱、右端に人影
  9. 「ゴ」の上に円盤形の境内灯

神楽坂6丁目(写真)昭和51年 ID 9907-9908

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9907~ 9908は、昭和50年(1975年)か昭和51年(1976年)に神楽坂6丁目を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9907 神楽坂

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9908 神楽坂

 車道はアスファルト舗装で、続けて、側溝、縁石、ガードパイプが付いた柵、歩道は無地のアスファルト舗装です。電柱の上には柱上変圧器があります。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯ですが、蛍光灯の下部に逆円錐型のランタンがあり、さらに下に「神楽坂 商栄会」があります。神楽坂商栄会は6丁目の商店会で、神楽坂商店街振興組合(昭和58年設立)の前身です。
 街灯からは枝1本が出て、数本の枝に変わり、最後に沢山の紅葉の造花になります。また、おそらく都道の街路灯でしょうか、ナトリウム灯と思えるものが、より高い場所にあります。
 さらに、道沿いに、ほかの街灯よりは低く、しかし人間の頭よりは高い、神社の参道をイメージした春日灯籠もあります。

神楽坂6丁目(昭和51年)
  1. ブリヂストン エバーソフト UC (丸藤フトン店)
  2. 中華料理 宝竜
  3. (カネボウ化粧品のマーク)
  4. 〇〇用品
  5. 神楽坂武蔵(野館)
  1. かのこ美容室
  2. ルサール靴店 JCB 日本(信販)
  3. ニットコレクション マリーノ
  4. 閉店中 コカコーラの路上看板
  5. 白鷹 木(村)屋 木村屋
  6. ドライクリーニング せんせい舎
  7. 白鷹
  8. (消火栓)
  9. 協和銀行

住宅地図。1976年

神楽坂6丁目(写真)赤城神社入口 昭和51年 ID 9905-9906

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9905~ 9906は、昭和50年(1975年)か昭和51年(1976年)に神楽坂赤城神社入口を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9905 神楽坂赤城神社入口

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9906 神楽坂赤城神社入口

 車道はアスファルト舗装で、続けて、側溝、縁石、ガードパイプが付いた柵、歩道は無地のアスファルト舗装です。電柱の上には柱上変圧器があります。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯ですが、蛍光灯の下部に逆円錐型のランタンがあり、「神楽坂 商栄会」とあります。神楽坂商栄会は6丁目の商店会で、神楽坂商店街振興組合(昭和58年設立)の前身です。
 街灯からは紅葉の造花が沢山ついた枝が斜めに出ています。街灯とは別に、高い場所にナトリウム灯と思える、おそらく都道の街路灯があります。
 さらに、道沿いには、ほかの街灯よりは低く、しかし人間の頭よりは高い、神社の参道をイメージした春日灯籠が並んでいます。
 写真の右、建物の階段を下から見ています。音楽之友社の本社で、階段の上が入り口でした。階段の様子はID 90で分かります。

神楽坂6丁目(昭和51年)
  1. ぶてっくちよ
  2. 神楽坂専売所 サンケイ新聞 日本工業新聞 中  佳作座(上映作品のポスター)
  3. 珈琲専門店 珈琲館 珈琲館の古い◷マーク
  4. (でんわ)☎でんぽう たばこ 内容不明の吊り看板
  5. 直輸入 木彫工芸品 人形ケース
  6. 電柱看板「岡本衣裳店」
  7. 耳鼻咽(喉科)
  1. 赤城神社入口
  2. (消火栓)と看板「〇〇徽章」
  3. →(ベルモンド)
  4. 東京都教育会館→ (赤城神社となり 現・東京都教育庁神楽坂庁舎)
  5. 提灯4つが高く
  6. フォルテーヌ(珈琲)
  7. (地)下鉄 (神楽坂)駅
  8. 〇〇センター

住宅地図。1976年

若宮町(写真)昭和55年以降 ID 9779

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9779は、昭和50年(1975年)頃、若宮町を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9779 若宮町

 道路は左側から雨水ます等からの下水を流す側溝、車道、側溝で、歩道はありません。街灯は右側だけですが、添付写真を見る限り水銀灯のように思えます。電柱の上には柱上変圧器があります。
 写真の女性が行くとすぐに四つ角にでて、さらに直進すると2つに分かれ、右側は見番横丁に、左側は三つ叉通りになっていきます。

住宅地図。1980年


 右側の電柱に「お茶とのり 老舗 大佐和 |ここは若(宮)町 11」と書かれ、つまり、右側の住所は若宮町11でした。

東京実測図。明治28年。地図で見る新宿区の移り変わり。昭和57年。新宿区教育委員会。

 写真でやや遠く、木の葉に隠れていますが「割烹 〇〇荘」と読めます。一平荘は地図で「アパート 一平荘」と書かれていましたが、実際には割烹で、アパートではありません。その左、電柱広告は「料亭鷹乃羽」(鷹の羽)です。さらに左下の電柱広告は読める人が読むと「波ま野」です。

現在

神楽坂1丁目(写真)昭和50年頃 ID 9808- ID 9809

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9808~9809は、昭和50年(1975年)頃、牛込橋付近から神楽坂1丁目や坂上を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9808 牛込見附、神楽坂通り 入口

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9809 牛込見附、神楽坂通り 入口

 交差点は「牛込見附」、道路は車道、側溝、縁石、歩道の順に並んでいて、歩道と平らな車道はアスファルト舗装、やや淡い色に見える車道は急勾配があり、すべり止め用のOリングを一時的に埋め込んだコンクリート舗装です。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、その下に小さな看板「神楽坂通り」があります。電柱は向かって道路の左側だけで、その上には大きな柱上変圧器。標識「神楽坂通り/美観街」や各種の道路標識も出ています。左のフォーク、スプーン、ティーカップの道路標識は、平日12:00-13:00の歩行者天国「ランチタイム・プロムナード」の実施を示しています。
 半袖の人が多いようです。また、ID 68(昭和48年5月22日)と比べると、かなり高い位置から遠くを見通しているようです。また坂の途中にID 9778と同じ大型クレーン車が停まっており、同時期の撮影と思われます。

神楽坂1丁目(昭和50年頃)
  1. (パチンコニューパリー)
  2. (田原屋)
  3. 元祖 貸衣装 清水本店。
  4. 生そば。は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。(翁庵
  5. 中華料理 信華園
  6. 「カネボウ毛糸 ダイヤモンド毛糸 大島糸(店)」
  7. とんかつ
  8. 電柱看板「歯 (石川)」
  9. 話し方教室
  10. 遠くに「ジャノメミシン」
  11. さらに遠くに「協和銀行」
  1. 足袋 ワイシャツ 赤井商店
  2. カレーショップ ボナ
  3. (消火栓)消火栓看板「福屋 神楽坂 不動産」
  4. (山)田紙店
  5. 地下鉄 飯田橋駅→
  6. FUJIYA 不二家洋菓子
  7. 離れて「喫茶 軽い心

神楽坂2丁目(写真)昭和50年頃 ID 9782

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9782は、昭和50年頃(1975年)、神楽坂2丁目から坂下を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9782 神楽坂

 車道のすべり止めでOリングがあり、続いて側溝、縁石、歩道はアスファルト舗装です。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、電柱は向かって右側だけで、電柱の上には大きな柱上変圧器があります。
 外堀通りを越して千代田区側、最も遠い大きなビルはホテルグランドパレスでした(1972年開業-2021年営業終了)

神楽坂2丁目→坂下(昭和50年頃)
  1. 化粧品さわや (MAX) FACTOR 資生堂
  2. 停車中の「ニッポンハム」納品車。
  3. 空き店舗(元の亀井鮨)
  4. ビクターレコード リード商会
    名人荘(麻雀店)
    雪ぐに/ちゃこ/でんでんむし
    (すべて神楽坂ビルのテナント)
  5. 純喫茶クラウン
  6. (陶磁器 陶柿園)昭和47年(1972年)3月に完成。
  7. 珈琲 音楽 (坂)
  8. ニューイトウ(靴)
  9. 袖看板「パチンコはマリーで」
  10. 山(一薬)品
  11. 屋上看板「喫茶 軽い心
    3,4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック
  1. せともの太陽堂
  2. ニッポンハム 肉のますだや
  3. 日本信販 UC シャッターで閉店中(大川時計店)
  4. 電柱看板「 大久保  」「歯 健康保険医 石川 このうら  
  5. とんかつ(かつ一)
  6. 資生堂化粧品 コーセー 十奈美
  7. 夏目写真館
  8. カブト虫(純喫茶)

1976年。住宅地図。

神楽坂1丁目(写真)昭和50年頃 ID 9781

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9781は、昭和50年頃、神楽坂1~2丁目をねらっています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9781 神楽坂

 車道はアスファルト舗装、そばに側溝、縁石、歩道もアスファルト舗装です。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、街灯から地面に行く途中に標識「神楽坂通り」、さらに「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつ立っています。電柱は道路の左側にしかありません。また電柱には大きな柱上変圧器があります。

神楽坂1~2丁目(昭和50年頃)
  1. 「12-23 (駐車禁止)「レッカー移動 牛込警察署長」
  2. 電柱看板「 大久保
  1. ✚ 診療〇〇 皮膚泌尿科 婦人科 外科 内科(白十字診療所)
  2. (消火栓) 消火栓広告「三菱銀行前 福屋 神楽坂 不(動)産」
  3. 「紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店」「」「事務用品」「文具」「原稿用紙」「Canon  NP コピーサービス」「Kodak」「さくら  さくらカラー」
  4. 地下鉄 飯田橋駅
  5. 不二家。不二家洋菓子
  6. 紀の善
  7. 床屋のサインポール
  8. 屋上看板「(ハッピ)ージャック」袖看板「喫茶 軽(い)心 」
  9. (山一)薬品
  10. 袖看板「パチンコはマリーで」
  11. (ニュー)イトウ(靴)
  12. (珈琲 音楽 坂)
  13. 純喫茶 クラウン

1976年。住宅地図。

神楽坂2丁目(写真)昭和50年頃 ID 9778

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9778は、昭和50年(1975年)頃、神楽坂2丁目をねらっています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9778 神楽坂

 車道のOリングがあり、続いて側溝、縁石、歩道はアスファルト舗装です。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、街灯から地面に行く途中に標識「神楽坂通り」があります。電柱は道路の左側にしかなく、電柱の上には大きな柱上変圧器があります。
 坂の途中に非常に大きなクレーン車が出ていますが、該当しそうな新築ビルはありません。

神楽坂2丁目(昭和48年)
  1. (横断禁止)
  2. たばこ 経済新聞
  3. 「大島歯科」「オリジナルボタン」 「(株)オオシマ」「ᘂ ハマナカ手芸糸」「マジックバック」「カネボウ毛糸 ハマナカ手芸糸」
  4. 神楽家(せんべい)
  5. 純喫茶 カブト虫 Coca Cola
  6. 看板「通学路」
  7. 電柱看板「石川  」「 大(久保)」
  8. 麻雀
  9. 夏目写真館
  10. 西川 みゆき
  11. 地図によれば「仲門堂」
  12. (消火栓)「歯科 石川  ここ」
  13. 電柱看板「歯 石川  」「 大久保」
  14. 地図によれば「巴有吾有」
  15. 地図によれば「十奈美」
  16. とんかつ(かつ一)
  17. ニッポンハム(肉のますだや)
  18. ヒデ美容(室)
  19. 屋上看板「話し方教室」袖看板「旭図書」「話し方教室」(五条ビル)
  20. (遠くに)三菱銀行
  1. 「D/SL気分を/満喫して下さい」「サービス中!!」「マ〇ー/祝/さ・」造花(パチンコマリー)
  2. ニューイトウ(靴):
  3. 珈琲 音楽 坂
  4. 陶柿園。昭和47年(1972年)3月に完成。
  5. 純喫茶 クラウン
  6. 資生堂化粧品(さわや

1976年。住宅地図。

 

神楽坂仲通り(写真)昭和28年頃 ID 9509

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9509は、昭和20年代後半、神楽坂附近を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9509 神楽坂付近

 道路は左側に行くと少し下っています。歩道はなく、家との間にL字の縁石はありますが側溝はなさそうです。街灯も見当たりません。白いエプロンの女性は半袖で、右側の家は黒塀です。ヒントは昭和20年代に撮影した「川田」です。では「川田」はどこにあったのでしょう。
 この時代、人文社「日本分県地図地名総覧」(東京都、昭和35年)を使って(簡単ではないですが)家や店舗を探求できます。調べると、3丁目の「旅館 川田」しか浮かんできませんでした。「旅館 川田」の下の道路は神楽坂仲通りで、左の道路は芸者新路です。

人文社。日本分県地図地名総覧。東京都。昭和35年

 
 では都市製図社『火災保険特殊地図』(昭和27年)はどう書かれているのでしょうか。残念なことに当時は空地でした。

都市製図社『火災保険特殊地図』 昭和27年

 では「左側に行くと少し下がって」いる、これはどうでしょう? 復興土地住宅協会著『東京都市計画図』(内山地図、昭和41年)は……

復興土地住宅協会著『東京都市計画図』(内山地図、昭和41年)

 赤の四角は「旅館 川田」で、青の直線は「神楽坂仲通り」です。「川田」は神楽坂仲通りという小さな山の頂上にありました。
 また黒塀については、神楽坂は「粋」な店舗と関係していました。写真の 黒塀は昭和27年、喜泉という芸妓置屋が持っていたものです。
 最後に現在の写真です。路地の向こう側の石垣はすっかりなくなり、ビルになっています。

2022/2/15

「旅館 川田」は「美空ひばりの育ての親」としても知られるコメディアンの川田晴久(川田義雄)の経営でした。しかし写真には何のキャプションも残されていません。撮影者は「新宿時物語」(2007年)掲載の柳家金語楼の家(正しくはお妾さんの家)と同様に、こっそり有名人ゆかりの場所を狙ったのかも知れません。

神楽坂6丁目(写真)朝日坂 昭和48年 ID 465、ID 8820-8823、ID 8826

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 465、ID 8820~8823、ID 8826は、昭和48年(1973年)2月、神楽坂6丁目から横寺町までの朝日坂を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 465 横寺町入口附近

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8821 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8820 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8822 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8823 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8826 神楽坂六丁目

 ID 8813-8819と異なり、左にあった自動車はなくなり、はるか遠くに停車した自動車は動かず、前の八百政は変わりないですが、奥の八百政はこの時点で開店しました。さらに、これは昭和44年(ID 8273~8276)、昭和45年(ID 8316)と同じ場所ですが、昭和47年12月、荒井精肉店は荒井ビルと変わり、昭和48年にはスーパーアライになっています。なお、ID 8823はID 467と同じ写真です。
 歩道はなく、車道にオーリングで施工したこともなく、立木の葉は枯れ、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯で、柱上変圧器もあります。

神楽坂6丁目と横寺町(昭和48年)
  1. 看板「(フラワー 一)紀」
  2. 突き出し看板「理容サトウ」床屋のサインポール
  3. 街灯(蛍光灯)。電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る この手前」。その下に張り紙
  4. 突き出し看板「日本第一清酒 白鷹 ハクタカ 〇総本舗 寿司清」
  1. 盆栽。リンゴ、香川みかん(八百政)
  2. 「天台宗 薬龍山 光圓寺 正蔵院/伝教大師/草刈薬師如来/閻魔大王尊/安置」「宗顕流 古流 いけ花」「坂」
  3. 高知ピーマン、静岡みかん、キャベツ(八百政)
  4. 「Super ARAI」
  5. 電柱看板「セルフサービス アライ  ココ
  6. 「(寺島巧芸)社」(看板・標識製作の会社)
  7. 突き出し看板「清酒 ※ 澤之鶴 飯塚」
  8. 内野医院
  9. (消火栓)

1976年。住宅地図。

横寺町と神楽坂6丁目(写真)昭和48年 ID 8812

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8812は、昭和48年(1973年)2月、横寺町から見た朝日坂神楽坂6丁目を扱ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8812 横寺町

 歩道はなく、車道にオーリングで施工したこともなく、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯で、柱上変圧器もあります。左側の自動車はID 8807からID 8811まで遠くにある自動車と同じでしょう。

横寺町と神楽坂6丁目(昭和48年)
  1. 木に隠れて「内野医院」
  2. 突き出し看板「( 澤)之鶴 飯塚 酒店」Cokeの自動販売機
  3. 多分「寺島巧芸社」。「 ▽ 寺島巧芸社 」(看板・標識製作の会社)。前に自動車。段ボールか書類の山
  4. 電柱看板「セルフサービス アライ  ココ
  1. 街灯(蛍光灯)。電柱看板「 右門の和菓子 ここ➡」「 買入 丸越」。
  2. 看板「ヤマハ エレクトーン スクール」
  3. 「曹洞宗 龍門禅寺」
  4. 道路反射鏡
  5. 街灯(蛍光灯)。電柱看板「歯科 川畑」「〇〇堂」
  6. 突き出し看板「歯科 川畑」
  7. (パーマ)スミレ
  8. 突き出し看板「白鷹 寿司清」
  9. 床屋のサインポール
  10. 「フラワー 一紀」
  11. 「ドライクリーニング」

1976年。住宅地図。

神楽坂6丁目(写真)朝日坂 昭和48年 ID 8813-8819, ID 466

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8813~8819は、昭和48年(1973年)2月、神楽坂6丁目から横寺町までの朝日坂を撮ったものです。またID 466はID 8817と同じ写真です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8813 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8814 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8815 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8816 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8817 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 466 横寺町入口附近

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8818 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8819 神楽坂六丁目

 左にある自動車はバックドアを開き、はるか遠くにある自動車はID 8807からID 8820以上まで同じように停車し、さらにID 8815から見える自動車は、おそらく数十分後になると、なくなり、かわって八百政が店を開くはずです。
 さらに、この撮影は昭和44年(ID 8273~8276)や、昭和45年(ID 8316)と同じ場所ですが、昭和47年12月、荒井精肉店は荒井ビルに変わり、昭和48年にはスーパーアライになっています。
 歩道はなく、車道にオーリングで施工したこともなく、立木の葉は枯れ、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯で、柱上変圧器はかなり立派でした。

神楽坂6丁目と横寺町(昭和48年)
  1. 看板「(フラワー 一)紀」
  2. 突き出し看板「理容サトウ」床屋のサインポール
  3. 街灯(蛍光灯)。電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る この手前」。その下に張り紙
  4. 突き出し看板「日本第一清酒 白鷹 ハクタカ 〇総本舗 寿司清」
  5. パーマ スミレ
  6. 電柱看板「歯科 川畑」「土地家屋 野口商会」
  7. 突き出し看板「川畑」
  8. 道路反射鏡
  1. 盆栽と盆栽鉢。キャベツ、国光(リンゴ)、愛媛ミカン(八百政)
  2. 「天台宗 薬龍山 光圓寺 正蔵院/伝教大師/草刈薬師如来/閻魔大王尊/安置」「宗顕流 古流 いけ花」「坂」
  3. 未開店(八百政)
  4. 「Super ARAI」
  5. 電柱看板「セルフサービス アライ  ココ
  6. 「(寺島巧芸)社」(看板・標識製作の会社)
  7. 突き出し看板「清酒 ※ 澤之鶴 飯塚」
  8. 内野医院
  9. (消火栓)

1976年。住宅地図。

神楽坂6丁目(写真)朝日坂 昭和45年 ID 8316, ID 463

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 8316とID 463を見ましょう。ID 8316の撮影時期は1970年(昭和45年)頃、ID 463は1970年3月です。撮影は神楽坂6丁目から朝日坂横寺町までです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8316 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 463 横寺町入口附近

 立木の葉は枯れ落ち、歩道はなく、車道にオーリングで施工したこともなく、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯で、柱上変圧器はかなり立派でした。女子高校生は長袖か半袖。和装の女性はショールを羽織り、右手前の男性はYシャツに薄手のカーディガン。左側にはコンクリート製の\電柱が並んでいます。右側にも電柱があり、最初の1本は神楽坂6丁目でコンクリート製ですが、2本目からは横寺町で木製になります。

神楽坂6丁目と横寺町(昭和45年)
  1. 看板「(一)紀」「のし 中〇」花輪。開店祝い?
  2. 突き出し看板「理容サトウ」床屋のサインポール
  3. 電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る」。街灯(蛍光灯)
  4. 突き出し看板「日本第一清酒 白鷹 ハクタカ 〇総本舗 寿司清」
  5. 電柱看板「歯科 川畑」「土地家屋 野口商会」
  6. 突き出し看板「 (川)畑」
  1. 右下隅、男性の足元の野菜が「青果丸大商事」
  2. 男性が直方体の箱を持っている。葬式?
  3. 「天台宗 光圓寺/伝教大師(御真)作/草刈薬師如来/閻魔大王尊/安置」「古流 松村崇〇 於 当寺内」
  4. 正面の平屋の八百屋が「広瀬」。「Bonita Banana」「サニー」「西浦みかん」。道路でキュウリの箱。「いちご一山200エン」「「最高品 一山200エン」(みかん)。バナナ。甘夏、玉ネギ、長ネギ、葉物野菜など。出荷時期はたぶん春先の3月と地元の方
  5. 「肉のアライ」「お砂糖はカップ印」「セルフサービスの店 アライ」
  6. 「第一パン」「SELF-SERVICE」「雪印バター」。電柱看板「セルフサービス アライ  ココ 
  7. 「寺島巧芸社」(看板・標識製作の会社)脚立か鉄枠みたいなものがいくつも立てかけてある。
  8. 突き出し看板「清酒 ※ 澤之鶴 飯塚」
  9. 内野医院
  10. (消火栓)

1970年。住宅地図。

朝日坂(写真)昭和49年 田口重久氏

文学と神楽坂

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」で、昭和49年(1974年)12月25日、横寺町から神楽坂6丁目までの朝日坂の写真を取り上げます(地図は下にあります)。歩道はなく、これでも対面通行で、下水は道路の側溝を流れ、電柱の上には柱上変圧器があり、専用の街灯はなく、電柱から電気をもらい蛍光灯があります。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」05-10-60-1朝日坂上から 1974-12-25

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」05-10-60-2朝日坂上から 1974-12-25

 坂が登りになると表面は他と比較して白色になりますが、オーリングは使わずに施工しと思われます。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」05-10-60-3朝日坂下から 1974-12-25

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」05-10-61-1 坂下の正蔵院 1974-12-25

朝日坂(横寺町神楽坂6丁目)昭和49年
  1. (消火栓)と広告「梅山閣」
  2. (澤之)鶴 飯塚 本店
  3. 寺島巧芸
  4. Super Arai。 広告「セルフサービス アライ」。特売店
  5. 正蔵院(地図で「王蔵院」は間違い)
  1. (大)久保洋服店
  2. 飯塚工業〇。地図には「飯塚工業社」
  3. 歯科 北(浦)Dental Off(ice)
  4. 電柱看板「飯塚質店」
  5. 電柱看板「歯科 北浦」「質 買入 丸越」
  6. 床屋のサインポール
  7. 寿司
  8. 看板「…買入…」

1976年。住宅地図。

地蔵坂(写真)藁店 昭和59年 田口重久氏

文学と神楽坂

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和59年(1984年)10月6日の写真を上げておきます。坂の右側は神楽坂5丁目が主で、左側は袋町が主です(地図は下にあります)。歩道はあり、下水は道路の側溝を流れ、また坂が登りになると車道は滑り止めのオーリングを使って施工しました。自動車は対面通行でした。電柱の上には細い柱上変圧器もありますが、大きなものもありました。街灯は、恐らく水銀灯でしょう。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂上から 05-10-46-02 1984-10-06

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和49年(1974年)12月21日に撮影して。ほぼ同じ画角の05-10-45-2と比較します。
 まず中央にある「竹兆」の電柱看板は、昭和49年はありません。さらに坂下には3階建ての建物から「八百美喜」の看板が出ていますが、昭和49年は2階屋でした。
「八百美喜」の手前の白いビルは、昭和49年は平屋でした。その手前の庭木は昭和49年より少し大きくなっています。白いビルの前に立つ電柱の街灯は同じ水銀灯のようです。この電柱の広告は「理髪モリワキ」で、昭和49年にも同じ場所に広告があります。昭和49年は斜め線らしき縁取り以外は判読できませんが、05-10-45-3と比べると同じ広告でしょう。
 田口氏の昭和49年と昭和59年の写真の中間には、新宿歴史博物館の昭和54年(1979年)の写真ID 79-82があり、街の細かな変化が見て取れます。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂標柱近景 05-10-46-03 1984-10-06

 ポスター「幼児のめんどう/みて下さる方を/求めています/お電話下さい」と木製の標柱「地蔵坂(じぞうざか)」が見えます。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂標柱近景 05-10-46-04 1984-10-06

 標柱は「この坂の上に、光照寺があり、そこに地蔵菩薩がある。それにちなんで、そう呼ばれている。また。別名藁店坂わらだなざかともいう。このあたりに藁を売る店があった。」

神楽坂6丁目(写真)朝日坂、昭和44年、ID 8273~8276

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 8273~ID 8276を見ましょう。撮影時期は1969年(昭和44年)。撮影は神楽坂6丁目から朝日坂横寺町まで。歩道はなく、車道にオーリングで施工したこともなく、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯でした。人々は長袖で、中にはコートも着ている人もいます。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8273 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8274 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8275 神楽坂六丁目

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8276 神楽坂六丁目

神楽坂6丁目、朝日坂(昭和44年)
  1. 理容サトウ。床屋のサインポール
  2. 電柱看板「 買入 丸越 神楽坂通り 協和銀行前入る この手前 神楽坂6丁目」
  3. 白鷹 寿司清
  4. スミレ(美容室)
  5. 歯科 川畑
  6. 電柱看板「歯科 川畑」「土地家屋 野口商会」
  1. セルフサ(ービス)
  2. 第一パン SELF-SERVICE 雪印バター
  3. セルフサービス アライ
  4. (功芸社)
  5. 看板「清酒 澤之鶴 飯塚」 飯塚酒店 インスタン(ト)

 右側のセルフサービスから、第一パン SELF-SERVICE 雪印バター、セルフサービス アライまでは、地図では、全て荒井精肉店です。このセルフサービスの店は、3年後の1972年(昭和47年)12月、後ろにビル(アライビル)がつき、スーパーマーケットSuper ARAIとなります。

1970年。住宅地図。

神楽坂1丁目(写真)景色 昭和41年 ID 7658

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 7658を見ていきましょう。時代は1966年(昭和41年)で、全員長袖で、コートを着ている人もいます。撮影の方向は、神楽坂1丁目から坂上に。街灯は蛍光灯一つだけで、これは昭和36(1961)年以降です。車道は平坦で、凸凹もありません。道路にたまった雨水などを排水する側溝があります。歩道は昭和37年夏や、昭和41年の「坂のある街」では表面に滑り止め文様がありましたが、昭和41年の後半にややサイズの大きい平らな正方形のブロックに代わり、きれいに並んでいます。この歩道は改修後でしょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7658 神楽坂 紀の善付近 1966年

神楽坂1~2丁目(昭和41年)
  1. 1階建て。田口屋生花店だが、ID 54の大きな看板はなくなった。
  2. 街灯看板の「パール ビリヤード」と「神楽坂」
  3. 電柱看板の「川島歯科
  4. 小栗横丁に行く小道
  5. 壁面看板とファサード看板の「花 田口屋生花店」。不明のネオンだが、ID 5081では「花 田口屋」。ここから2丁目
  6. 街灯と「神楽坂」
  7. 「御料理 蒲焼 志満金」と「うなぎ丼」
  8. 電柱看板の「 大久保
  9. 「靴 オザキヤ
  10. たばこ ☎(田金果実店)
  11. (食品 丸八)
  12. 「特約店 大島糸店」 4階建て
  13. サンコール(松本商店)
  14. 夏目写真館
  15. ✚クスリ(神楽坂薬局)
  16. 「洋装生地 林屋」
  17. ヒ(デ美容室)
  18. 五条ビル。5階建て。翌1967年完成だが突き出し看板も出ており完成間近
  19. 遠くに「(三菱)銀行
  1. 街灯
  2. 山田紙店
  3. ヤマザキパン(明治アイスクリーム)コカコーラ。公衆電話。でんわ☎でんぽう。公衆電話の台に第一相互銀行の広告
  4. おしるこ 紀の善
  5. 神楽小路。歩道からは1段下がる。おそらく歩道の改修で段差がついた。
  6. 床屋のサインポール(理容バンコック)
  7. (Frère WADA)YA(メンズウェアー)ID 86に詳しい
  8. 消(火栓)レストラ(ン)この先〇
  9. 軽い心
  10. ニューイトウ(靴)
  11. 遠くに「資生堂化粧品」(さわや
  12. 遠くに「神楽坂通り/美観街」。「坂のある街」にはないので、歩道改修と同時設置か。