タグ別アーカイブ: 小笠原島夜話

小笠原島夜話①|北原白秋

文学と神楽坂

       一

(しま)自然(しぜん)(くわん)乃至(ないし)はその住民(ぢゆうみん)状態(じやうたい)()いて、(なに)(はな)せとお(つしや)るのですか。それなら差当(さしあた)()笠原(がさわら)(じま)のお(はなし)でもさしていただきませうか。
()いて極楽(ごくらく)()地獄(ぢごく)』と(まを)しますが、(けつ)してああいふ(はな)(じま)などに内地(ないち)(ひと)が、(なが)()めるものではありません。
 ()笠原(がさわら)(じま)(もと)随分(ずゐぶん)極楽島(ごくらくじま)だつたと、()(のこ)りの黒人(くろんぼ)(ぢい)などが、ある(ばん)(ばん)溜息(ためいき)()いて(わたし)(はな)して()れましたが、それは(あるひ)はさうだつたかも()れません。その(ころ)あの(しま)()もまた(わらべ)のやうな(うま)れた(まゝ)(しま)で、そこには(あか)(がけ)(りよく)(しよう)(しよく)岩壁(がんぺき)や、(たか)椰子(やし)や、林投樹(しんとうじゆ)や、モモタマ()(やぶ)などが、()(とほ)つた瑠璃(るり)(いろ)(そら)海水(かいすゐ)とに、強烈(きやうれつ)()熱帯(ねつたい)色彩(しきさい)耀(かゞ)やかしてゐる(ほか)には、あの、図抜(づぬ)けて阿呆(あはう)らしい信天翁(あはうどり)や、四()婉転(ゑんてん)として(うぐひす)瑠璃鳥(るりてう)()()れてゐるばかりで、毒虫(どくちう)一つゐず、太陽(たいやう)(おほ)きく耀(かゞ)やかしく、(つき)(おほ)きく(ほが)らかであり、(ほし)(おほ)きく光芒(くわうぼう)()いて、(ひる)()もただ燦爛(さんらん)とした自然(しぜん)(さう)()(つゞ)けてゐたのでした。

林投樹 アダン(阿檀、Pandanus odoratissimus)は、タコノキ科タコノキ属の常緑小高木。小笠原なのでアダンではなく、タコノキなのでしょう。ただし、戦後大量に固有種の「タコノキ」が都道の周りに植えましたがすべて純正品かは判りません。
モモタマ モモタマのジュズサンゴではなく、モモタマナ(桃玉菜。Terminalia catappa Linn、別名:コバテイシ、シクンシ科 )のことでしょう。巨大な葉が有名です。
瑠璃 やや紫みを帯びた鮮やかな青。16進表記で #2A5CAA
 
信天翁 アホウドリ(信天翁、阿房鳥、阿呆鳥)はミズナギドリ目アホウドリ科キタアホウドリ属です。
婉転 美しくまわり動いていること。
瑠璃鳥 オオルリ(大瑠璃、学名Cyanoptila cyanomelana)はヒタキ科オオルリ属です。青い小鳥です。
光芒 細長く伸びる一筋の光。尾を引くように見える光のすじ。
燦爛 光り輝いてあでやかなさま、まばゆくきらびやかなさま
たまたま、天明(てんめい)(ねん)土州(としう)船頭(せんどう)(にん)(おな)じく八(ねん)肥前(ひぜん)(ぶね)の十一(にん)寛政(くわんせい)元年(ぐわんねん)日向(ひゆうが)志布志(しぶし)(うら)船頭(せんどう)(えい)右衛()(もん)とその船子(かこ)の四(にん)都合(つがふ)十七(にん)(おな)じ一つの無人島(むじんたう)漂流(へうりう)して、(なが)いのは十二(ねん)(みじ)かくて七八(ねん)(つぶ)さに漂人(へうじん)としての辛苦(しんく)艱難(かんなん)(とも)にする(うち)に、その(なか)幾人(いくにん)かは病死(びやうし)し、やつと(のこ)りの人数(にんず)だけで、覚束(おぼつか)ない小舟(こぶね)(つく)つて、やつとの(こと)でハ丈島(ぢやうしま)まで()ぎついたといふ(こと)もありました。その(しま)(いま)でいふ鳥島(とりじま)かと(おも)はれますが、ああいふ(かぎ)りの()麗光(れいくわう)(なか)()つても、人間(にんげん)(けつ)して人間(にんげん)社会(しやくわい)(はな)れて()きてゆけないと()大事(だいじ)痛切(つうせつ)(かん)じられたに(ちが)ひありません。
天明 天明五年は1785年。 杉田 玄白、伊能 忠敬、大田 南畝などがいた時代です。
土州 土佐(とさ)国の異称
肥州 現在の佐賀県と長崎県(ただし壱岐(いき)対馬(つしま)を除く)。
寛政 寛政元年は1789年。寛政の改革は1787(天明7)年から1793(寛政5)年にかけて松平(まつだいら)定信(さだのぶ)が老中になり、大規模な幕政改革を行いました。
日向志布志浦 日向(ひゅうが)国の志布志(しぶし)湾。現在は湾、以前は浦。違いは湾は単に地形。浦は「湾」のうち「磯」や「断崖」ではなく、浅瀬の砂浜のこと。
船子 水夫。船子(フナコ)船長(ふなおさ)の指揮下にある。
辛苦艱難 かんなんしんくのほうが普通。人生でぶつかる困難や苦労
鳥島 伊豆諸島の無人島。特別天然記念物アホウドリの生息地としても有名。
麗光 美しい光
母島(はゝじま)伝説(でんせつ)()りますと、(かつ)てその(しま)漂流(へうりう)した内地(ないち)(じん)(うち)で、()(のこ)つたはただ船頭(せんどう)とその(つま)と、(わか)船子(かこ)との三(にん)でした。無人島(むじんたう)(をとこ)二人(ふたり)(をんな)一人(ひとり)です。1人(ひとり)(をんな)自然(しぜん)二人(ふたり)(つま)になつて(しま)ひました。其処(そこ)無人島(むじんたう)です。人間(にんげん)社会(しやくわい)(ほか)です。(かんが)へて(くだ)さい。その三(にん)にはその(とき)、ただ(ひと)つの共同(きようどう)()(まも)(こと)(なに)より神聖(しんせい)な、また痛切(つうせつ)緊要事(きんえうじ)でした。船頭(せんどう)とその(つま)とが洞窟(どうくつ)(よる)(ねむ)(とき)(わか)船子(かこ)は、一(ばん)(ぢう)その(そと)()つて、その()(まも)らなければなりませんでした。そしてまた、(わか)船子(かこ)自分(じぶん)(つま)とが(よる)(ねむ)(とき)船頭(せんどう)は、しよぼしよぼと()をしぱだたきながら、また一(ばん)(ぢう)洞窟(どうくつ)(そと)(かゞ)んで()(まも)らなければなりませんでした。船頭(せんどう)()いてゐる。船子(かこ)(わか)い。人間(にんげん)(つひ)人間(にんげん)です。船頭(せんどう)はある深夜(しんや)突然(とつぜん)激怒(げきど)嫉妬(しつと)()られて(おも)はず、自分(じぶん)(まも)つてゐた薪火(たきび)岩壁(がんぺき)にたたきつけて(しま)ひました。()()えて了ひました。その三(にん)生死(せいし)()が。
(うずくま)る。(つくば)う。かがむ。しゃがむ。
所謂(いはゆる)黒船(くろふね)提督(ていとく)ペルリ浦賀(うらが)()て、太平(たいへい)(たう)帝国(ていこく)(おびや)かして、一(たん)本国(ほんごく)(かへ)ると(しよう)して(みなみ)()つた(のち)再交渉(さいかうせふ)()北上(ほくじやう)したその(あひだ)は、(かれ)(かれ)艦隊(かんたい)()笠原(がさわら)(じま)父島(ちゝじま)(とゞ)めてゐたのだと()ひます。本国(ほんごく)へなぞは(かへ)つてゐなかつたらしいのです。(かれ)はその(しま)開墾(かいこん)し、石炭(せきたん)貯蔵庫(ちよざうこ)()て、部落(ぶらく)(つく)り、(のち)には整然(せいぜん)たる(とう)政治(せいぢ)()いたと申伝(まをしつた)へます。さういふ(ふう)にささやかでも人間(にんげん)同志(どうし)社会(しやくわい)組織(そしき)成立(せいりつ)すると、ただ絶海(ぜつかい)無人島(むじんたう)として、(ひと)をして(おそ)れしめ(すさ)まじがらせたその島々(しま〲)にも(はじ)めて(あたゝ)かな人間(にんげん)愛情(あいじやう)心音(しんおん)とが()()つて()ました。人間(にんげん)もまた、その燦爛(さんらん)とした自然(しぜん)麗光(れいくわう)(はじ)めて、安心(あんしん)して()にし(みゝ)にし、()れ、()ぎ、(した)しみ()した(こと)も、非常(ひじやう)(かんが)ふべき(こと)だらうと(おも*)ひます。無論(むろん)人間(にんげん)はゐなかつた(とき)も、一人(ひとり)二人(ふたり)漂流(へいりう)した()(とき)も、部落(ぶらく)ができ一(せう)社会(しやくわい)(かたちづく)つた(のち)も、その自然(じぜん)本体(ほんたい)には(すこ)しの異動(いどう)があつた(はず)はありません。そこへゆくと(さび)しいのは人間(にんげん)です。大勢(おほぜい)(あつ)まつて、(あい)道義(だうぎ)礼節(れいせつ)相互(さうご)扶助(ふじよ)とで()()はねば()きてゆけないのです。(なに)ものの麗光(れいくわう)感知(かんち)する(だけ)余裕(よゆう)()ちあはせないのです。
ペルリ マシュー・ペリー。ペルリ提督。米国の海軍軍人。1794~1858。東インド艦隊司令長官として、嘉永6年(1853)軍艦4隻を率いて浦賀に来航。日本に開国をせまり、翌年再び来航、日米和親条約を締結
石炭貯蔵庫 大正時代に大村にペリーの残した貯炭所があったといわれる。青野正男氏の『小笠原物語』によると、大正時代オガサワラビロウの古い屋根の下に炭が山積みになっていたという。昭和初期には屋根はなく石炭はただ野積みになっていた。
三頭政治 3人の実力者による政治体制
燦爛 華やかで美しいこと
ペルリの艦隊(かんたい)()つた(のち)も、(のこ)るものは(のこ)つたし、それに(ふね)から()(あが)つた黒人(こくじん)奴隷(どれい)密猟(みつれふ)船員(せんゐん)家族(かぞく)などが相変(あひかは)らず共同的(きようどうてき)安楽(あんらく)生活(せいくわつ)(つゞ)けてゐました。大統領(だいとうりやう)もゐました。無論(むろん)共和(きようわ)政治(せいぢ)です。(しか)しただ部落(ぶらく)(ちひ)さな(ひと)つの部落(ぶらく)()ぎませんでした、それだけ山野(さんや)食物(しよくもつ)豊富(ほうふ)なり、(して)して開墾(かいこん)せずともバナナもあれば椰子(やし)()もあり、自然(しぜん)恩恵(おんけい)少数(せうすう)(ひと)()にとつては()()るほど充実(じうじつ)してゐました。それに外界(ぐわいかい)との小面倒(こめんだう)交渉(かうせふ)()し、不純(ふじゆん)権勢(けんせい)からも圧迫(あつぱく)されず、ただ自然(しぜん)(とゝの)つて()秩序(ちつじよ)無文律(むぶんりつ)道義的(だうきせき)制裁(せいさい)とが、その社会(しやくわい)をおのづからな(うつく)しいものに(そだ)ててゆきました。それで(ひと)()もしぜんと珍草(ちんさう)奇木(ぶらく)愛翫(あいぐわん)したり、(はたけ)(つく)つたり、(たがひ)遊楽(いうらく)したり、自由(じいう)恋慕(れんぼ)()つたりしたらしいのでした。空腹(ひも)じくなる(ころ)には、工合(ぐあひ)よくまたぺルリの(はな)して()いたのちに、しぜんと繁殖(はんしよく)した(ぶた)群集(ぐんしふ)(やま)()りては部落(ぶらく)檳榔(びんらう)(ぶき)小屋(こや)(ちか)くに()いて()たさうです。それを甘蔗(いも)焼酎(せうちう)()()(なが)ら、厨房(コツクば)から鉄砲(てつぱう)()つたものだと()ひます。正覚坊(しやうがくばう)にしてからが、その(ころ)随分(ずゐぶん)湾内(わんない)游泳(いうえい)してゐたものださうで、二時間(じかん)丸木舟(まるきぶね)()(まは)れば、三(とう)や四(とう)無雑作(むざふさ)手捕(てど)りにする(こと)ができたし、(まつた)くその(ころ)小笠原(をがさはら)(じま)は一(しゆ)極楽(ごくらく)(たう)だつたに(ちが)ひありません。
大統領 共和国の元首
共和政治 特定の個人ではなく、全構成員の利益のための政治体制
檳榔 ビンロウ。学名はAreca catechu。ヤシ科の植物、太平洋、アジア、東アフリカの一部に。
正覚坊 しょうがくぼう。アオウミガメのこと

小笠原島夜話②|北原白秋

文学と神楽坂

       二

 それが明治(めいぢ)になつて日本(にほん)版図(はんと)になると、すつかり根柢(こんてい)から破壊(はくわい)されて(しま)ひました。警察権(けいさつけん)行政権(ぎやうせいけん)とを一(しよ)()ねた王様(わうさま)のやうな島司(たうじ)()(もの)()る。サアベルがガチヤガチヤ()る、小面(こづら)(にく)驕慢(けうまん)小役人(こやくにん)がのさばる。こすつからい()いつめ(もの)小商人(こしやうにん)()()む、繁雑(はんざつ)文明(ぶんめい)余弊(よへい)と、官僚的(くわんれうてき)階級(かいきふ)思想(しさう)瀰漫(びまん)する、(しま)民主的(みんしゆてき)極楽境(ごくらくきやう)は一(ぱう)から()へぱ(ほとん)滅茶(めちや)々々()になって(しま)ひました。それで(いま)まで自由(じいう)開墾(かいこん)()土地(とち)制限(せいげん)され、あまつさへ花畑(はなばたけ)野菜(やさい)(ばたけ)()()げられ、()(ちゞ)められて、以前(いぜん)島民(たうみん)(つひ)には(しま)の一(ぱう)()ひつめられて、(から)うじて生命(せいめい)をつなぐ(だけ)生活(せいくわつ)しかできなくなつて(しま)ひました。以前(いぜん)はただ物々(ぶつ/″\)交換(かうくわん)だつたのが、一にも二にも(かね)()くてはならなくなる。遠海(ゑんかい)漁猟(ぎよれふ)厳禁(げんきん)される。さうなると、優越(いうゑつ)人種(じんしゆ)としての彼等(かれら)倨傲(きよがう)(しん)満足(まんぞく)さすべき、(なん)らの生活(せいくわつ)をも保持(ほぢ)する(だけ)自由(じいう)さが全然(ぜんぜん)(うしな)はれて(しま)つたのです。彼等(かれら)帰化(きくわ)せねばならなくなりましたが、彼等(かれら)帰化人(きくわじん)(ぐらゐ)みぢめなものはありますまい。

版図 はんと。一国の領域、領土
島司 とうし。明治以降の地方行政官。勅令で指定された島地を知事の指揮監督を受けて管轄した。大正15年(1926)廃止
驕慢 きょうまん。おごり高ぶって人を見下し、勝手なことをすること
余弊 よへい。何かに伴って生じる弊害
瀰漫 びまん。広がること。はびこること。蔓延(まんえん)すること
開墾 かいこん。山野を切り開いて農耕できる田畑にすること
倨傲 きょごう。 おごり高ぶること
帰化人 きかじん。海外から渡来して日本に住みついた人々

内地人(ないちじん)()()み、人口(じんこう)()えるとまた(しま)全般(ぜんぱん)(わた)つてもいよいよ繁雑(ややこ)しくなりました。遊女屋(いうぢよや)出来(でき)るし、警察(けいさつ)出来(でき)るし、裁判所(さいばんしよ)()てば監獄(かんごく)()つ、(したが)つて罪人(ざいにん)(しやう)ずる。
それでもまだ(はじ)めの(ころ)呑気(のんき)(ばん)なものだつたさうでした。たとへば、骨牌(かるた)など()いて監獄(かんごく)にぶち()まれた(もの)(ども)が、()になると()()して、(はま)()(たまご)()みに(あが)つた正覚坊(しやうがくばう)()つとらへ、それを()()ばして、その(かね)遊女(いうぢよ)(かひ)をして、夜明(よあけ)には()まして獄窓(ごくそう)(なか)(かへ)つてゐる。まるでお(はなし)のやうですが実際(じつさい)だつたさうです。流石(さすが)太平洋(たいえいやう)真中(まんなか)だからそこは内地(ないち)(ちが)ひます。
 (わたし)がその(しま)(わた)つたのは、それから四十(ねん)(のち)(こと)です。その(しま)(あが)ると、(わたし)(だい)一に()熱帯(ねつたい)強烈(きやうれつ)(ひかり)(ねつ)と、熾烈(しれつ)色彩(しきさい)と、(かつ)()(こと)()南洋(なんやう)植物(しよくぶつ)怪異(くわいい)形態(けいたい)とその豊満(ほうまん)薫香(くんかう)とで()卒倒(そつたう)しさうになりました。()いでは、南洋(なんやう)(しき)丸木(まるき)(ぶね)(おどろ)き、砂浜(すなはま)髪毛(かみのけ)(しらみ)をむしりつぶしてゐる肥満(ひまん)した黒人(こくじん)(ばゞ)(おどろ)き、(あか)豆畑(まめばた)(おほ)きな眼鏡(めがね)をかけ灰色(はひいろ)のジヤケツに(あか)いスカートを穿()いた白皙はくせき(じん)金髪(きんぱつ)(おどろ)き、以前(いぜん)(ひと)()つたといふ(ろう)黒奴(こくど)神妙(しんめう)奉仕(ほうし)してゐる魔法(まはふ)使(づか)ひのやうな西班牙(すぺいん)貴族(きぞく)癩病(らいびやう)(ばゞ)(おどろ)き、丸太(まるき)(ぶね)(おほ)きなお(しり)(ふた)つに()つたといふ山羊(やぎ)(かひ)黒坊(くろんばう)(むすめ)(おどろ)き、ヂョーヂ、ワシントンと()久留米(くるめ)(がすり)単衣(ひとへ)()(くろ)(ばう)青年(せいねん)(おどろ)きました。()いでは、また陽物(やうぶつ)(かたち)した白檀(びやくだん)()(かぶ)ばかり(ひろ)(あつ)めたり、珊瑚(さんご)信天翁(あはうどり)羽根(はね)と一(しよ)に、北斎(ほくさい)広重(ひろしげ)版画(はんぐわ)(なか)雑魚寝(ざこね)したりしてゐる伝説中(でんせつちう)太平(たいへい)(らう)逸民(いつみん)()(おどろ)き、(つい)ではまた(すた)()てた監獄(かんごく)(には)()(さか)つてゐるビーデビーデの(はな)(あか)(いかり)(ぐさ)仏草花(ぶつさうくわ)絵模様(ゑもやう)(おどろ)き、二三(ずん)(ほこり)がたまつて子供(こども)たちの芝居(しばゐ)舞台(ぶたい)になつてゐる裁判所(さいばんしよ)法廷(はふてい)()ては(おどろ)き、それからすばらしく瀟酒(せうしや)白尖塔(はくせんたふ)教会(けうくわい)()(おどろ)き、それからまた完美(くわんび)した植物園(しよくぶつゑん)と、(だう)()とした大理石(だいりせき)島司(たうじ)頌徳(しようとく)()(おどろ)き、役所(やくしよ)(うぐひす)()(あは)せをやつたり、午後(ごご)からは(はま)()(ぼら)ばかり()つてゐる呑気(のんき)至極(しごく)役人(やくにん)(たち)(おどろ)き、煙草(たばこ)だけは現金(げんきん)(ねが)ひます、()現金(げんきん)でお()(くだ)さる(かた)には二割引(わりびき)(いた)しますと()いた商家(しやうか)張札(はりふだ)(おどろ)き、質屋(しちや)乞食(こじき)見当(みあた)らず、(わか)(をんな)()つぱらひの()えぬのに(おどろ)き、(しま)全体(ぜんたい)共産(きようさん)(でき)なのにも(おどろ)きました。
 それにまた、(まむし)その()害虫(がいちう)もゐず、(かへる)もゐなければ蛞蝓(なめくぢ)もゐず、ただ油虫(あぶらむし)(あり)猛勢(まうせい)なのには(おどろ)きましたが、(すずめ)(からす)もゐず、(うぐひす)ばかりが内地(ないぢ)(すずめ)ほどに()(きそ)つてゐる麗明(れいめい)さにも(おどろ)きました。それに(けだもの)としては山奥(やまおく)にペルリの(はな)した鹿(しか)子孫(しそん)とかが二(ひき)ゐるばかり、あとは(うし)山羊(やぎ)(ねこ)(ねずみ)(せう)()だと()ふのにも(おどろ)きました。

獄窓 ごくそう。牢獄の窓。転じて、牢獄の中。獄中
熾烈 しれつ。勢いが盛んで激しいこと
薫香 よいかおり。芳香
丸木舟 1本の木の幹をくりぬいて造った舟
白皙 はくせき。皮膚の色の白いこと
久留米絣 くるめがすり。筑後国(福岡県)久留米で作った。綿糸を絣染めにした特色のある織物
単衣 たんい。ひとえの着物。ひとえもの。 1枚の着物
白檀 びゃくだん。甘い芳香が特徴。香木として利用。小笠原諸島では固有種のムニンビャクダン( S. boninense)がある
太平 たいへい。世の中が平和に治まり穏やかなこと
逸民 いつみん。隠者。野に隠棲する人
ビーデビーデの花 ムニンデイゴ。語源はハワイ語。沖縄の「デイゴ」と同じ種類。
碇草 イカリソウ。花は赤紫色。春に咲く。4枚の花弁が距を突出し錨のような特異な形をしている
仏草花 ブッソウゲ。正しくは仏桑華。ハイビスカス
瀟酒 すっきりとあか抜けしている
頌徳碑 しょうとくひ。偉い人をほめたたえる碑
啼き競う メジロは良い声で鳴き、江戸時代からメジロを鳴き合わせる(競争)道楽の対象だった。まるで同じことがウグイスで起きたようだ

かう()へばまるで極楽(ごくらく)世界(せかい)のやうですが()()れて()ると、流石(さすが)(しま)(しま)でした。せせこましい(せう)地獄(ぢごく)
 (だい)一にみじめなのは帰化(きくわ)(じん)部落(ぶらく)で、(なに)もかもが幻滅(げんめつ)悲哀(ひあい)(そこ)()ちこんで、生気(せいき)()ければ(かね)()く、()うや()はずで南洋(なんやう)のグワム(たう)あたりに移住(いぢゆう)するのが相次(あひつ)有様(ありさま)でした。(のこ)つたものは(ほとん)日本(にほん)(くわ)して(しま)つて、日本(にほん)(じん)(むすめ)結婚(けつこん)する(こと)(なに)よりの光栄(くわうえい)として、その鼻息(びそく)ばかりを(うかゞ)つてゐました。監獄(かんごく)裁判所(さいばんじよ)とが荒廃(くわいはい)したのは東京(とうきやう)のそれらと合併(がつぺい)したので、罪人(ざいにん)一人(ひとり)()れば巡査(じゆんさ)遥々(はる〲)一人(ひとり)()いて上京(じやうきやう)するので、(たか)煙草(たばこ)()(まい)発見(はつけん)されても東京(とうきやう)地方(ちほう)裁判所(さいばんしよ)(まは)される。つまりは莫大(ばくだい)巡査(じゆんさ)旅費(りよひ)だけが()えて()るといふややこしい(こと)になって(しま)つてゐたのでした。それに島司(たうじ)頌徳碑(しようとくひ)島司(たうじ)自身(じしん)島民(たうみん)()ひて自身(じしん)(まつ)らせたので、いつぞやは巡検(じゆんけん)侍従(じじゆう)(まへ)赤恥(あかはぢ)()いたといふ(はなし)もあります。
 (しま)(わか)(むすめ)がゐないのは、たゞ一()虚栄(きよえい)(はし)つて都会(とくわい)(そら)(あこが)れて奉公(ほうこう)出払(ではら)つて(しま)つたので、()つぱらひがゐないのは(かね)()いので(さけ)()まれず、たまたま夫婦(ふうふ)喧嘩(けんくわ)でもした()役人(やくにん)が、その(ばん)すぐと(いう)(ぢよ)()()びこめば、とくの(むかし)にその喧嘩(けんくわ)次第(しだい)相手(あひて)(をんな)()れて()り、質屋(しちや)()いのは(しち)()れれば、たちまち(しま)(ぢう)()れわたる。乞食(こじき)になりかけると、直様(すぐさま)内地(ないち)()(ぱら)はれる。共産(きようさん)(てき)面白(おもしろ)いと(おも)へば、すべての利潤(りじゆん)(おほ)生産業(せいさんげふ)(ほとん)島庁(たうちう)事業(じげふ)で、うまい(しる)島司(たうじ)()つて、あとはたゞ(つら)奉公(ほうこう)といふだけだし、(なに)さま島中(たうちう)総現金(そうげんきん)が二千(ゑん)といふ(あは)れさで、そのせち(から)さは想像(さうざう)にもつかないだらうと(おも)ひます。

鼻息びそく(うかが)う  相手の意向・機嫌を気にしてさぐる。はないきをうかがう。

商店(しやうてん)現金(げんきん)割引(わりびき)もつまりは現金(げんきん)()いからです、(ほとん)どが(ぶつ)()交換(かうくわん)習慣(しふくわん)(のこ)つてゐるので、(なに)もかもカケで、現金(げんきん)(ふね)()(とき)(ばら)ひ。だから買人(かひて)()つてにも品物(しなもの)()つても、商人(しやうにん)はただ()りませんの一(てん)(ばり)、これでは繁昌(はんじやう)する目当(めあて)はありません。ですから(しよ)商売(しやうばい)(すべ)痺靡(ひび)して(ふる)ひつこは()いのです。
 漁師(れうし)にしても、どうせ人口(じんこう)には(かぎ)りがあるので、沢山(たくさん)()れば()(やす)くなる、それで(あは)てて(すくな)()つてすぐ()(かへ)す、(はや)いが()ちですから、漁業(ぎよげふ)(さか)んになるわけもありません。
(しやう)()悧巧(りかう)()るさとも頂上(ちやうじやう)です。(ふゆ)最中(さいちう)茄子(なす)南瓜(かぼちや)()つても、わざと(ちい)さいのを東京(とうきやう)高価(かうか)(おく)つて(しま)ふ。だから(しま)()はうと(おも)へば(すべ)東京(とうきやう)相場(さうば)で、()()()るほど(かた)いので、自分(じぶん)(はたけ)でも()たない(かぎ)りは、バナナーつでも容易(ようい)には(くち)(はひ)りません。
 正覚坊(しやうがくばう)にしてからがすぐに(ころ)して缶詰(くわんづめ)にして(おく)()す。(しま)(もの)漁師(れうし)()(かぎ)りお(すそ)わけはしてもらへません。(うし)を一ケ(げつ)に一(ぴき)(ころ)しても(ころ)した()()()つて(しま)ふので、(おそ)市場(いちば)()つたものは()(そこな)ふ。一ケ(げつ)に一()牛肉(ぎうにく)がこれだから、市場(いちば)はまるで餓鬼(がき)(だう)(さわ)ぎです。
 鶏卵(けいらん)()べようと(おも)へば(とり)からして東京(とうきやう)から()()せねばならず、豆腐(とうふ)()べようと(おも)へば、一週間(しうかん)(ぜん)約束(やくそく)して()く。ランプのホヤ(こは)れれば、(べつ)のランプを()はねば、()()(くら)でゐなくてはなりません。
 商人(しやうにん)狡猾(かうかつ)奸譎(かんきつ)とは、(ほとん)日本中(にほんぢう)(さが)しても、あれほどのところはありますまい。物価(ぶつか)東京(とうきやう)の三(だい)以上(いじやう)だし物資(ぶつし)欠乏(けつぼふ)してゐる。たまに予定(よてい)に三()(おく)れて内地(ないち)からの(ふね)()れば、その以前(いぜん)()や、(しま)には(こめ)()けれぱ味噌(みそ)醤油(しやうゆ)()く、菓子(くわし)()ければ(さけ)()い。島民(たうみん)半死(はんし)半生(はんしやう)です。

痺靡 しびれて衰える。萎靡(いび)
餓鬼道 がきどう。天、人、修羅(しゆら)畜生(ちくしよう)、餓鬼、地獄を六道と言い、行いの善悪によって六道の中で生死を繰り返すのが輪廻(りんね)。この人生で食物の欲望の強い人、むさぼりの心のつよい人は死後、餓鬼道に落ちる。生きながら餓鬼道に落ちると言い、子どもは普通食欲が旺盛で子どもを餓鬼と呼んだりする
ホヤ 火屋。火舎。ランプやガス灯などの火をおおうガラス製の筒
奸譎 かんけつ。かんきつ。姦譎。よこしまで、心にいつわりが多いこと

小笠原島夜話③|北原白秋

文学と神楽坂

       三

 だから(つき)に一()内地(ないち)からの定期(ていき)(せん)(はひ)つて()()(さわ)ぎと()つたらありません。その(ふね)新聞(しんぶん)雑誌(ざつし)書簡(しよかん)小荷物(こにもつ)流行唄(りうかうた)、あらゆる文明(ぶんめい)(しん)消息(せうそく)をもたらして、この無聊(ぶれう)倦怠(けんたい)しきつた(しま)をまるで戦場(せんぢやう)のやうに緊張(きんちやう)させ、亢奮(かうふん)させて(しま)ひます。島民(たうみん)物質的(ぶつしつてき)にも精神的(せいしんてき)にも()()つてゐるのです。(ふね)がいよいよ()くといふ()(あさ)などは海抜(かいばつ)一千(じやく)船見山(ふねみやま)絶巓(ぜつてん)(のぼ)つて、水天(すゐてん)のかなたに一(まつ)(けむり)(のぼ)つてから(ほとん)ど四五時間(じかん)といふのは(すわ)つたきりで凝視(ぎようし)してゐます。(ちか)づいた(ふね)がその(みさき)の一(かく)(まが)つて、いよいよその湾口(わんこう)(はひ)りかけて、ぽうと汽笛(きてき)()らす(とき)深厳(しんげん)さもありません。それをきくと、島中(たうちう)がまた、たゞ()()(こゑ)をあげる。

消息 しょうそく。その時々のありさま。動静。状況。事情
無聊 ぶりょう。退屈なこと
絶巓 ぜってん。山の絶頂。いただき
水天 すいてん。1.水と天。水と空。2 水に映る天
深厳 重々しく、威厳がある

島中(たうちう)(もの)が、白皙(はくせき)(じん)黒奴(くろんぼ)(かほ)黄色(きいろ)日本人(にほんじん)(すべ)てが波止場(はとば)(むらが)つて、巨大(きよだい)万年青(おもと)竜舌蘭(りうぜつらん)(かげ)から()しあひへしあひ、新来(しんらい)(きやく)覗見(のぞきみ)したり、批評(ひひやう)()つたりしてゐます。たゞ(わけ)もない憧憬(しようけい)好奇(かうき)(こゝろ)()つて、その(とき)はまるで島中(しまぢう)小娘(こむすめ)のやうにワクワクしてゐます。
 (ふね)()()つて(しま)ふと、(しま)はまたぐつたりと(つか)れて、()()えたやうです。さうして(せま)(はな)(じま)天地(てんち)が、それからはまた一(そう)(せま)(ちひ)さく(ちゞ)こまつて(しま)ひます。

白皙 はくせき。皮膚の色の白いこと
黒奴 こくど。黒人の奴隷。黒色人種を卑しめていう語
万年青 おもと。関東、沖縄、中国の暖地にはえるユリ科の常緑多年草。
竜舌蘭 りゅうぜつらん。リュウゼツラン科の常緑多年草。メキシコの原産。メキシコではテキーラを作る。

新来(しんらい)内地(ないち)(じん)(むか)つては、その(はじ)好奇(かうき)憧憬(しようけい)とを()せてゐた(こゝろ)が、()()理由(りいう)のない敵意(てきい)となり反感(はんかん)となり嫉妬(しつと)となり憎悪(ぞうを)となり迫害的(はくがいてき)推移(すゐい)して()るのも、一(しゆ)島人(たうじん)根性(こんじやう)です。(こと)(しま)官権(くわんけん)は、それらの(ひと)()(むか)つて、全然(ぜんぜん)(しま)平和(へいわ)(がい)する擾乱(ぜうらん)(しや)とし、侵入者(しんにふしや)とし、罪人視(ざいにんし)し、極端(きよくたん)(これ)拒避(きよひ)しようとかかる傾向(けいかう)があります。
 (わたし)(つれ)女性(ぢよせい)一人(ひとり)紫色(むらさきいろ)羽織(はおり)()てゐるといふので、(しま)(わか)(もの)性慾(せいよく)刺戟(しげき)する()しからぬとその(すぢ)(うつた)()(もの)もありました。

擾乱 じょうらん。入り乱れて騒ぐこと。秩序をかき乱すこと。騒乱
拒避 拒否と同じ

(こと)島民(たうみん)の『肺病(はいびやう)』を(おそ)るゝ(こと)極端(きよくたん)です。(さう)してその(おそ)るべき病毒(びやうどく)伝播(でんぱん)(しや)(すべ)てが内地(ないち)からのそれら旅人(りよじん)にあるとさへ(おも)()めてゐます。(もつと)肺病(はいびやう)患者(くわんじや)極楽島(ごくらくたう)とし、理想郷(りさうきやう)として、充分(じうぶん)保養(ほやう)目的(もくてき)に、その()小学(せうがく)教員(けうゐん)郵便(いうびん)局員(きよくゐん)などに転任(てんにん)させて(もら)つて()るのも(おほ)いのです。(しか)駄目(だめ)です。その肺病(はいびやう)患者(くわんじや)が八丈島(ぢやうしま)あたりに寄港(きかう)する(ころ)は、もう電報(でんぱう)小笠原(をがさはら)(じま)まで()んでゐます。
  ハイビヤウナンニンユクチウイセヨ

極楽島 安楽で何の心配もない島。天国
ハイビヤウナンニンユクチウイセヨ 肺病何人ゆく 注意せよ

だから(たま)りません。その(ひと)(しま)へ上る頃にはもう島中(しまぢう)()(わた)つてゐて、宿屋(やどや)でも(ことわ)れば飲食(いんしよく)(てん)でも(ことわ)る、理髪(りはつ)(てん)()つても『肺病(はいびやう)(ことわ)り』と()いてある。仕方(しかた)なく()きの(なみだ)磯浜(いそはま)や、洞穴(どうけつ)(なか)にバナナの()でも()いて()(あか)し、()()をあさり、(つひ)には三()とゐたたまれずに(かへ)りの(ふね)()(ぱら)はれて(しま)ふ。さういふ(とき)島中(しまぢう)()です。中には宿屋(やどや)から(ことわ)られ、(こま)つて、土地(とち)()(いへ)()つて、いざその(いへ)這入(はひ)らうとすると、周囲(しうゐ)から立退(たちのき)請求(せいきう)です。自分(じぶん)(うち)自分(じぶん)()さへ()くに()かれず、(くさ)()し、荒磯(あらいそ)()ね、やつと(つぎ)便船(びんせん)(かへ)るには(かへ)れたが、その途中(とちう)()()いて()んで()(ひと)もありました。さうなると島民(たうみん)惨酷(ざんこく)(せい)頂上(ちやうじやう)です。

惨酷 ざんこく。残酷(惨酷、残刻)はまともに見ていられないようなひどいやり方

(わたし)肺病(はいびやう)だった(わたし)(まへ)(つま)と、その友人(いうじん)(おな)じく肺病(はいびやう)だった女性(ぢよせい)と、その(いもうと)とを()れて、(ほとん)命懸(いのちが)けに()()()して、保養(ほやう)()(もと)めに()きました。ところがさういふ(ふう)です。(わたし)たちは(こゝろ)(そこ)から(ふる)(あが)つてただ(かほ)(かほ)とを見合(みあは)せました。秘密(ひみつ)! 秘密(ひみつ)! どうにでも極秘(ごくひ)にしなければ四(にん)とも()(じに)惨虐(ざんぎやく)()にあはねば()みません。その(あひだ)(わたし)心労(しんらう)といふものは()かつたのです。(わたし)(つま)ももう一人(ひとり)のも幾度(いくたび)()()きました。そのうちに健康(けんかう)だつたもう一人(ひとり)のも肋膜炎(ろくまくえん)になつて(しま)ひました。丈夫(ぢやうぶ)なのはたった(わたし)一人(ひとり)です。医者(いしや)にも()せられません。()(もら)つたら、すぐに(はい)患者(くわんじや)だと()(こと)島中(しまぢう)()れて(しま)ふのです。空気(くうき)乾燥(かんさう)する、島中(しまぢう)白眼(はくがん)(もつ)意地(いぢ)わるく追求(つゐきう)する。病人(びやうにん)はわるくなる、それを極秘(ごくひ)にしなければ(いのち)にかかはる。――この(あひだ)(わたし)たちはまた一(もん)なしになって(しま)ひました。(わたし)小笠原(をがさはら)渡海(とかい)をただ詩人(しじん)好奇的(かうきてき)遊楽(いうらく)(おも)つて、(いろ)()(わら)つてゐた(ひと)()内地(ないち)にはありましたが、(いま)だからすつかりお(はなし)します。そんな呑気(のんき)(こと)では()かつたのです。

顫える ふるえる。恐れや興奮から発作的に震える
白眼 冷たい目つき

そのうちに(おな)じく肺患(はいくわん)秘密(ひみつ)にしてゐた小学(せうがく)教員(けうゐん)が、その(やまひ)(おも)くなると一(しよ)露見(ろけん)して、()(ぱら)はれる。(おな)じやうな郵便(いうびん)局員(きよくゐん)()にかゝる。それを内地(ないち)から看護(かんご)(はる)()()母親(はゝおや)()ぬ。――()()てられぬ悲劇(ひげき)()()ぎに私達(わたしたち)周囲(しうゐ)には(おこ)ります。今日(けふ)(ひと)()明日(あす)自分(じぶん)()(うへ)といふ、その(おそ)ろしい絶望(ぜつぼう)(こく)()私達(わたしたち)(あを)くして()る。たまらなくなつて、やつと(かね)工面(くめん)をして二人(ふたり)だけは内地(ないち)(かへ)し、一(たん)(つま)居残(ゐのこ)りましたが、その(つま)をもまたニケ(げつ)(すゑ)(かへ)し、いよいよ最後(さいご)一人(ひとり)となつて()(とゞ)まつた(とき)(わたし)はそれこそ一(もん)なし。(ところ)絶海(ぜつかい)(はな)(じま)です。人情(にんじやう)冷酷(れいこく)(かね)()し、これからの(くる)しさは(まつた)くお(はなし)はできませぬ。そののち一と(つき)()つて(わたし)はまたやつとの(こと)帰航(きかう)(ふね)()(あが)りました。さうして(かへ)つて()ると、(つま)はもう貧乏(びんばふ)がいやになつたから(わか)れたいと()ひます。(なん)()めに(わたし)はその二三(ねん)(いのち)()()して(くる)しんだか。――その()(わたし)(まつた)く、一()(ぜん)世界(せかい)女性(ぢよせい)(のろ)つて(しま)ひました。
 この(こと)()つて、(わたし)()きます。

露見 秘密や悪事など隠していたことが表にでて、ばれること。

(わたし)(しま)()(ころ)に、その粟粒(あはつぶ)ほどの小天地(せうてんち)にも、(おそ)ろしい一騒動(さうどう)(おこ)りました。島司(たうじ)排斥(はいせき)爆発(ばくはつ)です。それが()めに(わたし)までがその渦中(くわちう)()きこまれて、(ほとん)どその煽動(せんどう)(しや)がの(ごと)島司(たうじ)()から(にく)まれました。暴虐(ばうぎやく)圧政(あつせい)自派(じは)擁護(ようご)と、それらを、(つゞみ)()らして駁撃(ばくげき)する所謂(いはゆる)正義派(せいぎは)なるものも、()()(はな)小島(こじま)正義派(せいぎは)です。佐倉(さくら)宗吾(そうご)気取(きど)りの(ぼう)()(ごと)きも結局(けつきよく)(あは)れな(せう)名誉(めいよ)(しん)傀儡(くわいらい)です。と(おも)ふと()(どく)でもあり、をかしくもあり、迷惑(めいわく)でもありました。
 (おそ)ろしい(こと)には、反対派(はんたいは)一人(ひとり)二人(ふたり)がたゞ何気(なにげ)なく山路(やまぢ)()()はして一言(ひとこと)二言(ふたこと)(なに)かささやいた、それさへ、その()には役所(やくしよ)へも島中(しまぢう)にも()(わた)つてゆく(こと)です。

駁撃 ばくげき。他人の言論・所説を非難・攻撃すること
佐倉宗吾 下総国(千葉県)印旛郡の名主・佐倉宗吾が佐倉藩の重税に苦しむ農民を代表して将軍に直訴、租税は軽減したが、宗吾夫妻は磔になった。この話が正しいのかは不明。講釈師は講談「佐倉義民伝」を使って百姓一揆のさかんな土地で佐倉宗吾の伝記を語った。
傀儡 他者の手先となって思いのままに利用されている人物や組織の比喩

そればかりでなく、その(あさ)電報(でんぱう)為替(がはせ)何円(なんゑん)(たれ)それに(おく)つて()たと()(こと)もその(ひる)には(しま)商家(しやうか)にはチヤーンと()(わた)つてゐます。(わたし)もやつと(かね)(おく)つて(もら)つて一息(ひといき)つけるともう、(かた)(ぱし)からせびり()られて(しま)ひました。そしてまた(もと)の一(もん)なしで煙草(たばこ)(ひと)()へなくなりました。  (しま)浮世(うきよ)(はな)れてゐるやうで、(かへつ)て、浮世(うきよ)それ自身(じしん)を、縮図(しゆくづ)してゐます。
 (しま)自然(しぜん)麗色(れいしよく)など(いう)()鑑賞(くわんしやう)してゐられるものですか。かうなると自然(しぜん)人間(にんげん)から(おも)ふさま()みにじられて(しま)つて()ます。
 文明(ぶんめい)()ふのも中途(ちうと)半端(はんぱ)ではよしあしです。

麗色 れいしょく。美しくのどか

島司排斥

 小笠原の清瀬公園には古い石碑が建っています。この碑はほとんど文字が擦り切れて読めなくなっていますが、「小笠原島島司阿利君紀功碑」です。小笠原の島司だった阿利孝太郎を讃えています。在任期間は明治29年10月から大正5年4月までの20年6か月。この碑は、自分が在任中の明治39年6月に自分で建立したものです。この碑文を長谷川馨氏が翻訳しています。

 阿利君は、人柄明るく太っ腹でしかも切れ味鋭く、島や島民の利害損失についてはかなり敏感である。この島の行政を推進していくについては非常に勤勉意欲的で、徹夜をしても少しも疲れたふうがない。
 今、阿利君治頭十年の業績を上げてみるならば、教育機関を整備して島民の能力開発に努力したこと、小笠原航路について船舶の向上便数の増加等充実を図り、また島内の道路河川等の整備を行って産業振興の条件整備を行ったこと、民有地を整理して土地台帳を整備したこと、山方石之助に委託して『小笠原島志』を発刊し小笠原の発見から今日までを確り記録したこと、日露戦役を記念して荒蕪に帰していた島の各地に植林したこと、などなど枚挙にいとまない。
 考えてみるに阿利君の島司在任十年、その間彼は島民の幸福ということを第一に心掛け、そしてその考えは周到にして綿密であった。目前の効果に目を奪われず、島にとっての真の利益、長期的な利益について肺肝を摧いた。
 島の人々はその人徳に感服し、かつその功績に感謝して、碑を建てて阿利君の業績を後世に伝えようと相談ができあがり、代表者がきて私にその碑文を書くように依頼された。そこでこの文章を認め且つ阿利君を称える詩を作って言おう。
   公平無私の潔さ 古武士の如き阿利島司
   一所懸命その努力 この島のためひとのため
   島びとこぞって慕い寄る 君のお蔭の大いさよ
   嗚呼この詩よ栄えあれ 世の牧民の鑑なれ

 この文章の通りなら高潔無私の大島司です。そうでなくても、自分を褒めちぎる巨大な碑を、池の中の築地に二見港を睥睨するかの如く建てたというのも相当な人物です。当然、大正時代になると、マスコミに追求され、刑事事件の告発もあって、ついに辞職しました。
 以前はこの碑は東京電力家族寮の敷地にありましたが、移転してこの場所に移ってきます。