山本薬店」タグアーカイブ

神楽坂3丁目(写真)昭和42年 ID 6-7

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 6とID 7を見ていきましょう。ともに今は雨は降り、撮影の方向は、神楽坂の中途から坂下に向いています。街灯は鈴蘭灯とは違い、円盤形の大型1個だけで、これは昭和36(1961)年以降にあたります。車道は完全に平坦になっています。歩道はカラー舗装のようです。

新宿歴史博物館 ID 6

新宿歴史博物館 ID 7

神楽坂3丁目
  1. さわや
  2. これから3丁目に。数軒はいり…
  3. ブリヂストン エバーソフト(菱屋)
  1. 牛豚鶏 増田屋
  2. (太陽堂)
  3. 神楽坂仲坂に。これから3丁目に
  4. パンビタン 山本薬店
  5. ヒデ美容室
  6. 工事中
  7. 龍公亭

 右手の工事中については、1967年(昭和42年)までは「きらく会館」で、70年(昭和45年)になると「コーヒー5番」になります。また「ブリヂストン エバーソフト」は「福島ピアノ」「小料理 万平」「菱屋 呉服総本店」のうち、やはり「菱屋」だと思います。
 また、菱屋の写真がわずかに出ていますが、これは古い店舗です。新しいビルにかわるのは昭和42年以降でした。

昭和38年/42年 vs 45年

 一方、昭和42年2月8日の田口重久氏の写真があり「2月8日までに『Club 軽い心』の向こうで、菱屋のビルが完成しています。つまり新しいビルに変わるのは昭和42年(または前年末)でした」と地元の人。

05-14-37-1

田口重久氏「歩いて見ました東京の街」05-14-37-1 牛込見附から神楽坂下を 1967-02-08(昭和42年)

「撮影時期は昭和40-41年(1965-66)ごろではないでしょうか」と地元の人。

神楽坂2丁目(写真)昭和37年頃 ID 4-5, 13

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 4、ID 5とID 13を見ていきましょう。ともに今は雨は降らず、撮影の方向は、神楽坂の中途から坂下に向いています。街灯は1本につき一つだけで、これは昭和36(1961)年以降にあたります。車道にOリングはまだなく、凸凹が目立ち、穴もあります。Oリングは1962~63年にはつくられているので、その前の話でしょう。

新宿歴史博物館 ID 4 神楽坂途中から坂下方向

神楽坂2丁目(坂下→坂上)
  1. 志乃多寿し
  2. (山一薬品)
  3. パチンコマリーと佳作座
  4. 靴のニューイトウ
    ←洋食レストラン京屋
    ←神楽坂ビリヤード
  1. 志満金 うなぎの看板
  2. オザキヤ(靴店)
  3. たばこと☎(果実 田金)
  4. (食品 丸八)
  5. ダイヤモンド毛糸 大島糸店

 パチンコマリーとニューイトウの間に横丁があり、その奥にレストラン京屋や神楽坂ビリヤードがあります。
 車道の左側に穴がある、と見えます。ID 5にも同じ穴がある。1958年に逆転式一方通行を発令したので、発令は穴と関係はないでしょう。本来はOリングがある場所ですが、まだOリングはありません。まあ、穴は早急に直すべきでは、と思います。

新宿歴史博物館 ID 5

神楽坂2丁目 (坂下→坂上)
  1. パチンコマリー
  2. ニューイトウ
  3. 喫茶 音楽 坂
  4. (陶柿園)
  5. 野乃木。草書体の「野」
  6. 喫茶 クラウン
  1. ダイヤモンド毛糸 大島糸店
  2. 神楽屋 センベイ
  3. 松本商店
  4. 夏目写真館

「旅館 かぐら苑」は1964年(昭和39年)まで存在し、「旅館 かやの木」は1965年(昭和40年)から存在し「全航空住宅地図帳」では1973年(昭和48年)になくなっています。1962年に写真があったとすると、「かやの木」はありえません。「野乃木」は1963年には存在し、1973年になくなっています。草書体の「野」でした。

全航空住宅地図帳、1965年

新宿歴史博物館 ID 13 神楽坂途中、さわや付近から坂下方向

 穴の場所を避けて、車列が上に伸びていきます。

新宿区史・昭和30年

新宿区史・昭和30年

新宿区史・昭和30年

文学と神楽坂

 新宿区史という名前の本があります。この区史、最も古くは昭和30年に編纂され、以降、40周年、50周年、新宿時物語(60周年)、新宿彩物語(70周年)と並んでいます。

 戦後に初めて世に出た「新宿区史」(昭和30年)は新宿区の地理、歴史、現勢を3章でまとめ、特に歴史は詳細です。そのうち「市街の概観」を見ると、「神楽坂」として写真4枚が出ています(右図。拡大可)。では、この4枚を撮った場所はわかりますか。正解を書いてしまいますが、1枚目では牛込橋近くに立って、神楽坂下交差点を見下ろした写真。さらに坂上も見えています。2枚目は神楽坂上から坂下に下る写真、と、ここまでは簡単ですが、3枚目は地元の人に助けてもらってようやくわかりました。これは巨大料亭の松ヶ枝の通用門なのです。4枚目は小栗横丁の中央部だと思っています。さらに10数か所は地元の人に教えてもらいました。

 では、1枚目から見ていきます。

新宿区史・昭和30年

新宿区史・昭和30年

昭和37年 加藤医院


①神楽坂 大きな地名のビルボード。
③看板 おそらく「三菱銀行」
③トラック 向こう向きのトラック
④自動車 こちら向きの自動車。昭和30年は対面通行でした。
⑤茶 昭和27年には「東京円茶」、昭和35年から昭和42年までは「神楽堂パン」、同年「不二家」になりました。
メトロ映画 昭和27年から昭和42年まで存在しました。メトロはメトロポリスの略で、首都や大都市のこと。その後、数店に変わり、平成28年(2016年)以降はドラッグストア「マツモトキヨシ」です。なお、写真を撮った日に上映中だったのは「燃える上海」と「謎の黄金島」(ともに公開日は1954年)。
⑦加藤医院 袋町7番地の産科。旧出版クラブ隣の西側。以前は診察していましたが、現在はなにも出ていません。

昭和37年 加藤医院

⑧さくらや靴店 昭和27年は焼け野原。さくらや靴店は昭和37年から少なくとも昭和59年まではあり、平成2年までに東京トラベルセンタ-に。
神楽坂警察 明治26年、ここ神楽河岸に移転。昭和35年(1960年)、牛込早稲田警察署と合併し、牛込警察署に改称し、南山伏町に新築移転。
➉桜の木 悪いことも起こしました。細かくは牛込駅リターンズで。

 2枚目の写真です。


①富士見町教会 堀の向こうには富士見町教会。その手前は牛込門の石垣。
②時計 エスヤ時計店。昭和27年の火災保険特殊地図でも時計屋。昭和12年は煙草店。昭和40年は大川時計。現在は大川ビル
③増田 増田屋肉店。昭和27年と昭和40年も精肉屋。昭和12年は不明。現在は「肉のますだや
④せともの セト物 太陽堂。昭和27年と昭和40年でも陶器屋。昭和12年は小料理。現在も太陽堂
⑤薬店 山本薬店。昭和27年と昭和40年でも同じ。昭和12年では丸山薬店。現在は「神楽坂山本ビル」
⑥ヒデ美容室 ヒデ・パーマ。昭和27年と昭和40年でも同じ。昭和12年では日原屋果物店。現在は「神楽坂センタービル」
⑦太鼓(山車だし 沢山の子供が太鼓を引いています。お祭りでしょう。
⑧猫診療所 電柱広告の一種ですが、袋町20番地にあった「山本犬猫病院」。

 3枚目です。

新宿区史・昭和30年3

新宿区史・昭和30年3

松ヶ枝まつがえ かつて若宮町にあった大料亭。広さは「駐車場も含めて400坪」。「自民党が出来た場所」という。現在はマンションの「クレアシティ神楽坂若宮町」
通用門 通用門は正門から北西に6~7メートル離れてあった。御用聞きは通用門から入った。
壁を削る この角が狭くて車が曲がれない。壁を少し削りとって、へこませた。
寿司作 一番奥のチラリと人が見えているのが寿司作。
秋祭りの飾り 若宮八幡の秋祭りの飾りが2つ。季節は9月ごろ。この飾りは今も全く同じデザイン。
芸妓置屋 芸妓を抱えて、料亭・茶屋などへ芸妓の斡旋をする店。
駐車場 黒塗りの木戸から大きく開く構造になっていた。

 4枚目です。


 何も手がかりがありませんが、西條医院は小栗横丁の西端にあって、内科、小児科、不明な科、歯科の病院でした。現在は「西條歯科」。さらに、この右前端にもまだ道があるようで、T字路のように見えます。他にも「カーブが始まり、先の方の道が細くなるのは熱海湯のあたりから」、「看板は道の角に置くタイプなので、路地があるように思われる」と地元の人。つまり「お蔵坂」が始まるあたりではといいます。

 昭和30年はどぶをおおう板、つまり、どぶ板がどこにもあります。洗い物や野菜を洗って流すだけで、その他は何も流してはいけません。現在は下水用のモノならなんでも受けます。なお、3枚目を見ると、板はなく、どぶだけがそのまま見えています。