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山本コーヒー|神楽坂4丁目

文学と神楽坂

 山本珈琲です。現在は「魚さん」。下の図では楽山ビルの隣りで、赤い四角で囲ってあります。また、「たつみや」はドーナツをつくる場所でした。地図の場所はここ

山本コーヒー

うおさん

 サトウハチロー氏の『僕の東京地図』で「山本コーヒー」が出てきます。

中学へ行くようになっては、何と言っても山本のわずかしか穴のあいてないドーナツに一番心をひかれた。十銭あると山本へ行った。山本は川崎第百の前だ。いまでもある。五銭のコーヒーを飲み、五銭のドーナツを食べた。ドーナツは陽やけのしたサンチョパンザのようにこんがりとふくれていた。コカコラをはじめて飲んだのもこゝだ。ジンジャエールをはじめて飲んで、あゝあつらえなければよかツたと後悔したのもこゝだ。この間、まだあるかと思って、ドーナツを買いに這人ったら、店内の模様は昔と一寸変わったが、陽やけのしたサンチョパンザことドーナツ氏は昔と同じ顔だ。皿に乗って、僕の目の前にあらわれた、なつかしかった。

中学へ サトウハチロー氏は大正5年に早稲田中学に入りました。したがってこの話は関東大震災が起きた大正12年よりも昔です。
川崎第百 川崎第百銀行のことでした。それから、左の蕎麦「春月」を飲み込んで大きくなり、最終的には「三菱UFJ銀行」となりました。したがって「山本は川崎第百の前だ」は「魚さんは三菱UFJの前だ」になります。
いま この文章は昭和11年に書かれています。昭和12年に「火災保険特殊地図」に書いてあった「コーヒー」もこの「山本コーヒー」だったのでしょう。
サンチョパンザ 正しくはサンチョ・パンサ。スペインのセルバンテス(1547-1616)の小説「ドン・キホーテ」に登場する現実主義の従者。
コカコラ コカ・コーラ。ノンアルコールの炭酸飲料で、1886年米国ジョージア州アトランタで生産が開始しました。第2次世界大戦中、米軍とともに世界中に広まっていきましたが、日本には大正時代から出回っていました
ジンジャエール ノンアルコールの炭酸飲料で、ショウガ(ジンジャー)などの香りと味をつけ、カラメルで着色したもの。
あつらう あつらえるの文語形。注文して作らせること。

 博文館編纂部『大東京写真案内』(昭和8年、再版は1990年)では

大東京写真案内。神楽坂。牛込見付から肴町に到る坂路さかみちが神樂坂、今や山手銀座の稱を新宿に奪はれたとは云ふものゝ、夜の神樂坂は、依然露天と學生とサラリーマンと、神樂坂藝妓の艶姿に賑々しい。

 右手で「うなぎの御飯」や「コーヒー」を売る店舗がありますが、見ると、小さく「山本」と書いています。この写真についてほかの情報はここに。

 河合慶子氏は『ここは牛込、神楽坂』 第3号「肴町界隈のこと」について

三菱銀行前の『山本コーヒー店』のふっくらと厚みのあるドーナツのこげ茶色。すべてが懐かしく郷愁をさそうのである。

 白木正光編の「大東京うまいもの食べある記」(昭和8年)は

喫茶山本――春月(しゅんげつ)の向ふ側にあつて喫茶、菓子、中でもコーヒーとアイスクリームがこゝの自慢です

 『ここは牛込、神楽坂』第5号(平成7年)「本多横丁のお年寄りが語ってくれました」では

●ジョン・レノンがオノ・ヨーコさんと。
うなぎ「たつみや」高橋たまさん75歳

 ここは戦前、山本コーヒー店がドーナツをつくっていたところなんです。私は戦前、新見附にいて、娘の頃は毎日神楽坂に遊びにきていました。それで、戦後店を持つとき、ぜひ大好きな神楽坂でと、ここへ来たんです。
 お店は23年の丑の日に始めました。そのときは向かい側で、料亭への出前が中心でした。お父さんは料亭さんの旦那にかわいがっていただきましてね。
 戦後の神楽坂も芸者さんが多くて、新内流しなども来て、よかったですよ。
 ジョン・レノン?ええ、オノ・ヨーコさんと見えました。週刊誌にうちのことが出たので、それを見て来てくれたようで。亡くなったのはあれからじきでしたね。