斉藤医院」タグアーカイブ

神楽坂5丁目(写真)昭和47年秋~48年春 ID13161~13164

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 13152からは神楽坂1~5丁目で歩行者天国の様子を連続で撮影したものです。うちID 13161、ID 13162、ID 13163、ID 13164はカメラを神楽坂5丁目に置き、東の方向(3、4丁目)に向けて撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13161 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13162 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13163 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13164 神楽坂歩行者天国

 車道と歩道はアスファルト舗装。歩道の縁石は一定間隔で色が違い、黄色と無彩色に塗り分けていました。写真の左端、テントの脇の太い鉄柱は「神楽坂通り/美観街」の標識です。
 そのすぐ右の「寺内横丁」に横看板が見えますが、読めません。横丁を入ったところに、住宅地図によって異同がありますが「米枡」「割烹椿」「クラブパリジェンヌ」「末っ子」などの店名が見えます。「(米)桝」と「(割)烹 椿」と見れなくもないと思います。こうした店が横丁の入り口に共同看板を出していた可能性が高いでしょう。横丁の共同看板は毘沙門横丁のID 11833にも見られます。なお「寺内」ばかりではなく「地内」という名前もありました。

 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、その柱は他のカラー写真では銀灰色、モノクロ写真では薄い色が多そうです。しかし、この一連の写真は黒く写っています。ID 9781など他にも黒く写っているので、時代によって色が違ったと思います。
 電柱は右側だけで、上には大きな柱上変圧器があります。
 歩行者天国(車道に車を禁止して歩行者に開放した地域)は日曜日・祝日の実施なので、営業していない店が目立ちます。また、歩行者の大半がコートや外套を着ており、年代の詳細はここで話しています。

神楽坂5丁目→3丁目(昭和47年秋~48年春)
  1. 店舗
  2. (車両通行止め)「〇〇〇」「(日曜日)祝日の(12)ー18」
  3. 横看板(寺内横丁
  4. 「(日本)盛 ニホンザカリ 特約店 万長」「Coca -Cola」「Bireley’s バャリース 万長酒店」「キリンビール」UC
  5. 日本法令のロゴマーク 届け用紙 相馬屋
  6. 第一勧業信(用)組(合)(昭和46年10月、日本勧業信用組合から改称)

▶は歩道上で車道寄りに看板がある
▶がない場合は直接店舗に

  1. 電柱の足元に段ボール箱(家電品か)
  2. ▶電柱看板「内科 小児科 産婦人科 放射線科 阿部医院」「 加藤質店」
  3. 中河電(気) SONY (ト)リニトロン ボタ(ン)でん(わ)
  4. 週刊新潮(芳進堂)
  5. 電柱看板「川島歯科」「加藤産婦人科」
    ――地蔵坂(藁店)
  6. 「やきとり殿堂 鮒忠」「鳥の王様」「鮒忠 宴会場 2F 」「鮒」
  7. ▶「日本酒まつり 鮒忠」
  8. パチンコ おおとり 花輪
  9. 田原屋(果物と洋食屋)
  10. ▶電柱看板「斉藤医院
  11. ▶電柱看板「 丸越質店
  12. ▶公衆電話ボックス
  13. 三菱銀行
  14. 遠くに(横断歩道)と「神楽坂通り/美観街」

住宅地図。1973年

神楽坂3丁目(写真) 昭和47年秋~48年春 ID13154~ID13157

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 13152からは神楽坂1~5丁目で歩行者天国の様子を連続で撮影したものです。うちID 13154、ID 13155、ID 13156、ID 13157は神楽坂3丁目から4~5丁目方向を撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13154 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13155 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13156 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13157 神楽坂歩行者天国

 歩道はアスファルト舗装で、一方、車道で坂の傾斜が急な部分はOリングのくぼみがついたコンクリート舗装で、Oリングの位置は「万平」「龍公亭」あたりまででした。それ以上の車道舗装についてはここに。縁石は黄色と無彩色との2色で、意味は「駐車禁止」。また巨大な標識ポール「神楽坂通り/美観街」があります。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯です。街灯の柱は他のカラー写真では銀灰色、モノクロ写真では薄い色が多いのですが、この一連の写真は黒く写っています。ID 9781(昭和50年頃)など他にも黒く写っているので、時代によって色が違ったのでしょう。
 電柱は左側だけで、その上に大きな柱上変圧器があります。
 歩行者天国(車道に車を禁止して歩行者に開放した地域)は日曜日の実施中。また、歩行者の大半がコートや外套を着ており、寒い季節ですが、年代の詳細はここで話しています。

神楽坂3丁目→4、5丁目( 昭和47年秋~48年春)
  1. (レストラン)花菱
    ――見番横丁に
  2. 麻雀 一発
  3. ▶「違法駐車はレッカーで移動〇/牛込警察(署)」
  4. (最高速度)高中速度
  5. ▶電柱看板「外科 小児科 斉藤医院」「加(藤)産婦人科
  6. (菊)正宗 青柳寿司 ★サッポ(ロビール) し青柳寿
  7. (そ)ばところ 神楽坂 丸屋 生蕎麦
  8. 丸岡陶苑 DC UC
  9. (消火栓)丸岡陶苑
  10. タイヘイゴルフ
  11. ▶電柱看板「洋傘 ショール 帽子 ヤマダヤ」。
  12. (ヤマ)ダヤ
  13. フルーツ パーラー ジャウト(ー)ヤ
  14. 神楽坂通り/美観街
    ――三つ叉通り
  15. 宮坂金物店
  16. ▶電柱看板「 フクヤ」
  17. 三菱銀行
  18. 遠くに「協和銀行」
  1. (歩行者横断禁止)
  2. 縞模様のテント(赤と黄色 神楽坂青果店)
  3. (消火栓)火災警報器
    ――芸者新道へ続く路地
  4. 鮨どころ(二葉
  5. カバーマーク(美容品)(ニューマヤ美容室)
  6. 積まれた布団(フトン関商店)
    (数店おいて)
  7. 清酒〇〇〇 鳥忠
  8. 日邦工〇(宮坂ビル)
    ――本多横丁へ
  9. 仐(近江屋履物店)

▶は歩道上で車道寄りに広告がある
▶がない場合は直接店舗に

住宅地図。1976年

神楽坂1丁目(写真)昭和48年 ID 8799とID 8800

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8799とID 8800は、昭和48年(1973年)2月、「牛込見附」(現、神楽坂下)交差点近くから神楽坂1丁目などを撮ったものです。ID 8800はID 65と同じです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8799 神楽坂入口

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8800 神楽坂入口

 有楽町線「飯田橋駅」が開通する予定で、そのため道路を開削し、上に鉄板を置いています。埋め戻しは開業後です。
 大きな左向きの矢印は坂下から坂上までの一方通行を示し、街灯は円盤形の大型蛍光灯で、途中に標識「神楽坂通り」がいくつもあります。電柱の上には大きな柱上変圧器があり、また標識「神楽坂通り/美観街」(カラー写真)が左右に1本ずつできています。休日の歩行者天国(ホコテン)も始まり、バリケード看板「歩行者道路 日曜祝日の12~18 牛込警察署」があります。警官が写っていて「ひょっとするとホコテンのスタート時の写真かも」と地元の方。

神楽坂1~2丁目(昭和48年)
  1. 牛込見附。(車両通行止め)。歩行者専用道路 自転車を除く 日曜祝日の12-18。
  2. 電柱看板「斉藤医院
  3. パチンコ ニューバリー。「新装開店/73年最新型/第一号登場/ゆっくり打って(牛年)/大きく取ろう。出たら/どうにも止らない機械!!」
  4. ニューバリー屋上に「ウル」と矢印がある。これはイーグルボウルで、ID 68に詳しい。
  5. フルーツパーラー 田原屋
  6. 電柱看板「鮨・割烹 八千代鮨」(本多横丁にある)。
  7. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  8. 中華料理 信華園
  1. (一方通行)。(車両通行止め)。歩行者専用道路 自転車を除く 12-18。
  2. 足袋・Yシャツ「赤井商店
  3. 「カレーショップ ボナ」
  4. (白十字医院)
  5. 地下鉄入口の建築中のためこの時点では山田紙店はなくなっている。
  6. (消火栓)
  7. FUJIYA 不二家洋菓子。不二家 コーヒーショップ。ウロコ張りの洋館風。店の横が見えている
  8. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  9. 突き出し看板「あんみつ 紀の善」切妻の屋根
  10. 白く光るのは理容バンコックのサインポール
  11. 上で「喫茶 軽い心
    3,4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック
    一階で ハッピージャック
  12. 山一薬品
  13.  看板「パチンコはマリー(で)」
  14. ニューイトウ(靴)
  15. 坂(喫茶)
  16. 陶柿園がビルに。1年前の昭和47年(1972年)3月に完成した。
  17. 喫茶  クラウン
  18. ルナ美容室」は「神楽坂ビル」に。1969年2月完成。
  19. 「菱屋」も高層ビルに。竣工は昭和42年か

地蔵坂(写真)藁店 昭和49年 田口重久氏

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和49年(1974年)12月21日の写真を上げます。坂の左側は神楽坂5丁目が主で、右側は袋町が主です(地図は下にあります)。歩道はあり、下水は道路の側溝を流れ、また坂が登りになると車道は滑り止めのオーリングを使って施工しました。自動車は対面通行でした。電柱の上には細い柱上変圧器もありますが、大きなものもありました。街灯は、恐らく水銀灯でしょう。。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂下から 05-10-46-01

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂下から 05-10-45-03 1974-12-21

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂下から 05-10-45-011974-12-21

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂上から 05-10-45-02 1974-12-21

地蔵坂(藁店)昭和49年
  1. 鮒忠 ご宴会場
  2. 電柱看板「加藤産婦人科
  3. 電柱看板「神楽坂皮膚科
  4. (理髪 モリワキ)
  5. 小林石工店
  6. 電柱看板「産婦人科 内科 外科 小児科 斉藤医院」「日本出版クラブ
  7. 電柱看板「神楽坂皮膚科」
  1. 「新たに知識を御届けする 芳進堂」
  2. あかつき(料理)
  3. 裏を向いた道路標識が一杯
  4. 電柱看板「神楽坂皮膚科 神楽坂6ー21」
  5. 電柱看板「すき焼 恵比寿
  6. 人が一杯、並んでいるのは「八百美喜」。店頭の対面売りで店には人を入れませんでした。
  7. 電柱看板「理髪 モリワキ 入口← 袋町3 」「ワイシャツ 大売出し/12月2~3日メーカー〇品」
  8. 旅館 竹兆
  9. 電柱看板「 倉庫完備 取扱丁寧 大久保 この↑さき 袋町4」

1976年。住宅地図。

神楽坂皮膚科 神楽坂6丁目21です。朝日坂に反対する場所

地蔵坂(写真)藁店 昭和54年 ID 79、80、81、82

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 79、80、81、82は、昭和54年(1979年)、地蔵坂(藁店わらだな)を撮ったものです。左側は神楽坂5丁目が主で、右側は袋町が主です(地図は下にあります)。自動車は対面通行でした。右側は駐車場に使っていて、歩道はどうも左側だけだったと思います。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 82 地蔵坂

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 81 地蔵坂付近

地蔵坂(藁店)
  1. 中華料理 太一
  2. 「(コー)ヒーパブ (海)賊)」、自販機「コーヒー」、看板「かいぞく」
  3. 「理髪 モリワキ」。森脇トコヤは六角形が中で回る「理容看板」
  4. その隣の工事中は「石鐵ビル」。築年月は1979年3月。「石鐵」は小林石工店の屋号
  5. 電柱看板「斉藤医院
  1. 白菜やレモン箱などが一杯になったトラック「八百美喜」。「商品は箱積みのまま、列に並んだ客が『〇〇ちょうだい』『きょうは何が安い?』と声を掛けて出してもらう昔ながらの売り方。”安い八百屋”で通用する人気店だった」と地元の方。
  2. CAFE CHARLIE BROWN
  3. 1棟(すずらん荘)
  4. 電柱看板「理髪 モリワキ←」
  5. 松竹荘
  6. 1棟(割烹 佳)
  7. 旅館 竹兆
  8. 工事中(カワイビル)。菅沼、芳沼、原、丸山という盛り土の4軒のうち1軒(菅沼)でカワイビルができました。築年月は1979年3月。
  9. 傾斜地で盛り土に。この先を右に曲がったところがID 79と80。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 80 坂道

 ID 79とID 80の資料名は「住宅」と「坂道」だけです。しかし、ここは地蔵坂(藁店)を上がった場所なのです。歩道はここも左側だけです。ID 80の地面でオーリングはよく見えます。
 トーンカーブを行うと、塀がはっきり見えるようになります。こうやって浮かび上がった塀(板3枚とコンクリートが見えます)はID 79の塀とそっくりです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 79 住宅

1978年。住宅地図。

 菅沼、芳沼、原、丸山という盛り土の4軒のうち1軒(菅沼)でカワイビルができました。

1990年。住宅地図。

神楽坂1丁目(写真)昭和48年 ID 65、66

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 65と66は、昭和48年(1973年)2月、牛込見附(現、神楽坂下)交差点から神楽坂1丁目などを撮ったものです。大きな左向きの矢印は坂下から坂上までの一方通行を示し、街灯は円盤形の大型蛍光灯で、途中に「神楽坂通り」の標識があります。電柱の上には柱上変圧器があり、「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつできています(カラー写真)。また、休日の歩行者天国が始まり、バリケード看板「歩行者道路 日曜祝日の12~18 牛込警察署」が出ています。なお、ID 65は「神楽坂入口から坂上方向」でも細かく見ています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 65

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 65 神楽坂入口から坂上方向。昭和48年2月。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 66 神楽坂入口付近から坂上方向

神楽坂1丁目(昭和48年)
  1. 有楽町線。将来の「飯田橋駅」。道路を開削、上に鉄板。埋め戻しは開業後。
  2. 看板「歩行者道路 日曜祝日の12~18 牛込警察署」
  1.  牛込見附  (車両通行止め)。歩行者専用道路 自転車を除く 12-13。
  2. 電柱看板の斉藤医院
  3. パチンコ ニューバリー。
  4. 電柱看板の(質)大久保質屋
  5. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  6. 中華料理 信華園
  1. (一方通行入口)。(車両通行止め)。歩行者専用道路 自転車を除く 12-13。
  2. 足袋・Yシャツ「赤井商店
  3. 「カレーショップ ボナ」
  4. (白十字医院)
  5. 地下鉄入口の建築中のためこの時点では山田紙店はなくなっている。
  6. FUJIYA 不二家洋菓子。不二家 コーヒーショップ。ウロコ張りの洋館風。店の横が見えている
  7. あんみつ。紀の善。切妻の屋根
  8. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  9. 白く光るのは理容バンコックのサインポール
  10. (右折以外進行禁止)(区間内)
  11. 上でビル「軽い心
    3,4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック
  12. 山一薬品
  13. パチンコマリー
  14. ニューイトウ(靴)
  15. 坂(喫茶)
  16. 陶柿園がビルに。1年前の昭和47年(1972年)3月に完成した。
  17. 喫茶  クラウン
  18. ルナ美容室」は「神楽坂ビル」に。1969年2月完成。
  19. 「菱屋」も高層ビルに。竣工は昭和42年か前年末。

昭和40年代の神楽坂(写真)

文学と神楽坂

神楽坂 加藤倉吉氏作の銅版画『神楽坂』(昭和47年)(植村峻氏『日本紙幣肖像の凹版彫刻者たち』、2010年)

  1. 看板「神楽坂通り」
  2. 街灯の途中から斜めに筒が出ていて、季節ごとに飾りや旗を差し込む。この時期は餅花みたいなものを飾っている。そこからぶら下がった提灯が割れてしまったように見える。
  3. 「山田」紙店
  4. 街灯
  5. FUJIYA 不二家洋菓子
  6. FUJIYA コーヒーショップ
  7. 不二家洋菓子
  8. おしるこ 紀の善
  9. 床屋のサインポール。2階が理容バンコック
  10. 1階がテーラー和田屋。
  11. 軽い心
  12. 神楽坂通り
  13. 美観街
  14. 文字のない飾り
  15. 街路灯に看板の「神楽坂通り」
  16. 軽い心
  17. 山一薬品
  18. 街路灯に看板の「神楽坂通り」
  19. 陶柿園
  20. パチンコマリー
  21. 菱屋
  22. MAXFACTOR(さわや)
  23. ニューイトウ(靴)
  24. 柱上変圧器
  25. (カネ)ボウ毛糸(ダイヤ)モンド毛糸 特約(店)。大島糸店
  26. うなぎ/割烹 志満金

神楽坂入口から坂上方向 新宿歴史博物館 ID 65

昭和48年2月。神楽坂入口から坂上方向。新宿歴史博物館 ID 65 から

  1. 赤井商店
  2. カレーショップ ボナ
  3. ここと4の間に山田紙店があるはずだが、この時は地下鉄出口の建設中。
  4. 不二家洋菓子。ウロコ張りの洋館風。店の横が見えている
  5. 紀の善。切妻の屋根
  6. 理容バンコックのサインポール
  7. 3F 麻雀 桜。2F 喫茶室 軽い心。1F パブ ハッピージャック
  8. 神楽坂通り。美観街。文字のない飾り。
  9. 牛込見附
  10. 昔は段差が見えた
  11. 質。大久保質屋。神楽坂仲通りにあった質屋
  12. 斉藤医院。小栗横丁と見番横丁、神楽坂通りで囲んだ医院(下図)。なお、神楽坂4丁目8番地の斉藤医院は戦前にはありましたが、戦後はなくなっています。

    1970年 住宅地図

  13. パチンコ ニューパリー
  14. 将来の有楽町線「飯田橋」。道路を開削し、上に鉄板。埋め戻しは開業後。





神楽坂、坂と路地の変化40年(2)|三沢浩

文学と神楽坂

 『神楽坂まちの手帖』第10号(2005年)に建築家の三沢浩氏が小栗横丁を主体として書いています。氏は1955年、東京芸術大学建築科を卒業し、レーモンド建築設計事務所に勤務。1963年、カリフォルニア大学バークレー校講師。1966年、三沢浩研究室を設立、1991年、三沢建築研究所を設立しました。なお、(1)(3)も引用可能の分量に限って引用します。

神楽坂、坂と路地の変化40年

 小栗横丁は20数年の間、自宅からの通勤路だった。だから最近のこの道の変遷には、驚きひとしおである。神楽坂に外堀通りから入り、理科大への田口生花店の角を左へ、そして古い石垣と志満金厨房の間を右に入る。そこから始まり、突き当たりの西條歯科で終わるゆるいカーブの続く、200m余の路地が小栗横丁と呼ばれる。石垣の所に元禄時代1700年頃の、江戸切絵図に小栗五大夫の屋敷が見える。文政の1800年代には、西條歯科の斜め前の丸紅若宮寮の場所にも小栗仁右衛門とあり、これも路地に名を残す一因ではなかったか。
 左側の神楽坂2丁目22番に、泉鏡花明治38年まで4年間住み、並びの家北原白秋明治42年まで、2年間住んだことになっている。「からたちの花」はここで生まれたのかどうか。今は理科大附属の外人教師館だが、以前は石段の上に平屋の板張り小住宅が、草花やつりしのぶに囲まれてひっそりとあり、中からクラシック音楽が流れ出ていた。右の細い路地、夏日写真館の脇を抜けると神楽坂で、入口にガス灯つきの石の門があった。


ひとしお 一入。ほかの場合より程度が一段と増すこと。何か特別な事情や理由があって一段と程度が増していること。

小栗横丁。1983年。住宅地図

外堀通り 皇居のまわりを一周する最大8車線の都道。
理科大 東京理科大学。新宿区神楽坂一丁目に本部を置く私立大学
田口生花店 正しくは田口屋生花店
志満金厨房 志満金はうなぎ割烹を主にする日本料理。厨房とはその調理室のこと
西條歯科 最西部にある歯医者
江戸切絵図 江戸時代から明治にかけてつくられた区分地図。

元禄と文政。新宿区教育委員会『地図で見る新宿区の移り変わり』昭和57年から

丸紅若宮寮 大手総合商社丸紅株式会社の共同宿舎。2001年には依然開設し、2010年には終了しています。
明治38年 泉鏡花旧居跡では、明治36年3月から明治39年7月まで住んでいたとのこと。この「泉鏡花・北原白秋旧居跡」は泉鏡花の旧居だといいます。
並びの家 道などの同じ側。神楽坂2丁目22番はかなり大きな場所です。その2軒に泉鏡花氏と北原白秋氏の2人がいたわけです。おそらく別の家に住んでいたのでしょう。

神楽坂2丁目。東京市区調査会「地籍台帳・地籍地図 東京」(大正元年)(地図資料編纂会の複製、柏書房、1989)

明治42年 北原白秋旧居跡では、明治41年10月末から明治42年10月まで住んでいたとのこと。
からたちの花 大正13年、「赤い鳥」で詞を発表。歌詞は「からたちの花が咲いたよ/白い白い花が咲いたよ/からたちのとげはいたいよ/靑い靑い針のとげだよ/からたちは畑の垣根よ/いつもいつもとほる道だよ/からたちも秋はみのるよ/まろいまろい金のたまだよ/からたちのそばで泣いたよ/みんなみんなやさしかつたよ/からたちの花が咲いたよ/白い白い花が咲いたよ」
外人教師館 地図によると「東京理科大学神楽坂客員宿舎」(右下)。その後、新宿区若宮町に移動しました。

1996年。住宅地図

つりしのぶ 釣り忍。竹や針金を芯にして山苔を巻きつけ、その上にシノブの根茎を巻き付けて、さまざまな形に仕立てたもの。
夏日写真館 以前は坂上を見て左側でした
ガス灯つき ガス灯つきの石の門に相当する門は思い出せないと、地元の人。下は商店会の街灯でした。

夏日写真館

 次の右折れの先は、藤原酒店と向き合って整美歯科、左は急坂を経ると加賀まりこさん宅へ抜ける。熱海湯前までは粋な飲食店が並び、そのうちの一軒は、やや広くなった通に店内から、客用の椅子を出して日向干し。この店の入口にはほぼ毎日、ふぐひれも干してあって、ひれ酒を誘った。熱海湯右の石段を登れば斉藤医院、突き当たりは履き物の「助六」の裏庭で、いつも池への水音が優雅。熱海湯前には煉瓦の階段がゆるく登る、手すりつきの路地があって、突き当たりには桜の古木が、すばらしい花を見せた。
 さてこれから突き当たりまでが、小栗横丁の舞台。右側は黒塀が続いて、名だたる料亭があった。まず喜久月、続いて鷹の羽、その裏に接して重の井。重の井の入口は若宮八幡の通りで右に折れ、坂を登った突き当たりが、このあたりに君臨していた松ケ枝となる。もちろん小栗横丁ではないが、道の左右には仕出屋芸妓置屋があった。

1973年、住宅地図

斉藤医院

整美歯科 以前は「正しくは臼井歯科では? 非常に短命に終わった整美歯科か、名前だけを間違えて正しくは臼井歯科だったのでしょう」と書きましたが、しかし、昭和42年の『新修新宿区史』を見ると、整美歯科は確かにあったようです(参照は「新修新宿区史」で左端の電柱広告を)。
加賀まりこ かがまりこ。女優。生年は1943月12月11日。千代田区神田小川町に生まれ、神楽坂2丁目で大きくなった。フジテレビの『東京タワーは知っている』でデビュー。和製ブリジット・バルドーとも。
若宮八幡 鎌倉時代の文治五年秋、若宮八幡宮を分社した。図の「若宮町」よりもさらに南に存在。「出羽様下」通りと同じ。
仕出屋 注文に応じて料理をつくり届けることを業とする家
芸妓置屋 芸妓を抱えて、料亭・茶屋などへ芸妓の斡旋をする店。芸妓屋。芸者屋。置屋。

 ある夕刻、この道筋を帰ってきたが、花屋から石垣の角を曲がるあたりで、脂粉の香がひと筋流れているのを感じた。この小路は巾2~3m、しかも大きくカープしながら、時にはねじれるように曲がって先が見通せない。しかも次第にゆるく登る。脂粉の流れは左右に消えることなく、家並みに沿って続いていたが、熱海湯先で消えた。料亭には置き塩のある格子戸の入口と、黒塀にとりつけた小さな木戸がある。どの入口に入ったものか。
 その格子戸を開けると、打ち水された坪庭、黒松が枝を延ばし、玄関は右か左に90度折れた所にあって、格子戸越しには全貌は見えないのが常。玄関の式台を上がると、右に折れて次の間、また90度折れて座敷に近づく。狭い敷地に小栗横丁から入り、奥行きを深くするための、日本流の入り方がそこに残っていた。植え込みに遣り水踏み石灯龍に灯、粋な庭には朝から手入れをする仲居さんの姿があり、一本ずつ格子を磨くのも仕事のうち。夕刻ともなると、ある入口には一流製鉄会社の黒い背広連、別の料亭では横山隆一等の漫画集団の姿も見た。三味線の高鳴る黒塀からは、経理関係の組合などが溢れ出したり。

脂粉 しふん。紅とおしろい。
次第にゆるく登る ノエル・ヌエット氏が描いた「若宮町」も上にのぼっています。この絵画もここでしょうか。

若宮町。ノエル・ヌエット作。1946年。画集「東京」から

現在の神楽坂2丁目から若宮町に

置き塩 盛り塩。もりしお。塩を三角錐型や円錐型に盛り、玄関先や家の中に置く風習。縁起担ぎ、厄除け、魔除けの意味があります。
格子戸 格子を組んで作った戸。
木戸 街路、庭園、住居などの出入口で、屋根がなく、開き戸のある木の門。
打ち水 ほこりをしずめたり、涼をとるために水をまくこと。
坪庭 建物と建物との間や、敷地の一部につくった小さな庭。
式台 玄関の土間とホールの段差が大きい場合にその中間の高さに設けられる横板
遣り水 やりみず。水を庭の植え込みや盆栽などに与えること。
踏み石 通常は、玄関や縁側などにある、靴を脱ぎておく踏み台のような石。日本庭園にある飛び石。
灯龍 とうろう。日本古来の戸外照明用具。竹,木,石,金属などの枠に紙や布を張って,中に火をともす。
仲居 旅館や料亭などで客の接待をする女性。
横山隆一 漫画家。第2次世界大戦後『毎日新聞』に『フクちゃん』を1956年~71年まで連載。生年は1909年5月17日、没年は2001年11月8日。享年は満92歳。