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研究社(写真)昭和51年 ID11484-11486

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11484~11486は、昭和51年(1976年)、神楽坂1丁目の外堀通り沿いにあった研究社の印刷部を撮った写真です。
 1927年(昭和2年)12月、研究社の神楽坂印刷工場(地下1階、地上4階)として完成し、第2次世界大戦は生き延びて、昭和59年にもありましたが、同年、新座市野火止にあった工場に印刷部門の本社が移転。解体され(ただし解体の正確な時期は不明)、昭和61年2月に隣の社屋と一体で「研究社英語センタービル」として新しく完成、現在に至っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11484 神楽坂 研究社

 上のID 11484では建物の北東方から撮影した印刷工場です。そばの道路に「駐車禁止」があります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11485 神楽坂 研究社

 ID 11485は入り口のアップです。社名は戦前の右書きで「社究研」。向かって右の門灯は失われています。その下の銘板は読めませんが、戦前の写真には見えないものです。前の路上の会社員風2人はネクタイがなく、半袖らしいワイシャツを着ています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11486 神楽坂 研究社

 ID 11485は向かって左に、戦後に建てられた研究社の新館があり、旧館との間に渡り廊下のような屋根が見えます。新館には垂れ幕「建国200年アメリカの核心を衝く! 総合 アメリカ 全7巻 絶賛刊行中! 研究社」があります。旧館の右奥の建物は東京理科大学です。
 電柱広告は「〇〇部医院」と読めます。外堀通りを照らす道路灯はあかあかと光っていますが、歩道の街灯は消灯して、撮影したのは夕方でしょう。
 ID 12201~12203のカラー写真も同じなので、同時期の撮影と思われます。

神楽坂4丁目、5丁目(写真)昭和51年 ID 11482

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11482は、昭和51年、神楽坂4丁目から当時の神楽坂交差点(現、神楽坂上交差点)方向を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11482 神楽坂

 車道はアスファルト舗装で、次に側溝、縁石があり、車の渋滞はかなり長くなっています。歩道もアスファルト舗装で、看板「まず徐行 あそこに子どもとお年より 牛込警察署」が見えます。街灯は大きな円盤形で、下に「神楽坂通り」、さらにその下に数本の木と人工的な葉があり、また電柱の上には柱上変圧器があります。半袖の人が多いので夏、逆転式一方通行の向きから午後1時以降でしょう。

神楽坂4~5丁目(昭和51年)
  1. 善国寺。4角柱?などが見える部分は児童遊園
  2. レストラン フル(ーツ) 田原屋
  3. パチンコ おおとり
  4. 甘なっと 五十鈴
  5. やきとり(殿)堂 鮒忠
  6. 藁店に入る道のカーブミラー
  7. (中)河電(気)
    ここまで5丁目。ここから6丁目
  8. 遠くに協和銀(行)
  1. 福屋不動産
  2. (毘沙門)せんべい(福屋
  3. 神占 思召し/(福屋ビルテナント「神楽大国」)
  4. (事務用)品(福田屋文具店)
  5. 紳士服(テーラー島田)
  6. 尾)沢薬(品)(ク)ス(リ)尾沢
    ここまで4丁目。ここから5丁目
  7. 工事中(神楽坂コアビル 1978年4月竣工)
  8. 路上に積み荷(魚金鮮魚店)
  9. (か)やの木
  10. (第一勧業信用)組合
  11. (消火栓)

神楽坂まっぷ。1985年

住宅地図。1976年

善國寺(写真)昭和51年 ID 11481

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11481は、昭和51年、毘沙門天善國寺やスゴオ洋菓子店仮営業所などを撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11481 神楽坂 善国寺前 スゴオ洋菓子店仮営業所

 善国寺は昭和20年5月25日夜半から26日早朝にかけて大空襲で焼失、昭和26年、木造の毘沙門堂が再建し、昭和46年に今の本堂を建てています。したがって、昭和51年には現在の本堂ができてから5年目になりました。
 左奥には毘沙門横丁という道路があります。車道はアスファルト舗装で、歩道はありません。続けて、側溝、縁石です。
 毘沙門横丁に面して善国寺の脇門があり、大きな鉄枠の門扉が横に開く構造になっています。ここは境内をイベント会場や臨時の駐車場に使う時の入り口です。現在も同じ場所に脇門がありますが、この写真当時より幅が広くなっています。
 境内のスゴオ洋菓子店仮営業所は、ID 9911の竹谷電気工事の仮店舗と同じ建物のようです。続けて利用したのかも知れません。
 スゴオ洋菓子店は4丁目、三菱銀行前にありました。ID 6338(1958年)には古い店舗の看板「純フランス菓子ス(ゴオ)」が見えます。また1977年のTVドラマ「気まぐれ本格派」第10話には新築したビルの1階店舗「洋(菓子) ス(ゴオ) COFFEE」が映っています。この写真の1976年頃は新ビルが完成間近だったと思われます。

楽山旧店舗とスゴオ洋菓子店(後の英和ビル)(TVドラマ「気まぐれ本格派」第10話から。1977年)

 ID 89(1979年)でもスゴオが確認できます。現在はこのビルも取り壊され、隣の楽山と一緒の「楽山ビル」の一部になりました。

神楽坂5丁目(昭和51年)左→右
  1. 電柱1本。上から電柱看板「料亭 松ヶ枝」、蛍光灯、看板「 大久保」、「神楽坂3-7」
  2. 掲示板。上に横書き5文字(ID 8247によれば「新宿区役所」) 、脇に縦書き8文字(「箪笥町特別出張所」か)
  3. 奥に善國寺
  4. 善国寺の脇門。模様はない。
  5. 車両進入禁止マーク。「自転車を除く」
  6. 女性の顔に一見みえるが、多分違う。電気の盤かな?
  7. 石囲いはここで終わり…
  8. 毘沙門天の境内で、スゴオ洋菓子店 仮営業所 洋菓子のスゴオ。店内にはショーケースと化粧箱、右端に人影
  9. 「ゴ」の上に円盤形の境内灯

神楽坂6丁目(写真)昭和51年 ID 9907-9908

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9907~ 9908は、昭和50年(1975年)か昭和51年(1976年)に神楽坂6丁目を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9907 神楽坂

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9908 神楽坂

 車道はアスファルト舗装で、続けて、側溝、縁石、ガードパイプが付いた柵、歩道は無地のアスファルト舗装です。電柱の上には柱上変圧器があります。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯ですが、蛍光灯の下部に逆円錐型のランタンがあり、さらに下に「神楽坂 商栄会」があります。神楽坂商栄会は6丁目の商店会で、神楽坂商店街振興組合(昭和58年設立)の前身です。
 街灯からは枝1本が出て、数本の枝に変わり、最後に沢山の紅葉の造花になります。また、おそらく都道の街路灯でしょうか、ナトリウム灯と思えるものが、より高い場所にあります。
 さらに、道沿いに、ほかの街灯よりは低く、しかし人間の頭よりは高い、神社の参道をイメージした春日灯籠もあります。

神楽坂6丁目(昭和51年)
  1. ブリヂストン エバーソフト UC (丸藤フトン店)
  2. 中華料理 宝竜
  3. (カネボウ化粧品のマーク)
  4. 〇〇用品
  5. 神楽坂武蔵(野館)
  1. かのこ美容室
  2. ルサール靴店 JCB 日本(信販)
  3. ニットコレクション マリーノ
  4. 閉店中 コカコーラの路上看板
  5. 白鷹 木(村)屋 木村屋
  6. ドライクリーニング せんせい舎
  7. 白鷹
  8. (消火栓)
  9. 協和銀行

住宅地図。1976年

神楽坂6丁目(写真)赤城神社入口 昭和51年 ID 9905-9906

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9905~ 9906は、昭和50年(1975年)か昭和51年(1976年)に神楽坂赤城神社入口を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9905 神楽坂赤城神社入口

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9906 神楽坂赤城神社入口

 車道はアスファルト舗装で、続けて、側溝、縁石、ガードパイプが付いた柵、歩道は無地のアスファルト舗装です。電柱の上には柱上変圧器があります。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯ですが、蛍光灯の下部に逆円錐型のランタンがあり、「神楽坂 商栄会」とあります。神楽坂商栄会は6丁目の商店会で、神楽坂商店街振興組合(昭和58年設立)の前身です。
 街灯からは紅葉の造花が沢山ついた枝が斜めに出ています。街灯とは別に、高い場所にナトリウム灯と思える、おそらく都道の街路灯があります。
 さらに、道沿いには、ほかの街灯よりは低く、しかし人間の頭よりは高い、神社の参道をイメージした春日灯籠が並んでいます。
 写真の右、建物の階段を下から見ています。音楽之友社の本社で、階段の上が入り口でした。階段の様子はID 90で分かります。

神楽坂6丁目(昭和51年)
  1. ぶてっくちよ
  2. 神楽坂専売所 サンケイ新聞 日本工業新聞 中  佳作座(上映作品のポスター)
  3. 珈琲専門店 珈琲館 珈琲館の古い◷マーク
  4. (でんわ)☎でんぽう たばこ 内容不明の吊り看板
  5. 直輸入 木彫工芸品 人形ケース
  6. 電柱看板「岡本衣裳店」
  7. 耳鼻咽(喉科)
  1. 赤城神社入口
  2. (消火栓)と看板「〇〇徽章」
  3. →(ベルモンド)
  4. 東京都教育会館→ (赤城神社となり 現・東京都教育庁神楽坂庁舎)
  5. 提灯4つが高く
  6. フォルテーヌ(珈琲)
  7. (地)下鉄 (神楽坂)駅
  8. 〇〇センター

住宅地図。1976年

神楽坂1丁目(写真)戦前からの研究社、昭和51年、ID 12201~03

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12201~12203は、昭和51年(1976年)、神楽坂1丁目の外堀通り沿い、研究社を撮った写真です。ID 12201は右に「理大 薬学部」が写っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12201 神楽坂 研究社

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12202 神楽坂 研究社

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12203 神楽坂 研究社

研究社。1973年。住宅地図。

 研究社は英語関係の伝統ある出版社で、1907年(明治40年)1月月に英語研究社として千代田区富士見で設立。1927年(昭和2年)12月に神楽坂印刷工場(地下1階、地上4階)が完成しました。

戦前の研究社。都市製図社製『火災保険特殊地図』(昭和12年)

 第2次大戦後の昭和22年に研究社出版が設立され、研究社印刷とは分かれます。研究社出版は富士見町2丁目、研究社印刷は神楽坂1丁目を本社としていました。昭和40年3月から昭和57年まで、研究社(辞典部門)と研究社出版(書籍・雑誌)は神楽坂に同居しました。


 現在は研究社に社名を戻して本社は千代田区富士見にあります。神楽坂の旧ビル跡には賃貸ビルを兼ねた「研究社英語センタービル」(昭和61年2月完成)を建てました。また研究社印刷は工場のある埼玉県新座市に本社を移転し、2022年3月31日に廃業することを発表しました。

現在の研究社。Google

 では、昭和51年(1976年)に、新宿区はなぜID 12201-12203の写真を撮影したのでしょうか。

 まず研究社では……
  1969(昭和44)年「英語表現辞典」
  1974(昭和49)年「アメリカ古典文庫」(全23巻)
  1976(昭和51)年「現代の英文法」発刊
 これ以外には何も書いていません。
 ウィキペディア(Wikipedia)では……
  1967年 創立60周年。「新英和中辞典」
  1968年 「英語歳時記」全5巻
  1975年 大橋健三郎・斎藤光・大橋吉之輔編『総説アメリカ文学史』
  1977年 小酒井益蔵死去、植田虎雄が社長となる。
      「英文解釈教室」(伊藤和夫)
 研究社印刷株式会社については……
  1919年(大正8年)研究社の印刷所として英文図書刊行に備え九段中坂に組版工場設立
  1920年(大正9年)牛込区神楽坂に印刷工場新設
  1924年(大正13年)改築の為一時飯田町に移転
  1927年(昭和2年)神楽坂印刷工場完成

 1907年に小酒井五一郎氏が英語研究社を設立してから69年になりますので、創立70周年には1年早すぎます。また、神楽坂印刷工場が昭和2年に完成してからは49年間でした。直接、新宿歴史博物館に聞いたところ、理由はわかりかねますとのこと。
 しかし、わかりました。地元の方が、戦前の研究社印刷と戦後のものが、全く同じだといったのです(下図)。よく似ているのではなく、本当に同一でした。これは戦前からの焼け残りでした。なるほど。この一棟がやがて消滅するのは残念ですが、だから写真にとったのですね。せめて明治村などに売れればよかったのに。あ、これは昭和2年の建物だった。