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神楽坂|伏見火防稲荷神社

文学と神楽坂

 さて次に行きましょう。現在路地の右手に小さな稲荷神社があります。場所はここ
三叉路

 これが伏見ふしみ火防ひぶせ稲荷いなり神社です。

組合神社

 神社人(日本を楽しむ神社ファン・コミュニティサイト)によると総本社は伏見稲荷大社(京都府京都市伏見区)。ご祭神は、御魂みたま神。生産の神/五穀豊穣の神。商売繁盛、五穀豊穣などを祈願。参拝形式は、二拝二拍一拝。 つまり火の手から守ることです。
 もう少し近くに行ってみましょう。

神楽坂組合

 こうすると東京神楽坂組合(芸者の組合)や料亭松ケ枝などの名前が出ています。

 つまりこの小さな稲荷神社は東京神楽坂組合の祈りや希望もたくさん入っているんですね。

 実際に芸者さんが稽古に行ったりお座敷を行き帰りにお参りをしていくこともあるようです。

 次は見番横丁です。

神楽坂の通りと坂に戻る場合は

料亭「松ヶ枝」(昔)|神楽坂5丁目

文学と神楽坂

 今ではなくなってしまいましたが、神楽坂5丁目に佇む大料亭「松ヶ枝(まつがえ)」がありました。現在はマンションです。場所はここ
『ここは牛込、神楽坂』第8号で筆者(おそらく編集長の立壁正子氏)は「ありし日の料亭『松ヶ枝』のこと」を書き、

 設計したのは神楽坂六丁目の木村建築事務所の故木村兵吉氏。
「これが取り壊されたとき、昔を知る者としては涙が出る思いでしたよ。まさに強者(つわもの)どもが夢の跡という感じで」 と、開口一番、事務長さん。
「この建物ができたのは、昭和二十八年で、その後二回ほど増改築して、二階に三十畳の広間ができたんです」
 それにしてもすごいスケール。広さは「駐車場も含めて四百坪」。幾つかの棟が廊下で結ばれているところなど、平安時代の寝殿造りを思わせるが……。(中略)
 この渡り廊下の床板が木琴のように横に何枚も敷かれていたというが「あれは作曲家の古賀政男氏のアイデア」だったとか。一方では、こんな有名人の遊びもあったのだ。
「庭には立派な池もあって、その池の中に張り出した釣殿みたいな座敷があってね。池には橋が架かっていて、鯉もいたけど、あれは確か……」
 と、ここで、今 は亡き元総理の名が…。

 恐らく田中角栄氏の名前が出たのでしょう。

 水野正雄氏は『神楽坂まちの手帖』第5号『花街・神楽坂の中心だった料亭「松ケ枝」』で、

「松ヶ枝がどんなに大きくて繁盛していたかは、下働きの女中だけで50人はいたことを話せば想像できるでしょう。下働きの女中さんというのは、料理もここで作っていましたから食器を洗ったり、掃除をしたり浴衣や敷布を洗濯したり。」

元松ケ枝のマンション

蕎麦の春月、蒲焼の橋本、松ケ枝、毘沙門天、田原屋

中央下が「松ヶ枝」

 創業者はお(たけ)さんで、創業は明治38年。お(たけ)さんは民主党の代議士・三木武吉の妾さんです。神楽坂で一番の料亭だといわれていました。

 ちなみに三木武吉代議士では一番有名なものはwikipediaの語りによれば

戦後、公職追放解除後の第25回衆議院議員総選挙では、選挙中の立会演説会で対立候補の福家俊一から「戦後男女同権となったものの、ある有力候補のごときは妾を4人も持っている。かかる不徳義漢が国政に関係する資格があるか」と批判された。ところが、次に演壇に立った三木は「私の前に立ったフケ(=福家)ば飛ぶような候補者がある有力候補と申したのは、不肖この三木武吉であります。なるべくなら、皆さんの貴重なる一票は、先の無力候補に投ぜられるより、有力候補たる私にと、三木は考えます。なお、正確を期さねばならんので、さきの無力候補の数字的間違いを、ここで訂正しておきます。私には、妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。5を4と数えるごとき、小学校一年生といえども、恥とすべきであります。1つ数え損なったとみえます。ただし、5人の女性たちは、今日ではいずれも老来廃馬と相成り、役には立ちませぬ。が、これを捨て去るごとき不人情は、三木武吉にはできませんから、みな今日も養っております」と愛人の存在をあっさりと認め、さらに詳細を訂正し、聴衆の爆笑と拍手を呼んだ。

 ただし、エピソードが違えばこの妾の数も違っています。

某日、演説中に「六人の妾はどうした!」と聴衆から野次られると、即座に「いや、六人ではなく正確には七人いるが、皆、キチンと面倒を見ているから御心配無用!」と切り返したというのは、あまりにも有名な逸話である。(浅川博忠『自民党ナンバー2の研究』(講談社文庫,2002年,p.185)

 元総理大臣田中角栄が芸者辻和子と逢っているのもここ料亭、松ヶ枝です。

つぎは
毘沙門横丁
神楽坂の通りと坂に戻って

神楽坂|東京神楽坂組合

文学と神楽坂

 伏見火防稲荷神社があり、次に「見番けんばん横丁」の標柱があります。この標柱には

見番横丁
Kenban-yokocho
芸者衆の手配や、稽古を行う「見番」が沿道にあることから名付けられた。稽古場からは時折、情緒ある三味線の音が聞こえてくる

と書いてあります。平成23年(2011年)12月22日に新宿区はここから図では左手の方向に見える路地を見番横丁という名前を付けました。 

青い標柱の裏の建物は、全く普通の建物ですが、これが見番を行う建物です。場所はここ。見番は検番とも書き、芸者衆の手配、玉代の計算などを行う花柳界の事務所や稽古場のことです。東京神楽坂組合の稽古場はこの上の建物になっています。

見番5

 少し左を見て、この建物も東京神楽坂組合の建物で、事務所に当たります。

 なお、東京神楽坂組合は田中角栄が建てた家としても有名ですね。
 ここで 熱海湯階段に行く場合は ここ
 見番横丁に行く場合は ここ
 伏見火防稲荷神社

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