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平田禿木|神楽坂

文学と神楽坂


 平田禿木(とくぼく)氏の『禿木随筆』(改造社、1939)です。氏は英文学者兼随筆家で、東京高等師範学校を卒業、30歳で英国オックスフォード大学に留学し、帰ってから、女子学習院、第三高等学校の教授を歴任、のちに翻訳に専心しました。

 この随筆を書いた年は昭和9年、61歳でした。

 神樂坂

 見附から見ると神樂坂は可成り急である。あの坂を見るたびに、自分はいつも羅馬の街を憶ふ。羅馬にはあゝした坂がとても多いのである、そして、登りつめたとこに、きまつてオベリスクの塔と噴水がある。自分が羅馬に遊んだのは桐の花散る初夏の候であつたが、その見物にあゝした坂を幾つも登つていくのに實に骨の折れたことを憶ひ出す。羅馬七丘の上に立つといふが、東京も髙臺が多いので、山の手となると坂道が多いのである。
 友達が矢來の交番近くにゐたので、自分はよく以前の神樂坂を知つてゐる。神樂坂は震災後ずつと繁華になつたらしい。菓子屋に壽徳庵船橋屋の名が見えるが、これ等は何れも河向ふ江東の老鋪で、あの折一時此處へ移つて来て、そのまゝ根城を据ゑたものであらうか。兩側に大抵の店が揃つてゐて、何でも手近で間に合ふやうである。自分は往日(むかし)日本橋東仲通り邊へ、東京の住居をおいたらうと思つたことがあるが、今ではあの邊はとてもごたごたしてゐ、それに、震災後の復興で、自分などにはまるで西も東も分らぬやうになつてゐる。矢來までの途中は相當賑やかであるが、ちよつと横町へ入ると、神樂坂は可成り靜かであるらしい。山の手のその靜かさと下町の調法さを兼ねてゐるとこは、廣い東京にも珍しいと思ふ。あすこの何處ぞの小さな煙草屋の店でも買つて、二階で物を書いたり、假名がきの書道の指南でもしたらと、今も時々思ふことがある。
 菓子屋には和洋のそれを賣る紅谷がある。あの窓に見る瀟洒なや趣向を凝らしたは、遺ひ物としても手軽で格好である。自分には何より嬉しい海産物の店も一二軒あるらしく、魚屋の店にも、季節には北陸の蟹が堆く積まれてゐる。客があつて、ちよつとお壽司を取つても、土地柄だけによい物をすゝめられると、 遞信省時代に中町に住んでゐた五島駿吉君の話であつたが、神樂坂は實に調法な處である。


オベリスクの塔

見附 現在「神楽坂下」という交差点は昔は「牛込見附」と呼びました。
羅馬 イタリアの首都、ローマです。
オベリスクの塔 古代エジプトの太陽の神を象徴する石柱。その形をした記念碑。欧米の主要都市の中央広場などにも建設、その地域を象徴する記念碑になっている。
桐の花 4~5月で紫色の花をつけます。右図。
ローマの七丘(しちきゅう) ローマの市街中心部からテヴェレ川東に位置し、ローマの基礎をつくった七つの丘。
河向う 川向こう。隅田川の東側。
根城 活動の根拠とする土地・建物
調法 ちょうほう。重宝。便利で役に立つこと。
假名がき 仮名で書くこと。一般には平仮名で書くこと。
 かご。竹で編んだかご。
 かご。服や食料を入れる、竹製の四角いカゴ)
遺い物 つかいもの。贈答品。贈り物。進物。
格好 ちょうどよい。適当。
五島駿吉 生年は明治15年(1881年)。郵便局長。鉱物学者。

 田原屋は銀座、日本橋邊の一流の店にも劣らぬ、優れた果物を賣る家らしく、そこの二階での洋食はあの邉の呼び物と聞いてゐるが、まだ試みたことはない。以前矢來の友達を訪ねると、いつもきまつて坂の途中を左へ入つた明進軒といふ家へ案内してくれた。雅樂寮伊太利人か、商大の佛蘭西人の肝煎りで店を出したとかで、そこの佛蘭西風の料理は下町でも味へないものであつた。近くにゐた英吉利の貴族名門出のチヤモレエ師なども、始絡パトロナイヅしてゐた。日本間の別室があつて、坐つてゆつくり食事の出來るのも嬉しく、そこには、これも來つけの人達と見えて、尾崎氏や齊藤松洲晝伯の色紙、短冊が懸つてゐた。
 この頃舊幕の旗本水野十郎左衛門邸跡三樂莊といふ料亭ができて、泉石の美を誇るその庭を見せるといふことで、暮近くなつたら一夕友達と年忘れでもしてみたい、それには何んとか、一應その樣子を探つて見ておかうと思つて、見附内の某大學へ客分として手傳ひに一 週二三囘出向いてゐるその歸るさ、或る日の午後、今講じて來たエリザ朝の花形サア・フィリップ・シドネーステラの歌の定本や、トッテル氏雑纂などの入つた重い包みを下げ、新聞の廣告で教はつた通り、牛込館の横を入つて行くと、待合や小料理屋がずらりと軒を並べてゐ、今日(けふ)何かの寄り合ひでもあるものか、見番の前には、近くの女將や主人、女中達が盛装して立ち列んでゐる。突き當つて訊いて見ると、坂を上つて右へ行き、それからまた後へ戻るのだといふ。その通り進んで行くと、住宅地のやうなとこへ出て仕舞つた。何だか狐につままれたやうな氣がしてゐるとこへ、小春日和に外套を着てゐたので、汗ばんでさへも來るのである。三樂莊といふのに日本料理、支那料理とのみあるのは、他の一つ場所柄だけに化生の者でも出て來るといふ謎か、水野邸とあるからには、幡隨院もどきに湯殿でやられでもしては堪らぬと、えつちらをつちらと、もと來た途を戻つて、表通りへ出て仕舞つた。

雅楽寮 ががくりょう。うたつかさ。律令制で宮廷音楽をつかさどった役所。明治維新後、宮内省式部職楽部(がくぶ))に改組し、1908年(明治41年)、現在の宮内庁に引継した。
肝煎り  きもいり。肝入り。双方の間を取りもって心を砕き世話を焼くこと。
伊太利、佛蘭西、英吉利 それぞれイタリア、フランス、イギリスのこと。
チヤモレエ 英国人宣教師ライオネル・チャモレー師(Lionel Berners Cholmondeley)。岩戸町25番地に住んでいました(右図)。
パトロナイヅ パトロナイズ。patronize。ひいきにする。後援する。
来つける きなれる。来慣れる。ふだんよく来て慣れている。通い慣れる。
尾崎 尾崎紅葉氏のこと。
斎藤松洲 さいとうしょうしゅう。日本画家。明治3年(1870)大阪生。鈴木松年の門に学び、特に俳画に長ずる。昭和9年(1934)存、歿年不詳。
三楽荘 場所はわかりません。次の段落では「三樂莊は横寺町にあるらしい」と書いてありますが、新宿区横寺町交友会の今昔史編集委員会『よこてらまち』(2000年)によれば、昭和10年頃の地図ではもう三楽荘はなくなっています。
泉石 せんせき。泉水と庭石。庭園。
帰るさ かえるさ。「さ」は接尾語。帰る時。帰る途中。かえさ。
サア・フィリップ・シドネー サー・フィリップ・シドニー(Sir Philip Sidney)。16世紀のエリザベス朝の英国の詩人、廷臣、軍人。
ステラの歌 原題『Astrophel and Stella』。英語で書かれた有名なソネット連作の最初のもの。
トッテル氏雑纂 リチャード・トッテル。Richard Tottel。当時のエリザベス朝詩のアンソロジー「歌とソネット」(1557)を編集、「トッテル詞華集」として知られるようになった。「雑纂(ざっさん)」とは雑多な記録や文章を集めることや、編集した書物。
見番 三業組合の事務所。三業組合とは料亭・待合茶屋・芸者屋の3業種をまとめていいました。しかし、この当時、見番は芸者新路にできていました。牛込館は藁店にできていて、この2つの場所は違います。
他の一つ 日本料理、支那料理に、他の料理があって、つまり、3つの料理があって初めて三楽という名前になる方が普通ではないでしょうか。
小春日和 晩秋から初冬にかけての暖かな日和。小春とは、旧暦十月の異称。
場所柄 藁店(わらだな)では化け地蔵が出たという言い伝えがありました。
化生の者 化けること。化け物。妖怪。
 三樂莊は横寺町にあるらしい。横寺町といふと、今からはもう何十年か前の夏、大野洒竹と一緒に同じ町のその居に尾崎紅葉氏を訪ねたことを憶ひ出す。洒竹のゐた谷中から二人乘の人力車(くるま)で神樂坂下まで來、それからぼつぼつ歩き出したが、盛夏のことでとても暑く、道を訊いてから、とある井戸端で水を汲んで汗を拭き、それから漸く探ね當てゝ案内を請ふた。早速二階の書齋へ通されて尾崎氏も直ぐ出て來たが、薄茶色の縮みの浴衣にメリンス兵古帶といふ服装(なり)で、いかにもさつぱりとしてゐたのは意外だつた。部屋も硯友社の他の人達のそれのやうに、箪笥に長火鉢をおいて、人形を飾つてゐるやうなことはなく、茶道具だけは紫檀の棚に載つてゐて、たぎらした湯を階下(した)から取り寄せ、主人自ら茶をいれるのであつた。
 その時、拭巾を取つて、額へ八の字を寄せながら、ぐいぐいと盆を拭くその姿が、今もありありと目に殘つてゐる。話はそれからそれと大分にはづんだが、小説のことになると、もう閉口だと、顏を曇らしてうつ向きになつたことを今に覺えてゐる。歸り際に、夫人もちよつと姿を見せられたが、いかにも靜かな、貞淑の方のやうに見受けられた。玄關には、「青葡萄」が讀賣へ出てから程經つてのことだから、秋聲氏や鏡花氏でなく、次の代の方々がゐたのだと思ふ。尾崎氏の訃は外遊中オックスフオードでこれを聞き、洒竹氏には歸つてから一度、築地本願寺で一葉さんの法事の折に逢つたぎりで、氏も早く他界して仕舞つた。
 肴町電車道を横切つて矢來近くへ來ると、右側に洋風の骨董を賣る小さな店や、萬年青や蘭、新春(はる)には梅の小型の盆栽を窓へ飾つてゐる家があり、交番近くへ來ると、左側に水盤や煎茶風の竹の花生けを賣つてゐる古い店があり、それ等を眺めながら、御苦勞にも自分は矢來下の停留場まで來て、そこから電車へ乘つて歸つて來る。その電車がいつも空いてゐて感じが好く、車掌までがのんびりして、親切だからである。(昭和九年十一月)

横寺町 新宿区の北東部に位置し、神楽坂に接する町。
谷中 東京都台東区の地名。下谷地域の北西に位置し、文京区(千駄木・根津)や荒川区(西日暮里・東日暮里)との区境にあたる。
案内 ここでは「人の来訪や用向きを伝える」こと。取り次ぎ。
縮み ちぢみ。縮織り。ちぢみおり。()りの強い横糸を用い、織り上げ、温湯でもんでちぢませ、布面全体にしぼを表した織物。

メリンス メリノ種の羊毛で織って、薄く柔らかい毛織物。
兵古帯 兵児帯。へこおび。和服用帯の一種。並幅または広幅の布で胴を二回りし、後ろで結んで締める簡単な帯。
硯友社 けんゆうしゃ。文学結社。 明治18年(1885年)2月、大学予備門 (のちの第一高等学校)の学生尾崎紅葉、山田美妙、石橋思案、高等商業学校の丸岡九華の4人で創立。同年5月機関誌『我楽多文庫』を発行し、たちまち明治文壇の一大結社に。
たぎらす 滾らす。沸騰させる。煮え立たせる。たぎらかす。
貞淑 ていしゅく。女性の操がかたく、しとやかなこと。
築地本願寺 東京築地にある浄土真宗本願寺派の別院の通称。
電車道 以前は大久保通りに都電が走っていました。
万年青 おもと。常緑の多年生草本。学名はRohdea japonica Roth。
矢来下の停留場 市電(都電)の 停留場は江戸川橋通りにありました。

昭和5年.矢来下の停留場

青葡萄①|尾崎紅葉

文学と神楽坂

『青葡萄』は明治28年9月16日から11月1日まで、尾崎紅葉氏が「読売新聞」に連載した言文一致体、つまり口語体の随筆です。この文は自然主義や私小説が出る時よりも、はるか昔に出ています。尾崎紅葉氏は『青葡萄』を書いた後、再び、雅俗(がぞく)折衷(せっちゅう)(たい)、つまり地の文は文語体、会話は口語体という文体に戻り、『金色夜叉』を書きました。
 なお、明治28年8月26日に小栗風葉氏が横寺町で疑似コレラになった事件が発端になっており、小栗氏が入院している時期に発表しました。
 また、本文は国立国会図書館デジタルコレクションの『青葡萄』ではなく、1994年、岩波書店の「紅葉全集」に寄っています。(つまり漢字は新字体です。)なお、段落の最初は1文字空けるというルールはまだありません。

      (一)

八月二十五日、此日(このひ)(おそ)らく自分(じぶん)一生(いつしやう)(わす)られぬ()であらう、(たしか)(わす)られぬ()である。
欧羅巴(エウロツパ)(ことわざ)に、土曜日(どえうび)(わら)ふものも日曜日(にちえうび)には()、とあるが、果然(なるほど)未来(みらい)一寸先(いつすんさき)(わか)らぬ人間(にんげん)仕事(しごと)を、(かみ)()から()たならば、(その)(あさ)ましさは幾許(いかばかり)であらう。陰陽師(おんみやうじ)さへ身上(みのうへ)()らぬものを、自分は(れい)朝寐(あさね)をして、十一()()(ころ)(せみ)(こゑ)()きて、朝飯(あさめし)昼飯(ひるめし)(あひ)掻込(かきこ)で、(つくゑ)(むか)つたが、(あつ)い、(あつ)い。(この)(あつ)(なか)俳諧(はいかい)! 風流(ふうりう)(あつ)いものであるのか、(たゞし)(あつ)いから風流(ふうりう)(すゞ)むのか、()にも(かく)にも先日来(せんじつらい)小波(せうは)西郊(せいかう)二子(にし)と「土人形(つちにんぎやう)」と()三吟(さんぎん)端書(はがき)俳諧(はいかい)(はじ)めて、(いま)名残(なごり)(つき)(ちか)(すゝ)むだ(ところ)であるから、小波(せうは)(きよう)(じよう)して、二三日前(にちぜん)から脚気(かくけ)(ため)()(しま)転地(てんち)療養(れうやう)をしてゐるのであるが、遠路(ゑんろ)(いと)はず矢継早(やつぎばや)()かけて()る。已無(やむな)(くる)しいのを()けて、西郊(せいかう)(まは)次手(ついで)午後四時(こごよじ)から獅子寺(しゝでら)矢場(やば)一拳(ひとこぶし)(あらそ)はう。連中(れんぢう)四五名(しごめい)あるからと(そゞのか)して、さて(その)時刻(じこく)出懸(でか)けた。
はや大勢(たいぜい)(あつま)つてゐる射手(いて)面々(めん/\)には、官吏(くわんり)もあれば兵士(へいし)もある、若様(わかさま)()るかと(おも)へば地主様(ぢぬしさま)もゐる、英語(えいご)教師(けうし)新聞記者(しんぶんきしや)御次男(ごじなん)やら小説家(せうせつか)やらで、矢声(やごゑ)(いさま)しく金輪(かなわ)点取(てんとり)(もよほ)してゐる。

[現代語訳]8月25日、この日はおそらく自分の一生で忘られない日だろう。確かに忘られない日だ。
 ヨーロッパの諺に、土曜日に笑う人は日曜日には泣く、とある。なるほど未来は一寸先もわからない。それが人間の仕事である。神の目から見た場合、その浅ましさはいかばかりだろう。陰陽師さえ自分の身上は知らない。自分は例の朝寝をして、11時という時間、せみの声に起きて、朝飯と昼飯の間をあっと食べ、机に向かった。しかし、暑い、暑い。この暑いなかで俳諧だ! 風流は熱いものであるのか、熱いから風流で涼むのか。とにもかくにも先日来、小波と西郊の二人と一緒に「土人形」という三人で詠む端書の俳諧を始めた。今や名残の月に近く進んだ所で住む小波も、興に乗じて、二三日前から脚気のために江の島に転地療養をしているのだが、遠路もいとわず、つぎばやに俳諧をかけてくる。やむなく苦しいのをつけて、西郊へ廻したが、ついでに、午後四時から獅子寺の矢場で一回争うことにした。二人に相手も四五名いるからとそそのかして、さてその時刻になって出かけた。
 矢場には大勢があつまっている。射手の面々には、公務員や兵士、若様がいるかと思うと地主様もいる。英語の教師に新聞記者、御次男やら小説家やらで、矢声も勇ましく金属製の輪を使って得点を争そうと言っている。

土曜日に笑ふものも日曜日には泣く フランスの諺。Ceux qui rient le vendredi, pleureront le dimanche. Those who laugh on Friday will cry on Sunday. He who laughs on Friday will weep on Sunday. 喜びの後には悲しみがやってくる。
陰陽師 おんようじ。おんみょうじ。陰陽道に基づいて卜筮(ぼくぜい)、天文、暦数を司り、疾病治療などの知識ももった者。
身上 みのうえ。身の上。その人にかかわること。境遇。人間の運命。
 ころ。頃。ころあい。時。なお、「比蝉」という単語はありません。
 昔の「む」は今の「ん」に変わっています。ここでは「掻込んで」になります。
俳諧 はいかい。滑稽とほぼ同じ意味。機知的言辞が即興的にとめどもなく口をついて出てくること。連句、発句(ほっく)、俳文、俳諧紀行、和詩など俳諧味(俳味)をもつ文学の総称。
小波 おそらく巌谷小波のこと。イワヤサザナミ。明治大正期の児童文学者。小説家。俳人。明治20年硯友社に入る。
西郊(せいこう) 誰かは不明。岩波書店が調べた初出では「青江(せいこう)」になっています。この名前も不明ですが、江見(えみ)水蔭(すいいん)氏ではないかと疑っています。
三吟 さんぎん。連歌や連句の一巻を三人の連衆で詠むこと。また、その作品。
矢継ぎ早 やつぎばや。続けざまに早く行うこと。矢を続けて射る技の早いこと。
次手に ついでに。序でに。何かをするその機会を利用して、直接には関係のないことを行うこと。
矢場 弓術を練習する所。
射手 いて。弓を射る人。弓の達人。
矢声 やごえ。矢を射当てたとき、射手が声をあげること。その叫び声。矢叫び。やさけび。
金輪 金属製の輪。
点取 てんとり。点を取ること。得点を争うこと。

(およ)諸芸(しよげい)(なに)(かぎ)らず其門(そのもん)天狗道(てんぐだう)であるが、(べつ)して(しや)(みち)劇甚(きびしい)やうに(おも)はれる。自分(じぶん)とても四年来(よねんらい)天狗(てんぐ)で、(すで)其筋(そのすぢ)から薄部(うすべ)()羽団(はうちは)をも(ゆる)されやうと沙汰(さた)するほどの(まん)(みだり)(ひと)射勢(いまへ)(なん)じて、日置(へき)(りう)秘歌(ひか)百首(ひやくしゆ)朗吟(らうぎん)するの一癖(いつぺき)(そもそ)我流(わがりう)には三教(さんけう)密伝(みつでん)ありて、などゝ()りかける(いとま)()く、此日(このひ)(ほとん)乱射(らんしや)(てい)で、矢数(やかず)二百(にひやく)(あまり)()いて、黄昏(たそがれ)となつた。自分(じぶん)(あたり)(わる)いのは、(いま)(はじ)まつたのではないが、此日(このひ)(また)格別(かくべつ)不出来(ふでき)であつた。(あせ)れば(あせ)るほど揉破(もみこは)して、心中(しんちう)さながら()ゆる(ごと)満身(まんしん)(かん)脳天(なうてん)まで亢進(たかぶ)つて、(これ)(むかし)大名(だいみやう)であつたなら、もそツと(あた)(まと)()けい、と(はげ)しい御諚(ごぢやう)のあるべき(ところ)であるが、平民(へいみん)()可悲(かなしき)には、徹骨(てつこつ)(うらみ)()むで、怏々(あう/\)(ゆみ)(ふくろ)(をさ)めてゐる(ところ)へ、明進軒(めいしんけん)近所(きんじよ)洋食店(やうしよくてん))からの使(つかひ)で、社中(しやちう)馬食(ばしよく)先生(せんせい)会食(くわいしよく)(まね)かれた。
馬食(ばしよく)先生(せんせい)洒脱(しやだつ)()諧謔(かいぎやく)(げん)とは、自分(じぶん)(つね)(よろこ)(ところ)である。(をり)こそ()けれと一躍(いちやく)して矢場(やば)()た、(イー)()(エチ)()(チー)()同行(どうかう)した。
途上(みち/\)(エチ)()自分(じぶん)(むか)つて、
「これから(きみ)皆中(そくる)だらう。」と(たはふ)れたが、(やが)五人(ごにん)(ひざ)(しよく)(かこ)むで、(さかづき)(とば)し、(かつ)(きつ)し、(かつ)(だん)じた愉快(ゆくわい)は、向者(さき)怏々(あう/\)(たのし)まざる(ひと)をして、二立目(ふたたてめ)自景(じけい)(すま)したやうな元気(げんき)にした。
やう/\ビーフステーキの肉叉(フオーク)()()かぬかに、給仕(きふじ)()て、
御宅(おたく)から御人(おひと)でござます。」
自分(じぶん)(すぐ)()つて、二階(にかい)(てすり)から(かど)(たゝず)門生(もんせい)春葉(しゆんえう)()びかけて、客来(きやくらい)か、と(たづ)ねると、「(いえ)一寸(ちよつと)………。」と(かれ)(こゝろ)()りげ自分(じぶん)目戍(まも)

[現代語訳]およそ諸芸は何でも限らず自慢な人が多いが、特に弓道は厳しいように思える。自分としても四年来の天狗だが、すでにその筋から思い上がりを許すではないかといわれた。オジロワシの尾羽でつくった「うちわ」がその証拠だという。ほかにも、他人の弓の姿勢をみだりに難じて、日置流の秘歌百首を朗吟するのは癖だし、そもそも日置流には三教の密伝があるなどとやっていたのだ。さて、この日はほとんど的を定めないで発射し、矢数でいうと200余も引き、黄昏となった。自分の当たりの悪いのは、今に始まったのではないが、この日は格別に悪い。あせればあせるほど点数は悪くなり、心は燃ゆる如く、満身の興奮は脳天までたかぶってくる。これが昔の大名であったら、もそっと 当たる的をかけい、とはげしい仰せのあるべき所だが、平民の身はかなしい。骨まで通る恨みは飲み込んで、不平不満があるが、弓は弓袋に収めた。明進軒(近所の洋食店)からの使いで、見ると、社中の馬食先生から会食に招かれた。
 馬食先生の洒脱の気と諧謔の言とは、自分の常に喜ぶ所である。おりこそ好ければと一躍して矢場を出た、E氏、H氏、T氏も同行した。
 途中H氏は自分にむかって、 「これから君はすべての矢を的に刺すだろう」と冗談をいったが、やがて五人の膝は食卓を囲み、さかづきを飛ばし、どもり、かつ、談じた愉快さは、さきの楽しむ人ではないが、自分で歌舞伎で満足するような元気が一杯になってきた。 ようやくビーフステーキのフォークをおくか、おかないうちに、給仕がやってきて、 「御宅から、1人で、ここに来ています」
 自分はすぐ立ちあがり、二階のてすりから門にたたずむ門生の春葉をよびかけた。客が来たのか、とたづねると、「いえ、ちょっと………。」と彼は意味あるように自分をじっと見つめた。

天狗道 自慢し高慢な人が多い世界。
劇甚 はなはだしいこと。非常に激しいこと。
薄部尾 うすべお。薄黒い斑点のあるオジロワシの尾羽。的中するため矢羽に用いる。
羽団 鳥の羽で作ったうちわ。右図を。
 まん。仏教で説く煩悩(ぼんのう)の一つ。思い上がり。自分を高くみて他を軽視すること。
射勢 弓を射る時の姿勢。
日置流 弓術の一派。近世弓術の祖といわれる日置弾正正次が室町中期に創始。尾崎紅葉氏もこの一派に属しています。
一癖 一つの癖。ちょっとした癖。普通の人とは違っていて扱いにくい性格。
遣り掛ける やりかける。あることをしはじめる。
乱射 的を定めず、むちゃくちゃに発射すること。
 あたり。物のまんなか。中央。
揉破 やわらかくして、悪くなる。
 ちょっとしたことにも興奮し、いらいらする性質や気持ち。
御諚 貴人の命令。仰せ。お言葉。
徹骨 てっこつ。骨までとおること。物事の中核・真底にまで達すること。
 うらみ。残念に思う気持ち。心残り。未練。
怏々 おうおう。不平不満のあること。
 ゆみぶくろ。弓袋。
社中 詩歌・邦楽などで同門の仲間。
洒脱 俗気がなく、さっぱりしていること。あかぬけしていること。
一躍 いっぺんに評価が上がること。
皆中 束る。そくる。総射数の全ての矢を的に刺す。
 さかずき。酒を飲む容器。「さかずき」には杯、盃、坏、盞、爵、觚、鍾など多くの字をあてる。
吃する きっする。言葉がなめらかに出ない。どもる。
二立目 ふたたてめ。江戸歌舞伎で、序開きの次に演じられた一幕。下級俳優によって行われた一種の開幕劇。二つ目。
自景 自分で満足すること。
擱く おく。措く。やめる。中止する。控える。
 それ。かれ。第三人称の代名詞。
意ありげ 心ありげ。意味があるように。
目戍る じっと見つめる。注意深く見る。熟視する。

 なお、この文章の前に、青葡萄を使った理由が書いてあります。簡単に訳すと、
「この篇について、表題は青葡萄になっているが、庭の前に青葡萄があって、その味を試してみたところ、思わず病気になった。結局、青葡萄が原因だと、書いてはいない。腹案では後編に出すものだった。理由があって前篇で終了した。世の中では蛇足だという弁も聞こえる。すぐれた者のあとに劣った者が続く場合ではないか。
昨年、事件が起きた日で。
葡萄軒のあるじ」

 此篇題して青葡萄といふは、庭前に其物ありしを人の仮初に味ひて、不測の病を獲しに拠るなり、畢竟巻中の之を説かざるは、後編に出すべき腹案なりしを、故ありて筆を前篇に止めしが為のみ、世に蛇足の辯あり、如此きは更に狗尾の続ぐを慙ぢざらむや、
去年事のありける其日
葡萄簷のあるじ