りそな銀行」タグアーカイブ

神楽坂1丁目(写真)平成31年 ID 14049

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 14049は、平成31年(2019)1月、牛込橋から神楽坂通りをのぞんで、写真を撮ったものです。なお、平成31年は5月1日に令和元年に変わりました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14049 牛込橋から神楽坂通りをのぞむ

 四つ角は神楽坂下交差点、左右の道路は外堀通り、前後の道路は神楽坂通りです。歩道の縁石は一定間隔で黄色に塗り、意味は「駐車禁止」
 左右の歩道の縁石側に、神楽坂通りと同じ上を向いて逆正4角錐の街灯(アイ ツインアークが光源)があります。ここはちょうど千代田区との区境で、手前右上の下向きの正六角体の街灯は千代田区側でしょう。左側にある2個の緑色の小型ボックスは無電柱と地下の共同溝に伴ってできたものです。左右に背の低いお花畑があり、歩道はインターロッキングという小型ブロックでした。

神楽坂1丁目(平成31年)
  1. ニューハウス(不動産会社)か?
  2. 神楽坂バル Lasana
  3. ▶街灯に旗「神楽坂」
  4. 名代 富士そば。のぼり旗「生蕎麦」
  5. (カナルカフェ)
  6. (歩行者横断禁止)
  7. 最高速度30km (駐車禁止)
  8. 外堀通り
  9. ▶「神楽坂下」交差点。(歩行者専用)「自転車を除く/12-13/日曜休日は/12-19」(駐車禁止)
  10. (STARBUCKS COFFEEのトレードマーク)(喫茶店)
  11. エイブル(不動産会社)
  12. 屋上広告「(インター)ネット (まん)が喫茶」(向かいのカグラヒルズに入居)「神楽坂 翁庵」「4Fはダーツバー A’s」「居酒屋 プッシュ 5F」(会田ビル)(翁庵=そば屋)
  13. 駅前留学 NOVA 子ども駅前留学 NOVA KIDS(三経 第22ビル)
  14. (志満)金(うなぎ店)

▶は歩道上で車道寄りに広告がある
▶がない場合は直接店舗から広告に

  1. 千代田区の街灯
  2. 神楽坂の絵
  3. ▶街灯に旗「神楽坂」
  4. ▶消火栓
  5. アパマンショップ(不動産仲介業)
  6. その右に「りそな銀行」、さらに「リアット」(靴修理)
  7. (一方通行)「自転車を除く 0-12」。(歩行者専用)「自転車を除く/12-13/日曜休日は/12-19」(車両進入禁止)「自転車を除く/0-12」(一方通行入口)「12-24」
  8. のレン(生活用品店)
  9. 「ドトールコーヒー」「 ホットヨガ/カルド神楽坂」 ONE DX BOCX
  10. 右に「神楽坂 あんみつ」「紀の善」
  11. カグラヒルズ デジタルサイネージ「盾の勇者の成り上がり シリーズ〇〇1~20巻 絶賛発売中 ファンタシー 2019年1月〇日よりTV アニメ放映」「カラオケの鉄人 11:00~AM/6:00」「インターネット まんが 喫茶 自遊(空間)」「マツモトキヨシ」(薬屋)「ミライザカ」(唐揚)

神楽坂5丁目(写真)神楽坂百年写真展 昭和43年 ID 8018

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 8018を見ましょう。撮影は1968年(昭和43年)です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8018 目で見る神楽坂百年写真展 会場

 これは「目で見る神楽坂百年写真展」で、主催は「神楽坂通り商店会」、後援は「新宿区教育委員会」、10月15日~10月25日まででした。なぜ神楽坂百年なのか不明ですが、この写真の1968年には明治改元100年の記念式典が10月に日本武道館で開催されました。それにあやかったイベントでしょう。また「目で見る…」の「目」にかぶっている提灯は「神楽坂百年」と書いていそうです。
 場所は左上の看板の「組合」だけが分かります。日本勧業信用組合(勧信、現在は第一勧業信用組合)は昭和40年5月に神楽坂5-3に本店を置きました。この写真は、それから間もない頃の日本勧業信用組合本店前の様子です。
 向かって左側の入り口に、不二家のペコちゃん人形のようなマスコットが立っています。勧信と縁の深い旧・日本勧業銀行(勧銀)のマスコットだった「のばらチャン」のようです。「のばらチャン」は中身が空洞になるソフト塩化ビニール(ソフビ人形)の貯金箱としてノベルティに使われました。勧銀が合併して第一勧業銀行になってからもマスコットを継続し、ソフビ貯金箱は非常に多くの種類が残っているそうです。

旧日本勧業銀行 貯金箱 のばらチャン http://is-and-is.jugem.jp/?eid=206

 左の看板の柱の陰に四角いブースが見えます。宝くじ売り場です。宝くじの販売は勧銀が独占的に受託していて、その縁で勧信にも売り場があります。信用組合としては特殊なケースで、この関係は今日まで続いています。
 写真展は万国旗を飾っていて賑やかです。正面ガラスケースに掲示されている写真の右側は「現在の神楽坂」(1937年、昭和12年ID1)、左側は「大正時代の神楽坂通り」のようです。
 会場は店舗前の空きスペースですが、歩道の縁石の切り下げを見ると駐車場を想定していたようです。実際には「勧銀が建つ前には、お祭りの御神酒所や商店街のセール時の福引所などに使われていた」と地元の方。写真左の看板には「正面右側駐車場をご利用下さい」と書いてあり、図もついています。地図でも分かるように、2軒ほど隣に別に駐車場があったのでした。
 写真の左は写っていませんが「相馬屋」。右は玩具店「かやの木」で、万国旗に隠れた看板は割れているようですが、ショーウインドウに箱入りのおもちゃが並んでいるのが分かります。この家並みは昭和38-39年のID 12910で確認できます。ID 12910の中央、相馬屋とかやの木の間の石造りの古いビルを建て直して、勧信の本店が建ちました。

 ここで勧信についてまとめておきます。

第一勧業信用組合 神楽坂 ウィキメディアから 創業時の場所からは移転している

 勧信はもともと、勧銀の職域信用組合(産業組合法に基づく保証責任信用購買利用組合互援会)、つまり勧銀の行員のための社内金融組織でした。それを東京の地域信用組合に転換し、昭和40年(1965年)5月、日本勧業信用組合が神楽坂で再スタートしました。発足当初は信用獲得のために伝統ある勧銀との共通性を前面に出していて、社名のロゴタイプは勧銀そっくりでした。
 勧信が本店を置いた場所には戦前、東京貯蓄銀行の神楽坂支店がありました。石造りの立派な外郭で、三菱銀行神楽坂支店と同様に戦災で焼け残りました。ただ三菱銀行が戦後、営業を再開したのとは違い、東京貯蓄銀行は終戦間際に合併で日本貯蓄銀行になって消滅しました。
 日本貯蓄銀行は協和銀行を経て現在のりそな銀行になるので、勧銀や勧信との直接のつながりはありません。東京貯蓄銀行の神楽坂支店跡は戦後、倉庫などに使われていたようです。それが勧信の本店として再び金融機関になったのは何かの縁でしょう。
 勧信は昭和46年(1971年)10月、第一勧業銀行(略称・DKB)の発足に伴って第一勧業信用組合(略称・DKC)に改称。DKBと同じハートのマークをシンボルに使っていました。昭和57年(1982年)11月には四谷に本店を移しました。神楽坂は支店に降格されましたが、現在も店番号は001です。第一勧銀が合併により「みずほ銀行」になった時には名称やロゴマークを追随せず、別の路線をとっています。

第一勧信店内の8番と9番の向かって左に ❤マークが見える。(テレビ番組 「気まぐれ本格派」1977年から)