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武田芳進堂[昔]、新泉とISSA

文学と神楽坂

 西側で藁店に接する神楽坂上に近い5丁目の2店舗です。現在はISSA(セレクトショップ)プラス福服(リサイクル着物)の一店と神楽坂新泉(焼肉)の一店になっています。

 なお、武田芳進堂は戦前は神楽坂5丁目の三つ角(神楽坂通り)から一軒左にあり、戦後は三つ角そのままにありました。『神楽坂まちの手帖』第14号「大正12年版 神楽坂出版社全四十四社の活躍」では「芳進堂。金刺兄弟出版部。肴町32。『最新東京学校案内』『初等英語独習自在』など。現在の芳進堂ラムラ店」と出ています。現在では飯田橋駅のラムラ店に出店しています。

 一軒左は「ゑーもん」でしたが、2014年、閉店し、現在は神戸牛と和食の店「新泉」になっています。

岡崎公一氏の「神楽坂と縁日市」「神楽坂の商店変遷と昭和初期の縁日図」。新宿区郷土研究会『神楽坂界隈』(平成9年) 神楽坂アーカイブズチーム編「まちの想い出をたどって」第3集(2009年)「肴町よもやま話③」から
昭和5年と平成8年 藁店の右の店舗

 神楽坂アーカイブズチーム編「まちの想い出をたどって」第3集(2009年)「肴町よもやま話③」から。「相川さん」は棟梁で街の世話人で、大正二年生まれ。「馬場さん」は万長酒店の専務。「山下さん」は山下漆器店店主。昭和十年に福井県から上京。

馬場さん それから中河さんのところ、いまの中河さんのところが武田さんだったのね。武田さんがここ来て、ここに中河さんが。じゃあ、中河さんも戦後ですか?
相川さん 昭和五年に来たんです。こっちの横丁(わらだな)へ。南町の井沢さんという地主がいまして、その人がこの一画をもっていたんです。
馬場さん いまのどこんところ? 富永さん(注)のところ?(注。光照寺に向かう坂(わらだな)の角から2件目。現在の居酒屋「もん」のところ。)
相川さん ああ、そうね。富永さんのところはそっくりそうですね。戦前の中河さんのお店(注)は小さかったからね。(注。現在の「ゑーもん」で電気店を運営していた)
山下さん 中河さんはこちらへいらしたのは昭和五年ですか?
馬場さん 表通りに来たのは戦後よ。
相川さん 戦後は表通りに来た。中河さんが地主さんから頼まれて、「分譲しなくちゃ財産税を納められない」って。それで物納したものかどうしようかって来た。「それじゃ、借りたい人に売りましよう」ってその世話一切を中河さんが引き受けた。戦前、武田さん(注)のところを中河さんが買ったわけ。(注。現在は洋品店ISSA。前は芳進堂という書店だった)
馬場さん 角が武田さんになったのでこれがいいか悪いかはわからないですね、結果とするとね。当時はそんなことを言った人もいるんですよ。これだけは角がいいかはわからない。