ヒデ美容室」タグアーカイブ

神楽坂3丁目(写真)昭和47年秋~48年春 ID13183~86

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 13152からは神楽坂1~5丁目で歩行者天国の様子を連続で撮影したものです。うちID 13183~86 はカメラを神楽坂3丁目の坂上付近に置き、坂下を撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13183 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13184 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13185 神楽坂歩行者天国

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13186 神楽坂歩行者天国

 坂の傾斜が急な部分はOリングのくぼみがついたコンクリート舗装です。Oリングの位置は「万平」「龍公亭」あたりまででした。車道の中央には舗装の継ぎ目があります。ここで地元の方は

舗装の継ぎ目はOリングの部分から坂上までずっと続いています。この当時の舗装はアスファルトではなく、コンクリートであったと思われます。少し前の時代のID 12903には、これほど大きな継ぎ目がありません。

といっています。しかし、アスファルトのほうが道路の継ぎ目や接合点は多いし、色合いが決め手だといっても、はっきりはしません。ID 13185では道路の照り返しがOリングがあるほうが強いと思います。
 縁石は黄色と無彩色との2色で(現在もよく見ると2色)、意味は「駐車禁止」。歩道はアスファルト舗装。遠くに「神楽坂通り/美観街」が見えます。神楽坂通りの中央にはローラースケートを履いた男の子。中央の上空には(横断歩道)の道路標識。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、その柱はモノクロ写真では薄い色でしたが、この一連の写真は黒く写っています。ID 9781など他にも黒く写っているので、時代によって色が違ったと思います。「神楽坂通り」が街灯に光っています。
 電柱は右側だけで、上には大きな柱上変圧器があります。
 歩行者の大半がコートや外套を着ており、寒い季節ですが、年代の詳細はここで話しています。また、歩行者天国(車道に車を禁止して歩行者に開放した地域)は日曜日・祝日の実施なので、営業していない店が目立ちます。

神楽坂3丁目→坂下(昭和48年)
  1. (駐車禁止)(区間内)
  2. (車両進入禁止)
  3. (横断歩道)
    ――神楽坂仲通り
  4. 化粧品さわや
  5. (ビク)ター(リード商会)
  6. 純喫茶クラウン
  7. 喫茶(坂)
  8. 看板「パチンコは(マリーで)」
  9. クスリ 山一薬品
  10. ハ(ッピー)ジャック

▶は歩道上で車道寄りに広告がある
▶がない場合は直接店舗に

  1. (ヒデ)美容室 HIDE HEALTH SALON。突き出し看板「ueta エダ」(看板は、おそらく化粧品)
  2. 道路標識(裏面)
  3. くすりは 山本薬局 純良医薬
  4. BAR まき
    ――神楽坂仲坂
  5. BARBER よね(ざわ)
  6. 臼井歯
  7. せともの 太陽堂
  8. ニッポンハム 肉のますだや
  9. ▶電柱看板「歯 石川」「 大久保
  10. UC(大川時計店)かつ一(2階)
  11. ESUYA
  12. コーセー化粧品 十奈美
  13. 夏目写真館 夏目写真館
  14. カブト虫(純喫茶)
  15. ▶電柱看板「石川
  16. 麻雀 サンコール(松本商店)

住宅地図。1974年

「きらく会館」の謎?

文学と神楽坂

 地元の方から神楽坂3丁目にあった「きらく会館」という話を送ってくれました。

 商店や住人の名を個別に記した住宅地図は情報量が多く、新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」などの撮影時期の特定に役立ちます。一方、その記載は必ずしも正確でなく、逆に謎を生んでしまうこともあります。昭和30年代に短期間だけ神楽坂3丁目にあった「きらく会館」も、そのひとつです。このブログの「神楽坂通り(3丁目南東部)」で詳細に検討しているエリアですが、記事には名前も出てきません。
 場所は神楽坂を登り切る直前、通りの南側の「龍公亭飯店」と「ヒデ美容室」の間です。老舗の多い一角で、戦前はここに「助六はきもの店」がありました。
 第2次大戦で焼け野原になった後、店が戻ってきた様子が昭和27年(1952)の写真ID 4794です。「龍公亭」は平屋。「助六」は「龍公亭」を挟んで反対側に移りました。「龍公亭」の向こう隣、建築中または改装中の建物が、のちに「きらく会館」になる場所です。さらに坂下よりの2階屋が「ヒデパーマ」で、壁面に大きく「パー〇〇」の字が見えます。
 アルバム 東京文学散歩(創元社、1954年)掲載の写真では店は開業しています。昭和28年(1953)のID 9504は凸型の「龍公亭」の向こうに、昭和32年(1957)のID 4943では「ヒデ美容室」の手前に建物があることが分かります。いずれも業種も店名も分かりません。『神楽坂まちの手帖』第12号の「神楽坂30年代地図」では「蘇家成」の名があります。
 この時期の住宅地図を見ると
●人文社
1960 → 1962 → 1964
空家 → 空家 → きらく会館
●住宅協会
1962 → 1963 →1964→ 1965 → 1968
()→()→ きらく会館 → 同→ 同
とあり、昭和39年(1964)ごろに店ができたように見えます。
 しかし写真と照合すると矛盾が出てきます。
 ID 14-15は昭和37年(1962)-昭和40年(1965)と推測される写真です。「ヒデ美容室」の手前は取り壊されています。同様にID 12903-12905でも「龍公亭飯店」と「ヒデ美容室」の間は空地です。これも昭和37年(1962)-昭和39年(1964)と思われる写真です。
 一方、住宅地図の「きらく会館」の場所には、すぐ後に「五条ビル」が建ちます。完成は昭和42年(1967)で、住宅地図では昭和45年(1970)から「コーヒー五番(五条?)」が出てきます。ただ昭和41年(1966)のID 7658や「メトロアーカイブ 坂のある街 昭和41年」には、外観的には完成している「五条ビル」が写っています。5階建てのビルですから、前年の昭和40年(1965)には建築を始めていたでしょう。
 では「きらく会館」は、いつあったのか。ID 14-15の空地に建築して、すぐ壊してビルにするのは不自然です。それ以前の空き家だったところに昭和30年代半ばに店を出し、数年で閉店したのではないでしょうか。だとすればID 14-15ID 12903-12905は、「きらく会館」取り壊し後の撮影として時期を絞り込みやすくなります。
 確たる証拠はありません。ひとつだけ手がかりらしきものはID 18(下図)です。昭和37年(1962)頃と思われる写真ですが、拡大するとはるか坂上に「ヒデ美容室」の看板と、その向こうに洋酒のボトルのような看板が見えます。並びの店(山本薬局、龍公亭飯店、助六はきもの店)ではなさそうなので、これが業種不明の「きらく会館」かもしれません。
 なお「きらく会館」の場所は「五条ビル」が建った後、平成19年(2007)に隣の「ヒデ美容室」と一体で「神楽坂センタービル」になりました。「ヒデ美容室」は日本髪、着付けなど和装を主体とする美容院で、今も同ビル内にあります。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 18の拡大図 神楽坂下から坂上方向

神楽坂3丁目(写真)昭和54年 ID 88と ID 11868

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 88と ID 11868は、昭和54年(1979年)1月の神楽坂3丁目を坂上から坂下に向かって撮ったものです。また ID 11869はさらに坂下に向かった場所です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 88 神楽坂途中より坂下方面

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11868 神楽坂

 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、電柱の上には柱上変圧器があります。街灯には正月の飾りとして、細長い竹と足元に松が結びつけられています。
 車道の舗装は中央に大きなひび割れがあります。アスファルトではなく、半分ずつ交互にコンクリート舗装をしたからと思われます。右手前のすぐ後ろからは坂道用のΟリングのくぼみが沢山見えます。

Oリングでは?

 千代田区の建物については私はわかりません。

神楽坂3丁目
  1. ジョンブル コーヒー専門店 コーヒー豆 コーヒー機器
  2. (駐車禁止)(区間内)
  3. 4階建て(竹谷電気工事)
  4. 2階建て(ランジェリーシャンテ)
  5. マーサ美容室
  6. 横断歩道
  7. 神楽坂仲通り
  8. さわや(化粧品)
  9. ビクターレコード(5階建て)(神楽坂ビル)
  10. 寿し まきや
  11. 4階建て陶柿園)
  12. (坂とニューイトウは見えない)
  13. パチンコマリー
  14. 4階建て(桜 3F 軽い心 2F パブ ハッピージャック)
  15. 道路標識
  1. スタンド看板「ギター」(五条ビル)
  2. COFFEE naga(saki)(五条ビル)
  3. (ヒデ)美容室
  4. パテック(ス) 山本(薬局)
  5. 大久保(質)
  6. (離れて)志満金 5F 塔屋の看板
  7. 神楽坂通り/美観街

1980年 住宅地図。

神楽坂2丁目(写真)昭和54年 ID 87とID 11870

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 87とID 11870は、昭和54年(1979年)の神楽坂2丁目の坂下から坂上に向かって撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 87 神楽坂途中より坂上方向

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11870 神楽坂

「あけましておめでとうごさいます」の看板などから正月だと分かります。ID 11869とは逆向きの撮影です。
 ID 72からID 92まで、神楽坂周辺のさまざまな正月風景が見られます。新宿歴史博物館によれば昭和54年1月5日に撮影したものです。これと重複して、ID 11824からID 11872まで、より多くの鮮明な写真が残っています。おそらく前者はプリントで、後者は保存ネガから再録したのでしょう。
 車道はΟリングのくぼみがついたコンクリート舗装で、側溝と縁石があり、歩道はアスファルト舗装です。
 街灯は昭和36年(1961)以降の巨大な円盤形で、「神楽坂通り」を覆うように木と人工葉があり、正月の飾りとして、足元には細長い竹と松が結びつけられています。横断歩道が見え、坂が終わる所には標識「神楽坂通り/美観街」があります。

神楽坂2丁目(昭和54年)
  1. 通学路
  2. と小売。久保質店)。(神)楽坂 (3)-6
  3. 「PHOTOGRAPH 夏目写真館」「 鍼灸治療|夏目鍼灸院←」
  4. 西川 みゆき
  5. 消火栓標識と消火栓広告「神楽坂針灸院←」
  6. 「巴有吾有」(おそらくシャッターの貼り紙は年賀で、正月休み)
  7. きらきら光る人工観葉植物(下図参照)
  8. とん(かつ かつ一 2F)(福田屋?)
  9. @ニッポ(ンハム)(肉屋のますだや)
  10. ヒデ(美容室)
  11. 言研。話し方教室。(割字で株式会社)旭図書。ともに五条ビル
  1. 看板「あけましておめでとうごさいます。本年もよろしくお願い申し上げます」。(おそらくパチンコマリー)
  2. 街路消火器格納箱「この地域の避難場所は/後楽園周辺/第1672号」
  3. NEW IT(ニューイトウ 靴)
  4. 坂(珈琲)
  5. 寿し (やっこ)。やっこのイラスト。奥の土地と一体になってマンション「ラインビルド神楽坂」に変更。竣工は1984年5月。
遠くに道路標識(横断歩道)と実際の横断歩道
さらに遠くに「神楽坂通り/美観街」
最後に(横断歩道)

1977年の日本テレビ系列「気まぐれ本格派」第9話「ダサイ男の噺し」

1980年 住宅地図。

神楽坂1丁目(写真)昭和49年 田口重久氏

文学と神楽坂

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」第五章 新宿区 補-10 (11/15) 05-10-32-1 牛込見附交差点からは昭和49年(1974年)12月21日(土)に撮ったものでした。大きな左向きの矢印はロール式の標識で、坂下から坂上までの一方通行を示し、時間によって進入禁止の表示と入れ替わります。夜間には照明も。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、電柱の上には柱上変圧器があります。また「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつ立っています。横断歩道はごく普通のもので、地下鉄の駅(飯田橋駅)が新たに出現しました。外堀通りにはまた鉄板が覆っています。

1974-12-21 牛込見附交差点から。田口重久氏「歩いて見ました東京の街」

神楽坂1丁目(昭和49年)
  1. 有楽町線「飯田橋駅」。道路を開削、上に鉄板。埋め戻しは開業後。
  2. 看板「車両通行止め12~18 牛込警察署 新宿区」
  1.  牛込見附  (歩行者専用道路) 自転車を除く 12-13。歩行者道路。日曜休日の12-20。スプーン・フォーク・スープの標識
  2. ニューバリーパチンコ。Pachinko。上の看板イーグルボウル下宮比町に。
  3. 電柱広告「鮨・割烹 八千代鮨」(本多横丁にある)と(質)大久保
  4. TAWARAYA。黒い看板と白の球。(フルーツパーラー 田原屋)
  5. 元祖 貸衣装 清水本店
  6. 生そば(翁庵)。は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。
  7. 中華料理 信華園
  8. 1丁目の田口屋生花店がビルに。五階建て
  9. 小栗横丁にいく通り
  10. 志満金。ビルではない
  11. 靴(オザキヤ
  12. 大島糸店2階が大島歯科
  13. 話し方教室。五条ビル(ヒデ美容室の隣で)
  1. (一方通行入口)自転車を除く。(歩行者専用道路) 自転車を除く 12-13。歩行者道路。日曜休日の12-20
  2. 足袋・Yシャツ「赤井商店
  3. 「カレーショップ ボナ」
  4. 白十字医院
  5. 紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店
  6. 地下鉄 飯田橋駅
  7. FUJIYA 不二家洋菓子。不二家 コーヒーショップ。
  8. あんみつ。紀の善。切妻の屋根
  9. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  10. 上でビル「喫茶 軽い心
    3,4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック
  11. 陶柿園がビルに。昭和47年(1972年)3月に完成
  12. 「菱屋」が遠くに見える

 神楽坂仲通りの△は横断歩道の標識。その奥は「神楽坂通り/美観街」です。

神楽坂2丁目(写真)昭和34年 夜景 芸者 ID 36-39

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 36からID 39までを見ましょう。撮影の方向は、神楽坂の中途から坂上に向いています。街灯は鈴蘭灯があり、車道には平坦で、Οリングはまだないようです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 36 神楽坂途中から坂上方向夜景、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 37 神楽坂途中から坂上方向夜景、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 38 神楽坂途中から坂上方向夜景、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 39 神楽坂途中から坂上方向夜景、着物の女性たち圉

 ID 36とID 37は車2台のバンパーが流れてぼやけ、またID 37とID 38は印画紙?が乾燥し、ID 39だけがまあまあよさそうです。
 ID 39について『目で見る新宿区の100年』(郷土出版社、2015年)に解説されています。

神楽坂、坂下方向よりの夜景(昭和34年) 現・神楽坂2丁目。神楽坂がそれらしくなったのは、江戸時代といわれている。その後、大正時代には花街として隆盛を極めた。昭和34年に、これだけ着物を着た女性が撮影されたのは、やはり料亭や芸者置屋が多いという花柳界ならでは。

 しかし、これも新宿歴史博物館 ID 31-35と同様にやらせでしょうね。

「神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂2丁目
  1. 電柱看板「石川歯科」。小栗横丁にある
  2. 「夏目写真館」とネオン「photograph 夏目写真館」
  3. 「+ク」スリ。神楽坂薬局。「☎でんわ」と解熱鎮痛剤「ケロリン」。「ハーモニン 神楽坂薬局」
  4. 「田」丸屋。せんべい。「手焼せん 」
  5. ネオンは「洋装生地 林屋」
  6. 化粧品の十奈美。見えません。
  7. 山岸煎餅店。見えません。
  8. 洋品の「エス」ヤ
  9. 「メガネ」と、ひとつ奥には「ト」ケイと時計10:10。大川時計
  10. 肉・増田、太陽堂。見えません
  11. 神楽坂仲坂。見えません
  12. 山本薬局。見えません
  13. 「ヒデ美容室」
  1. 「パチンコマリー」
  2. 「ヤマヤ ⇒」
  3. 「洋食と喫茶 京屋 どうぞ⇒」。一軒ほど右奥にはいった場所にあります。
  4. 壁面看板「ジュ 」「靴 はニ 」
  5. 「靴 ニューイトウ」。広告のぼりは「セカイチョ」。運動靴の会社「世界長 セカイチョー ゴム株式会社」。「文部省教育用品審査合格品」
  6. 「コーヒー坂」と「陶柿園」は見えません。
  7. 「旅館 かぐら苑」。右奥にはいった場所にあります。
  8. 「珈琲 グラウン」と 「クラウン」
  9. 「ルナ美」容室。
  10. 「ポーラ化粧品」
  11. 「亀井鮨」
  12. 喫茶「七福」

 石川歯科小栗横丁にありました。

昭和59年 住宅地図。石川歯科

神楽坂3丁目(写真)昭和42年 ID 6とID 12905、ID 7とID 12903、ID 12904

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 6とID 12905、ID 7とID 12903、ID 12904を見ていきましょう。ともに今は雨は降り、撮影の方向は神楽坂の中途から坂下に向いています。街灯は鈴蘭灯とは違い、円盤形の大型1個だけで、これは昭和36(1961)年以降にあたります。円盤形の下には標識「神楽坂」もあります。車道では横断歩道を越えて、菱屋の前まで、Oリングのくぼみがあり、歩道は滑り止めのついた四角いブロックで舗装しています。

新宿歴史博物館 ID 6

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12905 神楽坂

新宿歴史博物館 ID 7

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12903 神楽坂

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12904 神楽坂

神楽坂3丁目(昭和42年)坂下→坂上
  1. 亀井鮨
  2. (資)生堂化粧品 さわや
  3. 神楽坂仲通りに入る。これから3丁目に。数軒はいり…
  4. 歩道に電気製品?(竹谷電気)
  5. 横断歩道。
  6. 柳の木が見える(万平
  7. ブリヂストン エバーソフト(菱屋)。エバーソフトは商標名で、ゴムや合成樹脂を加工し、柔らかく弾力性のあるようにしたもの。マットレス、クッション、座布団などに使う。
  1. ✚クスリ(神楽坂薬局)
  2. (洋装生地)林屋
  3. 電柱看板「質 大久保
  4. (ID 9によれば)プラ(チナ万年筆)(大川時計店)
  5. 牛豚鶏 増田屋
  6. 太陽堂
  7. 神楽坂仲坂に。これから3丁目に
  8. パンビタン 山本薬店。看板「抗生物質製剤 クロロマイセチン」
  9. ヒデ美容室
  10. 工事中
  11. 電柱看板「東京電力サービス(ステーション)」
  12. 廣東料理 龍公亭

 右手の工事中については、1967年(昭和42年)までは「きらく会館」で、70年(昭和45年)になると「コーヒー5番」になります。また「ブリヂストン エバーソフト」は「菱屋」です。
 また、菱屋の写真がわずかに出ていますが、これは古い店舗です。新しいビルにかわるのは昭和42年以降でした。

昭和38年/42年 vs 45年

 一方、昭和42年2月8日の田口重久氏の写真があり「2月8日までに『Club 軽い心』の向こうで、菱屋のビルが完成しています。つまり新しいビルに変わるのは昭和42年(または前年末)でした」と地元の人。

05-14-37-1

田口重久氏「歩いて見ました東京の街」05-14-37-1 牛込見附から神楽坂下を 1967-02-08(昭和42年)

 これから地元の人はこう考えます。

 右手の龍公亭とヒデ美容室の間に空地があります。ID 4794(昭和27年)は、ここに建物が建築中(または改装中)でした。かなり見づらいですが、ID 9504-9505(昭和28年以降)では、少し奥まった店らしきものが見えます。ID 4943(昭和32年)でも右端のヒデ美容室の隣に店があることが確認できます。
 しかし、この店はその後、短期間で取り壊されたと見られます。1962年-63年(昭和37-38年)の住宅地図では下図のように空地になっています。隣家の壁面が煤けているので火事だったかも知れません。ID 14-15(昭和37年以降)でも、このID 6-7などと同様に空地です。
 空地は1964年(昭和39年)の地図以降は「きらく会館」、1970年(昭和45年)になると「コーヒー5番」になります。
 これらを総合すると、撮影時期は「きらく会館」が建つ前の1963年(昭和38年)ごろと思われます。

1962年 龍公亭付近