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とんかつさくら、藪そば[昔]|神楽坂5丁目

文学と神楽坂

 「藪そば」や「肴町」を調べるため、ここでは昭和63年(1988年)3月に実施した座談会を取り上げます。神楽坂アーカイブズチーム編の「まちの想い出をたどって」第1~3集(2007~9年)「肴町よもやま話①~③」に書いてあります。なお、「相川さん」は大正二年生まれの棟梁で、街の世話人。「馬場さん」は万長酒店の専務。「山下さん」は山下漆器店店主で、昭和十年に福井県から上京。「佐藤さん」は亀十パン店主。(現、Miss Urbanのところで営業中)(当方の注。Miss Urbanもなくなり、「おかしのまちおか」になっています)。「高須さん」はレストラン田原屋の店主です。
 なお「肴町」は昔の名前で、現在は「神楽坂5丁目」です。また、万長酒店も、山下漆器も、亀十パンも、田原屋もなくなっています。

馬場さん そろそろ昔のことを知っている方が少なくなってきたので、今日は五丁目の役員会として、相川さんから肴町を振り返っていただきます。ここにいろいろ資料を持ってきておりますから、昔を回顧しながら座談会をしていきたいと思います。関東大震災の頃からか、あるいは昭和の初期でいきますか?
相川さん 私は、関東大震災のときは子どもで十ニ歳でしたね。
馬場さん この手元にある山下さんがお持ちの「昭和五年近辺の地図(二十八頁)」というのがありまして、震災時分と照らし合わせながら、表通りから順に、どんな町並みだったのかということをお話しいただきたいと思います。

昭和五年近辺の地図

 以上は一般論で、これからは各論です。なお、上の「昭和五年近辺の地図」は、昭和45年に新宿区教育委員会が作った「神楽坂界隈の変遷」「古老の記憶による関東大震災前の形」と全く同じ地図です。

馬場さん まず、五丁目一番地。「上州屋」はいまのどこになりますか? いまの「かなめ寿司」さんのところ(ampm。現、コアビル)にお蕎麦屋さんがありました。上州屋さんというのは何屋だったですか?

神楽坂5丁目(1)

 現在は五丁目一番地ではなく、五丁目1-1です。現在のampmは「とんかつ神楽坂さくら本店」です。

相川さん そう、上州屋さんは、下駄屋さん。その和田さんが地所と家屋の権利をもって三丁目の「菱屋」さんへご養子に入った。
馬場さん 天利さんへ? あの、市会議員やった?
相川さん その人のところへ入った。市会議員は義理のお父さんになる。
山下さん いま、大学の先生している?
馬場さん それは、あのうちの娘婿、和田さんの姉さんっていうのは、和田チョウセイさん?
相川さん そう、小唄の先生。それで、奥の崖の方へ家をこしらえて、そこが昔の住まいです。
馬場さん 和田さんがやっていたときの薮蕎麦というのはかなり大きい地所だった?
相川さん とても大きく、でもそれは借地ですよ。
馬場さん 借地でも商売そのものは大きくて、相当人数が入れた?
相川さん 店は小さいんです。店があって、後ろに調理場があって、離れに住まいがあるんです。三つの家が建っていました。

 これは藪蕎麦(ampm、とんかつさくら本店)の話です。

相川さん すぐ隣の「大和屋」さんという漆器屋には蔵があった家なんですが、「大和屋」さんと蔽蕎麦さんの間に路地をこしらえまして、それで住まいの方へ薮蕎麦さんは入っていった。もちろん、調理場からも行かれますけどね。表から来たお客さんはその横から入っていく。
馬場さん 隣の大和屋さんというのがすでに、勧信(注)のいまの駐車場の方にきていたのですか? (注)今の勧信は万長酒店の跡地で、この時期の勧信は現在の百円パーキング。
相川さん そうです。
佐藤さん 相川さん、尾沢さん(注2)との間に路地がありませんでしたか?
(注2)尾沢さんは大きな薬局で、現在は牛込郵便局が一階に入居しているビルを建設。
相川さん いやいや、尾沢さんとの間にはカクエイ尾沢というのをこしらえて、「くすり屋」さんとの間をアーチにして、寺内の連中が通れるようにした。それはもともと尾沢さんの地所なんです。
馬場さん 今、郵便局に入るようなもんだ(笑)。
佐藤さん 僕は子どものころ、薮のおばちゃんのところは和田さんに向かって、うちから右側の路地を入っていくと、坪庭みたいのがあって家に入っていく。
馬場さん それは終戦後よ。
相川さん それは終戦後だけれども、そこが空いていたから尾沢さんが使わせていたのよ。
馬場さん 当時、昭和五年くらいは、まだぎっしりと家が建っていた頃ですが、尾澤さんはまだ敷地いっぱいに建てない頃だからね。

 現在の店舗、新宿区郷土研究会『神楽坂界隈』(平成9年)の岡崎公一氏の「神楽坂と縁日市」の「神楽坂の商店変遷と昭和初期の縁日図」、昭和12年と昭和27年の「都市製図社」「火災保険特殊地図」、1960年の「神楽坂三十年代地図」(『まちの手帖』第12号)、建物名や建物ごとの居住者を記載している住宅地図(昭和55年)を加えると、こうなります。上州屋から東京貯蓄までの5店舗が、現在の3店舗に減っています。地図では上州屋はここです。

北西南東
大正11年前相馬屋宮尾仏具S額縁屋(ブロマイド)尾沢薬局
大正11年頃東京貯蓄銀行小谷野モスリン神楽屋メリンス大和屋漆器店上州屋履物
戦後つくし堂(お菓子)藪そば
1930年巴屋モスリン松葉屋メリンス山本コーヒー
1937年3222ソバヤ
1952年空ビル宮尾仏具牛込水産東莫会館パチンコサンエス洋装店
1960年空地喫茶浜村魚金
1963年倉庫洋菓子ハマムラ牛込水産
1965年かやの木(玩具店)魚金
1976年第一勧業信用組合第一勧業信用組合
駐車場
第一勧業信用組合
駐車場
1980年サンエス洋装店
1984年(空地)寿司かなめ等
1990年駐車場駐車場郵便局
1999年ナカノビルコアビル(とんかつなど)
2010年空き地ベローチェ
2020年相馬屋神楽坂TNヒルズ
(焼肉、うを匠など)
神楽坂テラス
(Paulなど)
コアビル
(とんかつ)