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大阪の箱ずしが全国区にならなかった理由

文学と神楽坂

大阪の箱ずしが全国区にならなかった理由『別冊サライ』鮨特集で、石毛直道氏が書いた「大阪の箱ずしが全国区にならなかった理由」(小学館、1998年)です。なお、『別冊サライ』の氏の説明は
「いしげ・なおみち。昭和12年千葉県生まれ。高校時代までは関東で過ごすも、京都大学進学以降は関西で暮らす。甲南大学助教授を経て国立民族学博物館の創設とともに移り現在は館長。著書に『魚醤とナレズシの研究』『文化麺類学ことはじめ』などがあり、食文化に関する研究が長く「鉄の胃袋」とあだ名される」

――大阪の箱ずしは、なぜ握りずしのように全国に広まらなかったのか解明していただきたいのです。
石毛 う~ん、難題ですね(笑)。(中略)

箱ずしは二寸六分の懐石料理
石毛 酢飯を使ったすしは大阪にも伝わります。そして早くから商売として発展していく。これが箱ずしです。
 江戸はどうかと言うと18世紀の後半に「最近は江戸では箱ずしが廃れた」と書かれている文献がある。江戸で握りずしが生まれるのが19世紀の初頭です。つまり握りずし以前は江戸でも箱ずしで商売する人がいたわけです。

――しかし大坂には箱ずしが残って江戸には握りが広まる。これはどうしてでしょう。
石毛 握りずしも箱ずしも、外食産業として誕生の年代はそんなに大差はないかも知れませんが、店が相手にした客となるとまったく違います。大坂は当時は商業の町で豪商などもいて、すし屋はお金持ちも顧客にした。ところが江戸の町にいたのは大半は庶民で、その庶民を相手にすしの屋台ができた。
 つまり、外食産業が成り立つ基礎が大坂と江戸では全然違うんです。大坂で箱ずしは持ち帰り用の常店で売られ、多少高くても売れました。箱ずしは「二寸六分の懐石料理」だと称した人がいるほど美しく洗練されていった。確かに海老の赤と卵の黄色を重ね合わせた姿は大変きれいです。また大坂には北前船によって北海道の物産がもたらされ、それを料理に使い出す。典型は昆布です。昆布からとっただしを酢飯にからめるという手の込んだ芸当も箱ずしには加わっていきました。
 ところが江戸前の握りは言ってみればインスタント食品です。江戸ではこうした手軽なすしの方が受けた。なぜなら、その頃の江戸は参勤交代で諸国から江戸勤めになった下級武士はもとより、職人の丁稚、商人の番頭、丁稚などの多くは地方出身者で、ほとんどが独身でした。こうした人が女房も母親もいないので仕方なく食べるものとして高級料亭以外の江戸の外食産業は成り立っていきました。
 握りずしが出てくる時代の江戸の人口比率を見ると、男女のバランスが悪いんです。女性に比べ男性が圧倒的に多い。そのため江戸では飲食店が大発展します。おそらく飲食店の数では当時、世界一だったでしょう。それでも飲食店を支えていたのは収入の低い大衆でしたから、店に座ればすぐに食べられて安いものの方が江戸では主流になりました。
二寸六分 約10cmでした。

箱ずしは明治になると一挙に衰退
――食文化の違いは捕れる食材の違いや味そのものに対する好みもさることながら、庶民の懐具合と大いに関係してくるわけですね。
石毛 ええ、そうです。これは箱ずしと握りずしの違いにも表れていますが、関西の食文化は概して料理人がいかに手間を掛けたかという料理の技術を重んじますね。
 反対に東京はネタのよさで勝負。よけいな手を加えたらいけない。悪く言えばネタに全部頼る。こうした食文化の違いも、それを支えた庶民の懐具合が大いに影響しています。
 すしの違いでさらに言うなら、大阪の箱ずしにしろ、京都の鯖ずしにしろ、滋賀県の鮒ずしにしろ、すしは大概は祭りなどの行事と結びついています。京都の鯖ずしなどは、祭りの際に家庭で作って親類知人に配りました。かつてのすしはこのように日常の食べ物ではなくハレの日の料理だったわけです。
晴れの日 多くの人から祝福される儀式などを行う日。人生の記念すべき日。ハレとは日常的な普通の生活や状況を指すケ(褻)に対して,あらたまった特別な状態,公的なあるいはめでたい状況を指す言葉。

箱ずし

ところが握りずしは行事には結びつかず、保存もきかない。そんなこととは関係なく握りはスナック食品として発展していきました。世界のすしの中では例外的なものだと言えるでしょう。
――その土地固有の行事から離れたことで、逆に全国に広まりやすかったのでしょうか。
石毛 それもあると思います。しかし、握りずしがどうして全国区になったのか、大阪の箱ずしはどうして全国に広まらなかったのかを考えた時、そこには東京重視の政府の政策がからんできますね。飲食店の数が握りずしの方が群を抜いていたところに、明治になって江戸が東京に変わり日本の首府になった。これが決定打です。明治になると新政府は政治の中心である東京の文化を「国民文化」にしようとします。言葉も東京の方言が標準語と呼ばれて、あたかも標準語以外は日本語にあらずのような扱われ方をします。日本人の間に根強く残る単一民族思想なども同じですが、国威を発揚し富国強兵を目指していくために国民文化は意図的に作られたものです。

スナック食品 手軽に早く食べられる食事のことをスナックといい,この目的に合った食品をスナック食品と呼ぶ。

 また第二次大戦前後になると政府は食糧統制を敷き、外食産業での白米の売買を禁止し、それによって飲食店が全体に廃れます。そんな敗戦直後に疲弊しがちな庶民に対してお目こぽしのような政策を施す。白米一合を持ってと、なにがしかの加工賃で巻き五本と握り五個を作ってくれるという、いわゆる委託加工制度です。この政策にしたってすしといえば握り、という東京の文化を中心にしたものです。結局この制度は飲食店の衰退の時世にあって握りずしだけを衰退させずに残していきました。(中略)
 本物の箱ずしは、握りずしと違ってぽんぽん食べられません。断面を見た時にご飯の真ん中に一層あって、そこには椎茸の煮たものだとか、かんぴょうの煮たものだとかを挟んであります。そのうえご飯が圧縮されていますから、箱ずしは少し食べただけでお腹が一杯になってしまう。懐石料理の中に二切れぐらい入っていると量もちょうどいいですし、表面の彩りも断面もなかなかきれいなものです。それから握りずしは醤油を付けないと食べられませんが、箱ずしは醤油がなくても食べられる。もともと発展の仕方がまったく違いますからね。