大川時計」タグアーカイブ

神楽坂2丁目(写真)昭和34年 夜景 芸者 ID 36-39

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 36からID 39までを見ましょう。撮影の方向は、神楽坂の中途から坂上に向いています。街灯は鈴蘭灯があり、車道には平坦で、Οリングはまだないようです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 36 神楽坂途中から坂上方向夜景、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 37 神楽坂途中から坂上方向夜景、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 38 神楽坂途中から坂上方向夜景、着物の女性たち

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 39 神楽坂途中から坂上方向夜景、着物の女性たち圉

 ID 36とID 37は車2台のバンパーが流れてぼやけ、またID 37とID 38は印画紙?が乾燥し、ID 39だけがまあまあよさそうです。
 ID 39について『目で見る新宿区の100年』(郷土出版社、2015年)に解説されています。

神楽坂、坂下方向よりの夜景(昭和34年) 現・神楽坂2丁目。神楽坂がそれらしくなったのは、江戸時代といわれている。その後、大正時代には花街として隆盛を極めた。昭和34年に、これだけ着物を着た女性が撮影されたのは、やはり料亭や芸者置屋が多いという花柳界ならでは。

 しかし、これも新宿歴史博物館 ID 31-35と同様にやらせでしょうね。

「神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂2丁目
  1. 電柱看板「石川歯科」。小栗横丁にある
  2. 「夏目写真館」とネオン「photograph 夏目写真館」
  3. 「+ク」スリ。神楽坂薬局。「☎でんわ」と解熱鎮痛剤「ケロリン」。「ハーモニン 神楽坂薬局」
  4. 「田」丸屋。せんべい。「手焼せん 」
  5. ネオンは「洋装生地 林屋」
  6. 化粧品の十奈美。見えません。
  7. 山岸煎餅店。見えません。
  8. 洋品の「エス」ヤ
  9. 「メガネ」と、ひとつ奥には「ト」ケイと時計10:10。大川時計
  10. 肉・増田、太陽堂。見えません
  11. 神楽坂仲坂。見えません
  12. 山本薬局。見えません
  13. 「ヒデ美容室」
  1. 「パチンコマリー」
  2. 「ヤマヤ ⇒」
  3. 「洋食と喫茶 京屋 どうぞ⇒」。一軒ほど右奥にはいった場所にあります。
  4. 壁面看板「ジュ 」「靴 はニ 」
  5. 「靴 ニューイトウ」。広告のぼりは「セカイチョ」。運動靴の会社「世界長 セカイチョー ゴム株式会社」。「文部省教育用品審査合格品」
  6. 「コーヒー坂」と「陶柿園」は見えません。
  7. 「旅館 かぐら苑」。右奥にはいった場所にあります。
  8. 「珈琲 グラウン」と 「クラウン」
  9. 「ルナ美」容室。
  10. 「ポーラ化粧品」
  11. 「亀井鮨」
  12. 喫茶「七福」

 石川歯科小栗横丁にありました。

昭和59年 住宅地図。石川歯科

神楽坂下の夜景(写真)昭和34年 ID 39, ID 31, ID 32

文学と神楽坂

 4枚の写真は50~60年代の神楽坂の夜景です。新宿区新宿歴史博物館にいけば、おそらくさらに沢山の写真(坂下中腹)があるのでしょう。

 最初は昭和34年、神楽坂の中腹部です。

『目で見る新宿区の100年』(郷土出版社、2015年)(昭和34年)

「神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂2丁目
  1. 電柱看板「石川歯科」。小栗横丁にある
  2. 「夏目写真館」とネオン「photograph 夏目写真館」
  3. 「+ク」スリ。神楽坂薬局。「☎でんわ」と解熱鎮痛剤「ケロリン」。「ハーモニン 神楽坂薬局」
  4. 「田」丸屋。せんべい。「手焼せん 」
  5. ネオンは「洋装生地 林屋」
  6. 化粧品の十奈美。見えません。
  7. 山岸煎餅店。見えません。
  8. 洋品の「エス」ヤ
  9. 「メガネ」と、ひとつ奥には「ト」ケイと時計10:10。大川時計
  10. 肉・増田、太陽堂。見えません
  11. 神楽坂仲坂。見えません
  12. 山本薬局。見えません
  13. 「ヒデ美容室」
  1. 「パチンコマリー」。現在はカグラヒルズ。
  2. 「ヤマヤ ⇒」
  3. 「洋食と喫茶 京屋 どうぞ⇒」。一軒ほど右奥にはいった場所にあります。
  4. 壁面看板「ジュ 」「靴 はニ 」
  5. 「靴 ニューイトウ」。広告のぼりは「セカイチョ」。運動靴の会社「世界長 セカイチョー ゴム株式会社」。「文部省教育用品審査合格品」
  6. 「コーヒー坂」と「陶柿園」は見えません。
  7. 「旅館 かぐら苑」。右奥にはいった場所にあります。
  8. 「珈琲 グラウン」と 「クラウン」
  9. 「ルナ美」容室。
  10. 「ポーラ化粧品」
  11. 「亀井鮨」
  12. 喫茶「七福」


 下図は小さな文字で描かれていますが、大きくすると、店舗の名前もわかります。

神楽坂1~2丁目。1963年の住宅地図。

 2番目は神楽坂下から見た写真です。時代は同じく昭和34年。

新宿の1世紀アーカイブス-写真で甦る新宿100年の軌跡

➀ 「赤井商店」。戦前は足袋店。戦後は紳士用品や高級シャツの仕立てで「赤井シャツ店」に。1996年、転業し、10年間喫茶店。
➁ 印章・ゴム印で「津田印店」
➂ 「パチンコ」。おそらく「パチンコマリー」
➃ 「清水衣裳店」。結婚式、成人式、卒業式等の貸衣装店。現在は千代田区飯田橋3-2-12に。
➄ 「田原屋」。坂上の田原屋の兄弟店。フルーツパーラー。
➅ 「パチンコ」

 ほかに一方通行の標識があります。この時期、道路は坂を上る方向だけでした。

 3番目「神楽坂まちの手帖」第12号の「昭和30年代とその周辺 僕らの育った神楽坂」は新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 32と同じものです。

新宿歴史博物館 ID 32 神楽坂入口から坂上方向夜景、着物の女性たち

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 31では

新宿歴史博物館 ID 31 神楽坂入口から坂上方向夜景、着物の女性たち

 加藤嶺夫著「加藤嶺夫写真全集 昭和の東京1」(デコ。2013年)。時代は昭和42年。着物を着る芸者はもうなくなっています。

 かぐらむらの「記憶の中の神楽坂」では

赤井足袋店(神楽坂入口付近/明治40年代/『新修 新宿区区史』〈都立中央図書館蔵〉)
神楽坂下の角、現在では不動産屋になっている場所(神楽坂1-12)にあったのが「赤井足袋店」である。足袋の形の大看板に江戸の名残が感じられる。神楽坂の入口の良い目印であった事だろう。戦前は足袋店だったが、戦後は足袋と共に紳士用品や高級シャツの仕立てを行い「赤井シャツ店」となる。1996年に転業して10年間喫茶店を開いていた。2006年から不動産屋となっている

田原や(フルーツパーラー)
氷メニューが豊富でした。美味しかったですよ。ソフトクリームが美味しくて、それを使ったパフェも絶品!甘いものが苦手な人には小ぶりの丸パン3つに違った具をはさんだバンズセットというのが人気でした。当時の私は、お昼のお弁当を食べて、夕方それを食べて、家でまた夕食を食べるという食い気ばかりの高校生でした。(そうそう、そこの氷が独特で、名前も変わっていて、スノーハワイアンっていったかな?)