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若宮八幡神社(写真)昭和36年 ID 13987, 88, 90

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」で若宮八幡神社(若宮公園)のID 13987、ID 13988、ID 13990を見ましょう。撮影時期は1961年(昭和36年)の秋です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13987 神楽坂若宮八幡神社

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13988 神楽坂若宮八幡神社

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13990 神楽坂若宮八幡神社

 8年後の1969年(昭和44年)秋のID 8248と比較します。正面に流造(ながれづくり)の簡素な拝殿、狛犬と石灯籠が左右に1対ずつ。3列の敷石の参道。向かって右には笠をかぶった境内灯と、滑り台とブランコの遊具。敷地の奥には丸紅(株)若宮寮など、ほとんど同じです。
 昭和36年の場合は、区の「若宮児童遊園」の看板が右側の狛犬の向こうにあること。参道の左右に柳らしい木が見えますが、8年後にはなくなっていて別の木が大きく育っています。

神楽坂1丁目(写真)昭和45年、ID 13126、ID 13128とID 13130

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 13126、ID 13128とID 13130を見ていきましょう。3つとも昭和45年(1970)3月、牛込橋付近から神楽坂1丁目や坂上を撮ったものです。ID13117、ID13118、ID13121-22、ID13124と同様の画角ですが、より左側に寄った場所から撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13126 牛込見附、神楽坂通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13128 牛込見附、神楽坂通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13130 牛込見附、神楽坂通り

 交差点名は「牛込見附」。信号機にはゼブラ柄の背面板があり、逆転式一方を示す回転式の「進入禁止」の標識も見えます。通りに入ると標識「神楽坂通り/美観街」があります。
 車道は4方向ともアスファルト舗装で、側溝と縁石は牛込橋で確認できますが、他の車道も同じでしょう。また神楽坂の車道はガードレールはなく、牛込橋と右側の外堀通りの車道にはあって、おそらく左側の外堀通りもあったでしょう。また、歩道はアスファルト舗装です。
 街灯は昭和36(1961)年以降の大きな円盤形で、その下に「神楽坂通り」があります。電柱の上には大きな柱上変圧器があるものもあります。
 いずれ有楽町線「飯田橋駅」が外堀通りの下にできる予定ですが、工事開始は1970(昭和45)年8月なので、この写真より少し後です。
 牛込橋には桜の古木があります。ID 67(昭和48年(1973)5月)では取り除かれています。

牛込橋→神楽坂(昭和45年)
  1. 富士見 〇〇入学随時☎ 英会話タイプ学院 この手前
  2. 電柱看板「独特 とんかつ 森川
  3. 東山酒蔵
  4. 電柱看板「 大久保
  5. (12-24 駐車禁止)(区間内)
  6. 交通標識の裏面
    ――「牛込見附」交差点
  7. 看板「無事故運転は/教養のあらわれ」
  8. 電柱看板「東電のトレードマーク 中〇」
  9. (車両通行止め)
  10. 電柱看板「八千代鮨
  1. (歩行者通行止め)
  2. 萩の宮
  3. ファサード看板「加藤医院
  4. 貸間 アパート 学生会
  5. 映画ポスター「大いなる男たち」(日本公開1969年10月25日)
    ――「牛込見附」交差点
  6. 株式会社 さく(らや)(靴)
  7. 佳作座の看板「〇〇上映中」(「尼僧物語」か))
  8. 赤井商店
  9. カレーショップ ボナ
  10. (白十字医院)
  11. 紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田(紙店)
  12. (車両進入禁止)
  13. 不二家洋菓子
  14. (消火栓)
  15. 突き出し看板「喫茶 軽い心」 屋上看板「喫茶 軽い心」屋上看板「3,4F 麻雀 桜/2F 喫茶室 軽い心/1F パブ ハッピージャック」スタンド看板「ハッピージャ(ック)」「今宵楽(しく軽い心で)」
  16. (右のネオンサイン)(キャ)パレー(ムー)ンライト(仲通り)
  17. (さらに右のネオンサイン)神楽坂トルコ(仲通り)
  18. 看板「パチンコはマリーで」
  19. ニュ(ーイト)ウ(靴店)
  20. 純喫茶 クラウン(喫茶店)
  21. MAX FACTOR(化粧品)
  22. 資生堂(化粧品)(さわや
  23. ナショナルのマーク(竹谷電気工事)
  24. 東京電力(サービスステーション)
  25. 鮨どころ 二葉(寿司)

住宅地図。1970年

神楽坂1丁目(写真)昭和45年 ID13117-18, 21-22, 24

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID13117-18, 13121-22, 13124を見ていきましょう。全ては、昭和45年(1970)3月、牛込橋付近から神楽坂1丁目や坂上を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13117 牛込見附、神楽坂通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13118 牛込見附、神楽坂通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13121 牛込見附、神楽坂通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13122 牛込見附、神楽坂通り

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13124 牛込見附、神楽坂通り

 交差点名は「牛込見附」。信号機にはゼブラ柄の背面板があり、逆転式一方を示す回転式の「進入禁止」の標識も見えます。通りに入ると標識「神楽坂通り/美観街」があります。
 車道は4方向ともアスファルト舗装で、側溝と縁石は牛込橋で確認できますが、他の車道も同じでしょう。また神楽坂の車道はガードレールはなく、牛込橋はあり、おそらく外堀通りもありでした。
 歩道もアスファルト舗装ですが、カメラの足元の牛込橋部分は石敷でした。ID 13117の右下のガードレールの切れ目あたりで、アスファルトの歩道が縁石で終わっているのが分かります。
 街灯は昭和36(1961)年以降の大きな円盤形で、その下に「神楽坂通り」があります。ただし、牛込橋の最も手前に逆円錐形の街灯があり、これは千代田区のものと思われます。電柱の上には大きな柱上変圧器があるものもあります。
 いずれ有楽町線「飯田橋駅」が外堀通りの下にできる予定ですが、工事開始は1970(昭和45)年8月なので、この写真より少し後です。
 牛込橋には桜の古木があります。ID 67(昭和48年(1973)5月)では取り除かれています。

牛込橋→神楽坂(昭和45年)
  1. 登録商標東山 東山酒蔵〇会 東山酒蔵
  2. (12-24 駐車禁止)(区間内)
  3. ▶電柱看板「 大久保」「東電のトレードマーク 中〇」
  4. 交通標識の裏面
    ーー「牛込見附」交差点
  5. 看板「無事故運転は/教養のあらわれ」
  6. (車両通行止め)
  7. (パチン)コ Pachinko(ニューバリーパチンコ)
  8. (駐車禁止)(区間内)
  9. 田原屋(フルーツパーラー)
  10. 田口屋生花店。五階建て
  11. 「ダイヤモン(ド毛糸)」(大島糸店)
  12. (喫茶)五(条)(五条ビル)
  13. 遠くに「協和銀行」

▶は車道寄りの歩道上に広告があり、ない場合は直接店舗に

  1. 立て看板「アルバイト 下宿 アパート 貸間 日本学生会
  2. ▶立て看板「盛況 酒ビール飲放題確定サービス 8時迄〇〇一五〇〇円」
  3. 電柱広告「洋装店 ナカノ」
  4. 萩の宮
  5. ファサード看板「入院設備あり 産婦人科 加藤医院
  6. ▶映画ポスター「大いなる男たち」(日本公開1969年10月25日)
    ーー「牛込見附」交差点
  7. 佳作座の看板「〇〇上映中」(「尼僧物語」か))
  8. 赤井商店
  9. カレーショップ ボナ
  10. 紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田(紙店)
  11. (消火栓)
  12. 突き出し看板「喫茶 軽い心」 屋上看板「喫茶 軽い心」屋上看板「3,4F 麻雀 桜/2F 喫茶室 軽い心/1F パブ ハッピージャック」スタンド看板「ハッピージャ(ック)」
  13. (右のネオンサイン)(キャ)パレー(ムー)ンライト(仲通り)
  14. (さらに右のネオンサイン)神楽坂トルコ(仲通り)
  15. クラウン(喫茶店)
  16. 資生堂(化粧品)(さわや)

住宅地図。1970年

神楽坂2丁目(写真)昭和54年 神楽坂通り ID 11869

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11869は、昭和54年(1979年)1月の神楽坂2丁目を坂上から坂下に向かって撮ったものです。なお、ID 88とID 11868はほぼ同じ時刻に神楽坂3丁目を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11869 神楽坂

 車道はΟリングのくぼみがついたコンクリート舗装で、側溝と縁石があり、歩道はアスファルト舗装です。街灯は昭和36年(1961)以降の巨大な円盤形で、「神楽坂通り」を覆うように木と人工葉があり、正月の飾りとして、足元には細長い竹と松が結びつけられています。さらに奥には標識「神楽坂通り/美観街」があります。

神楽坂2丁目(昭和54年)
  1. (ビ)クターレゴ―ド リード商会。チャコ。でんでんむし。(神楽坂)ビル
  2. やっ(「」は変体仮名の「こ」)
  3. 音楽 坂(珈琲)
  1. TONAMI(十奈美化粧品)
  2. 巴有吾有」(おそらくシャッターの貼り紙は年賀で、正月休みでしょう)
  3. 地図によれば「仲門堂」(閉鎖中)
  4. 西川みゆき
  5. 電柱看板「 大久保」「歯 石川
  6. 夏目鍼灸治療/夏目写真館 夏目写真館。PHOTOGRAPH
  7. (消火栓標識)と消火栓広告「(神楽坂)針灸院
  8. 「麻雀」
  9. 電柱看板「 大久保」「歯 石川」
  10. 「純喫茶 カ(ブト虫)」
  11. 大(島歯科)
  12. 「(ジロ)ー 5F 4F 3F う」(志満金)(下の写真を)
  13. 丸和(証券)
  14. 神楽坂通り/美観街
中央に(横断歩道)2つ

住宅地図。1976年

気まぐれ本格派 25話 赤字は[ジロー」(志満金)

神楽坂5丁目(写真)昭和54年 ID11824 神楽坂上交差点

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11824は、昭和54年1月、当時の神楽坂交差点(現、神楽坂上交差点)から神楽坂5丁目を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11824 大久保通りから神楽坂通り(早稲田通り)を見る

 車道はアスファルト舗装で、平坦で、凸凹もなく、両側には側溝と縁石があります。歩道もアスファルト舗装で、平坦です。街灯は昭和36(1961)年以降の大きな円盤形で、その下に「神楽坂通り」、さらにその下に木と人工葉があります。標識(一方通行)が大きく描かれて、その奥には大きなサイン「神楽坂」があり、さらに奥には標識「神楽坂通り/美観街」があります。
 ID 7430(昭和45年)とよく似た写真ですが、10年の間に違いが生じました。
・信号機に交差点名の標識がついた。
・ロール型の方向指示標識の矢印が横から縦に変わった。
・横断歩道が「はしご型」に描かれている。
・大久保通りの路面電車13系統がなくなった(廃止は昭和45年3月)。
 変わっていないのは、電柱が向かって右側だけにあること、標識「神楽坂通り/美観街」があること、それに一方通行の矢印の陰になって「神楽坂」の標識ポールがあることです。この標識ポールは昭和20年代後半に坂下(ID 23)と坂上(ID 9495)に設置した古いものです。坂下は昭和30年代に取り外されましたが、坂上はまだ残っています。
 矢印の下の「自転車を除く」は坂下のロール型の方向指示標識にも見えます(ID 9109など)。しかしID 65(昭和48年)にはありません。自転車は一方通行に従わなくていいことを明確にしたのでしょう。
 店の並びはあまり大きく変わっていませんが、正面の大きなビルは相馬屋ビルで、1978年(昭和53年)3月築です。
 DPE(Development, printing, enlargement)は現像・焼き付け・引き伸ばしの略で、ID 7430(昭和45年)にはつくば商事が行っていたようです。今回の昭和54年では、DPEは2つあります。右側の「DP(E)気軽に海外旅(行)」はそのすぐ下に鳩のトレードマークと「ヒ」があり、ヒグチのDPEだと思います。左側の「DPE 37円」はつくば商事かヒグチか、はっきりしませんが、つくば商事の一部を借りてヒグチが業務を始めたとすると、つくば商事からすれば、ヒグチに全てあげた方がいいでしょう。

ID 11824 DPE

神楽坂5丁目(昭和54年)
  1. 裏向きのスタンド看板(歩行者天国時に車道に出す)
  2. 標識(一方通行)「自転車を除く」。標識(自転車及び歩行者専用)。「歩行者専用道路/12-13/日曜 休日は/4月-10月/12-20/11月-3月/12-18」。標識(駐車禁止)0-12。「ランチタイム・プロムナード」のマーク
  3. 古い標識ポール「神楽坂」
  4. 河合陶器店 陶磁器 ガラス食器 陶芸用品
  5. 山下漆器店
  6. 菊岡三味線店
  7. 明治ゴールド牛乳(田口牛乳店)。2階はBoss ルネ
  8. 割烹 うなぎ 蒲焼 大和田。歩道に出前用と思われるバイク数台。
  9. 立て看板「英会話」
  10. リード商会)ビクター レコード
  11. タカミ洋品店
  12. 中国料理 東花飯店
  13. 標識「神楽坂通り/美観街
  1. 電柱。「神楽坂」交差点。電柱看板(牛込犬猫病院)。貼り紙
  2. 営業案内/土地・建物・売買・管理/賃貸借・周旋/電話買取及販売/不動産一般代理(つくば商事)
  3. DPE 37円。
  4. 看板は「貸出の物件」。あるいは読めない
  5. 薬ヒグチ。DP(E)気軽に海外旅(行)。
  6. 田原屋 フルー(ツ)
  7. 三菱銀行

住宅地図。1980年

坂上の風景

神楽坂、坂と路地の変化40年(1)|三沢浩

文学と神楽坂

 建築家の三沢浩氏の「神楽坂まちの手帖」第9号(2005年)の随筆「神楽坂、坂と路地の変化40年(1)」を、半分以下の分量に限って、引用します。氏は1955年、東京芸術大学建築科を卒業し、レーモンド建築設計事務所に勤務。1963年、カリフォルニア大学バークレー校講師。1966年、三沢浩研究室を設立、1991年、三沢建築研究所を設立しました。なお、(2)(3)も引用可能の分量に限って引用します。また、茶色のコメントは地元の方のものです。

外堀通りの桜は今年で30年目
 4月初頭、今年もみごとなソメイヨシノが、外堀通りを飾った。新たな柵が、厚いコンクリートの基礎にのり、ライオンズクラブの石の標識が、木柱ペンキ塗りにとって代わった。ライオンざくらと命名されているが、この桜は、1976年にクラブ認証十周年記念の植樹であった。つまり30年目の枝振りは、大きく濠に向けて土手を覆い、ボートに代わる水上の張り出し店に多くの客を呼んで、席待ちの列までできた。
 この植樹以前には、一間毎の柱を貫き、誰もが気軽に水面に降りられた。まだ鮒がよく釣れたころのことだ。土手公園の向こうに、名建築だった「逓信病院」の瀟洒な白亜の姿が見え、そろそろ巨大な警察病院の建て方が始まる頃。神楽坂側には三階建の物理学校時代を示す、理科大学校舎と、小さな研究社の本社が並んでいた。
 くねる都電の線路はなぜか濠側にあって、それに沿って歩くと、春の浅い3月初めには、鼻をくすぐる濠の匂いが漂った。毎年その香を感ずると、春の到来を知ったものだ。何のかおりか、不思議な燻りの匂いだったが、都電が無くなる頃には、車も増え、いつしか消えてしまった。
ライオンズクラブ 東京飯田橋ライオンズクラブ。場所は不明。
張り出し はりだし。建物などの外側へ出っ張らせてつくること、またはその部分。
一間 いっけん。ひとま。尺貫法の長さの単位で、1.81818m
水面に降りられた 実はお堀の柵は低かったのです。

外堀通り。TV。気まぐれ本格派全編(1977年)

土手公園 現在は外濠そとぼり公園と名前が変わっています。JR中央線飯田橋駅付近から四ツ谷駅までの約2kmにわたって細く長く続きます。
逓信病院 東京逓信病院。千代田区富士見ニ丁目14番23号。総合病院。

東京逓信病院

警察病院 東京警察病院。総合病院。千代田区富士見町。沿革によれば全館竣工は1970年(昭和45年)3月。2008年(平成20年)4月に中野区中野4丁目に移転しました。

住宅地図。1978年

理科大学 東京理科大学。神楽坂キャンパスは新宿区神楽坂1-3。
研究社 昭和40年3月から昭和57年まで、研究社(辞典部門)と研究社出版(書籍・雑誌)は神楽坂に同居しました
燻り いぶり。くすぶり。物がよく燃えないで、煙ばかりを出す

歩行者天国の日曜日、神楽坂通りさわや前 1971年5月 筆者撮影

坂のすべり止めは一升瓶の底だったか
 都電の停留所は牛込見附、今のマクドナルドの隣の公衆便所が最寄りだったが、見附から佳作座を越えるあたりで大きくカーブして、その神楽河岸には材木屋、土砂屋、都のごみ船寄りつきなど、一列の家並みが、ややくねった濠を遮っていた。
 見附からパチンコのニューパリと、洋品のアカイの間を入ると神楽坂が始まる。40年前の坂は、今とくらべると随分と静かだった。高い建物は坂上の菱屋の6階、大きな建物は、今のカグラヒルズの位置にあった、キャバレー「軽い心」で、あとは坂を越え、今も変わらぬ三菱銀行神楽坂支店だったろう。そのほかはほぼ木造の2階建、それら商店の間口は、今とほとんど変わることなく、昔の敷地割りを、その店構えに残していた。おおむね3間、5.4m、奥行きは背後の路地や崖で変わる。上り坂右の裏は路地が通り、左の裏は次第に崖となっているから、大体同じような敷地面積だと思われる。
 1960年代のこの坂には、今の街路樹のけやきは無い。昨年新しい街路灯になる前は、ガス灯型だったが、それも無く、UFO型が曲げた鉄パイプに吊られていた。林立する電柱は家並みを圧倒し、くもの巣のように電線が走り、坂をまたいでいた。歩道はアスファルト、車道はコンクリートで、坂部分は自動車のすべり止めのために、内径で10cm位の輪型が30cm間隔で、びっしり堀り込まれていた。セメントが生乾きのうちに、一升瓶の底を押しつけて輪型をつくったと、冗談交じりの話を聞かされた。
 このコンクリート床がはがされて、アスファルトになり、歩道はインターロッキングという、互いに噛み合ってずれない、小型ブロックに変わる。1980年代初頭に、東京都が都内で22商店街を選び、モデル商店街としたが、その選に入ったからであった。
牛込見附 以下の通り。

牛込神楽坂警察署管内全図(昭和7年)(「牛込警察署の歩み」牛込警察署、1976年から)

マクドナルド 現在はカナルカフェブティックで、お菓子などを販売します。
公衆便所 位置は変わりません。
佳作座 現在はパチンコ店「オアシス飯田橋店」です。
材木屋、土砂屋、都のごみ船 現在は100%なくなりました。細かくは「神楽坂と神楽河岸」で。
寄りつく よりつく。 そばへ近づく。
ニューパリ 正確にはニューパリー
ほかはほぼ木造の2階建 実際には菱屋がビルになった昭和42年(1967年)頃に、大島ビル(1959年竣工)、五条ビル(1967年竣工)、神楽坂ビル(1969年竣工)など同程度の高さのビルがいくつも建っています。
街路樹 昭和48年までは街路樹は全くなく、牛込橋は桜の木でした。昭和49年、神楽坂1~5丁目はけやきになっています。
ガス灯型 昭和54年、神楽坂1~5丁目はUFO型でした。昭和59年(田口氏「歩いて見ました東京の街」05-10-33-2神楽坂標柱 1984-10-02)、ガス灯型になっています。

田口氏「歩いて見ました東京の街」05-10-33-02 昭和59年1984-10-02

UFO型 大きな電灯で、昭和36年2月に「鈴蘭灯」から変わりました。
輪型 Oリングです。
冗談交じり 多分、冗談。
インターロッキング インターロッキング(interlocking)は、かみ合わせる。ブロックを互いにかみ合うような形状にして舗装する。荷重が掛かったとき、ブロック間の目地に充填した砂がブロック相互のかみ合わせ効果(荷重分散効果)が得られる。
その選に入った 神楽坂6丁目だけです。

キミが一生に一度も行かない所 牛込神楽坂

文学と神楽坂

「キミが一生に一度も行かない所 牛込神楽坂」という雑誌「Mr. Dandy」(中央出版、昭和49年)での写真です。中扉、いろいろな場所、さらに数枚の神社仏閣ですが、ここでは中扉を扱います。
 有楽町線「飯田橋」はまだ未開通です。しかし道路は開削し、上に鉄板を並べるところまで来ています。ただし、埋め戻しは開通後です。標識「神楽坂通り/美観街」も出ています。街灯は円形の蛍光灯一つだけで、これは昭和36年(1961年)以降です。その下に看板「神楽坂通り」。柱上変圧器もあります。

キミが一生に一度も行かない所 神楽坂S47

神楽坂1丁目(昭和49年)
  1. 田原屋。Tawarayaのyaが見える。
  2. 元祖 貸衣装 清水本店。
  3. 生そば。は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。ここに「翁庵」がある。
  4. 信華園(中華)
  5. 志満金」(うなぎ)
  1. 山田紙店。シャッターで閉鎖中。下に三角フェンス(バリケード)と土嚢。土嚢は雨水流入防止の常備品。地下鉄有楽町線「飯田橋駅」の出口で、利用開始寸前。ファサード看板は「山田紙」店。袖看板は「紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店」。さくらカラーの看板。地下鉄の出口に店を半分、譲渡。現在は「のレン」(お土産店)
  2. 不二家洋菓子。FUJIYA コーヒーショップ。不二家洋菓子
  3. 紀の善
  4. 床屋のサインポール
  5. 屋上広告看板の「3F 麻雀 桜。2F 喫茶室 軽い心。1F パブ ハッピージャック」。袖看板は「軽い心
  6. 建築中の陶柿園

神楽坂1丁目(写真)景色 昭和41年 ID 7658

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 7658を見ていきましょう。時代は1966年(昭和41年)で、全員長袖で、コートを着ている人もいます。撮影の方向は、神楽坂1丁目から坂上に。街灯は蛍光灯一つだけで、これは昭和36(1961)年以降です。車道は平坦で、凸凹もありません。道路にたまった雨水などを排水する側溝があります。歩道は昭和37年夏や、昭和41年の「坂のある街」では表面に滑り止め文様がありましたが、昭和41年の後半にややサイズの大きい平らな正方形のブロックに代わり、きれいに並んでいます。この歩道は改修後でしょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7658 神楽坂 紀の善付近 1966年

神楽坂1~2丁目(昭和41年)
  1. 1階建て。田口屋生花店だが、ID 54の大きな看板はなくなった。
  2. 街灯看板の「パール ビリヤード」と「神楽坂」
  3. 電柱看板の「川島歯科
  4. 小栗横丁に行く小道
  5. 壁面看板とファサード看板の「花 田口屋生花店」。不明のネオンだが、ID 5081では「花 田口屋」。ここから2丁目
  6. 街灯と「神楽坂」
  7. 「御料理 蒲焼 志満金」と「うなぎ丼」
  8. 電柱看板の「 大久保
  9. 「靴 オザキヤ
  10. たばこ ☎(田金果実店)
  11. (食品 丸八)
  12. 「特約店 大島糸店」 4階建て
  13. サンコール(松本商店)
  14. 夏目写真館
  15. ✚クスリ(神楽坂薬局)
  16. 「洋装生地 林屋」
  17. ヒ(デ美容室)
  18. 五条ビル。5階建て。翌1967年完成だが突き出し看板も出ており完成間近
  19. 遠くに「(三菱)銀行
  1. 街灯
  2. 山田紙店
  3. ヤマザキパン(明治アイスクリーム)コカコーラ。公衆電話。でんわ☎でんぽう。公衆電話の台に第一相互銀行の広告
  4. おしるこ 紀の善
  5. 神楽小路。歩道からは1段下がる。おそらく歩道の改修で段差がついた。
  6. 床屋のサインポール(理容バンコック)
  7. (Frère WADA)YA(メンズウェアー)ID 86に詳しい
  8. 消(火栓)レストラ(ン)この先〇
  9. 軽い心
  10. ニューイトウ(靴)
  11. 遠くに「資生堂化粧品」(さわや
  12. 遠くに「神楽坂通り/美観街」。「坂のある街」にはないので、歩道改修と同時設置か。

神楽坂上空(写真)昭和36年、ID 12145

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12145は、昭和36年(1961年)、上空から神楽坂全体を撮ったものです。また、新宿区役場「新宿区15年のあゆみ」(昭和37年3月)にもでています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12145 神楽坂上空より

 主に「通り」と「横丁」を上げてみます。拡大すると見えます。

 これから神楽坂通りを1番目として、北(右)でも南(左)でも遠くなると番号も増えていきます。また、近景から遠景まで順番に書いていきます。なお、地元の方から多大な助力を頂きました。特に遠景ではこの助けがないとできませんでした。感謝、感謝です。

近北

ID 12145の一部 神楽坂上空 近北

  1. 赤井商店(足袋)
  2. さくらや(靴)
  3. 燃料市原
  4. 佳作座(名画座)
  5. ジャマイカ コーヒー
  6. モルナイト
  7. 三陽商店工場
  8. 三和計器製作所
  9. 小林商店(砂・セメント)
  10. 伝道出版社
  11. 人形の家(喫茶)
  12. 神楽坂通りは一方通行。早稲田通りは対面通行
  13. 神楽坂警察署
  14. 池か
  15. 銀鈴会館(名画館など)

1962年。住宅地図。

近南

ID 12145の一部 神楽坂上空 近南

  1. パチンコニューパリー
  2. 聖学館と酒井
  3. 三河屋 酒店
  4. 大野テーラー
  5. 双葉社 週刊大衆
  6. 中華 源来軒
  7. 東京トヨペット
  8. コーヒー カーネギー
  9. アケミ美容室
  10. ひかりのくに
  11. 建築中(東京理科大学)

は東京理科大学

1962年。住宅地図。

中北

ID 12145の一部 神楽坂上空 中北

  1. 三菱銀行
  2. ムーンライト
  3. 大久保
  4. ゴルフ神楽坂。この手前は結構なガケで、コンクリートの擁壁になっている。このガケは今も同じ。
  5. 石造りの安井邸。翌年には鈴木邸になる。子供たちにとっては「お化け屋敷」。
  6. 旅館なの花。隣の青灰色の建物と一体で。
  7. 神楽坂浴場

1962年。住宅地図。


中南

ID 12145の一部 神楽坂上空 中南

  1. 三菱銀行
  2. 牛込三業会(今の東京神楽坂組合
  3. 熱海湯
  4. 松ケ枝
  5. 丸紅飯田若松荘
  6. 神楽坂若宮八幡神社

1962年。住宅地図。


遠北

ID 12145の一部 神楽坂上空 遠南

  1. 三菱銀行
  2. 神楽坂上交差点
  3. 音楽之友社
  4. 熊乃湯。現・玉の湯
  5. 白銀公園
  6. 赤城神社
  7. 神祇社殿
  8. 東京都職員飯田橋病院 ※後の放射線学校
  9. 雪印健保会館 ※現・升本本社
  10. 朝鮮新報社(?)

1962年。住宅地図。


遠南

ID 12145の一部 神楽坂上空 遠南

  1. 神楽坂上交差点
  2. 協和銀行
  3. 日本出版クラブ
  4. 光照寺
  5. 日本興業銀行社宅 ※旧・酒井家矢来屋敷
  6. 新宿区箪笥町特別出張所 ※ここからID 565を撮影した
  7. 見えないけど袖摺坂はこのあたり


最遠

 最後は最も遠い光景です。地元の方が教えてくれました。そのまま描いています。

ID 12145の一部 神楽坂上空 最遠

  1. 早大理工学部
  2. 都立戸山高校
  3. 早大記念会館
  4. 穴八幡
  5. 早大早稲田キャンパス
  6. 学習院目白キャンパス
  7. 椿山荘

神楽坂3丁目(写真)昭和42年 ID 6とID 12905、ID 7とID 12903、ID 12904

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 6とID 12905、ID 7とID 12903、ID 12904を見ていきましょう。ともに今は雨は降り、撮影の方向は神楽坂の中途から坂下に向いています。街灯は鈴蘭灯とは違い、円盤形の大型1個だけで、これは昭和36(1961)年以降にあたります。円盤形の下には標識「神楽坂」もあります。車道では横断歩道を越えて、菱屋の前まで、Oリングのくぼみがあり、歩道は滑り止めのついた四角いブロックで舗装しています。

新宿歴史博物館 ID 6

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12905 神楽坂

新宿歴史博物館 ID 7

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12903 神楽坂

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12904 神楽坂

神楽坂3丁目(昭和42年)坂下→坂上
  1. 亀井鮨
  2. (資)生堂化粧品 さわや
  3. 神楽坂仲通りに入る。これから3丁目に。数軒はいり…
  4. 歩道に電気製品?(竹谷電気)
  5. 横断歩道。
  6. 柳の木が見える(万平
  7. ブリヂストン エバーソフト(菱屋)。エバーソフトは商標名で、ゴムや合成樹脂を加工し、柔らかく弾力性のあるようにしたもの。マットレス、クッション、座布団などに使う。
  1. ✚クスリ(神楽坂薬局)
  2. (洋装生地)林屋
  3. 電柱看板「質 大久保
  4. (ID 9によれば)プラ(チナ万年筆)(大川時計店)
  5. 牛豚鶏 増田屋
  6. 太陽堂
  7. 神楽坂仲坂に。これから3丁目に
  8. パンビタン 山本薬店。看板「抗生物質製剤 クロロマイセチン」
  9. ヒデ美容室
  10. 工事中
  11. 電柱看板「東京電力サービス(ステーション)」
  12. 廣東料理 龍公亭

 右手の工事中については、1967年(昭和42年)までは「きらく会館」で、70年(昭和45年)になると「コーヒー5番」になります。また「ブリヂストン エバーソフト」は「菱屋」です。
 また、菱屋の写真がわずかに出ていますが、これは古い店舗です。新しいビルにかわるのは昭和42年以降でした。

昭和38年/42年 vs 45年

 一方、昭和42年2月8日の田口重久氏の写真があり「2月8日までに『Club 軽い心』の向こうで、菱屋のビルが完成しています。つまり新しいビルに変わるのは昭和42年(または前年末)でした」と地元の人。

05-14-37-1

田口重久氏「歩いて見ました東京の街」05-14-37-1 牛込見附から神楽坂下を 1967-02-08(昭和42年)

 これから地元の人はこう考えます。

 右手の龍公亭とヒデ美容室の間に空地があります。ID 4794(昭和27年)は、ここに建物が建築中(または改装中)でした。かなり見づらいですが、ID 9504-9505(昭和28年以降)では、少し奥まった店らしきものが見えます。ID 4943(昭和32年)でも右端のヒデ美容室の隣に店があることが確認できます。
 しかし、この店はその後、短期間で取り壊されたと見られます。1962年-63年(昭和37-38年)の住宅地図では下図のように空地になっています。隣家の壁面が煤けているので火事だったかも知れません。ID 14-15(昭和37年以降)でも、このID 6-7などと同様に空地です。
 空地は1964年(昭和39年)の地図以降は「きらく会館」、1970年(昭和45年)になると「コーヒー5番」になります。
 これらを総合すると、撮影時期は「きらく会館」が建つ前の1963年(昭和38年)ごろと思われます。

1962年 龍公亭付近

神楽坂|昭和36、7年(写真)観光案内 vs ID 17

文学と神楽坂

 2枚の写真を比べてみましょう。昭和36年と37年です。最初は昭和36年、1961年です。場所は神楽坂1丁目から2丁目です。図は拡大できます。

県別・写真・観光日本案内 東京都 昭和36年

 右側の前から見ると……

  1. 神楽堂。パンなどの店舗
  2. 何も書いていないけど、紀の善。甘味処です。
  3. MEN’S WEARの前に神楽小路が見える
  4. 白い建物の1階はテーラー和田屋、2階が理容バンコック。MEN’S WEARとWA⚫⚫YA。道路には床屋のサインポール
  5. ダンス。神楽小路の奥にあった小柳ダンス教室
  6. メトロ映画で「江戸っ子肌」公開は1961年2月と「兵六大臣行状記」公開は1961年2月。最初に封切りをする1番館でした。
  7. トリスバー
  8. 「志乃多寿し」
  9. 1軒が間に入り、パチンコマリー

 次は1962年です。昭和37年で、新宿歴史博物館のID 17です。場所は神楽坂1丁目から2丁目です。

新宿歴史博物館 ID 17 神楽坂下から坂上方向 昭和37年頃

 最初は左側の前から後ろに向かっていきます。

  1. 甘味 桜井。ここは1丁目。
  2. パール ビリヤード。現在はないが、小栗横丁にあった。
  3. 小栗横丁に行く小道
  4. 壁面看板の「花 田口屋」。ここから2丁目
  5. 電柱看板で「川島歯科」。現在はないが、藁店にあった。
  6. 志満金

 次は右側の前から後ろにです。場所は2丁目です。

  1. 床屋のサインポール
  2. メトロ映画で「九ちゃん音頭」公開は1962年7月と「男度胸のあやめ笠」公開1962年6月
  3. 白い建物はスナックとバー みなみ
  4. 志乃多寿し
  5. 山一薬品
  6. パチンコマリー

 しかし、1961年と1962年の場合、もう1つ、大きな違いがあります。つまり、街灯が違っているのです。1961年はいわゆる「鈴蘭灯」で、下向きの2つ、上向きが1つの電灯がありました。おそらく1955年ごろから使ったものです。

 これは「神楽坂下の夜景(写真)」でもみられます。

 1962年は極めて簡単で、大きな電灯は1つだけです。

 1961年2月に街灯は変えられたと考えています。