杢太郎」タグアーカイブ

文豪の素顔|森鴎外(2)

文学と神楽坂

 その間にあつて、杢太郎ばかりは、いはゆる朱に染まない、純真な学徒であり、芸術家であつた。僕のやうな三下奴が心ひそかに敬慕もし、頼りにするのは当然の話であつた。
 杢太郎の家へいくと、彼はもうきちんと大学の制服にきかへてゐて、にやにやしながら「今君の親父の家へ電話かけたら、秀さんは昨夜つから帰らんといふぢやないか。吉井と一しよなら、どうせ悪所だな。あのディオ二ソスにも困つたもんだよ。はゝゝゝ。」と真四角な口をあけて、歯並のそろつた歯を出して大きく笑ふ。意志的な、英知の表情である。
 僕がソラやゴンクールが消えた話をすると「そいつは愉快だなア、彼らにはソラやゴンクールは、およそ猫に小判だからね。仕様がないな。幹さん、そば杖で大損害だつたね。しかし秀さんも勇も、何んにも読まずに、徒らにヴィナスバッカスばかり追つかけてるのはつまらんな、今にアルチザン以上のものにはなれんぞ。」と、いつになく、生真面目な顔になる。一たい杢さんの顔の皮膚は血行が不安定で、笑ふとみずみずしい赤色を呈してくるが、渋面つくると、毛細管が皺にそうて収縮するかして、黄色い太い線を残すのが特徴であつた。
 僕は今更ら秀雄や勇の愚痴をいふのも馬鹿くさいので、鷗外先生の方へ話をもつていくと、杢さんは例のくせの鼻をクンクン鳴らして、

悪所 悪いところ。花街でしょう。
ディオ二ソス Dionysos。ギリシャ神話で、酒の神。バッカス。
猫に小判 貴重なものを与えても、本人にはその値うちがわからないことのたとえ
そば杖 喧嘩のそば(づえ)。他人の喧嘩のとばっちりをうけること。
ヴィナス ビーナス。Venus。ローマ神話の愛と美の女神。
バッカス Bacchus。ローマ神話のワインの神。ディオ二ソスの異名バッコスがラテン語化してバックス、英語化してバッカス。
アルチザン artisan。技術的には熟練し精妙な腕を発揮しながらも芸術的感動に乏しい作品を作る人々を批判的にいう言葉。

「いや、千駄木町のメートルはね、陸軍省から、真直に精養軒へいくといつてたよ。だから、もし幹さんがいくんなら、精養軒へずつと一しよにいかうか。」と、すつかり当てがはずれたことになつてしまふ。
 僕は杢さんと一しよに歩くだけでもむろん楽しいので、二人肩を並べて、戸外へ出た。杢さんはとてもよく歩く人で、白山の停車場へきても、電車に乗らうとはいはない。追分の方へどんどん歩いていく。どうやら向岡へ出て、上野までぽくぽく歩いていくつもりらしい。
 僕も何んにもいはずに、歩いていつた。
 杢さんはしきりに鼻をクンクンやる。さういふ時には、至極御機嫌なのである。
「ねえ、幹さん、君一昨日蒲原さんのところをベズーフしたさうだね、君はよくいくんだね。」
「え、僕、とつても、有明先生が好きになつちやつたんですよ。あのビンズル尊者はお顔をみてるだけでも、深遠で、神聖で、頭がさがりますね。」
「僕らはもつと、有明を勉強しなくちやいかんな。上田敏や白秋のけんらんもいいが、技巧ばかりで内容は稀薄だね。」
「さういふ感じがしますね。」

メートル フランス語maîtreから。先生。親方。長。この場合は森鴎外です。
白山、追分、向岡 白山は現在の「白山上」、追分町は「本郷追分」、向岡は当時の「向ケ丘弥生町」で、これは現在の「弥生町」の方が現在の「向丘」よりもいいと思います。ここを通って精養軒に行くわけです。

精養軒

最新大東京案内図 昭和17年(1942年)から

Kambara_Ariake蒲原 蒲原(かんばら)有明(ありあけ)。詩人。東京生れ。生年は1875年(明治8年)3月15日。没年は1952年(昭和27年)2月3日。複雑な語彙やリズムを駆使した象徴派詩人で、薄田泣菫と併称し、北原白秋、三木露風たちに影響を与えました。
ベズーフ ドイツ語でBesuch(ベズーフ)は「訪問」「訪問する」
ビンズル 賓頭盧(ビンズル)。釈迦の弟子。十六羅漢の第一
白秋 北原白秋のこと。

「何か面白い話あつたの。」
「例によつて、アーサー・シモンズでもちきりで、とても僕、興奮しちやつた。一たい先輩つてものは、やけにわれわれに布教したがるもんですけど、有明先生ばかりは御自分の傾向にあふやうなことばかりひとりでしづかにアーサイドしてゐて、ちつとも教化しませんね。いやならそッぽむいてろつて調子で、妙に相手を突き放してゐる態度が僕、立派だと思ふんです。青年にちつとも媚びませんからね。」
「君は散文的なみかたをするから、リアルをみるんだね。」
「今度の『河岸蔵』の詩なんか、まるで印象派の画だな。魂に黒点を印しますよ。僕はね正直のところ、北原君や吉井君のあの朗々すべき声調つていふかな、ああいふのは才気だけの問題であつて、もうぢき飽きられやしないかと思ふんですがね。」
「いや、さうでもないよ。あれはあえかな青春といふものにつながつてるからね。人間が不朽のリリシズムを謳歌する以上、やはりあの浪曼主義は、亡びないね。はゝゝゝ。但しちと甘いがね。」と、杢さんはいたずららしくちよいと舌の先を出す。
 池の端へ出ると、東照宮五重塔がぼやッと夕靄にとけて、縮緬皺の無数によつた不忍池には、立ちおくれた真鴨が暖かさうに浮んでゐる。ぬくたい夕風がほこりッぽく顔を撫でてくる。
「どつだい、池の水が白く光つてゐるところへ蓮の枯れた幹がによきによき突つたつてゐる効果はちょいとオツじやないか。日本の風景にだつてなかなかいいニュアンスがあるんだよ。なにも、パリまで出かけなくたつていいさ。」と、自嘲の調子でいつたかと思ふと、藪から捧に、「ああ、こんな風が吹くと長崎へいきたくなるな。あの支那寺ドラが聞きたくなるよ。はゝゝゝゝ。」
と、板ッ片をぶッつけるやうに笑ひだして、急に大股にとつとと歩きだす。これは杢さんの一流のくせであり、発想法であつた。

アーサー・シモンズ Arthur William Symons。英国のデカダン詩人。生年は1865年2月28日。没年は1945年1月22日。「デカダン詩人」は長田幹雄氏自身の『青春時代』解説による評価で、「デカダン」は退廃的なという意味です。
アーサイド あまりいい英語やフランス語はありません。arsideはあればいいのですが、ありません。asideは英語もフランス語もわきへ、かたわらに、離れて
リアル real 。真実の
河岸蔵 かしぐら。河岸に建っている倉庫
黒点 太陽の光球面に出現する黒い斑点
北原 北原白秋。詳しくはここに
 ぎん。声を出して詩や歌を歌うか作ること
あえか か弱く、頼りない。きゃしゃで弱々しい
リリシズム lyricism。叙情詩的な趣や味わい
浪曼主義 Romanticism。ロマン主義。主として18世紀末から19世紀前半にヨーロッパや諸地域で起こった運動。感受性や主観に重きをおいた運動。恋愛を賛美し、民族意識を高揚し、中世への憧憬があります。その反動として写実主義・自然主義などを出てきました。
東照宮 上野東照宮(とうしょうぐう)。東京都台東区上野恩賜公園内にある神社。旧正式名称も東照宮。他の東照宮との区別のために上野東照宮と名前を付けています。
五重塔 元々は上野東照宮の五重塔でしたが明治の神仏分離によって寛永寺の帰属となり、戦後は東京都が管理。現在、上野動物園の中にあります。
夕靄 ゆうもや。夕方に立ちこめるもや
縮緬皺 ちりめんじわ。縮緬のように一面に細かく寄ったしわ。支那寺
不忍池 上野公園南西部にある池。台地の谷間に入り込んだかつての海が潟湖として残りました
ぬくたい (ぬく)い。ぬくとい。あたたかい。
藪から捧 藪から棒。やぶからぼう。予期せぬことが唐突に起こること。また、出し抜けに物事を行うことのたとえ。
支那寺 長崎市鍛冶屋(かじや)町にある黄檗(おうばく)崇福寺(そうふくじ)のこと。聖寿(しょうじゅ)山と号し、俗に福州寺(ふくしゅうでら)あるいは支那寺(しなでら)とよばれます
ドラ 銅鑼。中国の楽器。
dora_zildjianッ片 「いたっぺん」と読むのでしょうか。板の切れ端。

文豪の素顔|森鴎外

文豪の素顔|森鴎外(4)

文学と神楽坂

 さて食堂でどんなことかあつたか、さすがに今では一々記憶してゐないが、秀雄は二度立つてきて、底光りのする眼でおどかすやうに、
「おい、幹さん。金もつてないか。」と、酒くさい口でしつこくこだはつた。それからすぐ斜向ふで、上田先生が、自分の煙草の煙にむせながら、ルノアールの話をしてをられたのを、はつきり覚えてゐる。あの角刈りの頭を横にふつて、煙草のやにで黒くなつた歯を出してあッはッはッはッとあけッぱなしに笑はれる顔を思ひ出すと、今でもとてもなつかしい。上田先生はなかなかの男前であつた。
 夏目先生は、一番むッつりであつた。面白くなささうな白ばッくれた顔をして腕ぐみばかりしてをられた。『猫』のクシヤミ先生が鼻毛をぬいてゐるかつかうそつくりである。
 鷗外先生はお酒をあがると、つやつやしたお顔になつた。細い鬚をふるはして、感慨深さうに何かしきりに杢さんに話してをられる。
 ひよいとした拍子に、「センズリ」といふ言葉が、かなり高調子にはつきりと先生のお口から洩れたので、一座の人たちはぎよッとしたらしかつた。さうした露骨な下品な表現は、その時分の文壇では許されなかつたものである。あんまり唐突であり、しかも先生は笑ひもせずに話してをられるので、若いわれわれが聞き耳をたてたのはむりもあるまい。
 だんだん伺つてゐると、やつと話の経緯がわかつてきた。何んのきつかけからか性的事実の話題がもちあがつて、先生はつまりキンゼイ報告のやうなものを、平気でしやべつてをられるのであつた。或ひは軍医学上の観点から兵営に於ける兵士たちの性生活に関する()()()()を傾けてをられるらしくも思はれた。何にしろさながら試験管中の現象について語るごとくに、いかにも平静に、しかも科学的に、露骨な固有名詞を用いて滔々と諭じてをられるので、私たちはうつかり笑ふことも出来ない。みんな息をつめて、厳粛な顔をして傾聴してゐた。
 その中で今でも覚えてゐるのは、某師範学校の女子部の寄宿舎における夜中の自瀆行為の描写であつた。若い女教員の卵たちが性慾の悩みにたへかねて、いろんな不自然な行為をするのが、私たちの好奇心を極度にそそつた。深夜突如、非常呼集をやつて、女学生たちのベットを一々視察してみたら、実に意外な性器具を発見した。なかでも一番傑作だつたのは、宵のうちに校外から焼芋をかつてきて、さんざ食ひ散らかしたあげく、そのあまりをつぶして、克明にコンドームヘつめ、それを体温で温めて用いてゐたといふ実例である。
 夏目先生もその話の時はくすくす笑つてをられた。腕組が一層堅つくるしくなつた。
「どうも、手数のかかつた、浅間しいことをやるもんだなあ。」と、感嘆してをられたが、それは数の少い発言の中の一番出色のものであつた。その晩は夏目先生の、胆汁質な、対抗意識みたいなものばかり、僕はみせつけられた。

ルノアール ピエール・オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)。フランスの印象派の画家。生年は1841年2月25日。没年は1919年12月3日。
白ばッくれた しらばくれる。知っていて知らないさまを装う。しらばっくれる
センズリ 千摺り。 男性の自慰。手淫。
キンゼイ報告 米国の動物学者キンゼイ(A.C.Kinsey)が全米の男女を対象に行った性行動に関する調査の報告書。1948年に男性編、53年に女性編を発表。Sexual Behavior in the Human Male。キンゼイ報告はまだこの時代では発表されていないので、「ようなもの」なのです。
うんちく 蘊蓄。薀蓄。蓄えた深い学問や知識。
滔々 とうとう。次から次へとよどみなく話すさま
師範学校 旧制の小学校教員養成機関
自瀆 自慰。マスターベーション
堅苦しい かたくるしい。気楽なところがなくて窮屈
胆汁質 ヒポクラテスの体液説に基づく気質の4分類の一。激情的で怒りっぽく攻撃的な気質。胆液質。

 上田先生は知らん顔で、誰れかと巴里のオペラの話をしてをられた。先生のとこまでは聞えなかつたらしい。
 誰れだつたか、へうきんな調子で、
「ねえ、先生。僕がきいたところでは、電燈のグローブなんかも用ゐるさうですね。」
 鷗外先生は尢もらしく鬚をひねるかつかうをしながら、
「いや、それは何処でもやるらしいね。敬天堂病院の医員にきくと、一遍腟内で破裂して早速手術をしたんだが、手術が不成功に終つてたうとう死んだといふ実例もあるさうだよ。」
「いよいよもつて、浅間しき限りですね。」
「腟内で粉々に破裂したんぢや処置なしだよ。危いことをやるもんさ。」
 それから性病の話になつて、モウパッサン脳梅毒の話にまで発展していつた。勇はしかめッ面をして、わざと大向うめあてに、
「われわれも慎しむべきだなア。」なんて、場あたりめかしいことをのめのめといつて、わあッと皆を笑はせる。
 と鴎外先生は、
「ほんとに気をつけないといかんよ。吉井君なんざその方にかけちや猛者中の猛者だからなあ。長田秀雄君の『歓楽の鬼』のテーマもそれだからな。」
 秀雄は盃をふくみながらジロリと僕の方を睨んだ。
 小山内薫氏が自由劇場で演出した兄貴のあの有名な『歓楽の鬼』は、今だから白状するけれど、あれは実は僕がかいたものなのである。僕は一生懸命に苦心をして、脳梅毒の末期の患者を主題として、『暗い血の谿谷』といふひと幕ものの習作をかいてゐた。僕がそれを朗読して聞かせると、兄貴ドラマツルギーとしては成つてゐないなぞと、酔つぱらつてさんざんコキ下ろしたくせに、いつの間にかその原稿が僕の机の抽出からふつと姿を消してしまつた。
 兄貴の『歓楽の鬼』は、三田文学に掲載されたものである。兄貴は度はづれの怠けものなので、折角三田文学から執筆を頼まれてゐながら、どうしても締切に間に合はない。そこで苦しまぎれに僕の『暗い血の谿谷』を『歓楽の鬼』と改題して、僕に断りもしないで「三田文学」へ送つたわけである。むろん自己流にだいぶ手は入れてあつたが、台詞なんか、利きぜりふは僕のほとんどそのままそつくり使つてゐた。しかしさすがに兄貴だけあつて、幕切れなんかあの通り、実にうまく改作してあつた。
 後年小山内薫氏が僕のことを罵倒して秀さんは『歓楽の鬼』をかいてすぐれた芸術的純粋さを示したが、幹さんは依然としてセンチメンタルメロドラマチストだと面と向つて僕を批難したのには、まことに恐入つた。それ以来僕は批評家といふものを心から信じることか出来なくなつたのである。
 それからも秀雄は僕のものでしばしば原稿料をかせいだ。第二次世界大戦の初まる頃まで兄弟義絶して、十数年間遂にお互に仲直りをしなかつたのも、兄貴のあまりにも放埒な破廉恥な所業が原因をなしてゐるのである。兄貴は自分の債務のためにしばしば僕の家へまで執達吏をよこした。僕は肉親を超えた芸術家として兄貴の背徳行為を今でもいいことだとは思つてゐない。
 だから故久米正雄氏が、「新潮」にかかれた『文壇会合史』なるものをよんだ時には、ひそかに哄笑するより外はなかつた。世の中には裏の裏までみぬく人はないものである。僕は久米氏に「不徳のいたすところ」などとまるで筋遠ひなことをいはれても、いささかも俯仰天地恥ぢない。通俗作家が不道徳で純文芸の作家はみんな清節の士のやうにいつたあの時分のヘナチョコなヒロイズムほどあべこべに文壇を毒したものはあるまい。『会合史』は僕に関する限り相当出鱈目なものであることを、数々の資料によつて実証することが出来る。

巴里 パリ。フランス共和国の首都。パリ盆地の中心にあり、セーヌ川が貫流。川中島のシテ島を中心に同心円状に発展。
グローブ globe。電灯の光をやわらかく広く散らすための、ガラスなどで作った球状の覆い。
モーパッサン アンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン(Henri René Albert Guy de Maupassant)。フランスの自然主義の作家、劇作家、詩人。生年は1850年8月5日。没年は1893年7月6日。先天性と後天性梅毒があったと考えています。
脳梅毒 梅毒第三期に主として神経系がおかされた状態。
歓楽の鬼 明治43年、長田秀雄はイプセンの影響を受けて戯曲「歓楽の鬼」を発表、 翌年小山内薫の自由劇場で上演、新進劇作家として注目されました。「歓楽の鬼」の主人公は洋行したパリで性病になりますが、この時代では脳梅毒などが大きな原因でした。
自由劇場 2世市川左団次と小山内薫が主宰。 1909年11月イプセン作の『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』を有楽座で2日間試演。10年間に9回の公演と試演を断続的に行い、日本の新興脚本や新興演劇術のために一つの道を開いた。
ドラマツルギー 戯曲の創作や構成についての技法。作劇法。戯曲作法。演劇に関する理論・法則・批評などの総称。演劇論。
抽出 ひきだし。引き出し、引出し、抽き出し、抽斗。たんす・机などの物をしまっておく抜き差しできる箱。
三田文学 文芸雑誌。 1910年5月創刊。森鴎外、上田敏の斡旋で新帰朝の永井荷風を慶應義塾大学教授に迎え、同大学文科の発展を期して創刊された。
利きぜりふ 普通の会話の中に、金言や格言のようなセリフを入れること
センチメンタル 感じやすく涙もろい。感傷的
メロドラマチスト メロドラマとは音楽の伴奏が入る娯楽的な大衆演劇から、今日では、通俗的、感傷的な演劇、映画、テレビドラマなど。メロドラマチストはその作者、演者など
債務 借金を返すべき義務。
執達吏 執行官の旧称。国の代理人として、強制執行の具体的作業を取り仕切る人
久米正雄 久米正雄小説家・劇作家。生年は1891年(明治24年)11月23日。没年は1952年(昭和27年)3月1日。第三、四次「新思潮」同人。のち感傷的作風の通俗小説に転じ流行作家となりました。
新潮 佐藤義亮が新潮社を興し、1904年、『新潮』は創刊。100年以上も続いています。
文壇会合史 『微苦笑随筆』という本の「文士會合史」を読んでいますが、この「文士會合史」では「不徳のいたすところ」と話す場面はありません。おなじ通俗作家とレッテルを張られた人同士、久米正雄氏が長田幹彦について話すときに、あまり悪意は感じられません。
哄笑 こうしょう。大口をあけて笑う。どっと大声で笑う。
俯仰天地… ふぎょうてんちにはじず。俯仰天地に愧じず。孟子の言葉で「かえりみて、自分の心や行動に少しもやましい点がない」

文豪の素顔|森鴎外