文学と神楽坂
明治時代、東京市編纂の『東亰案内』(裳華房、1907)では…
神樂坂町二丁目 享保 中、士地 を官収 くわんしう して、火ひ 除よけ 地ち となし、延享 えんきやう 二年放生寺 ほうしやうじ 借地しやくち とし、文政 五年田町四丁目 代地 だいち となる。明治二年神樂坂の名な に取とり て牛込神樂かぐら 町ちやう と改稱 し、明治四年六月附近ふきん の士地しち 開墾地かいこんち を合し、南隣に一丁目を立た つるを以て其の二丁目となす。坂に神樂かぐら 坂ざか あるを以て里俗 此邊このへん を總すべ て神樂坂と稱す。
享保 1716~36年
士地 武士の土地ではないでしょうか?
官収 官庁がとりあげること。没収。
火除地 江戸幕府が明暦3年(1657年)の明暦の大火をきっかけに江戸に設置した防火用の空地。
延享 1744~48年
放生寺 東京都新宿区西早稲田にある高田八幡宮の別当寺。別当寺とは江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺
文政 1818~31年
田町四丁目 現在の新宿区市谷本村町1丁目。
代地 江戸幕府が江戸市中において強制的に収用した土地の代替地として市中に与えた土地のこと。
改稱 名称や称号を改めること。改名。
里俗 りぞく。地方の風俗。土地のならわし
新宿歴史博物館『新修新宿区町名誌』(平成22年、新宿歴史博物館)では
神楽坂2丁目 神楽坂一丁目の西側、神楽坂の両側に広がる地域で、江戸時代には旗本や御家人の屋敷が多くを占め、町地は市谷いちがや 田町たまち 四丁目代地があった。市谷田町四丁目代地 もともと市谷田町四丁目内にあったが、文政5年(1822)2月8日に町内から出火した火災で焼失した場所が尾張徳川家の火除地となったため、同年6月9日、神楽坂南側にある穴八幡放生寺拝借地旅所跡を下され、そのときからこの町名となった(町方書上)。里俗は神楽坂。 明治2年(1869)5月に牛込神楽町 (町名唱替帳・明治2年町鑑)、同4年6月周辺の土地を合併して神楽町二丁目 と改称(市史稿市街篇53)。昭和26年5月1日から現在の神楽坂二丁目 となる(東京都告示第347号)
ここで神楽坂通りを横切る右側と左側がそれぞれ別の横町につながっています。
まず明治20年の地図 の2丁目 。この地図では鏡花仮宅 と出ていますが、現在はなくなり、「泉鏡花・北原白秋旧居跡」の標柱 が立っています。
右側は「神楽小路( こうじ ) 」、昔は「紀ノ善横丁 」といいました。場所はここ 。
左側は「鏡花横丁 」です。場所はここ 。鏡花横丁は牛込倶楽部の平成10年夏号『ここは牛込、神楽坂 』で提案した地名です。
林 このあたりは
泉鏡花 の旧家があったということで『鏡花通り』とつけるといいんじゃないかと言ったことがあるんですよ。でも、文献では「小栗横丁」になっているらしい。
志満しま 金きん と田口屋生花店に挟まれた横丁を鏡花横丁と呼んでいるようです。鏡花横丁はまっすく曲がらずにいって理科大に行く。曲がってからの道は小栗横丁 といいます。なお、小栗横丁は以前、小栗利右衛門屋敷があったためとされています(町方書上)。詳しくは小栗横町で 。二丁目のアグネスホテル はここから行くこともできます。 『ここは牛込、神楽坂 』「語らい広場」で、ある読者は「大通りを入ったところが横丁で、横丁を入ったその奥は路地」だといっていました。路地の幅は3尺(90cm)。神楽坂ではおおむね正しいのでしょうか。 左側には「志満金 」と「オザキヤ靴店 」が見えます。
さらに行くと「ポルタ神楽坂」にやってきます。 Portaはラテン語で城門のこと。2011年にできた新しい9階の建物です。東京理科大学の新施設ですが、1、2階にはたくさんレストランが入っています。たとえば二丁目食堂トレド 、千年こうじや 、梅花亭 です。あっという間もなく消えていった店も沢山あります。また、昔ここにカフェーユレカ (あるいはユリカ)があり、詩人 がやってきたりしました。
Porta神楽坂(写真)ポルタ
赤はポルタ神楽坂に
ではまた神楽坂通りを上に向いて歩いてみましょう。陶柿園 、神楽坂写真館 、さわや 、肉のますだや 、太陽堂 などがでてきます。 ここで神楽坂について、『神楽坂おとなの散歩マップ 』で洋品アカイ・赤井義松はこう書いています。
よく注意して 歩くと、「さわや 」さんの前あたりで坂が緩くなってる。で、またキュッと上がってる。あれは急傾斜を取るために、あそこで一段、ちょっとつけたわけです。
さらに上に行くと、神楽坂の2丁目と3丁目の境にやってきます。3丁目の右側には1階はサークルK、2階はロイヤルホストが見えます。昔は牛込會館 でした。 その下には牛込神楽坂の図 もあります。 このあたりが一番急な坂になり、最大勾配は12%、角度は4.5度です。(『ここは牛込、神楽坂』14号42頁)
ここから上を向いて行くと神楽坂3丁目 に、右側は神楽坂仲通り になり、左側は下向きの神楽坂仲坂 から小栗横丁 に入ります。
昭和5年頃 平成8年 令和2年
はりまや喫茶 夏目写真館 ポルタ神楽坂
白十字喫茶 大升寿司
太田カバン 神楽屋煎餅
今井モスリン店 カフェ・ルトゥール チャイハネ インド服
樽平食堂 ラーメン花の華 天下一品 中華そば
大島屋畳表 田金果物店 メガネスーパー
尾崎屋靴店 オザキヤ靴
三好屋食品 志満金 鰻
增屋足袋店
海老屋水菓子店
八木下洋服
田日屋生花店
神楽坂
2丁目