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羽衣館の優勝旗|都筑道夫

文学と神楽坂

 都筑道夫氏は早川書房が発行する「エラリイ・クイーンズ・ミス テリ・マガジン」の編集長を勤めた後、昭和34年、作家生活に入りました、本格推理、ハードボイルド、ショート-ショートと活躍。平成13年(2001年)に「推理作家の出来るまで」で日本推理作家協会賞賞。

 この『推理作家の出来るまで』は『ミステリマガジン』に連載したものですが、ここではフリースタイル刊(上巻、2000年)から取っています。新宿区山吹町の羽衣館という映画館の思い出を描いたものです。

羽衣館の優勝旗

 江戸川橋の交叉点から、矢来へのぼるだらだら坂の八合目あたりに、玉沢という運動具店が、昭和五十年の現在もある。私の子どものころには、居まわりにビルディングがなかったから、四階建だか、五階建だかのこの玉沢運動具店は、ひときわ目立ったものだった。
 その玉沢のすじむかいに、ピンク映画をやっている小屋が、いまでもあるはずだけれど、たしか牛込文化とかいったその映画館は、敗戦後まもなく、松竹系封切館として出来たもので、私たちは羽衣館の復活とうけとっていた。昭和20年5月25日の空襲で焼けるまで、そのあたりに羽衣館という、わりあい有名な松竹系の封切映画館があったのである。
 わりあい有名な、といういいかたをしたのは、映画興行界では知られた小屋だったらしい、ということで、この羽衣館のもぎりの横あたりには、いつも数本の旗が飾ってあった。昭和十年代にかかるころ、松竹では市内の直営館に、一種の売りあげ競争をさせていたらしく、たぶん月間の入場者数で判定したのだろう。一位になった小屋には、旗を贈って表彰したという。そのいわば優勝旗が、羽衣館には何本も飾ってあって、それほど入りのよかった小屋なのだ。
 小学生になるかならないかのころに聞いた話だから、むろん正確とはいえない。東京市内で一位ではなく、市内をいくっかのブロックにおけたなかでの、一位だったのかも知れないが、とにかく有名な映画館だと聞かされていた。この羽衣館が、私の記憶のなかでは、作品とそれを見た小屋とが、はっきり結びついている最初の映画館なのである。
 前に書いたように、片岡千恵蔵の「刺青奇偶」と「気まぐれ冠者」は、早稲田の富士館神楽坂日活と、どちらの小屋で見たのか、判然としない。昭和9年3月封切の「丹下左膳剣戟篇」、伊藤大輔大河内伝次郎のコンビによるトーキー二本目の左膳は、鼓の与吉を山本礼三郎がやっていたことと、左膳が馬で日光街道を走っていくラストシーンを、はっきりおぼえていて、これは神楽坂日活で見たような気が、かすかにするのだけれど、確信は持てないでいる。
 そこへいくと、松竹映画のほうは、近所に羽衣館しかなかったから、はっきりしているわけだ。ここで見た松竹映画の記憶は、私が数え年七つだった昭和十年から始っていて、小学校へあがる一年前だから、かなり鮮明になってきている。高田浩吉がはじめて主題歌をうたった「大江戸出世小唄」、小笠原章二郎の落語シリーズの「らくだの馬」、衣笠貞之助の「雪之丞変化」三部作。やはり時代物のほうを記憶していて、併映の現代物はおぼえていない。キネマ旬報の「日本映画作品大鑑」で、題名と出演俳優を見ても、なにひとつ思い出せないものがある。

八合目 地理院地図電子国土webを使い、1合目を江戸川橋交差点(標高5.6m)、10合目は神楽坂通りの赤城神社に行く場所(標高24.9m)と考えると、玉沢運動具の標高は6.6m。2合目にも足りない場所です。10合目を牛込天神町交差点の入口(標高13m)としても、やはり2合目以下。合目の数はいい加減でもいいのですが、それでもおかしい。
運動具店 下の地図を参照。
昭和40年の山吹町交差点

昭和40年の山吹町交差点。右の赤色は牛込文化劇場、左の赤色は玉沢運動具。(全住宅案内地図帳。新宿区。昭和45年版。公共施設地図)

居回り 自分がいる所の周囲。辺り。近辺
すじむかい 筋向。少し隔たった斜め向こう。
ピンク映画 きわどい性描写を売り物にする成人向き中編劇映画。
牛込文化 上の地図を参照。
松竹系 松竹株式会社が製作か配給した映画を上映する映画館。
封切館 新作映画を初めて上映する映画館。
羽衣館 牛込区山吹町293にあった映画館
もぎり 「もぎる」とは「ちぎって取る」こと。名詞化して、劇場・映画館などの入口で、入場券の半片をもぎり取ること。
入り いり。収入。あがり。みいり
片岡千恵蔵 映画俳優。歌舞伎から映画に転じ、時代劇を中心に長く第一線のスターとして活躍。生年1903年。没年1983年
富士館 日活系の映画館。「戸塚町誌」(昭和6年、戸塚町誌刊行会、非売品)によれば市電(現、都電)早稲田終点にあったといいます。
神楽坂日活 現在のスーパー「よしや」の場所にあった神楽坂6丁目の映画館。
伊藤大輔  映画監督。愛媛県生まれ。戦前戦後を通じての時代劇の巨匠。
大河内伝次郎 映画俳優。新国劇の俳優から1926年日活に入社。時代劇スターとして活躍。生年1898年。没年1962年、
山本礼三郎 映画俳優。マキノプロを経て、昭和5年日活に入社。侍ニッポン、人生劇場、酔いどれ天使に出演。生年1902年。没年1964年。
高田浩吉 昭和10年主演の「大江戸出世小唄」で主題歌をうたい歌う映画スターに。戦後「伝七捕物帖」シリーズで人気復活。生年1911年。没年1998年。
小笠原章二郎 俳優。映画監督。喜劇的時代劇が得意。生年1902年。没年1974年。
衣笠貞之助  映画監督。「雪之丞変化」「地獄門」など時代劇を中心に戦後まで活躍。生年1896年。没年1982年。
併映 主な作品と併せて映画を上映すること
キネマ旬報 キネマ旬報社が発行する映画雑誌。1919年7月創刊。毎月5日・20日刊行。