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新宿時物語|神楽坂5丁目

文学と神楽坂

新宿時物語

  新宿区が編集した「新宿時物語」(星雲社、2007年)です(右図)。副題は「新宿区60年史」で、なかでも神楽坂の写真は沢山あります。
 さて、次の写真(下図)は「神楽坂の料亭街」と書いてあります。問題は、この場所はどこでしょうか。
 この写真と同じ頁に「楽 昭和20年代」と書いています。おそらく戦争も終わって「楽」が訪れたのしょうね。写真中央にもスカートをはいていて、文章も「ようやくにぎわいを取り戻した」と書いてあります。しかし、どう見ても「料亭街」らしくは見えません。本当に昭和20年代なの?

新宿区「新宿時物語」(星雲社、2007年)

 歴史博物館に聞いてみました。答えは、「100ページ『神楽坂の料亭街』の写真は新宿歴史博物館に所蔵しています。然しながら、申し訳ありませんが、写真のデーターに説明がなく、詳しい場所などはわかりません。昭和20年代には今よりもこの写真のような黒塀の建物は多かったようです。ただ、ほかの写真からの類推ですが、神楽坂毘沙門天の路地を入った料亭松ヶ枝付近かもしれません」
 これっておかしいでしょ。「料亭松ヶ枝付近」は絶対違う。そこで、地元の方に聞きました。答えは、神楽坂5丁目の一部だといいます。下の図を見てください。

都市製図社『火災保険特殊地図』 昭和27年

 赤丸はカメラの本体、赤い線はその画角です。本当にここ以外に、なさそうです。さらに各々の家も書いてみました。

➀芸妓 分まん
➁法律OF 野町
➂民家      一時は神楽坂はん子の家に
➃料理 山下   柳家金語楼のお妾さんの家に
➄芸妓 富沢

 何もない写真だと思ったら、神楽坂はん子と金語楼がでている。こんな絶妙の写真でした。たぶん、この写真は、だれかが秘密を取り出すまで、じーっと待っている。まあ、違う可能性もあるけれど。

三越|関東大震災直後

文学と神楽坂

 古くは昭和45(1970)年の新宿区教育委員会編『神楽坂界隈の変遷』の「古老の記憶による関東大震災前の形」では「震災直後 飯田橋病院の敷地に、三越マーケットができた。(日本橋の本店は改修中であった)」としています。

『神楽坂まちの手帖 第3号』(2003年)の「新宿・神楽坂暮らし80年②」で水野正雄氏は関東大震災直後の「三越」を現在の大久保通りにあるとしています。図は…

白銀町2

 さらに『まちの想い出をたどって 第1集』(NPO法人 粋なまちづくり倶楽部、神楽坂アーカイブズチーム、2007年)の水野正雄氏の「神楽坂を語る」によれば、「場所は現消防署のあたり、当時はガス会社の出張所だった。日本橋の復興後すぐに引き払ったようだ」と書いています。

 また新宿歴史博物館編の「新宿風景―明治・大正・昭和の記憶」(2009年)では写真が出ています。

三越の牛込マーケット(大正12年から14年まで)

三越の牛込マーケット(大正12年から14年まで)

 現在の牛込消防署を右から見ると…。ここに三越牛込マーケットがはいっていたのですね。消防署 消防署