清水本店」タグアーカイブ

神楽坂1丁目(写真)昭和50年頃 ID 9808- ID 9809

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9808~9809は、昭和50年(1975年)頃、牛込橋付近から神楽坂1丁目や坂上を撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9808 牛込見附、神楽坂通り 入口

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9809 牛込見附、神楽坂通り 入口

 交差点は「牛込見附」、道路は車道、側溝、縁石、歩道の順に並んでいて、歩道と平らな車道はアスファルト舗装、やや淡い色に見える車道は急勾配があり、すべり止め用のOリングを一時的に埋め込んだコンクリート舗装です。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、その下に小さな看板「神楽坂通り」があります。電柱は向かって道路の左側だけで、その上には大きな柱上変圧器。標識「神楽坂通り/美観街」や各種の道路標識も出ています。左のフォーク、スプーン、ティーカップの道路標識は、平日12:00-13:00の歩行者天国「ランチタイム・プロムナード」の実施を示しています。
 半袖の人が多いようです。また、ID 68(昭和48年5月22日)と比べると、かなり高い位置から遠くを見通しているようです。また坂の途中にID 9778と同じ大型クレーン車が停まっており、同時期の撮影と思われます。

神楽坂1丁目(昭和50年頃)
  1. (パチンコニューパリー)
  2. (田原屋)
  3. 元祖 貸衣装 清水本店。
  4. 生そば。は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。(翁庵
  5. 中華料理 信華園
  6. 「カネボウ毛糸 ダイヤモンド毛糸 大島糸(店)」
  7. とんかつ
  8. 電柱看板「歯 (石川)」
  9. 話し方教室
  10. 遠くに「ジャノメミシン」
  11. さらに遠くに「協和銀行」
  1. 足袋 ワイシャツ 赤井商店
  2. カレーショップ ボナ
  3. (消火栓)消火栓看板「福屋 神楽坂 不動産」
  4. (山)田紙店
  5. 地下鉄 飯田橋駅→
  6. FUJIYA 不二家洋菓子
  7. 離れて「喫茶 軽い心

神楽坂1~2丁目(写真)昭和45年 ID 8318

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8318は、昭和45年(1970年)3月、牛込見附(現、神楽坂下)交差点から神楽坂1丁目などを撮ったものです。藤の形の造花がたくさんあり、これはID 8317(つまりID 64)からの連続した写真だと思います。ほかにも翁庵の前の自転車や駐車車両、道路の水まきの跡、不二家の商品なども同じです。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、途中に標識「神楽坂通り」があり、また「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつ出ています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8318 神楽坂

 

神楽坂1~2丁目(昭和45年)
  1. (フルーツパーラー 田原)屋
  2. 電柱看板「神楽坂通 倉庫 取扱 このさき」
  3. 衣裳 清水本店(貸衣裳店)
  4. 看板「生そば おきな庵」(翁庵
  5. 中華料理 信華園
  6. パール。ビリヤード。小栗横丁にありました。
  7. 電柱看板「川島歯科
  8. 電柱看板「 大久保
  1. 山田紙店
  2. FUJIYA 不二家洋菓子 FIJIYA コーヒーショップ 歩道におそらく山積みの不二家の商品
  3. 突き出し看板「おしるこ 紀の善
  4. Frère WADAYA(メンズウェアー)
  5. 喫茶 軽い心 洋食 食事 ハッピージャック
  6. くすり 山一薬品
  7. パチンコはマリーで
  8. ニューイトウ(靴)
  9. 純喫茶 クラウン
  10. 神楽坂ビル。築年月は昭和40年11月
  11. MAX FACTOR(化粧品)
  12. 資生堂化粧品(さわや
  13. 菱屋ビル(昭和42年頃)

1971年。住宅地図。

神楽坂一丁目(写真)昭和44年 ID 8284

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 8284を見ましょう。撮影は1969年(昭和44年)頃で、神楽坂一丁目から坂上です。車道は靴店のオザキヤのところで色調が違っています。急勾配のコンクリート坂では、一時的に道路表面に円形のオーリングを埋め込み、滑り止め策をしています。当然、道路の色調は変わります。歩道はややサイズの大きい平らな正方形のブロックで、街灯は丸い巨大な蛍光灯です。また「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつできています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8284 神楽坂

神楽坂1丁目(昭和44年)
  1. (フルーツパーラー 田原屋)
  2. 元祖 貸衣装 清水本店
  3. 生そば(おきな庵
  4. 中華料理 信華園
  5. (田口屋生花店、2階建て)
  6. パール。ビリヤード。小栗横丁に。
  7. 小栗横丁に行く通り
  8. (田口屋生花店、2階建て)
  9. 志満金
  10. オザキヤ靴店
  1. 山田紙店
  2. FUJIYA 不二家洋菓子 2階 コーヒーショップ
  3. 突き出し看板「おしるこ 紀の善
  4. 神楽小路に
  5. 床屋のサインポール
  6. ビル「喫茶 軽い心
    3.4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハ(ッピージャ)ック
    (ハッ) ピージャック
  7. パチンコ(はマリーに)
  8. ニューイトウ

キミが一生に一度も行かない所 牛込神楽坂

文学と神楽坂

「キミが一生に一度も行かない所 牛込神楽坂」という雑誌「Mr. Dandy」(中央出版、昭和49年)での写真です。中扉、いろいろな場所、さらに数枚の神社仏閣ですが、ここでは中扉を扱います。
 有楽町線「飯田橋」はまだ未開通です。しかし道路は開削し、上に鉄板を並べるところまで来ています。ただし、埋め戻しは開通後です。標識「神楽坂通り/美観街」も出ています。街灯は円形の蛍光灯一つだけで、これは昭和36年(1961年)以降です。その下に看板「神楽坂通り」。柱上変圧器もあります。

キミが一生に一度も行かない所 神楽坂S47

神楽坂1丁目(昭和49年)
  1. 田原屋。Tawarayaのyaが見える。
  2. 元祖 貸衣装 清水本店。
  3. 生そば。は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。ここに「翁庵」がある。
  4. 信華園(中華)
  5. 志満金」(うなぎ)
  1. 山田紙店。シャッターで閉鎖中。下に三角フェンス(バリケード)と土嚢。土嚢は雨水流入防止の常備品。地下鉄有楽町線「飯田橋駅」の出口で、利用開始寸前。ファサード看板は「山田紙」店。袖看板は「紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店」。さくらカラーの看板。地下鉄の出口に店を半分、譲渡。現在は「のレン」(お土産店)
  2. 不二家洋菓子。FUJIYA コーヒーショップ。不二家洋菓子
  3. 紀の善
  4. 床屋のサインポール
  5. 屋上広告看板の「3F 麻雀 桜。2F 喫茶室 軽い心。1F パブ ハッピージャック」。袖看板は「軽い心
  6. 建築中の陶柿園

神楽坂1丁目(写真)昭和49年 田口重久氏

文学と神楽坂

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」第五章 新宿区 補-10 (11/15) 05-10-32-1 牛込見附交差点からは昭和49年(1974年)12月21日(土)に撮ったものでした。大きな左向きの矢印はロール式の標識で、坂下から坂上までの一方通行を示し、時間によって進入禁止の表示と入れ替わります。夜間には照明も。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、電柱の上には柱上変圧器があります。また「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつ立っています。横断歩道はごく普通のもので、地下鉄の駅(飯田橋駅)が新たに出現しました。外堀通りにはまた鉄板が覆っています。

1974-12-21 牛込見附交差点から。田口重久氏「歩いて見ました東京の街」

神楽坂1丁目(昭和49年)
  1. 有楽町線「飯田橋駅」。道路を開削、上に鉄板。埋め戻しは開業後。
  2. 看板「車両通行止め12~18 牛込警察署 新宿区」
  1.  牛込見附  (歩行者専用道路) 自転車を除く 12-13。歩行者道路。日曜休日の12-20。スプーン・フォーク・スープの標識
  2. ニューバリーパチンコ。Pachinko。上の看板イーグルボウル下宮比町に。
  3. 電柱広告「鮨・割烹 八千代鮨」(本多横丁にある)と(質)大久保
  4. TAWARAYA。黒い看板と白の球。(フルーツパーラー 田原屋)
  5. 元祖 貸衣装 清水本店
  6. 生そば(翁庵)。は「楚」のくずしかな、は漢文で主語を表す助詞「は」の「者」をくずし、濁点をつけたもの。
  7. 中華料理 信華園
  8. 1丁目の田口屋生花店がビルに。五階建て
  9. 小栗横丁にいく通り
  10. 志満金。ビルではない
  11. 靴(オザキヤ
  12. 大島糸店2階が大島歯科
  13. 話し方教室。五条ビル(ヒデ美容室の隣で)
  1. (一方通行入口)自転車を除く。(歩行者専用道路) 自転車を除く 12-13。歩行者道路。日曜休日の12-20
  2. 足袋・Yシャツ「赤井商店
  3. 「カレーショップ ボナ」
  4. 白十字医院
  5. 紙 事務用品 文具 原稿用紙 山田紙店
  6. 地下鉄 飯田橋駅
  7. FUJIYA 不二家洋菓子。不二家 コーヒーショップ。
  8. あんみつ。紀の善。切妻の屋根
  9. 「神楽坂通り/美観街」の標識
  10. 上でビル「喫茶 軽い心
    3,4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック
  11. 陶柿園がビルに。昭和47年(1972年)3月に完成
  12. 「菱屋」が遠くに見える

 神楽坂仲通りの△は横断歩道の標識。その奥は「神楽坂通り/美観街」です。

神楽坂1丁目(写真)昭和45年 ID 64, ID 8317

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 64とID 8317は、昭和45年(1970年)3月、牛込見附(現、神楽坂下)交差点から神楽坂1丁目などを撮ったものです。ID 8317のほうが画角は大きくなっています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8317 神楽坂入口

 大きな左向きの矢印は坂下から坂上までの一方通行を示し、信号機にはゼブラ柄の背面板があります。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、途中に「神楽坂通り」の標識と、藤の形の造花がたくさんあります。電柱の上には柱上変圧器があり、また「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつできました。横断歩道はここでは2本の直線だけですが、工事で一時的に消されていて、上の1本は自動車の停止線です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 64 神楽坂入口から坂上方向

神楽坂1丁目(昭和45年)
  1. Pachinco ニューバリーパチンコ。角のガラス部分は景品の交換所でした。タバコらしきものが見えます。
  2. 電柱広告「鮨・割烹 八千代鮨」(本多横丁にある)「質」
  3. テント上の高い位置にTA〇〇RAYA(フルーツパーラー 田原屋)
  4. 清水本店(貸衣裳店)
  5. 生そば(翁庵
  6. 中華料理 信華園
  7. 1丁目の田口屋生花店がビルに。五階建て
  8. パール。ビリヤード。小栗横丁にありました。
  1. 足袋・Yシャツ 赤井商店。吊り看板の「公衆電話」とその下に2台の電話。さらに右に「赤井商」店と佳作座の映画広告「チキ(チキ)バ(ンバン)」
  2. (津田印店)看板を外しているので閉店?
  3. 皮膚泌尿科、婦人科、外科、内科(白十字病院)
  4. 原稿用紙 事務用品 山田紙店
  5. FUJIYA 不二家洋菓子 歩道におそらく山積みの不二家の商品
  6. 消火栓標識と消火栓広告「(ふ)とんのひしや(菱屋)」
  7. 紀の善)突き出し看板はあるが、今回は見えない。
  8. Frère WADAYA(メンズウェアー)
  9. ビル「軽い心
    3,4F 麻雀 桜
    2F 喫茶室 軽い心
    1F パブ ハッピージャック
    ピージャック

1971年。住宅地図。

昭和30年代半ばの神楽坂下(写真)ID 5510, 7002, 9109

文学と神楽坂

 地元の人が昭和30年代の神楽坂通りについて送ってくれました。

 新宿歴史博物館所蔵のうち、昭和30年代中葉の神楽坂下の写真は解像度がよく、多くの情報が読み取れます。おそらくプロが大判フィルムで撮影したのでしょう。外堀通りを都電が走っていた頃のもので、2枚とも軌道の石敷が鮮やかです。都電牛込線は、この写真の数年後に廃止になりました。

 昭和35年の写真(ID:5510)を見てみましょう(新宿歴史博物館所蔵「データベース 写真で新宿」。下図で、拡大できます)。向かって右の角が赤井商店。戦前から続く名店で、神楽坂の入り口のランドマーク的存在でした。よく見ると、隣の津田印店と同じ建物です。木造の建屋でも、間口を区切って店の一部を他人に貸すのは古い商店街では良くあることでした。この建物は外壁をテントで覆って化粧しましたが、現在も同じものを2つの店で分けて使っています。

神楽坂下 昭和35年頃。新宿歴史博物館 ID 5510

 

神楽坂1~2丁目(昭和35年)
  1. 電柱看板「整美歯科 山本薬局横 院長 松本茂曜」「土地家屋 野口商会不動産部」「どもり 赤面対人恐怖」

  2.  自動車通行止 一方通行出口 午前AM0-正午NOON 自動車 MOTOR-CARS 東京公安委員会
  3. ニューバリー
  4. 田原屋 パーラー
  5. 電柱看板「質 倉庫完備 大久保
  6. 元祖 貸裳店・(清水本)店
  7. 生そば(翁庵
  8. 電柱看板「川島歯科
  9. 電柱看板「森本不動産
  10. (ダイ)ヤモンド毛(糸)
  11. (夏目)写真館
  1. 足袋・Yシャツ 赤井商店
  2. 一方通行
    正午 午後 PM 12:00 自動車 MOTOR-CARS 東京公安委員会
  3. 津田印店 印章 ゴム印
  4. ニューマヤ マヤ片岡出身 小山美智子
  5. 山田紙店
  6. 神楽堂 ヤマザキパン 電話 公衆電話 ヤマザキパンの納品車
  7. おしるこ(紀の善
  8. サインポール2つ(理容バンコック)
  9. 上映〇(メトロ映画
  10. ト(リ)ス(バー)、トリスバー  沙羅
  11. ダンス(小柳ダンススクール
  12. パチンコ(マリー)
  13. 志乃(多寿し)
  14. ビリヤード
  15. ニューイトウ
  16. 喫茶 クラウン
  17. (ルナ美容室)
  18. ポーラ化(粧品)
  19. 資生堂(化粧品)

都電牛込線 1905年8月12日神楽坂から四谷見附までを開業。1967年(昭和42年)12月10日、市ヶ谷見附と飯田橋を廃止。1970年(昭和45年)3月27日、全線廃止
ランドマーク 都市景観や田園風景において目印や象徴となる対象物。

 その隣は、この写真では見えていませんが「白十字診療所」という名の診療所でした。昭和50年代まで続き、同じ場所の写真(ID:9109、下図)で確認できます。
 次は山田紙店。2階には美容室「ニューマヤ」が入っています。看板は「マヤ片岡出身」と読めます。戦前・戦後を通じて美容界のリーダーのひとりだったマヤ片岡の直弟子の店で、時にはマヤ片岡も巡回してきたそうです。後に3丁目に自前のビルを建てるほど成功しました。2代目の店主が急逝し、閉店したのは2016年(平成28年)のことでした。
 次の神楽堂パン店の前にはヤマザキパンの納品車が止まっています。その隣は紀の善。黒地に白文字の看板は「おしるこ」と読めます。

[参考]神楽坂下交差点 昭和51年8月26日 新宿歴史博物館 ID 9109

 神楽小路を挟んで、黒っぽい高い建物は「理容バンコック」。この建物の1階は、しばしば店が代わるのですが、2階室は現在も紳士向け理髪店の「萬国館」として続いています。商店街では珍しいケースだと思います。突き出している「ダンス」の看板は、この建物ではなく神楽小路の奥にあった「小柳ダンススクール」です。
 その向こう、いかにも路地があるように見えますが、奥にあったメトロ映画の入り口です。「上映■」の演目の看板や、なんとか「メトロ」と読めるのぼり旗があります。角にはトリスバーがあり、看板も「トリスバー 沙羅」が見えます。
 次は「志乃〇」は「志乃多寿し」。人形町にある総本店の神楽坂店でした。その向こうの山一薬品は、この頃でもまだ平屋です。「ビリヤード」は通りではなく、パチンコマリーの角を入った路地の奥にありました。
「靴ニューイトウ」から先は、このブログの別記事で詳しく書かれています。
 同じ昭和35年(ID:5510)の向かって左側。「パチンコニューパリー」「パーラー田原屋」「貸衣装(清水本)店」、「生そば」(翁庵)まで確認できます。よく見ると「(ダイ)ヤモンド毛(糸)」(大島糸店)や「(写)眞館」(夏目写真館)の看板も見えます。

理容バンコック 「東京坂道ゆるラン」の「落語『崇徳院』の古地図」「明治後期、神楽坂の床屋」で。だたし、本当に理容バンコックがどうかは、わかりません。

明治後期、神楽坂の床屋

のぼり旗 図の左側にあったのぼり旗のこと。う~ん、私はわかりません。
トリスバー 写真の「ト〇フ」も「トリスバー」

拡大図。ID:5510

ビリヤード 国際ビリヤードが袋小路のつきあたりにありました。

1995年 住宅地図。

 もう1枚の昭和34年(ID:7002、下図)は縦に画角が広く、坂の中腹から先までうかがえます。さわやのあたりで坂が少し緩くなっているのも、よく分かります。その近くの横書きの大きな「〇中御」は「お中元」のセールでしょうか。
 一番高いところの「木村(屋)」の向こうに見える週刊紙の看板は、「記憶の中の神楽坂」に出てくる茂木書店のものと思われます。この店の後に、坂下からニューマヤが移ってきました。
 書店の下にチラリと半分だけ見えている看板は、塩瀬か柏屋のように思えますが、もう確認できません。

神楽坂 昭和34年頃。新宿歴史博物館 ID 7002

記憶の中の神楽坂 かぐらむら 今月の特集 記憶の中の神楽坂



昭和40年代の神楽坂(写真)

文学と神楽坂

神楽坂 加藤倉吉氏作の銅版画『神楽坂』(昭和47年)(植村峻氏『日本紙幣肖像の凹版彫刻者たち』、2010年)

  1. 看板「神楽坂通り」
  2. 街灯の途中から斜めに筒が出ていて、季節ごとに飾りや旗を差し込む。この時期は餅花みたいなものを飾っている。そこからぶら下がった提灯が割れてしまったように見える。
  3. 「山田」紙店
  4. 街灯
  5. FUJIYA 不二家洋菓子
  6. FUJIYA コーヒーショップ
  7. 不二家洋菓子
  8. おしるこ 紀の善
  9. 床屋のサインポール。2階が理容バンコック
  10. 1階がテーラー和田屋。
  11. 軽い心
  12. 神楽坂通り
  13. 美観街
  14. 文字のない飾り
  15. 街路灯に看板の「神楽坂通り」
  16. 軽い心
  17. 山一薬品
  18. 街路灯に看板の「神楽坂通り」
  19. 陶柿園
  20. パチンコマリー
  21. 菱屋
  22. MAXFACTOR(さわや)
  23. ニューイトウ(靴)
  24. 柱上変圧器
  25. (カネ)ボウ毛糸(ダイヤ)モンド毛糸 特約(店)。大島糸店
  26. うなぎ/割烹 志満金

神楽坂入口から坂上方向 新宿歴史博物館 ID 65

昭和48年2月。神楽坂入口から坂上方向。新宿歴史博物館 ID 65 から

  1. 赤井商店
  2. カレーショップ ボナ
  3. ここと4の間に山田紙店があるはずだが、この時は地下鉄出口の建設中。
  4. 不二家洋菓子。ウロコ張りの洋館風。店の横が見えている
  5. 紀の善。切妻の屋根
  6. 理容バンコックのサインポール
  7. 3F 麻雀 桜。2F 喫茶室 軽い心。1F パブ ハッピージャック
  8. 神楽坂通り。美観街。文字のない飾り。
  9. 牛込見附
  10. 昔は段差が見えた
  11. 質。大久保質屋。神楽坂仲通りにあった質屋
  12. 斉藤医院。小栗横丁と見番横丁、神楽坂通りで囲んだ医院(下図)。なお、神楽坂4丁目8番地の斉藤医院は戦前にはありましたが、戦後はなくなっています。

    1970年 住宅地図

  13. パチンコ ニューパリー
  14. 将来の有楽町線「飯田橋」。道路を開削し、上に鉄板。埋め戻しは開業後。