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料亭「松ヶ枝」(写真)昭和20年代 ID 13791

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 13791は「昭和20年代 神楽坂付近か」とあり、時代と場所を特定していません。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13791 神楽坂付近か

 右手は毘沙門横丁の今はなき料亭「松ヶ枝」だと考えています。写真の道路の突き当たりは一段高く、手前に来るほどゆっくりと低くなっています。この地形は現在も同じで、奥の親子連れの向こうの塀は若宮町の料亭街です。
 都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年によれば、カメラはおそらく赤丸に置き、写真を撮ったのでしょう。

都市製図社『火災保険特殊地図』昭和27年

 さて、以下は地元の方の説明です。

 向かって左の奥の塀の木戸は人間には大きすぎて、自動車のための駐車場でしょう。手前の潜り戸は別の店の入り口で、花街らしい黒塀が続いています。これに対して右は土塀で、腰高まで貼り石の化粧があります。これが松ヶ枝の塀で、格式の高さが写真からも分かります。
新宿区史・昭和30年」の3枚目は、ちょうど反対側から撮った写真です。黒塀の潜り戸は同じですが、駐車場の木戸は4枚になっています。
 それ以外にも、いくつか違いがあります。ID 13791の松ヶ枝の塀から棒が飛び出し、そこに笠のついた電球が見えます。また左の駐車場の角にもボール状の灯りがあります。街灯が十分に整備されておらず、私設の外灯で来店客に便宜を図っていたと思われます。
 またID 13791の土塀はコンクリートで塗り固めたような外観ですが「新宿区史・昭和30年」では肩高より上を白い漆喰で塗っていて、貼り石との間に化粧していない壁が出ています。ここは後の時代のID 11841ではすっかり貼り石で覆われます。
 ID 13791の中央手前には、うっすらと丸い下水のマンホールが見えます。舗装はしているようですが、かなり荒れています。左手前には側溝のようなものがチラりと見えます。一方「新宿区史・昭和30年」では松ヶ枝の側に側溝を掘り、小さな石橋を架けていますが、これはID 13791には見えません。雨が降った時は、黒塀の前の少しくぼんだ部分を雨水が流れていたでしょう。
「新宿区史・昭和30年」の写真は同じ昭和20年代に撮影しているはずですが、ID 13791の方が古い時代と思われます。
潜り戸 門の扉や壁などに設けられた、背の低く幅のせまい小さな戸のこと
黒塀 黒く塗った、板づくりの塀。黒渋塗りの板塀。黒い塗装は渋墨しぶずみ塗といって、日本古来の伝統技術で柿渋と松木を焼いた煤(松煙)を混ぜたもの。防虫・防腐・防湿効果があるため建物の化粧として用いられた。
貼り石 建造物の壁に薄い石
化粧 建物の表面に、白など、見栄えのする色の塗料を塗ること

神楽坂1丁目(写真)昭和54年牛込見附→飯田橋駅西口 ID 11874とID 11876

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11874とID 11876は、昭和54年(1979年)の神楽坂1丁目の牛込見附から飯田橋駅西口に向かって撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11874飯田橋駅前 牛込見附

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11876飯田橋駅前 牛込見附

 右側の歩道が狭くなっている部分が牛込橋です。この少し手前から向こうは千代田区富士見になります。右側の自動車のフロントグリルには正月飾りがついています。ID 94、ID 11873と同時の1月17日の撮影でしょう。
 車道はアスファルト舗装で、両側には側溝と縁石があります。歩道もアスファルト舗装です。飯田橋駅の前の橋の部分はおそらく戦前から続く石畳でしだが、ここでは見えません。
 右の商店の前には、神楽坂通りと同じ円盤型の街灯が2つあり、「神楽坂1丁目」で、店は神楽坂通りの商店会の会員。一方、左側は水銀灯のようで、同じ新宿区でも「神楽河岸」という別の町でした。さらに奥の牛込橋のあたりには別の街灯があり、これは千代田区の管轄でしょう。
 交差点名の「牛込見附」は、現在は「神楽坂下」に変わりました。交通標識は「逆転式一方通行の延長」の写真と同じで、「歩行者専用」と「歩行者専用道路 12-13」「スプーン・フォーク・スープの標識」。「30」は最高速度が30km/h。右側で、上には「調整中」「自転車を除く」、下には「歩行者専用」と「歩行者専用道路 12-13」です。さらに「立喰そば 飯田橋」の道路側に「歩行者通行止め」があります。

神楽坂1丁目(昭和54年)牛込見附→飯田橋駅西口
  1. 波板の囲い(旧・神楽坂警察跡地、再開発準備中)
  2. 看板「神楽坂 ナカノ」(中野洋装店)
    (ここから千代田区)
  3. 飯田橋駅西口駅舎
  4. 巨大な日本歯科大学体育館
  5. ビリヤードニッポン(濃い灰色にみえるビル)
  6. ホテルグランドパレス(遠くかすんでいるビル)
  7. 看板「麻雀 ビリヤード」
  1. 東山(酒蔵)
  2. 麻雀 COFFEE SHOP
  3. 電柱看板「質 大久保
  4. (白)鷹 とんかつ 森川
  5. 金鷹 〇〇〇/ラーメン(二鶴)
  6. 立喰そば 飯田橋<
  7. 電柱看板「とんかつ 森(川)」
    (ここから千代田区)
  8. 富士見町教会(黒い低い建物)
  9. 東京警察病院(大きな白いビル)

住宅地図。1976年

地蔵坂(写真)藁店 昭和49年 田口重久氏

 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和49年(1974年)12月21日の写真を上げます。坂の左側は神楽坂5丁目が主で、右側は袋町が主です(地図は下にあります)。歩道はあり、下水は道路の側溝を流れ、また坂が登りになると車道は滑り止めのオーリングを使って施工しました。自動車は対面通行でした。電柱の上には細い柱上変圧器もありますが、大きなものもありました。街灯は、恐らく水銀灯でしょう。。

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂下から 05-10-46-01

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂下から 05-10-45-03 1974-12-21

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂下から 05-10-45-011974-12-21

田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」地蔵坂上から 05-10-45-02 1974-12-21

地蔵坂(藁店)昭和49年
  1. 鮒忠 ご宴会場
  2. 電柱看板「加藤産婦人科
  3. 電柱看板「神楽坂皮膚科
  4. (理髪 モリワキ)
  5. 小林石工店
  6. 電柱看板「産婦人科 内科 外科 小児科 斉藤医院」「日本出版クラブ
  7. 電柱看板「神楽坂皮膚科」
  1. 「新たに知識を御届けする 芳進堂」
  2. あかつき(料理)
  3. 裏を向いた道路標識が一杯
  4. 電柱看板「神楽坂皮膚科 神楽坂6ー21」
  5. 電柱看板「すき焼 恵比寿
  6. 人が一杯、並んでいるのは「八百美喜」。店頭の対面売りで店には人を入れませんでした。
  7. 電柱看板「理髪 モリワキ 入口← 袋町3 」「ワイシャツ 大売出し/12月2~3日メーカー〇品」
  8. 旅館 竹兆
  9. 電柱看板「 倉庫完備 取扱丁寧 大久保 この↑さき 袋町4」

1976年。住宅地図。

神楽坂皮膚科 神楽坂6丁目21です。朝日坂に反対する場所

神楽坂1丁目(写真)牛込橋 昭和37年 ID 5993~5995

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5993~5995は、昭和37年(1962年)、神楽坂1丁目を牛込橋方向から撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5993 神楽坂入口をのぞむ

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5994 神楽坂入口をのぞむ

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5995 神楽坂入口をのぞむ

 昭和36年4月のID 52-53と比べると、牛込橋の車道のセンターラインや歩道の柵、左右の桜の木は同じです。しかし今回の街灯はそれまでの鈴蘭灯から、大型円盤形の蛍光灯に代わっています。左側の電柱広告は「旅館かぐら苑 野乃木」から「大久保質店」に、右側のファサード看板も「森本不動産」から「伊達」に代わりました。
 右上の「メトロ映画」の看板は「ヽロ映画」(ID 52-53)から「 ヽ凵映画」(ID 5993~5995)へと老朽化が進んでいます。遠くにキャバレー「ムーンライト」が見えています。
 街の様子は、寒いのか外套を着る人もいて、桜も裸木です。ただ歳末セールや正月の飾りのようなものは見えません。
 ID 55と56ともよく似ています。左下の手すりが雑巾かシャツで覆われ、すぐ前に同じバイク、右側にも同じ「日軽サッシ」の車も停まっています。ID 55-56、5993~5995は同じ時に撮影したことが分かります。
 新宿区『新宿区15年のあゆみ』(新宿区役所内務部総務課、1962年)ではID 5994を使っています。この本は昭和37年3月に出版していますので、この写真は、それ以前に撮影したはずです。
 ID 5995の右側の桜の木に、映画のポスターらしきものが見えます。昭和37年(1962)2月11日公開の『天使と野郎ども』ではないでしょうか。とすると撮影は昭和37年2月でしょうか。

日軽サッシ サッシ(window sash)は窓枠全体のこと。日軽は日本軽金属から現在はLIXIL(リクシル)になり、これは建築材料・住宅設備機器業界最大手の企業。
映画のポスター 拡大します。

人文社「日本分県地図地名総覧 東京都」1960年

神楽坂1~2丁目(昭和37年頃)
  1. ラーメン 中華そば
  2. とん(かつ森川)「も や」
  3. 電柱看板「気軽に習えて三日で踊れる 小柳ダンス教室
  4. 地名標識「神楽坂」
  5. 喫茶室 コルヌ(Corne)
  6. 電柱看板「 大久保」「中河電気
  7. 袖看板「天下の銘酒 三富酒蔵」壁面看板「富士錦三富酒蔵」「大衆」
  8. 外堀通り
  9. パチンコニューパリー。エッフェル塔に似たネオン
  10. 神楽坂通りは省略)
  1. 桜の木にポスター
  2. 神楽坂警察署
  3. 旅館 保〇
  4. 停車中の自動車「日軽サッシ」
  5. 桜の木に看板 映画
  6. ファサード看板「入院応責 産婦人科加藤医院」「品の良いデザインカットを誇るドレスはD伊達」
  7. 外堀通り
  8. 赤井商店
  9. 右に移って「さくらや靴店」
  10. (神楽坂通りは省略)
  11. 屋上広告「メトロ映画
  12. 屋上広告「キャバレー ムーンライト」