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あとがき|アルバム 文学散歩|野田宇太郎

文学と神楽坂

 野田宇太郎氏の『アルバム 東京文学散歩』(昭和29年、創元社)は、昭和27年の記録で、昭和28年12月に「あとがき」を書き、昭和29年2月には「アルバム 東京文学散歩」として出版しました。
 これは「あとがき」で、どうしてカメラを使ったのか、その理由と目的を書いています。

     あ と が き
 私が自分の仕事にカメラを利用しはじめたのは昭和27年の初めからで、それまではスケツチ・ブツクやノートに鉛筆を走らせてゐたのを、カメラに代へたのである。
 スケツチも嫌ひではないが、素人のかなしさで、とても時間がかかる。それに、これは絵にしたいと思ふやうな風景とか事物などを調査するのではないから、絵心が大して動くわけでもないし、動く場合があるとしても、それにかかづらつてゐると、私の必要とする資料の意義から離れてしまふ。やつばりカメラに限ると云ふことになつたのである。だから断るまでもなく本書は写真の本ではなく、あくまでも文学書である。
 東京文学散歩の仕事をはじめてからもう四年になるが、何しろ戦後の復興途上のことなので、一年一年様相が変る。さうした慌しい変化の中に見えかくれする近代文学の遺跡を、自分の文学として描かうとするのが私の目的であるから、カメラはその目的のために、時折必要に応じて利用するに過ぎない筈だが、いざカメラを使ひはじめると、常に携帯してゐないことには気がすまなくなつてくる。ちよつとした調査で出かける時は、今日は力メラは要らないと考へてゐるが、そこで仕事をしてゐると、必ずカメラを持つて来ればよかつたと後悔することがあるし、そんな場合は後で又同じ所にカメラを持つて出かけねばならない。カメラが私よりも先に記録の必要を感じてゐて。それを私に教へるのである。
 私はただペン一本の人間で、機械いぢりはまことに不得手だし、撮影に自信など更にない。ペン一本を命とたのんで、もう20年以上にもなるだらうが、未だにそのペンにさへ自信の持てない私が、馴れない精巧なカメラを自信を持つていぢれるわけはない。にもかかはらず、私のカメラは同情深い生き物で、自信のない私を落膽させない程度には何時も役立つてくれるのだから、このカメラだけは愛さないわけにはゆかない。
 ――このやうに全く写真には素人の私が、写真を主体とした本書を出版するなどは盲人蛇に怖ぢぬたぐひで、盲人でもないつもりの私としては、まことに恥かしいことであるが、それにもかかはらず本書を出版したのは、私一人の恥を犠牲としても尚あまりある文学的な意義があると信じたからである。文学の眼で見た文学的記録写真とも云へるこのやうな書物が、必要なのにもかかはらず今日迄出版されなかつたのを、ともかくも実現したと云ふこと一つからも、私はよくもやつたと自らを慰めてゐる。もつとも、カメラに馴れない私が、この仕事を一応貫くまでの勇気を持ち得たのは、絶大な後援者があつたからで、先づ私の仕事のために高価なカメラを提供された柏山清一氏と、この素人写真を本にするために編輯から製版造本に至るまで苦労を惜しまれなかつた柚登美枝さんの御厚意を忘れることは出来ない。
 尚本書に入れた随筆は昭和27年の毎日新聞に「東京文学散歩」と題して連載したものに、書き下ろしを加へたものである。使用カメラはキャノン4SB・レンズf1.8であつた。
   昭和28年12月中浣
遺跡 ある人や事件に深い関係のあった場所。
落膽 らくたん。落胆。期待や希望どおりにならずがっかりすること。
盲人蛇に怖ぢぬ 盲蛇に怖じず。物事を知らない者はその恐ろしさもわからない。無知な者は、向こう見ずなことを平気でする。
中浣 ちゅうかん。月半ばの十日間。中旬。