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夜の神楽坂|西村酔夢1

文学と神楽坂

 明治35年、西村酔夢氏が『文芸界』に書いた「夜の神楽坂」です。そのうち花柳界を取り上げます。

夜の神樂阪

西村醉夢

 田舎(ゐなか)小説家(せうせつか)(ふで)()つて、()東京(とうきやう)()りる()に、何時(いつ)(かづ)()されるのは神樂阪(かぐらざか)だ。か(ほど)有名(いうめい)神樂阪(かぐらざか)は、全體(ぜんたい)何丈(どれだけ)範圍(はいゐ)と、()()組織(そしき)と、(どん)狀況(じやうきやう)とを()つて()るだらう()。これは研究(けんきう)()價値(かち)()ると(おも)はれる。で、前後(ぜんご)三囘(さんくわい)觀察(くわんさつ)出懸(でか)けて、(から)うじて、(さぐ)()(ところ)と、平生(へいぜい)()にも()(みゝ)にも()いた(ところ)とを()ぜて、此處(ここ)に『(よる)神樂阪(かぐらざか)』を(つゞ)(こと)にしたのだ。何故(なぜ)時到(とき)(よる)にしたかと()ふに、神樂阪(かぐらざか)神樂阪(かぐらざか)たる所以(ゆゑん)は、(まつた)(よる)()つて、晝間(ひる)(たゞ)徃来(ゆきかい)(しげ)普通(ふつう)市街(まち)たるに(とゞ)まればである。
區域くゐき はうでるか、あらかじめつて必要ひつえうがある。神樂かぐらざかふのは、勿論もちろん神樂かぐらちやうさかふのだらうけれども、れだけでは研究けんきう材料ざいれうとして、あまりに落寞らくばくたるのきらいるから、もうすこ區域くゐき擴張くわくてうして、所謂いはゆる神樂かぐらざか附近ふきんこと觀察くわんさつしたのだ。それは、牛込うしごめ御門ごもんところ自動じどう電話でんわへん起點きてんとして、ずつ、、さかのぼつた牛込うしごめ郵便いうびん電信でんしんきよくいたあひだ道路だうろ兩側りやうがはと、さらにその小路こうぢ横町よこちやう)のなか包含つゝまれたものをいつ區域くゐきとしたので、すなはち、揚場あげばちやう神樂かぐらちやう上宮比かみゝやびちやうふくろちやうさかなちやう通寺とほりてらまちへんを一まとめにして、くは『神樂かぐらざか』とつたのでる。


東京市牛込区全図。明治40年

右の赤丸は自動電話。左の赤丸は牛込郵便電信局。東京市牛込区全図。明治40年。(地図で見る新宿区の移り変わり。昭和57年。新宿区教育委員会)

落寞 一人だけで寂しい。寂れてひっそりとする。落漠。落莫。
自動電話 上の地図で右の赤丸。
牛込郵便電信局 上の地図で左の赤丸。

 必要な説明は一切ありません。明治35年だともう現代文なのです。

觀察くわんさつ事柄ことがら はうであるふに、くはしくればするほど材料ざいれうがあつて、多方面たほうめんわたるから、到底とても一てうせき目的もくてきたすことが出來できない。で、ただその市街まち狀況じやうきやうと、家々いへ/\職業しよくげふ通行人つうかうにんおこなはるゝ事情ことがらなどを調しらべることにした。けれどもここれすら却々なか/\多方面たほうめんであるから、くはしい觀察かんさつ出來できなかった。して内面ないめんひそんでゐる隱微いんぴ事柄ことがらは、容易やういさぐ得可うべきものはい、つとめてそれを觀察くわんさつしやうとはおもつたものゝ、どう表面うわつつらばかりになつて、れいの『皮相ひそうくわん』にをはつたのは殘念ざんねんだ。

 様々な商店の説明が中に入り、いよいよ花柳界です。

神樂阪(かぐらざか)達磨(だるま) と()へば『それしや』の(あひだ)には有名(いうめい)なもので、(しか)正眞(しやうしん)正銘(しやうめい)粹者(すゐしや)には極力(きよくりよく)排斥(はいせき)さられて()る。(さて)その()しかる振舞(ふるまひ)何處(どこ)()()工合(ぐあひ)(えん)ぜられるか、(あま)立入(たちい)つて研究(けんきう)すべきでもないから、爰處(こゝ)では(くは)しく()べないけれども、さる牛肉屋(ぎうにくや)樓上(ろうじやう)()るハイカラ(てき)業務(げふむ)(いとな)んてゐる(うち)では、(ひそ)かに(あや)しい(こと)(おこな)はれてゐるとの(こと)蕎麥屋(そばや)(いへ)ども(けつ)して油斷(ゆだん)出來(でき)ないとは、(あき)れても(あま)()(こと)だ。(もつ)とも()れは(れい)()()(べつ)にして()つたもので、()(ほう)格段(かくだん)觀察(くわんさつ)(えう)する。

達磨 売春婦。商売女。寝ては起き寝ては起きするところから。ここでは芸者ではないので、私設の商売女をさすのでしょう。
それしゃ その道に通じている人。専門家。くろうと。芸者。遊女。商売女。くろうとたる芸者なのでしょう。
粹者 花柳界の事情に通じた人。粋人。通人
楼上 高い建物の上。楼閣の上
餘り有る あまりある。十分である。十分に余裕がある。ここでは「呆れてもその通り」
しゃ それしゃのこと

 なんとなくわかります。「転び芸者」「転び」という言葉もあって、芸ではなくて、体を売ること。名句を1つ。「転びすぎましたと女 医者に言い」。場所は牛肉屋や蕎麦屋などもはいっていたのですね。

神樂(かぐら)芸者(げいしや)  は神樂(かぐら)(ざか)名産(めいさん)の一つである、が()(かず)(とき)()つて(ちが)ふけれど七十人乃至(にんないし)九十人位(にんぐらゐ)だ。
藝者(げいしや)(げい)  は(どう)だがと()ふに、(あが) (さが)(ぐらゐ)(わか)れば三味(さみ)(せん)はそれで()く、(をどり)(あめ)しよほかつぽれ(、、、、)(ぐらゐ)やれゝば、座敷(ざしき)()(すま)して()るとが出來(でき)るのだ、()新柳(しんりう)二橋(にけう)などに(およ)びもないのは、土地柄(とちがら)何樣(どう)詮方(しかた)()(こと)だらう。

二上り 三味線の調弦名。一の糸と二の糸が完全5度,二と三の糸が完全4度の調弦
三下り 三味線の調弦名。本調子の第3弦を長2度下げたもの
雨しょほ 小雨が降り続くようす。しとしと。まばらに降る。
かっぽれ 俗謡、俗曲にあわせておどる滑稽な踊り
新柳二橋 しんりゅうにきょう。新橋(しんばし)(中央区銀座、明治維新後)と柳橋(やなぎばし)(台東区南東部、江戸末期から存在)、この2つが人気の花街となりました。新橋が明治政府の高官たちに、柳橋は生粋の江戸っ子、問屋街の大旦那たちに贔屓にされました。

 三味線や踊りができなくても神楽坂は一流どころじゃない。仕方はないねと考えているようです。