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神楽小路(写真)昭和45年頃 ID 8287

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8287は、昭和45年(1970年)頃、神楽小路から軽子坂方向を撮ったものです。中央の道路は神楽小路で、左側は神楽坂2丁目で、右側は主に神楽坂1丁目です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8287 神楽坂2丁目

 以下は地元の方の話で……
「神楽小路を出た突き当たりに升本酒店の倉庫らしき建物と車が見えます。
「下水は側溝で、道が狭いせいか片側だけです。縁石と側溝が大きく『くの字』型に何カ所も折れ曲がっています。現在は、もう少し真っ直ぐになっているようです。戦後、復興を急いだせいもあって地境があいまいなまま家や塀を建てたこともあったようです。そうした表れかも知れません。
「街灯は電柱からエアーポットの看板の下に細長い蛍光灯が出ています。
「看板の多くはバーや小料理屋です。右側の『勝恵』の看板の周辺には小さな看板がいくつもあり、これは後に『みちくさ横丁』と名づけられます」

神楽小路(昭和45年頃)
  1. (見えていないがテーラー和田屋)
  2. BARBER(テントに)バンコク館
  3. めし。スタンド看板「大衆食堂。神楽坂で2番目に美味しいと評判の印度カレー 牛丼 その他いろいろ メトロ食堂」
  4. 電柱看板「 買入 丸越」「清酒 白鶴 (ハ)クツル おにぎり お茶漬 〇料理 姿」「神楽坂2-12」
  5. (ぷ)らんたん
  6. BAR ちひろ
  7. 8 8(バー)
  8. BAR (シ)ャネル
  9. 電柱看板「レストラン エアーポット」「大久保」(下の地図で「ベアー まつ」から将来の「エアーポット」に変わっています)
  1. 紀の善
  2. 手打うどん お茶漬 おでん 小(勝)
  3. サントリーバー 勝恵
  4. 屋上看板「ステ〇」

1964年。住宅地図。

神楽坂3丁目(写真)大東京祭パレード 昭和32年 ID 4943

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 4943は昭和32年(1957年)「大東京祭」における「花自動車パレード」を撮ったものです。坂下から坂上への自動車、バスやトラックの「花自動車」パレードでした。「祝 大東京祭」を掲げるオープンカーには女性4人が手を振り、左ハンドル車の運転手が座っていました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 4943 大東京祭 花自動車パレード 神楽坂

 街灯は昭和28年頃から昭和36年頃まで続いた、鈴蘭すずらんの花をかたどった鈴蘭灯でした。電柱の上には細い柱上変圧器があります。車道は石敷ですが、平坦、滑らかで、センターラインは消え、しかしうっすらと残っています。つまり昭和30年に行った対面通行はやめ、昭和31年には坂を上る方向の一方通行に変えています。もっと遠くのセンターラインは実線が残っています。坂下の交差点の横断幕はおそらく「片側通行帯」で、神楽坂通りが一方通行であることを知らせる目的でしょう。この一方通行が逆転式に変わるのは昭和33年と思われます。
 右側の鈴蘭灯は歩道のど真ん中に立ち、左側の電柱は車道寄りの歩道に立っていました。縁石から約30cm内部に新しいコンクリートの列があり、この間の地下には下水が流れていたようです。
 ヒデ美容室と山本薬局の間の歩道には段があります。昔の神楽坂の階段のなごりかも知れません。
 地元の方はさらに説明します。

 太陽堂の横の路地に積み上げてあるのは「ばち」ですね。大東京祭は都民の日(10月1日)ごろの実施なので、ちょうど需要期でしょう。都の資料によれば大東京祭は昭和31(1956)年が第1回となっています。またオープンカーの頭上の横断幕を、この季節で大胆に予想すれば「紅葉祭」でしょう。
火鉢 暖房具の一種。灰を入れ、炭火すみびをついで手足をあぶり、室内を暖め、湯茶などを沸かした。

神楽坂3丁目(昭和32年)
  1. 看板「パーマネント」の「ネ」。マーサ美容室
  2. おそらく電柱看板「マッサージ 〇サージ院」
  3. 電柱看板「喫茶 七福」「菓子 七福」
  4. さわや
  5. 亀井鮨
  6. ルナ美容室
  7. 喫茶クラウン
  8. 電柱看板「旅館 川田
  1. ビデ美容院
  2. 綜合 ビタミン剤 強力パンビタン  山本(薬局)。看板「抗生物質製剤 クロロマイセチン」
  3. 美術陶器 太陽堂 せともの
  4. BARBER 管理髪館
  5. ス〇 美術〇〇
  6. 時計。メガネ
  7. ✚クスリ
  8. 夏目写真館
  9. 電柱看板「石川歯科