和解|徳田秋声

文学と神楽坂

 徳田秋声氏の『和解』(昭和8年)の最終場面です。氏と泉鏡花氏の曰く言い難い関係が出ています。

徳田秋声

徳田秋声

 K―の流儀で、通知を極度に制限したので、告別式は寂しかつたけれど、惨めではなかつた。順々に引揚げて行く参列者を送り出してから、私達は寺を出た。
「ちよつと行つてみよう。」K―が言ひ出した。
 それは勿論O―先生の旧居のことであつた。その家は寺から二町ばかり行つたところの、路次の奥にあつた。周囲は三十年の昔し其儘であつた。井戸の傍らにある馴染の門の柳も芽をふいてゐた。門が締まつて、ちやうど空き家になつてゐた。
「この水が実にひどい悪水でね。」
 K―はその井戸に、宿怨でもありさうに言つた。K―はここの玄関に来て間もなく、ひどい脚気に取りつかれて、北国の郷里へ帰つて行つた。O―先生はあんなに若くて胃癌で斃れてしまつた。
「これは牛込の名物として、保存すると可かつた。」
「その当時、その話もあつたんだが、維持が困難だらうといふんで、僕に入れといふんだけれど、何うして先生の書斎なんかにゐられるもんですか(おつ)かなくて……。」
 私達は笑ひながら、路次を出た。そして角の墓地をめぐつて、ちやうど先生の庭からおりて行けるやうになつてゐる、裏通りの私達の昔しのの迹を尋ねてみた。その頃の悒鬱(むさくる)しい家や庭がすつかり潰されて、新らしい家が幾つも軒を並べてゐた。昔しの面影はどこにも忍ばれなかつた。
 今は私も、憂鬱なその頃の生活を、まるで然うした一つの、夢幻的な現象として、振返ることが出来るのであつた。それに其処で一つ鍋の飯を食べた仲間は、みんな死んでしまつた。私一人が取残されてゐた。K―はその頃、大塚の方に、祖母とT―と、今一人の妹とを呼び迎へて、一戸を構へてゐた。
 私達は神楽坂通りのたはら屋で、軽い食事をしてから、別れた。
 数日たつて、若い未亡人が、K―からの少なからぬ手当を受取つて、サクラをつれて田舎へ帰つてから、私達は銀座裏にある、K―達の行きつけの家で、一夕会食をした。そしてそれから又幾日かを過ぎて、K―は或日自身がくさぐさの土産をもつて、更めて私を訪ねた。そして誰よりもK―が先生に愛されてゐたことと、客分として誰よりも優遇されてゐた私自身が一つも不平を言ふところがない筈だことと、それから病的に犬を恐れる彼の恐怖癖を、独得の話術の巧さで一席弁ずると、そこそこに帰つていつた。
 私は又た何か軽い当味を喰つたやうな気がした。

(昭和8年6月「新潮」)

K― 泉鏡花のこと
O― 尾崎紅葉のこと
二町 1町は約109m
宿怨 しゅくえん。かねてからの恨み。年来の恨み。旧怨。宿恨。宿意
夢幻 むげん。夢や幻のようにはかないこと
 詩星堂、または十千万堂塾
手当 心付け。支払う金銭。基本給のほかに支給する資金
サクラ 泉斜汀の子
くさぐさ 種種。種類や品数の多いこと。さまざま。いろいろ。なお、青空文庫では「くさくさ」と書いていますが、意味は不明です。「くさぐさ」は新潮社の「名短篇」(新潮別冊、新潮創刊100周年記念、平成17年)から取りました。
当味 あてみ。当身。古武術等の打撃技の総称。ひじ、拳、足先などで相手の急所を打ったり突いたりする技。

この関係は里見弴氏の随筆「二人の作家でも出ています
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