安田武|天国に結ぶ恋1

文学と神楽坂

安田武安田武氏が書いた『昭和 東京 私史』(昭和57年、1982年)のなかの「天国に結ぶ恋」の初めの部分です。

 氏の生年は大正11年11月14日。没年は昭和61年10月15日。上智大在学中の昭和18年、学徒出陣。戦後、戦争体験の継承を訴え、日本戦没学生記念会「わだつみ会」の再建につくして常任理事にも。著作に「戦争体験」「芸と美の伝承」など。

 冬場になると、神楽坂の「田原屋」へカキのコキールを食べに出掛ける。戦争前から往きつけの店というのは、もう数えるほどになったが、田原屋がその数少ない一軒だ。
 神楽坂は「その山の手式の気分と下町式の色調とが、何等の矛盾も隔絶もなしに、あの一筋の街上に不思議にしっくりと調和し融合して」いる、と加能(かのう)作次郎(さくじろう)が書いたのは昭和のはじめだが、半世紀余を経た今も、やはりそのとおりだと思う。
 表通りには、昔ながらの(うま)いもの店や、乾物屋とか漬け物屋とか日用の便があって、一筋入ると柳暗花明の色めいた路地、そしてその奥が、がらりと変わって閑静で気品のある住宅街。巨万の富があって、どこにでも好きに住める身だったら、袋町若宮町でなければ、北町中町南町、あの辺りに小ぢんまりした家がもちたい。
Coquilleコキール フランス語のコキーユcoquilleの英語読み。本来は貝や貝殻のこと。エビ・カニ・魚などを下調理してクリームソースなどであえ、貝殻そのものや貝殻形の器に盛り、天火で表面を焼いた料理。
その山の手… 『大東京繁昌記』「早稲田神楽坂」の「独特の魅力」に書いてあります。ここで
柳暗花明 りゅうあんかめい。柳の葉が茂って暗く,花が明るく咲きにおっていること。美しい春の景色。転じて花柳街。色町。
袋町 牛込袋町、光照寺、近隣の旧武家地などが集まって袋町。昔は風光明媚なところでした。袋町の桜に書いてあります。
若宮町 武家地と町屋。『牛込神楽坂若宮町小史』(若宮会、若宮町自治会、1997年)には「かつて武家屋敷であった若松町は、時代の移り変わりとともに一般住宅、料亭、商店、飲食店などが入り混じって、独特な雰囲気があります」
北町、中町、南町 江戸時代には幕府徒町の大縄(おおなわ)地でした。大縄とは同じ組に属する武士がまとまって一区画の屋敷地をもらうこと。この屋敷地を大縄地といいました。この御徒組大縄地は牛込御徒町と呼ばれ、北御徒町・中御徒町・南御徒町に分かれ、組頭2名と(かち)、あるいは御徒(おかち)28名~30名が住んでいました。徒とは江戸城や将軍の護衛を行う騎馬を許されぬ軽輩の下級武士です。

昭和56年

昭和56年の地図から。今の目で見ると違うことになっている場所もあります。

ちなみに固定資産税路線価情報を使って、各価格を調べてみました。平成26年の袋町6番13の値段は550,000円/㎡、若宮町29番1は599,000円/㎡、中町32番1は539,000円/㎡です。まあ、関係はないんですが、神楽坂2丁目12番18は1,350,000円/㎡でした。
 で、80㎡の土地を買うと、袋町で4400万円、若宮町は4792万円、中町4312万円、神楽坂2丁目は1億800万円がかかります。実際には2倍かかるのではないでしょうか。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください