明治大正昭和新聞研究会の「新聞集成大正編年史 大正8年度版 下」(1981)の大正8年(1919)12月27日「都新聞」の切り抜きです。なお、全てルビがついていますが、ここでは普通ではないルビだけを表示しています。
押詰った年の暮 ◇神楽坂は山の手一の賑い 市内の歳末気分は連日の紙上に報道したが山の手では四谷と共に神楽坂が第一等の賑いである。坂の登り口から肴町、通寺町まで通路の上に電燈を蜘蛛手の如く渡し店々の軒頭には提灯を点け今が年末大売出しの真ツ ◇最中 である。坂を登る右側に日本一きび団子と日本一君団子が隣合せに隣同士で客を争い呼でいるのは面白く右側では菱屋糸店、木村屋パン、中西 尾沢両薬店、相馬屋紙店、左側では布袋屋、恵比寿屋の両呉服店、浅井小間物店、太田半襟店、そばの春月、さむらい屋洋品店など名題の店が繁昌して居た。 ◇本屋 盛文堂は神楽坂第一の本店で新刊の新年雑誌を店頭に盛り上げ盛んに書生さんや女学生を迎えていたが主人の話によると本の定価が高くなり売行は益盛んであると云う。毘沙門前にはおでん、すし、天麩羅の屋台店が美味そうな香を漂わせ電車路を越えて行った ◇通寺 町は砂糖店のます屋、青木堂を初め多くの小売店も繁昌していたが黄昏頃は坂へ向って降る人が多く八時九時になると神楽坂に登る人の方が多くなるとは神楽坂に見る人出の傾向である。場所柄だけに学生や勤め人や勤め人階級の家庭の人が多い中に神楽坂芸妓が往来しているのも界隈の一景物である |
押詰 押し詰める。押して詰め込む。ぎゅうぎゅう入れる。
市内 東京市内で。東京都になったのは昭和18年から
蜘蛛手 クモの足のように、一か所から四方八方に分かれていること
軒頭 けんとう。軒先と同じ。一軒の突き出た先の部分
日本一きび団子と日本一君団子 「紀の善」から「菱屋」までの並びで、よく似た菓子店が上をむ向いて右側(北側)にある場所。そんな場所は大正11年では大畑パン店と吹野食料品(昭和5年は大畑菓子店と冨貴野食料品)(紫色)だけでした。他の店舗(右側は菱屋、木村屋パン、中西薬店、尾沢薬店、相馬屋、布袋屋。左側は恵比寿屋、浅井小間物店、太田半襟店、春月、さむらい屋、盛文堂)は下図で。うち本屋は青色、それ以外の店舗は赤色で。ただし、布袋屋は右側で。また、呉服店の恵比寿屋はグランド・カフェーの場所にありました。
名題 「名題」は歌舞伎用語。脚本や浄瑠璃などの標題。名題役者は名題看板に芸名をのせられる資格をもつ役者。「名代」は名に伴う評判。名高い。著名。高名。なうて。その品物や店。
電車路 大久保通りを走る路面電車です。
砂糖店 青木堂 砂糖店は緑色で、青木堂は赤色で。
芸妓 げいぎ。歌舞や音曲などで、酒宴の座に興を添えた女性。特に芸妓は技芸と教養を併せ持つ洗練された女性。
景物 「さいぶつ」はなく正しくは「けいぶつ」。四季折々の趣のある事物