カフェー」タグアーカイブ

東京盛り場風景|酒井眞人

文学と神楽坂

 酒井眞人氏の「東京盛り場風景」(誠文堂、1930)「神楽坂」です。

      山 手 銀 座
 早慶野球戦後、慶應が勝てば銀座になだれゆき、早稲田が勝てば、神楽坂にその戦捷を祝うのを常としている。いまでこそ山手銀座の名は、新宿にその名を奪われたが、その名の発祥の地はここである。神楽坂は昼より夜一時の盛り場である。しかも市内の他の多くの盛り場が、自動車、電車、自転車等殺人的往来によって、脅威されているのに、この地は灯ともし頃から夜十時すぎまで、車馬一切の通行を禁止される。すなわちこの地の表玄関飯田町の方から入ろうとすれば、道の真中に立標がたてられて、車馬の通行は禁止され、一方裏玄関肴町のところも同じく、入口の両方に立標がたてられて内の人々は安全を保證された、享楽第一のプロムナードとなる。
 夜の神楽坂は人の神楽坂だ。ことに目に立つのは、普段着のまま慢歩する夥しい人の群で、なまめかしい座敷着の芸者が、その人中を縫って、右から左、左から右へ歩む情景は神楽坂ならではみられぬ。坂を上つた左右の横町は紅燈柳影の歓楽境、絃歌ときに恋声を交えてきくのもこの土地らしく。
戦捷 せんしょう。戦勝。戦いに勝つこと。
市内 東京市なので現在にすると「都内中心部」
ともし 灯し。ともし。ともした火。あかり。ともしび。灯火
立標 りっぴょう。警戒標識。暗礁・浅瀬・露岩などの危険な場所に立てる。
肴町 この場合は現在の「神楽坂5丁目」
享楽 きょうらく。楽しみを味わう。思いのままに快楽にふける。「享」は受けるの意味
プロムナード promenade(仏)。散歩。散策。逍遙。そぞろ歩く道。散歩する所。遊歩場。
夥しい おびただしい。非常に多い。
座敷着 芸者や芸人などが、客の座敷に出るときに着る着物。
紅燈柳影 紅灯こうとうは色町のともし火。歓楽街の華やかな明かり。柳影りゅうえいは柳の木影。
絃歌 げんか。琵琶、琴、三味線などの弦楽器に合わせてうたうこと
恋声 こいごえ。愛情の声。愛のささやき。恋の調べ。恋の囁き。

     震災後のこの地
 大震災直後は、幸運にもその火災から免れたばかりに、松屋三越、銀座の村松時計店資生堂、さてはカフェープランタン等、灰燼にかした帝都の中心は、ここに移された如く賑やったものだったが、その後三年四年のうちに、これ等の一時の出店は影をひそめて、昔ながらの神楽坂になってしまった。それのみでない。復興の帝都は、勃然と生気に満ちたを凝し、新生面を開いたが、この地は僅かに坂のわさびおろしを思わせる愉快な補道と、坂上のアスフハルト道が出来たばかり、その他、家並は昔のままで、いまから思えばいっそここも灰燼に帰したなら、更に立派になっているだろうと愚知られる
松屋 不明です。ただし、銀座・浅草の百貨店である、株式会社松屋 Matsuyaではありません。株式会社松屋総務部広報課に聞いたところでは、はっきりと本店、支店ともに出していないと答えてくれました。日本橋にも松屋という呉服店があったようですが、「日本橋の松屋が、関東大震災の直後に神楽坂に臨時売場をだしたかどうかは弊社ではわかりかねます」とのことでした。
灰燼 灰や燃え殻。建物などが燃えて跡形もないこと
勃然 ぼつぜん。急に、勢いよく起こるさま。顔色を変えて怒るさま。思いがけないさま。突然。
 そう。よそおい
わさびおろし わさびをすりおろすための器具。

「補道」が「わさびおろし」のようで愉快だと言っています。中村武志氏は『神楽坂の今昔』(毎日新聞社刊「大学シリーズ法政大学」、昭和46年)で似た話を書いています。

 東京の坂で、一番早く舗装をしたのは神楽坂であった。震災の翌年、東京市の技師が、坂の都市といわれているサンフランシスコを視察に行き、木煉瓦で舗装されているのを見て、それを真似たのであった。
 ところが、裏通りは舗装されていないから、土が木煉瓦につく。雨が降るとすべるのだ。そこで、慌てて今度は御影石を煉瓦型に切って舗装しなおした。
 神楽坂は、昔は今より急な坂だったが、舗装のたびに、頂上のあたりをけずり、ゆるやかに手なおしをして来たのだ。
 つまり、御影石か木を煉瓦型に切って舗装し、その舗装が「わさびおろし」に似ていたのでしょう。
愚知られる ぐちられる。愚痴を言われる。相手が愚痴を言う時に、その内容を聞かされること。

     中心の毘沙門様
 神楽坂といえば、牛込見附の方から、急坂の四五丁の坂から坂上肴町までが、謂わゆる神楽坂であるが何んといってもその中心は、その半ばどころにある毘沙門様である。通から石柵ごしに境内がすっかりのぞかれ、お利益もあらかたに、参詣するもの跡をたたず、毎月寅と午の日には縁日だから、書き入れどきとされてある。この毘沙門様の前あたり、縁日の日でなくとも露店のすし屋が軒をならべ、坂下入口の屋台のすし屋と共に、ここの名物の一つである。
四五丁 距離の単位。一町、1丁は60間で360尺。約109メートル。四五丁は400−500メートル。
石柵 せきさく。石で作った柵。墓石を囲む外柵、神社や寺院の境内の境目の玉垣、庭園や施設の境界線の石フェンスなど
縁日 えんにち。神社や寺院ごとに定められた特定の日に参詣して神仏とゆかりを結ぶと、普段にまさる御利ごりやくがあるという日。「縁を結ぶ」とは人間との間に何らかの繋がりや絆が生まれること。東京で縁日に夜店を出すようになったのは明治20年頃以後で、神楽坂の毘沙門天がはじまりという。

     牛  込  亭
 あまり広くない神楽坂は、普段着のまま散歩する享楽第一のプロムナードといったが、ここを散歩する散歩客の中には、学生、山手のつとめ人。いずれも銀座を散歩する人のように見えもなければ、普段着そのまま気紛れに見てゆこう、聞いて帰ろうという人も所詮多かろう。あまり広くないこの界隈に娯楽機関が五つ六つある。毘沙門様のすこし手前の色もの席牛込亭手踊りや浪花節席の柳水亭は今の勝岡。農災後水谷八重子がたてこもってストリンドべルクの令嬢ニリエなど演じた牛込会館は、いまは白木の支店になっている。その他神楽坂演芸場、映画の文明館牛込館。ここは最近日活館と改称せられているが牛込館の名もなつかしい。
色もの席 色物いろものとは本来の演芸以外の漫才、音曲、奇術、紙切り、曲芸、声帯模写など。本来の演芸とは講談、義太夫、落語、浪花節など。
手踊り ておどり。手だけでおどる踊。 特に、すわって手振りだけでする踊。
ストリンドべルク ストリンドベリ(Johan August Strindberg)。スウェーデンの劇作家・小説家。自然主義的な作品で、イプセンとともに近代演劇の先駆者。小説「赤い部屋」「痴人の告白」など
白木 白木屋。しろきや。1662年(寛文2)日本橋に開業した呉服店白木屋。その後、近代的百貨店に。1956年(昭和31)東京急行電鉄の経営に移り、東急百貨店日本橋店。1999年(平成11)1月に336年の歴史に幕を閉じる。

     夜  の  街
 神楽坂は夜一時の街である。灯ともし頃から賑う人の群、ショウウインドの眩さ、半玉がよく足をとめてみる小間物店助六下駄屋三味線屋、など粋な臭いをただよわせるかと思えばそれよりもうるさいほど拡声器に景気を添えているレスラントカフェー。両側にならぶ種々の露店、特に坂上の理髪店の前にあらわれるバナナの叩き売りは、この地に来ってもう十年余になり、これらの元締をなしている若松屋近藤某目貫きの大店は、紙屋の相馬屋、薬屋の尾沢、この店は洋食屋もやっている。また糸屋の麥屋、それに老舗のカグラ屋メリンス店。近頃どこの盛り場にも進出している明治製菓白十字、家庭向の紅谷の喫茶部、この店は山手一流の菓子屋とし、緑茶も出来る。船橋屋はりまや等、坂上の田原屋には、よく文士の影がみられ肴町近くの田原屋果物店は、傍らレストラントを兼ねて、山手では一流の料理を喰せると評判がよい。
半玉 はんぎょく。まだ一人前になっていない芸妓。すう
小間物店 こまものみせ。小間物(日用品・化粧品などのこまごましたもの)を売る店。
レスラント おそらくレストランのこと。
カフェー 本来はコーヒーの意味。コーヒーを飲ませる店の喫茶店になり、客席にホステスをはべらせて洋酒・洋食を供する昭和初期の飲食店になった。
目貫き ぬきは刀ややりの目釘。目抜きは目立ち、中心的であること。
元締 一つに統括して締めくくること。その任にあたる人。たばね役。同業者組合の統括者。
レストラント restaurant。レストラン。西洋料理を客に供する料理店。
麥屋 「麥」は「麦」と同じ。ここではおそらく「ひし」のこと。

     町中に魚屋さん
 しかしなんといっても神楽坂は普段着のすがたである。緋鹿子の半玉にはなくてはならぬよく売り込んだ三好野木村屋、カフェの草分山本等どこまでも平民的である。それと同時にこれ等の町並のなかに魚屋、八百屋等がまた盛んにお惣菜を売っているのも、道ゆく人の肩をこらしめない
 その外芸者の入る店に、末よし、古新、吉熊橋本常盤 古いすしやの紀の善、鰻屋の鳥金などがある。そばやに更科春月やぶ、おでん小料理に赤びょうたん神楽おでん。人の噂も45日、なんといつてもこの辺では恩惠をこうむっている三木武吉の愛妾のはじめた牡丹は、ここからは一寸離れていたがあのしまつ。跡は陶々亭支店になったが、ぼたんの名をかりて先のぼたんの板前が小料理屋を初めている。
鹿子がのこ 深紅色の鹿子絞り。

鹿子絞り

こらしめない 誰かを懲らしめたり、罰したりしない。例は「彼が約束を破っても、私はこらしめない」。「肩をすくめる」は「恥ずかしい思いをしたときなどのようす」
古新 正しくは吉新
三木きち 大正2年、牛込区議。大正6年、衆議院議員。昭和3年の東京市疑獄事件で失脚。昭和20年、鳩山一郎らと日本自由党を結成するも、公職追放。昭和27年、政界に復帰。昭和29年、日本民主党を結成し、鳩山内閣を実現。昭和30年、保守合同を推進、自民党を成立。生年は明治17年8月15日。没年は昭和31年7月4日。71歳
牡丹 三木武吉氏の妾は5、6人いたともいいます。そのうち誰が「牡丹」を建設したのかわかりません。また、どこに作ったのも不明です。綿谷雪氏の「江戸ルポルタージュ」(人物往来社、昭和36年)「水野十郎左衛門あばれる」の料理屋では

牛込門外、神楽坂上り口の左側——坂に面した町屋の1かわ裏で、堀の方の電車道沿いの向かって表口がありました。故代理士三木武吉氏の経営で、一時ロシア美人の女中を置いて騒がれたことがあります。
 ここでしょうか?
陶々亭 東京都日比谷公園前で大正8年から昭和39年までの中華料亭。

     なんぼなんでもね
 その他ここの盛り場は、ほんの僅かの地域に限られているため、肴町をこえて郵便局の方にまで露店も延長され、そち等にもよい店もある、牛乳屋梅原は、早稲田の学生で知らぬものはないであろうし、その先町ほどの勇幸がくやの二軒のてんぶら屋は、一つは食味を自慢し一つは、趣味の店とされている。またその半対側に、有名な公衆食堂、どぶろくや、飯塚質店ともに旧家飯塚家の経営するところ、飯塚家飯塚友治郎氏は坪内逍遥の娘おくにさんの縁家先、同じ横町にはかの芸術座のあとがあり、島村抱月松井須磨子を思う。またその先には明治文壇の雄尾崎紅葉がながく住っていたという。
 一時左傾の出版所をして名をあらわした南宋書院は肴町通り、故有島武郎の親友足助氏の叢文閣、古本屋の竹中、いま盛業をしている盛文堂武田芳進堂機山閣、そことは遠くはなるが新潮社、盛り場をひかえて知識階級者がこの近くにいることを語る。
 更にこことは別に、あの夜の雑踏を他目に9時をすぎると東京物理学校の生徒がなりふりかまわぬさまで帰ってゆくのを見る。
  土曜日なのに夜学校には灯がともっている。
  なんぼなんでもね。
と詠じた木下李太郎氏の詩を想う。
飯塚友治郎 正しくは「飯塚友一郎
おくに 写真家の鹿嶋清兵衛とその後妻・ゑつの間にできた長女「くに」を6歳の時に養女に迎えている。本屋3
東京物理学校 東京理科大学のパンフレットでは
明治14(1881)年に東京大学を卒業後間もない21名の若き理学士らにより「東京物理学講習所」として創立され、2年後に「東京物理学校」と改称。当時から、真に実力を身に付けた学生を卒業させるという「実力主義」を貫きました。その後、昭和24(1949)年に新制大学の発足とともに「東京理科大学」に改組。科学技術の発展とともに幅広い分野の学部が設置され、今日ではわが国私学随一の理工系総合大学に発展しました。

木下李太郎 正しくは木下杢太郎でしょう。

     二つの先端を行くもの
 神楽坂は、坂を中心の盛り場である。ひとしきり肩もます雑踏をこえて坂を下れれば、牛込見附にいでる。昔の御見附どころだけに青松と石崖、外濠の水と、雑沓にひきかえて閑寂たるこころをいだかしめる。しかしここの堀には貸ボートが行われ、モガモボの一組みが涼風を入れている。だがはたしてオールをにぎるモボさん涼しいかしら 汗だくてはなかろうか。ここから離れてはいるが飯田橋の玉置のダンスホールも、この盛り場をひかえての経営として書き添えておく。
肩もます 肩を揉む。肩の筋肉の緊張や凝りをほぐす
モガモボ 「モダン・ボーイ」と「モダン・ガール」。大正デモクラシー時代に流行った先端的な若い男女。
玉置のダンスホール 不明です。大正10年、紅谷菓子店を3階建てに改築し、3階はダンスホールでしたが、震災後は喫茶店になりました。

つゆのあとさき|永井荷風(2)

文学と神楽坂

 永井荷風永井荷風氏の「つゆのあとさき」です。昭和6年5月に脱稿し、同年「中央公論」10月号に一挙に掲載しました。今回は「荷風全集第八巻」(岩波書店)から直接とりました。
 主人公は銀座のカッフェーで働く女給の君江さんで、対する男性には色々な人物が出てきますが、ここでは自動車輸入商会の支配人の矢さんを中心にしています。

「神樂。五十錢。」と矢田は君江の手を取つて、車に乗り、「阪の下で降りやう。それから少し歩かうぢやないか。」
「さうねえ。」
「今夜は何となく夜通し歩きたいやうな氣がするんだよ。」と矢田は腕をまはして輕く君江を抱き寄せると、君江は其のまゝ寄りかゝつて、何も彼も承知してゐながら、わざと、
「矢さん。一軆どこへ行くの。」ときいた。
 矢田の方でも隨分白ばツくれた女だとは思ひながら、其の經歴については何事も知らないので、表面は摺れてゐても、其の實案外それ程ではないのかと云ふ氣もするので、此の場合は女の仕向けるがまゝ至極おとなしい女給さんとして取扱つてゐれば聞違ひはないと、君江の耳元へ口を寄せて、
待合だよ。」と囁き聞かせ、「差しつかへはないだらう。今夜は晩いからね。僕の知つてる處がいいだらう。それとも君江さん。どこか知つてゐるなら、そこへ行かう。」
 思ひがけない矢田の仕返しに、流石の君江も返事に困り、「いゝえ。何處だつてかまはないわ。」
「ぢゃ、阪下で降りやう。尾澤カツフヱーの裏で、静な家を知つてゐるから。」
 君江はうなづいたまゝの外へ目を移したので、會話はなしはそのまゝ杜絶とだえる間もなく車は神樂阪の下に停つた。商店は殘らず戸を閉め、宵の中賑な露店も今は道端にや紙屑を散らして立去つた後、ふけ渡つた阪道には屋臺の飲食店がところ/”\に殘つてゐるばかり。酔つた人達のふら/\とよろめき歩む間を自動車の馳過る外には、藝者の姿が街をよこぎつて横町から横町へと出没するばかりである。毘沙門のの前あたりまで來て、矢田は立止つて、向側の路地口を眺め、
「たしかこの裏だ。君江さん。草履だらう。水溜りがあるぜ。」
 石を敷いた路地は、二人並んでは歩けない程せまいのを、矢田は今だに一人先に立つて行つたら君江に逃げられはせぬかと心配するらしく、ハメ板や肩先が觸るのもかまはず、身をにしながら並んで行くと、突當りに稻荷らしい小さなやしろがあつて、低い石垣の前で路地は十文字にわかれ、その一筋はすぐさま石段になつて降り行くあたりから、其時靜な下駄の音と共に褄を取つた藝者の姿が現れた。二人はいよ/\身を斜にして道を譲りながら、ふと見れば、乱れた島田のたぼに怪し氣な癖のついたのもかまはず、歩くのさへ退儀らしい女の様子。矢口は勿論の事。君江の目にも寐静つた路地裏の情景が一段艶しく、いかにも深け渡つた色町の夜らしく思ひなされて來たと見え、言合したやうに立止つて、その後姿を見送つた。それとも心づかぬ藝者は、稻荷の前から左手へ曲る角の待合の勝手口をあけて這入るが否や、疲れ果てた様子とは忽ち變つた威勢のいゝ聲で、「かアさん。もう間に合はなくつて。」
 君江は耳をすましながら、「矢さん。わたしも藝者にならうと思つたことがあるのよ。ほんとうなのよ。」
「さうか。君江さんが。」と矢田はいかにもびつくりしたらしく、其の事情わけをきかうとした時、早くも目指した待合の門口へ來た。内にはまだ人の氣勢けはひがしてゐたが、門の扉の閉めてあるのを、矢田は「おい/\」と呼びながら敲くと、すぐに硝子戸の音と、下駄をはく音がして、
「どなたさま。」と女の聲。
「僕。矢さんだよ。」
カッフェー 本来のカフェの定義はフランス語でコーヒー(豆)。コーヒー・紅茶などの飲物、菓子、果物や軽食を客に供する飲食店
女給 カフェ・バー・キャバレーなどで、客の接待に当たった女性。ホステス
 坂と阪は異体字で、同じ意味の漢字です。通常では大阪などの特別な地名や人名では「阪」。それ以外には「坂」を使います。
しらばくれた 知らない振りをする。知っていながら知らないふりをする。
摺れる すれる。いろいろの経験をして、純粋な気持ちがなくなる。世間ずれがする。
待合 まちあい。客と芸者に席を貸して遊興させる場所
尾沢カフェー カフェー・オザワ。大東京繁昌記に詳しい。
 窓の旧字体。
賑な にぎやかな。富み栄えて繁盛する。にぎわう。
 あくた。腐ったりして捨てられているもの。ごみ。くず
ふけ渡つた 更け渡る。ふけわたる。夜がすっかりける。深夜になる。夜が深まる。
馳過る かけすぎる。はせすぎる。走って過ぎる。馬を急ぎ走らせて通る。またたく間に過ぎてしまう。
 ほこら。神を祭った小さなやしろ
向側の路地口 平松南氏によれば、ごくぼその路地です。
草履 ぞうり。歯がなく、底が平らで、鼻緒がある。

女物の草履

ハメ板 壁や天井に連続して張る板
 ひじ。肘。上腕と前腕とをつなぐ関節部の外側。
觸る さわる。軽くさわる。ふれる。
 ななめ。なのめ。傾いている。
稲荷 いなり。稲荷神社。京都市伏見区深草にある伏見稲荷大社が総本社。
 やしろ。神の来臨するところ。神をまつる殿舎。神社。
路地は十文字に 地図は新宿区教育委員会の「神楽坂界隈の変遷」「古老の記憶による関東大震災前の形」(昭和45年)から取りました。ここで稲荷と四つ角を赤い四角()で、石段を赤丸()で表すと、行った待合は「松月」「よろづ」などになるでしょう。なお、赤丸()から、右につながる道は現在ありません。新しい道は左にできています(兵庫横丁は1960年代から

新宿区教育委員会「神楽坂界隈の変遷」「古老の記憶による関東大震災前の形」(昭和45年)

新宿区教育委員会の「神楽坂界隈の変遷」「古老の記憶による関東大震災前の形」(昭和45年)と現在

褄を取る つまをとる。すその長い着物の褄を手でつまみあげて歩く。芸者になる。左褄をとる。
 たぼ。日本髪の部分名で、後頭部から耳裏の部分

日本髪

寝静った ね-しずまる。夜がふけ、人々が寝入ってあたりが静かになる。
艶めかしい なまめかしい。姿やしぐさが色っぽい。あだっぽい。
思いなす 思い做す。心に受け取る。思い込む。推定して、それと決める。
言合す いいあわす。前もって話し合う。口をそろえて言う。同じことを言う。相談する
心づかぬ 心遣(こころづかい)とは「いろいろと、細かく気をつかうこと」。「心づかぬ」は反対語
忽ち たちまち。すぐ。即刻
敲く たたく。叩く。手や道具を用いて打つ。続けて、あるいは何度も打つ。

 君江はおぼえず口の端に微笑を浮べたのを、矢田は何事も知らないので、笑顏を見ると共に唯嬉しさのあまり、力一ぱい抱きしめて、
「君さん、よく承知してくれたねえ。僕は到底駄目だろうと思つて絶望していたんだよ。」
「そんな事ないわ。わたしだつて女ですもの。だけれど男の人はすぐ外の人に話をするから、それでわたし逃げてゐたのよ。」と君江は男の胸の上に抱かれたまゝ、羽織の下に片手を廻し、帶の掛けを抜いて引き出したので、薄い金紗捻れながら肩先から滑り落ちて、だんだら染長襦袢の胸もはだけた艶しさ。男はます/\激した調子になり、
「こう見えたつて、僕も信用が大事さ。誰にもしやべるもんかね。」
「カツフヱーは實に口がうるさいわねえ。人が何をしたつて餘計なお世話ぢやないの。」と言ひながら、端折りしごきを解き棄てひざの上に抱かれたまゝ身をそらすやうにして仰向あおむきに打倒れて、「みんな取つて頂戴、足袋もよ。」
 君江はかういう場合、初めて逢つた男に對しては、度々馴染を重ねた男に對する時よりも却って一倍の興味を覺え、思ふさま男を惱殺して見なければ、氣がすまなくなる。いつから斯う云う癖がついたのかと、君江は口説かれてゐる最中にも時々自分ながら心付いて、中途で止めやうと思ひながら、さうなると却て止められなくなるのである。美男子に對する時よりも、醜い老人や又は最初いやだと思つた男を相手にして、こういう場合に立到ると、君江は猶更烈はげしくいつもの癖が增長して、後になつて我ながら淺間しいと身顫ひする事も幾度だか知れない。
 この夜、平素氣障きざな奴だと思つてゐた矢田に迫まられて、君江は途中から急に其の言うがまゝになり出したのも、知らず/\いつもの惡い癖を出したまでの事である。
帯の掛け 帯掛。おびかけ。大名の奥女中などが使った帯留の一種。女性の帯の上を、おさえしめるひもで、両端に金具があってかみ合わせるようになっている
金紗 きんしゃ。紗の地に金糸などを織り込んで模様を表した絹織物。
 あわせ。裏地のついている衣服
捻る ねじる。捩る。捻る。拗る。細長いものの両端に力を加えて、互いに逆の方向に回す。ひねって回す。
だんだら染 だんだんぞめ。段だら染。布帛ふはくや糸を種々の色で横段に染めること
長襦袢 ながじゅばん。長着の下に重ねて着用する下着
艶しさ なまめかしい。艷めかしい。性的魅力を表現して、色っぽい。つやっぽい。
激する げきする。怒りなどで興奮する。いきりたつ。
端折り はしょり。着物のすそをはしょること。ある部分を省いて短く縮めること
しごき 志古貴。帯の下に巻いて斜め後ろに垂らす飾り帯
棄て すてる。捨てる。いらないか、価値がないものとして投げ出す。
馴染 なじみ。同じ遊女のもとに通いなれること。
却って かえって。予想とは反対になる。反対に。逆に。
口説く くどく。自分の意志に従わせようと、あれこれ言い迫る。こちらの意向を相手に承知してもらおうとして、熱心に説いたり頼んだりする。説得する
止める やめる。継続しているものを続かなくさせる。
立到る たちいたる。ある状態になる。とうとうそのような事態になる。
猶更 なおさら、いちだんと。ますます。
烈しい はげしい。烈い。激い。勢いが強い。あらあらしい。
身顫い みぶるい。寒さや恐ろしさなどのために体がふるえ動く
気障 服装、態度、言葉などが気取っていて、いやみ。

牛込華街読本|いい芸妓になる方法

文学と神楽坂

「牛込華街読本」の著者は蒔田耕、出版は牛込三業会、発行は昭和12年(1937年)でした。内容は「華街心得帳その一」、「その二」、「二業側御主人へのお話」、「女中衆へのお話」、「芸妓衆へのお話」、「営業取締規則へのお話」、「どうしたら繁昌するか〔座談会〕」、「牛込華街附近の変遷史」。
 なんというか、この本は非常に公式、正式、本式に書いていますし、きちんと正座して話を聞いていた芸者であれば、高級豪華絢爛な芸者になったと思います。
 これは「芸妓衆へのお話」の一部です。なお、本のルビはほぼやめ、旧漢字は新漢字に変わり、また、多くの「御」は「お」や「ご」に変え、ほかにもあれこれ変更しています。

     営業について

 前段に申し上げましたように芸妓は立派な婦人の職業であり、しかも意義ある営業なのです。皆さんも一たんこの社会に身を投じた以上、立派な芸妓即ち名妓になるということを心がけなければなりません。皆さんが立派な芸妓になれば、土地も繁昌するということになるのであります。私どもが皆さんに対し説法じみたことを申上げたり、苦言を呈したりするのも、皆この土地、否、花柳界の繁昌を念願する外、なにものもないのであります。しからばどうすれば立派な芸妓になれるかといいますと……。

     第一 芸を勉強する事

 芸は芸妓の看板でありますから、充分に勉強しなければなりません。芸のあるは、顔や姿は劣りましても、非常に美しく見えます。殊におどりのある妓は身体からだにいろけがあっていいものです。
 お座敷で立派な芸をもっている年増さんなどで「私、流行歌や民謡など出来ないわ」など自慢らしくいっている方がありますが、あれは大変な心得違いです。芸妓は純粋の芸術家ではないのです。つまりサービス・ガールなのですから、お客様本位になんでも、お客様のお望みに応じ、おあわせるという心掛けが肝心です。
 芸術家の芸は、間口がせまく、奥行が深く、芸妓衆の芸は、奥行が浅くとも間口を広くという訳です。もっとも間口も広く、奥行も深ければなお結構です。
 以上のように芸妓に芸は絶対必要でありますが、ただこういうことをよく承知しておいていただきたいのです(これはサービスの項に属するのですが芸に関係をもつのでここに付け加えておきます)。お座敷の場合、お客様は皆さんの上手なおどりを見るよりも、自分で「東京音頭」や「鹿児島はら」を踊る方が、より以上愉快なものです。一流の姐さんの清元きよもととき磐津わずを聞くよりも、ご自分で下手な「都々どどいつ」を唄う方が愉快なのです。
 でありますから踊なり、うたなり、三味線なりで名取になるのも結構。いや、それを目標に勉強していただきたいのですが、それ以上にお座敷でお客様に唄わせるよう、おどらせるよう「ひきだすこと」。そうしてお客様を「浮きたたせること」。これが芸妓としての至上の芸術であることをお承知置き願います。

芸妓 げいぎ。歌舞や音曲などで、酒宴の座に興を添えた女性。特に芸妓は技芸と教養を併せ持つ洗練された女性。
名妓 名高い芸妓。歌舞などにすぐれた芸者。
 酒席で、音曲・歌舞などをもって客をもてなす女。芸妓。芸者。
年増 としま。娘盛りを過ぎた女性。一般に現在は30歳代半ばから40歳前後までの女性。「牛込華街読本」では22〜23歳で年増と呼ばれた。
サービス・ガール  飲食店などで、給仕や接待をする若い女性。
間に合わせる 当座の用にあてる。急場をしのぐ。
鹿児島小原 鹿児島おはら節。代表的な鹿児島民謡。歌い出しは「花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは オハラハー 桜島」
清元 清元節。浄瑠璃(三味線音楽)の流派名。
常磐津 常磐津節。浄瑠璃(三味線音楽)の流派名。
都々逸 俗謡の形式名。最も代表的な座敷歌。典型的な歌謡調七七七五型をもつ。代表歌は〈おかめ買う奴あたまで知れる 油つけずの二つ折り〉〈そいつはどいつだ ドドイツドイドイ 浮世はサクサク〉と調子のよい囃し詞がついている。
名取 芸道で、一定の技能を修得し、家元・師匠から芸名を許された人。

     第二 サービス第一義に心掛けべき事

 サービスと申しますと大変範囲が広い、たとえばおしゃくをするのも、話のお相手をするのも、三味線を弾くのもサービスの内ですが、私の申し上げますのは、主として精神的サービスとでも申しましょうか、臨機応変その時々によりお客様への応対についての心得についてでございます。これは師匠がございませんので、どなたも習ったという方はないのでございます。ほとんど生れつきと申すかも知れませんが、しかし自分の心掛け一つで、ある程度まではうまくなるものです。
 以下それについて御参考にならうかと思う事柄を、項を分けてお話し致します。

     (イ)遊びは気分である
 遊ぴは気分である。即ちお客様は気分を味わいにいらっしゃるのであります。そのお客様を面白おかしくご接待して、満点の気分にしてお帰りしすること。これが営業繁昌の秘訣であります。
 しからばいかにすれば、お客様のご気分を好くし、ご満足を願えるかといえば.これは非常にむずかしい。いつもきまったお客様のお相手をするのではなく、多数のお客様にお目にかかるのですから、一々お客様のご気質をのみこんで、そのお心持にそうようにしなければならないのですから、全く難問題でありますが、まずどなたにもご気分よく感ぜられるのはすべてが早いことです。

心得 こころえ。理解していること。常に心がけていなければならないこと。技芸を身につけていること。たしなみ。

     (ロ) スピード時代
 世はスピード時代であるから、早いということが第一要件であると思います。下町からこの土地へ来るのに電車で3, 40分かかったものが、今では円タクで10分か15分で来るし、関西から特急で7、8時聞かかったのが、今日では飛行機で2時間で来るという時代です。
 料理屋なり待合なりへお客様がいらっしやる、二階へお上りになって、おすわりになるかならぬに煙草盆が出る、お茶が出る、ご酒が出る、お盃を取るか取らぬに芸妓が来るというように、トントン拍子に息もっかせぬように早くゆけば、お客様は必ずこの所まではご満足なさること請け合いです。
 私どもがカフェーへ遊びにいって見ますと、外にいい所は一つもないと思いますが、腰をかけると同時に美人がサービスする、これだけでお客がくるんだなという感じがいたします。かような訳で、どうしても早いことが必要であります。
 しかるに現在の芸妓衆はこの点はなはだ不熱心であるように思います。
 現に芸妓の来方がおそくていけないというお小言を、お客様からちょいちょい伺います。お出先からも始終苦情がきます。
 全くおそいです。新旧組合合併して検番を創設いたしました時、三業者の取引規定のなかに「芸妓はお座敷を受けて20分を過ぐるも出先に到着せざる場合は、取引を受くるも止むを得ざること」というのがあったために、当時は非常に芸妓のお座敷へ行き方が早かったのです。もっとも現在でもその規定は現存していますが、なれっこになったせいか、ずるずるにおそくなってしまったようです。
 ひどいのになると、お座敷を受けて一時間も一時間半も過ぎてお出先から催促が来る、芸妓家へいくと、お詣りに行って、もう帰って来ると思ふのですが…。一寸そこまで用達しにいったのですが、もう帰ってくると思いますが…。
 おともだちと出かけたが、行先がわからない。
 かみゆいへいって、帰りにコーヒーを飲みによったとか。
 おけいこ帰りに、みつ豆をたべに行っていたとか。
いろいろの場合がある。こんな場合は、本人のわるいことはもちろんですが、家の方の所置もよくない。初めからわかっていることなのですから。受ける時検番へ断るなり、すぐお出先へことわるなりしなければなりません。

円タク 一円均一の料金で大都市を走ったタクシー。東京を走ったのは大正15年。
茶屋 待合茶屋。男女の密会や、芸妓と客との遊興のための席を貸す茶屋。
喫煙盆 喫煙具一式をのせる容器の総称。当初の形が円か楕円形の盆だった。
カフェー 大正・昭和初期で、女給のいる洋風の酒場。
出先 芸者の呼ばれる料亭や待合など。おでさき
検番 芸者と出先(待合・料理屋など)との連絡事務所。
三業者 料理屋・芸者置屋・待合の三種の業者組合。
かみゆい 髪結。髪を結う職人。
所置 処置。その場や状況に応じた判断をし手だてを講じて、物事に始末をつけること。

     (ハ)お座敷へ出るに就て
 お座敷へ出て、お客様にお目にかかる場合、第一印象が一番大切であります。唄にある「一目見た時好きになったのよ」という、あの一目みて好きになってもらうのでなければならない。最初の一目で好い感じをあたえ得なければ、あとで認めていただけるとしても、それは非常な努力と日時を要するし、場合によっては、そのお客様には永久に好きになっていだたくチャンスをつかみ得ないかもしれない。かくの如く、第一印象は大切であるのです。よく心して初めお座敷へ入った時から、態度・言語・動作に注意して、緊張してお座敷を勤めることが肝要であります。
     (ニ)お客の研究
 お客榛の研究と申しますと、何だか失礼のようですが、是非とも必要があるのです。
 多数のお客様の中には、陽気な方もあれば、陰気な方もあり、ご身分・ご職業等により種々ご気質の違うものです。またお客様もお遊びばかりでなく、真面目なご相談事などでお出でになる場合もあるのですから、その場面を見分け、お客様のお気持をのみこんで、しかるべくお気に召すようにおもてなしして、ご愉快にお帰しするのが、芸妓衆の一番大切な仕事なのです。
     (ホ)お客様との対話について
 お座敷でお客様とお話をするには、お客様の調子を読まなければならないのです。お客様の話の調子というのは、お客様によって何かのお話を得意になって、お話になる方と、ご自分はあまりお話しにならず、芸妓にしゃべらして、それをお聞きになって、喜んでいらっしゃる方とがあります。
 この得意になってお話しになる方の場合は、上手に相槌を打って、ますます話をはずませるようにすること。ただしこの場合、あまりぎょうぎょうしいおどろき方や、感心の仕方は、いい感じを与えません。そのお話の内容により、真におどろいたよう、感心したよう、面白おかしいよう、共鳴するよう、すべてわざとらしくないようにしなければなりません。
「早慶戦、まア大変な人気ね」
と話し出してみて、お客様が
「お前、どっちが好きだい」
なんて乗り出していらしゃったら、その話を進行すること。
「なに? 野球のことか」
なんて、気のなさそうなご返事をなすっていらっしゃるのに、
「私、早稲田に勝たせたいわ」
なんて話をすすめるから、
「フン」
なんてお客様は、ますます面白くない。鼻の先でお返事をなさることになります。
 また早慶戦といつたような両方対立のような場合には、初めからこのお客様が、早稲田派か慶応派かということを、よく見極めなければならないわけです。
 総じてお客様は、「ヒラバ」の上手な、調子のいい、話上手なねえさんの面白い話を聴くよりも、聞き上手な——相槌をうまくうって話を引き出す——ひとを前に、得意になって喋っている方が、より以上に愉快さを感ずるものです。
     (へ)慎まねばならぬこと
 お座敷において、芸妓同志で、お客様に関係のない、勝手な話をすること、中にも役者や、芸人の話、他のお客様の噂、おかぼれ、、、、の話を暗号でするなどに至っては、最悪のものであります。断然やめて頂きたい。
 なぜいけないかということについて、一言付け加えておきます。こういう場合におけるお客様、否、男の心理というものは、おかしなもので、自分に何の関係もなく、また何の野心も持っていない相手であっても、他の男性をほめるということは、反対に自分が侮辱されたような変な感じがするものです。つまり軽いやきもち、、、、なのです。
 お客様のお相手をするに当り、たとえば、よっぱらっても粗暴な行為をしたり、乱暴な言葉使いをしたりすることは、最も醜態です。お客様に親しむのはいいが、狂れてはいけない。どこまでも、自分は商売でよんでいただいているのであるということを忘れてはいけません。すなわち失礼な言行のないよう心掛けねばなりません。

肝要 非常に大切なこと。最も必要なこと。
ぎょうぎょうしい 仰仰しい。おおげさである。
ヒラバ 平場。芸妓などの座敷だけの業。客と売春はしない。
おかぼれ 他人の恋人や親しい交際もない相手をわきから恋すること。

 さらに「お客様との対話について」「慎まねばならぬこと」「心得て置かねばならぬこと」が続きます。