作家と神楽坂

あ行

秋田雨雀 あきたうじゃく。劇作家。童話作家。早稲田大学卒業。在学中に新体詩集「黎明」を自費出版。劇作家として島村抱月の芸術座創立に参画。翌年沢田正二郎らと脱退して美術劇場を組織。経営に失敗。プロレタリア芸術運動に参加。生年は明治16年1月3。没年は昭和37年月12日。享年は満79歳。
芥川龍之介 芥川龍之介あくたがわ りゅうのすけ。小説家。東大英文科卒。第三次・第四次「新思潮」同人。「鼻」で夏目漱石が激賞し、文壇に。第1創作集『羅生門』で不動の地位を。新技巧派の代表的作家。生年は明治25年3月1日。没年は昭和2年7月24日。様々なトラブルで自殺。享年は満36歳。
麻田駒之助 あさだこまのすけ。明治から昭和期の編集者、中央公論社創立者。西本願寺参与。西本願寺系に所属する「反省雑誌」の経営。「中央公論」と改題し、後に滝田樗蔭を迎えて創作欄を拡大、文壇、論壇の権威雑誌に発展。大正元年、本願寺から独立。生年は明治2年10月14日。没年は昭和23年11月24日。享年は満80歳。
浅原六朗 あさはら ろくろう。小説家。 早稲田大学英文科卒。1930年、新興芸術派倶楽部の結成に参加、モダニズム文学の作家として活躍。その後、通俗小説、少年読み物を量産。戦後は日本大学芸術学部教授。生年は1895年2月22日、没年は1977年10月22日。享年は満82歳。
浅見淵 あさみ ふかし。小説家、評論家。早大卒。昭和3年、丹羽(にわ)文雄らと「新正統派」を創刊し、沢山の同人誌に参加。私小説風の作品や作家論、作品論などを発表。小説に「目醒(めざまし)時計」「手風琴」、評論に「昭和の作家たち」「昭和文壇側面史」など。生年は明治32年6月24日。没年は昭和48年3月28日。享年は満73歳。
東屋三郎 東屋三郎あずまや さぶろう。俳優。新劇の劇団「踏路社」を結成。第二次舞台協会、築地小劇場等にも参加。1927年(昭和2年)、初期のトーキーに出演。生年は明治25年(1892年)5月15日。没年は昭和10年(1935年)7月3日。享年は満44歳。
荒畑寒村

荒畑寒村あらはた かんそん。社会運動家。堺利彦や幸徳秋水の社会主義論に傾倒、1904年平民社に。社会主義宣伝のため伝道行商に。足尾鉱毒事件を素材に07年処女作『谷中村滅亡史』を著述。赤旗事件・人民戦線事件などで数度入獄。労農派として活動し、第二次大戦後、日本社会党結成に参加。生年は明治20年8月14日。没年は昭和56年3月6日。享年は満93歳。

有島武郎 ありしま たけお。小説家、評論家。有島生馬(いくま)、里見(とん)の兄。父が横浜税関長で、幼時から文明開化の気風になじみ、学習院を経て札幌農学校に入り、のちハーバード大学大学院に。明治43年「白樺」にくわわり、「カインの末裔」「生れ出づる悩み」「或る女」などを発表。生年は明治11年3月4日。没年は大正12年6月9日。軽井沢で波多野秋子と心中。享年は満46歳。
飯塚友一郎 飯塚友一郎いいづか ともいちろう。演劇研究家。東京帝大卒。10年間、弁護士を開業したが、歌舞伎を研究し、1926年、分析的研究で『歌舞伎細見(さいけん)』にまとめた。日大と二松学舎大の教授を歴任、演劇学の確立に努力した。生年は明治27年11月11日。没年は昭和58年4月21日。享年は満88歳。
生田春月 生田春月いくた しゅんげつ。詩人、小説家。浪漫的、虚無的な詩風。瀬戸内海に投身自殺。詩集「霊魂の秋」「感傷の春」、翻訳「ハイネ全集」など。生年は明治25年3月12日。没年は昭和5年5月19日。享年は満39歳。
生田長江 生田長江いくた ちょうこう。評論家、小説家、劇作家、翻訳家。1908、『自然主義論』を発表。平塚らいてう等の「青踏」を援け、生田春月・佐藤春夫・杉山平助らを世に送り出した人。翻訳は「ニイチェ全集」、評論集は「最近の小説家」など。生年は明治15年4月21日。没年は。昭和11年1月11日。享年は満55歳。
石川啄木 石川啄木2いしかわ たくぼく。詩人、歌人、評論家。石川節子の夫。詩集「あこがれ」で将来を期待。郷里の岩手県渋民村の代用教員や北海道の地方新聞の記者、東京朝日新聞の校正係。歌集「一握の砂」を刊行。困窮で結核で死去。死後、歌集「悲しき玩具」。生年は明治19年2月20日。没年は明治45年4月13日。享年は満27歳。
石田衣良 石田衣良いしだ いら。広告会社をへて、コピーライターに。生年は昭和35年3月28日。成蹊大卒。平成15年、東京月島を舞台に家庭内暴力や援助交際の中学生をえがいた短編集「4TEEN フォーティーン」で直木賞。
石橋思案 石橋思案いしばししあん。小説家。東大法科中退。尾崎紅葉、山田美妙らと硯友社を結成、創刊の『我楽多文庫』に『仇桜遊里廼夜嵐(あだざくらさとのよあらし)』を発表。戯作臭の濃い作風から抜けきれず、創作から遠ざかった。その後、『中京新聞』『読売新聞』などの記者を経て、博文館に入り、退職した1916年(大正5年)まで『文芸倶楽部』の編集に従事。生年は慶応3年6月2日。没年は昭和2年1月28日。享年は満61歳。
泉鏡花 泉鏡花いずみ きょうか。北陸英和学校中退。尾崎紅葉に師事。「夜行巡査」「外科室」で脚光を。明治29年、「照葉(てりは)狂言」から幻想的でロマンにみちた独自の世界に。代表作に「高野(こうや)(ひじり)」「(おんな)系図」「(うた)行灯(あんどん)」など。生年は明治6年11月4日。没年は昭和14年9月7日。享年は満67歳。
泉斜汀 いずみ しゃてい。作家泉鏡花の実弟。小説家。尾崎紅葉の門に。「新小説」を主な発表舞台として『監督喇叭』『離縁状』など下町小説、遊里の狭斜小説を多く発表。筆名斜汀は、鏡花の「舎弟」をもじってつけられたもの。生年は明治13(1880)年1月31日。没年は昭和8(1933)年3月30日。享年は満53歳。
伊藤銀月 いとう ぎんげつ。評論家・小説家。秋田中学中退。「(よろず)(ちょう)(ほう)」の記者。著書に『人情観的日本史』『日本民族史』『日本警察史』『海国日本』『詩的東京』など。生年は明治4年10月21日。没年は昭和19年1月4日。享年は満73歳。
伊藤左千夫 いとう さちお。明治法律学校(現・明治大学)中退。正岡子規に師事。子規の没後、根岸短歌会系歌人をまとめ、短歌雑誌『馬酔木』『アララギ』の中心となって、斎藤茂吉、土屋文明などを育成。1905年、小説「野菊の墓」を『ホトトギス』に発表。生年は元治元(1864)年8月18日、没年は大正2年7月30日。享年は満50歳。
伊藤整 伊藤整いとう せい。小説家、評論家。小樽高商から東京商大へ進むが中退。ジョイスの「ユリシーズ」を翻訳紹介。ローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」では猥褻文書頒布の容疑で起訴、有罪に。文壇に新しい文学精神と方法を導入。生年は明治38年1月17日。没年は昭和44年11月15日。享年は満64歳。
入江相政 入江相政いりえすけまさ。東大卒。官僚、歌人、随筆家。学習院大教授をへて、昭和9年宮内省侍従になり、侍従長を長く務める。生年は明治38年6月29日。没年は昭和60年9月29日。享年は満80歳。
色川武大 色川武大いろかわ たけひろ。小説家。昭和36年「黒い布」で文壇にデビュー。52年「怪しい来客簿」で泉鏡花文学賞、53年「離婚」で直木賞。また阿佐田哲也の筆名で「麻雀(マージヤン)放浪記」などのギャンブル小説も。生年は昭和4年3月28日。没年は平成元年4月10日。享年は満60歳。
岩野泡鳴 岩野泡鳴いわのほうめい。詩人・小説家・評論家。専修学校卒。新体詩人でスタート、「耽溺」により自然主義作家に転身。神秘的半獣主義を主張。五部作「放浪」「断橋」「発展」「毒薬を飲む女」「憑き物」を完成。生年は明治6年1月20日。没年は大正9年5月9日。享年は満47歳。
巌谷一六 巌谷一六いわや いちろく。滋賀県出身の政治家、書家。 貴族院議員。明治の三筆の一人。書を中沢雪城、楊守敬にまなび、独自の一六流をつくりだした。巌谷小波の父。生年は天保5年2月8日(1834年3月17日)。没年は明治38年(1905年)7月12日。享年は満72歳。
巌谷小波 巌谷小波いわやさざなみ。童話作家、小説家、俳人。一六の子供。尾崎紅葉らと硯友社を結成。「少年世界」編集長をつとめ「日本昔噺」「世界お伽噺」などをまとめる。生年は明治3年6月6日。没年は昭和8年9月5日。享年は満64歳。
上野山清貢 うえのやまきよつぐ。洋画家。太平洋画会研究所に学び、黒田清輝、岡田三郎助に師事。和製ゴーギャンと称される。郷里の北海道に取材した風景、静物を多く描いた。生年は明治22年6月9日、没年は昭和35年1月1日。享年は満70歳。
上田敏 上田敏うえだ びん。文学者、評論家、翻訳家。多くの外国語に通じ、明治38年、訳詩集「海潮音」を刊行。「山のあなたの空遠く」「秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し」の訳詩は有名。明治41年、欧州へ留学し、帰国後、京都帝大教授に。生年は1874年(明治7年)10月30日。没年は1916年(大正5年)7月9日。享年は満41歳。
内田百閒 内田百閒うちだ ひゃっけん。小説家、随筆家。東京帝大独文科卒。夏目漱石に私淑。在学中から俳句や写生文を発表。ユーモラスな味を持つ随筆家。法政大教授。代表作に『贋作吾輩は猫である』『阿房列車』など。生年は明治22年5月29日。没年は昭和46年4月20日。享年は満81歳。
内田魯庵 うちだろあん。評論家。小説家。翻訳家。東京専門学校(現早大)中退。「くれの廿八日」「社会百面相」などの社会小説で注目。「罪と罰」「復活」などのロシア文学や欧米文学を翻訳、紹介。文壇回顧録『思ひ出す人々』。生年は慶応4年閏4月5日。没年は昭和4年6月29日。享年は満62歳。
宇野浩二 宇野浩二うの こうじ。小説家・作家。早稲田大学英文科に入学し中退。島村抱月訳の下訳が機縁で広津和郎を知り、その仲介で『蔵の中』 (1919) を発表,『苦の世界』 とともに人間の生きる姿の悲惨と滑稽を大阪人らしい気どりのない饒舌体で描いた。生年は1891年(明治24年)7月26日。没年は1961年(昭和36年)9月21日。享年は満70歳。
歌川国芳 うたがわくによし。江戸後期の浮世絵師。武者絵や洋風表現を駆使した風景画や、風刺画など幅広い作域で活躍。生年は寛政9(1797)年11月15日、没年は文久1(1861)年3月5日。享年は満65歳。
歌川広重 うたがわひろしげ。江戸後期の浮世絵師。歌川豊広に師事。美人画や役者絵、さらの洋画の遠近透視法を応用した斬新な風景版画。「東海道五十三次」「名所江戸百景」などの名作を発表。生年は寛政9年(1797年)。没年は安政5年9月6日(1858年10月12日)。享年は満61歳。
海老沢泰久 えびさわやすひさ。作家、ノンフィクション作家。國學院大学折口博士記念古代研究所に勤務。昭和49年「乱」で小説新潮新人賞。52年、文筆生活に。平成6年、「帰郷」で直木賞受賞。自動車レースなどのスポーツもので注目。生年は昭和25年1月22日、没年は平成21年8月13日。享年は満59歳。
江見水蔭 %e6%b1%9f%e8%a6%8b%e6%b0%b4%e8%94%adえみすいいん。小説家。巌谷小波らと知り合い、その紹介で硯友社に。大衆文学の先駆者。著作に「自己中心明治文壇史」「女房殺し」など。生年は明治2年8月12日。没年は昭和9年11月3日。享年は満65歳。
セルゲイ・エリセイフ Sergei Grigorievich Eliseevエリセイフ、セルゲイ。 ロシア語ではСергей Григорьевич Елисеев、Sergei Grigorievich Eliseev。フランス亡命後は、セルジュ・エリセーエフ、Serge Elisseeff。1889年生まれ。東京帝国大学に最初の外国人留学生として留学し、漱石の「木曜会」にも参加。その後、ロシア革命が勃発し、フィンランドに亡命。1921年、フランス・パリのソルボンヌ大学、1932年、ハーバード大学教授。1975年、死亡。享年は満86歳
円地文子 円地文子えんち ふみこ。小説家、劇作家。国語学者上田万年(かずとし)の二女。戯曲から小説に転じ、女の業,怨念を官能美の中に描写。源氏物語の現代語訳にも尽力。「ひもじい月日」「女坂」など。生年は明治38年(1905年)10月2日。没年は昭和61年(1986年)11月14日。享年は満81歳。
大久保彦左衛門

おおくぼひこざえもん。江戸時代初期の旗本。天正4 (1576) 年 16歳の初陣で軍功多く旗本になり、以来徳川家康に仕えた。大名になることを固辞し、その知略・奇行に関する多くの逸話があり、反骨と奇行で知られ、講談では「天下の御意見番」。生年は永禄31(1560)年。没年は寛永16(1639)年2月1日。享年は満80歳。

大杉栄 大杉栄おおすぎさかえ。無政府主義の社会運動家、理論家。名古屋陸軍幼年学校時代上官に反抗して放校。東京外国語学校仏語科在学中、平民社に出入りし、幸徳秋水らの影響をうけ、社会運動に参加。大正12年9月16日、関東大震災後の混乱のなか憲兵大尉甘粕正彦らに殺害。生年は明治18年1月17日。没年は大正12年9月16日。享年は満39歳。
大田南畝 大田南畝おおた なんぽ。天明期を代表する文人・狂歌師、御家人。蜀山人、四方赤良など、多くの号も。生年は寛延2年3月3日(1749年4月19日)。没年は文政6年4月6日(1823年5月16日)。享年は満74歳。
大貫晶川 おおぬきしょうせん。明治大正時代の詩人、小説家。岡本かの子の兄。一高時代から同級の谷崎潤一郎と相互に影響。谷崎らと第2次「新思潮」を刊行。明治39年、新詩社にはいり、小説「お須磨」などを発表。生年は明治20年2月23日、没年は大正元年11月2日。享年は満26歳。
大野洒竹 おおのしゃちく。俳人。泌尿器科の医師。東大卒。明治27年(1894)佐々醒雪(さっさせいせつ)らと筑波会を発起。医業のかたわら句作、俳諧の研究、古俳書の収集に努力。蔵書は東大図書館に「洒竹文庫」として寄贈。生年は明治5年11月19日、没年は大正2年10月12日。享年は満42歳。
大橋乙羽 おおはしおとわ。小説家。出版人。明治22年、硯友社同人。27年、博文館館主大橋佐平の長女と結婚、博文館支配人として活躍。33年欧米を漫遊。翌年、腸チフスと筋膜炎で病死。小説「露小袖」「こぼれ松葉」、紀行文集「千山万水」など。生年は明治2年6月4日。没年は明治34年6月1日。享年は満33歳。
大町桂月 大町桂月おおまちけいげつ。 詩人・評論家。「帝国文学」や「太陽」などを舞台に活躍。詞華集「花紅葉」、評論集「文学小観」、紀行文「奥羽一周記」など。生年は1869年3月6日(明治2年1月24日)。没年は1925年(大正14年)6月10日。享年は満56歳。
太田玉茗 おおたぎょくめい。初期の新体詩詩人。東京専門学校卒。僧職のかたわら叙情派詩を書いた。田山花袋の義兄。国木田独歩らと「抒情詩」を刊行。生年は明治4年5月6日。没年は昭和2年4月6日。享年は57歳。
大宅壮一 大宅壮一おおや そういち。ジャーナリスト、ノンフィクション作家、毒舌の社会評論家です。生年は1900年(明治33年)9月13日。没年は1970年(昭和45年)11月22日。享年は満70歳。
岡田嘉子 岡田嘉子おかだ よしこ。女優。広島の生まれ。女子美術学校卒。新劇から映画界に入り、昭和13年(1938)演出家の杉本良吉とソ連に亡命。スパイ容疑で拘束されるが、のちソ連市民権を獲得。74年(昭和49)以降はソ連の「文化使節」として日本に長期滞在。生年は1902年4月21日。没年は1992年2月10日。享年は満89歳。
岡野栄 おかのさかえ。白馬会洋画研究所に学び黒田清輝に師事、つづいて東京美術学校洋画選科を卒業。明治41年2月女子学習院に奉職、教授に。この間、明治43年には光風会を創立、同人として作品を発表。大正14年には宮内省在外研究生として欧州に遊学。生年は明治13年4月7日、没年は昭和12年3月21日。享年は63歳。
小川未明 小川未明おがわ みめい。小説家・児童文学者。ロマン主義的・社会主義的傾向の小説を発表、大正15年に童話作家宣言。童話を文学として確立した先駆者の1人。「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と。生年は1882年(明治15年)4月7日。没年は1961年(昭和36年)5月11日。享年は満79歳。
小倉柳村 おぐらりゅうそん。版画家。明治13~14年に「日本橋夜景」「水道橋月夜」「隅田川畔」など東京の風景をえがいた木版画11点を出版。夜景を得意とする洋風木版画家。生没年不詳。神楽坂を題材にした版画はない。
小栗風葉 小栗風葉おぐりふうよう。小説家。生年は1875年(明治8年)2月3日。没年は1926年(大正15年)1月15日。尾崎紅葉門の逸材として明治30年代に活躍。紅葉が『金色夜叉』を未完のまま死ぬと、その続き『終編金色夜叉』を執筆。自然主義の擡頭に押されて文壇を離脱。代表作「亀甲鶴」「青春」「世間師」など。新宿区の『区内に在住した文学者たち』によれば昭和39年5月から40年7月までは矢来町3に。
長田秋濤 %e9%95%b7%e7%94%b0%e7%a7%8b%e6%bf%a4おさだしゅうとう。劇作家、翻訳家。法律研究のために英仏に留学。演劇改良や仏文学の紹介に努めた。一時早大で教え、帝国ホテル支配人もつとめた。著書は「図南録」など。生年は明治4年10月5日。没年は大正4年12月25日。享年は満45歳
尾崎一雄 尾崎一雄おざきかずお。小説家。早大卒。志賀直哉に師事。昭和12年、「暢気眼鏡」で芥川賞。戦後は「虫のいろいろ」「まぼろしの記」など心境小説を発表。昭和50年、自伝的文壇史「あの日この日」で野間文芸賞受賞。芸術院会員。生年は明治32年12月25日。没年は昭和58年3月31日。享年は満82歳。
尾崎紅葉 尾崎紅葉おざきこうよう。小説家帝国大学国文科中退。明治18(1885)年2月、山田美妙らと小説結社の硯友社を結成。「我楽多文庫」を発刊。「二人比丘尼色懺悔」(1889)で文壇にデビュー。翌年に帝大中退。代表作は言文一致体の小説「多情多恨」(1896)や「金色夜叉」(1897~1902)など。明治20年代は、幸田露伴と並ぶ紅露時代。1897年(明治30年)から『金色夜叉』を書き、未完のまま胃癌で死亡。生年は慶応3年12月16日 (西暦1868.1.10)。没年は明治36(1903)年10月30日。享年は満35歳。
尾﨑士郎 尾崎士郎おざきしろう。小説家。1933年から都新聞に『人生劇場』を連載し、これを「青春編」にまとめ、さらに「愛慾編」 (34~35) 、「残侠編」 (36) 、「風雲編」 (38~39) 、「離愁編」 (43) 、「夢現編」 (47) 、「望郷編」 (51~52) 、「蕩子編」 (59)。生年は1898年2月5日で、尾崎一雄と同じ年齢。没年は1964年2月19日。享年は満66歳。
小山内薫 小山内薫おさない かおる。劇作家・演出家・小説家。東大卒。歌舞伎・新派劇にかわる近代的演劇を志し、1909年(明治42)二世市川左団次と自由劇場を創立、西欧近代劇の上演を行う。24年(大正13)土方与志と築地小劇場を設立、日本の新劇の基礎を築いた。生年は明治14年7月26日。没年は昭和3年(1928年)12月25日。享年は満47歳。
織田一磨 おだかずま。洋画家、版画家。浮世絵の研究家。洋画を川村清雄に、石版画を金子政次郎に学び、1909年美術雑誌「方寸」の同人,パンの会会員に。おもに都会風俗、近代市民生活を題材とし,後年は地方風景、山岳風景にも。生年は明治15年11月11日。没年は昭和31年3月8日。享年は満73才。

か行

加藤武雄 かとうたけお。小説家。小学校教員として働き、上京、新潮社に入社。『新潮』の編集に。農民文学作家として活躍。著書は『明治大正の文学早わかり』『郷愁』『夢見る日』等。生年は明治21年5月3日。没年は昭和31年9月1日。享年は満68歳
葛西善蔵 葛西善蔵かさいぜんぞう。小説家。「奇蹟」同人。大正期の破滅型の私小説作家。抒情と飄逸味に満ちた心境小説の佳品。「哀しき父」「子をつれて」「放浪」など。生年は1887年(明治20年)1月16日。没年は1928年(昭和3年)7月23日。享年は満42歳
片岡鉄兵 片岡鉄兵かたおか てっぺい。小説家。慶応大学中退。13年横光利一、川端康成らと「文芸時代」を創刊。新感覚派の作家として「綱の上の少女」などを発表。プロレタリア小説に転じ、昭和5年、検挙され転向。「朱と緑」「花嫁学校」など大衆小説を多作。生年は明治27年2月2日。没年は昭和19年12月25日。享年は満51歳。
片上伸 片上伸かたがみのぶる。評論家、ロシア文学者。1906年早稲田大学文科卒業。早稲田大学文学部教授 (1910~24) 。自然主義から次第に唯物史観の立場にたち、プロレタリア文学の興隆期に啓蒙的な文芸評論で活躍。生年は明治17年2月20日。没年は昭和3年3月5日。享年は満45歳
加能作次郎 加能作次郎かのうさくじろう。小説家。生年は明治18年1月10日だが、実際は前年だという。没年は昭和16年8月5日。早稲田大学英文科卒業。博文館入社後、田山花袋に師事。地味だが情味あふれる作風。大正期私小説の中堅作家として活躍した。
鏑木清方 鏑木 清方かぶらき きよかた。日本画家。明治35年「一葉女史の墓」で注目を集め、以後浮世絵の伝統をいかした作品を発表。帝展審査員に。昭和12年芸術院会員。29年文化勲章。作品はほかに「築地明石町」など。著作に「こしかたの記」。生年は明治11年8月31日。没年は昭和47年3月2日。享年は満93歳。
上司小剣 上司小剣かみつかさ しょうけん。小説家。大阪に出て堺利彦に会い、そのすすめで上京。1897年、読売新聞社に入り、以後二十数年にわたって在社、文芸部長、編集局長など。おくれて読売に入社した正宗白鳥と親交し、堺利彦や幸徳秋水らとも交際。生年は明治7年12月15日。没年は昭和22年9月2日。享年は満73歳。
嘉村礒多 かむらいそた。小説家。中村武羅夫の知遇を得て、雑誌《不同調》の記者となり、葛西善蔵に師事。自己の姿を赤裸々に描いた典型的な私小説作家。生年は明治30年12月15日、没年は昭和8年11月30日。結核性腹膜炎で死亡。享年は満37歳。
金子筑水 かねこちくすい。哲学者、評論家。東京専門学校を卒業後、1903年ドイツに留学,帰国後早稲田大学教授として哲学、美学などを担当。精神文化を重んじる文化主義者として第1期『早稲田文学』や『太陽』に穏健中正的な立場から諸論文を発表。生年は明治3年1月10日、没年は昭和12年6月1日。享年は満67歳。
金子光晴 かねこみつはる。詩人。暁星中学校卒業。早稲田大学高等予科文科も東京美術学校日本画科も慶應義塾大学文学部予科もすべて中退。大正10(1921)年1月末(満25歳)に欧州から日本に帰国。「こがね虫」を刊行。生年は1895年(明治28年)12月25日。没年は1975年(昭和50年)6月30日。享年は満79歳。
川合玉堂 川合玉堂かわいぎょくどう。明治期から昭和期にかけて活躍した日本画家。日本の自然を詩情豊かに描く画風。1915年(大正4年)からは東京美術学校日本画科教。住居は若宮町29番地。生年は1873年(明治6年)11月24日。没年は1957年(昭和32年)6月30日。
川上音二郎 かわかみおとじろう。青年時代に自由党員。落語家桂文之助に入門し、時局諷刺のオッペケペ節で人気に。27年貞奴さだやっこと結婚。欧米を巡業した後「オセロ」などの翻訳劇を上演。新派劇の基礎をつくった。41年、帝国女優養成所を開設。生年は文久4年1月1日、没年は明治44年11月11日。享年は満48歳。
川上眉山 %e5%b7%9d%e4%b8%8a%e7%9c%89%e5%b1%b1かわかみびざん。小説家。明治17年、東大予備門に入学。同19年、硯友社の同人に。同年12月、処女作「雪の玉水」や「青嵐」を出し、退学、作家に。明治28年、観念小説『書記官』『うらおもて』は評判になり、随一の美文家とも。文学的ゆきづまりや経済的困難のためか、明治41年6月15日、牛込天神町67の自宅で、剃刀で左の頚動脈を切り、自殺。久留米絣に白の帯を締め、殆ど坐ったままの姿で横に。生年は1869(明治2)年3月5日、 没年は1908(明治41)年6月15日。享年は満40歳。
川崎長太郎 川崎長太郎かわさき ちょうたろう。小説家。アナーキスト系、ダダイスト系の詩人として出発。関東大震災後、小説「無題」(1925年)を発表。戦後は「抹香町」などの私小説を発表。生年は明治34年11月26日。没年は昭和60年11月6日で、83歳
川崎備寛 川崎 備寛かわさき よしひろ。小説家、翻訳家。生年は明治24(1891)年3月13日。没年は昭和38(1963)年3月26日。関西大学経済科中退会社員や女学校、中学校の教師を経て、大正14年創刊の「不同調」同人。新人生派を標傍。同時に麻雀を始め、1929年日本麻雀連盟創立に際し中央委員。
川村湊 川村湊かわむら みなと。日本の文芸評論家、法政大学国際文化学部教授。生年は昭和26年2月23日。
川端康成 かわばた やすなり。小説家。新感覚派の作家兼理論家。東大国文科に在学中に第六次「新思潮」に参加。卒業後、横光利一らと「文芸時代」を創刊。大正15年「伊豆の踊子」を発表。昭和43年、ノーベル文学賞受賞。生年は明治32年6月14日、没年は昭和47年4月16日。自殺。享年は満72歳。
川村花菱

かわむらかりょう。早稲田大学英文科卒業。東京俳優養成所の教師を経て、芸術座の脚本部員兼興行主事として活躍。のちに新派の脚本、演出を担当し、若い俳優を育成。舞台構成と観客心理、写実的な台詞を重視し、作品は約320編。生年は明治17年2月21日、没年は昭和29年9月1日。享年は満70歳。

神吉拓郎 神吉拓郎かんき たくろう。小説家。生年は昭和3年9月11日。没年は平成6年6月28日。昭和24年NHKにはいり、ラジオ番組「日曜娯楽版」などの放送台本を手がける。昭和59年、都会生活の哀歓を軽妙な文体で描いた「私生活」で直木賞。作品に「ブラックバス」、エッセイに「たべもの芳名録」など。
蒲原有明 Kambara_Ariakeかんばら ありあけ。詩人。東京生れ。生年は1875年(明治8年)3月15日。没年は1952年(昭和27年)2月3日。東京府立尋常中学校(現日比谷高等学校)卒業後、神田(にしき)町の国民英学会で英文学を。複雑な語彙やリズムを駆使した象徴派詩人で、薄田泣菫と併称し、北原白秋、三木露風たちに影響を与えました。
菊池寛 菊池寛きくちかん。小説家、劇作家。 生年は明治21年12月26日。没年は昭和23年3月6日。京大英文科卒。第3・第4次「新思潮」同人。大正7年「忠直(ただなお)(きょう)行状記」、「父帰る」等を発表するが認められず『時事新報』の記者に。9年「真珠夫人」をかき、通俗小説に。12年雑誌「文芸春秋」を創刊し、のち芥川賞、直木賞、菊池寛賞を創設
北原白秋 北原白秋きたはら はくしゅう。詩人、童謡作家、歌人。生年は1885年(明治18年)1月25日。没年は1942年(昭和17年)11月2日。早大中退。「パンの会」を結成し、耽美(たんび)主義運動を展開。異国情緒・官能性豊かな象徴的作法で「邪宗門」「思ひ出」「桐の花」を発表。童謡・民謡にも名作を。
木下杢太郎 木下杢太郎きのした もくたろう。詩人、劇作家。後に東京大学医学部皮膚科教授。本名は太田正雄。生年は1885年(明治18年)8月1日。没年は1945年(昭和20年)10月15日。
木村荘八 きむらしょうはち。生家は牛鍋屋いろは。白馬会葵橋洋画研究所に学び、岸田劉生と交友。「薄命のロートレック」を翻訳。大正12年に春陽会会員、13年「お七櫓にのぼる」、昭和3年「パンの会」などを制作。同時に新聞小説の挿絵で名声を博し、特に永井荷風の「濹東綺譚」で頂点に。随筆では「明治挿絵変遷史」「東京の風俗」「東京繁昌記」「木村荘八全集」(全8巻 講談社)など。生年は明治26(1893)年8月21日、没年は昭和33(1958)年11月18日。享年は満65歳。
邦枝完二 邦枝完二くにえだかんじ。小説家。慶応義塾予科に入学、永井荷風に師事し、『三田文学』の編集に従事。1917年(大正6)、時事新報入社。文芸部長に就任、帝劇文芸部に移り、脚本を執筆。23年以後、作家専業。江戸情緒豊かに官能美を描出。生年は明治25年12月28日。没年は昭和31年8月2日。享年は満63歳。
久保田万太郎 久保田万太郎くぼたまんたろう。浅草生まれの俳人、小説家、劇作家。伝統的な江戸言葉を駆使して滅びゆく下町の人情を描写。関東大震災後、一時的に南榎町に。生年は1889年(明治22年)11月7日。没年は1963年(昭和38年)5月6日。享年は満73歳。
久米正雄 久米正雄くめ まさお。小説家・劇作家。第三、四次「新思潮」同人。のち感傷的作風の通俗小説に転じ流行作家となりました。生年は1891年(明治24年)11月23日。没年は1952年(昭和27年)3月1日。
国木田独歩 国木田独歩くにきだ どっぽ。小説家・詩人。浪漫的な人生観・自然観を「武蔵野」「運命」に結晶、晩年は自然主義的な人生批評に。「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」などの浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆に
黒柳徹子 黒柳徹子くろやなぎ てつこ。タレント。生年は昭和8年8月9日。東洋音楽学校(現・東京音大)卒。東京放送劇団にはいり、昭和29年ラジオ「ヤン坊ニン坊トン坊」でデビュー。テレビの「徹子の部屋」「ザ・ベストテン」の司会などで活躍。昭和56年の「窓ぎわのトットちゃん」はベストセラー。
硯友社 けんゆうしゃ。文学結社。 明治18年(1885年)2月、大学予備門 (のちの第一高等学校)の学生尾崎紅葉、山田美妙、石橋思案、高等商業学校の丸岡九華の4人で創立。同人に巌谷いわや小波さざなみ、広津柳浪、川上眉山らが参加。同年5月機関誌『我楽多文庫』を発行し、小説、漢詩、戯文、狂歌、川柳、都々逸どどいつなどさまざまな作品を載せ、結果、明治20~30年代の文壇の中心勢力になりました。
幸田露伴 こうだ ろはん。小説家、随筆家。理想派の作家として文名を確立、尾崎紅葉と人気を二分した。考証・史伝・随筆に新境地を開拓。代表作に『五重塔』『一口剣』等。生年は慶応3年7月23日。没年は昭和22年7月30日で81歳。
幸徳秋水 幸徳秋水こうとく しゅうすい。社会主義者。青年期に自由民権運動に触れ、中江兆民の門下。「万朝報」記者時代に社会主義研究会に入会、社会民主党を結成。日露戦争に反対し、堺利彦と平民社を興し「平民新聞」を刊行。渡米。帰国後アナーキズムを主張。大逆事件で検挙、主犯として死刑に。生年は明治4年9月23日。没年は明治44年1月24日。41才。
小杉天外 小杉天外こすぎてんがい。小説家。政治家を志し英吉利 (イギリス) 法律学校、現中央大学に入学。1年余で中退。斎藤緑雨の門に入り、ゾラの自然主義の影響で写実主義小説の代表的作家に。「魔風恋風」などの通俗小説で人気に。
後藤宙外

後藤宙外ごとうちゅうがい。小説家,評論家。 1894年東京専門学校卒業。1900年から『新小説』を編集。尾崎紅葉ら硯友社系作家の全盛に寄与し、反自然主義の評論を発表。晩年は故郷に帰り、秋田県六郷町に住み、町議会議員、町長を努め、郷土史、考古学の研究に熱中。生年は慶応2(1866)年12月23日、没年は昭和13年6月12日。享年は満73歳

小林清親 こばやしきよちか。版画家。最後の浮世絵師。ワーグマンに西洋画を学び写真術を修め、光と影の表現を取り入れた木版風景画を制作。晩年は時事的な漫画や歴史画に移行。生年は弘化4年8月1日(1847年9日10日)、没年は大正4年11月28日。享年は69歳。
小宮豊隆 小宮豊隆こみや とよたか。ドイツ文学者。文芸評論家。在学中夏目漱石の門下生として、高浜虚子、寺田寅彦、森田草平らと木旺会に出席。漱石主宰の東京朝日新聞文芸欄の仕事をする機会を得て、安部次郎、安倍能成らと親交に。ドイツ留学後、東北大学教授。『漱石全集』の編集。戦後東京音楽学校々長、学習院大教授。生年は明治17年3月7日。没年は昭和41年5月3日。享年は満83才。
今 東光 %e4%bb%8a-%e6%9d%b1%e5%85%89こん とうこう。小説家。小説家今日出海の兄。横光利一、川端康成らと「新思潮」「文芸時代」を創刊。新感覚派作家。仏門に入り天台宗の僧となる。『お吟さま』で直木賞を受賞し、二十数年ぶりに復帰。生年は明治31年3月26日。没年は昭和52年9月19日で、79歳。
今 日出海 %e4%bb%8a%e6%97%a5%e5%87%ba%e6%b5%b7こん ひでみ。小説家、評論家。東光の弟。文部省に入省。フランス文学を専攻し、昭和8年、明大教授。25年「天皇の帽子」で直木賞受賞。昭和43年(1968)文化庁初代長官。「三木清における人間の研究」など辛口の人物論で有名。生年は明治36年11月6日。没年は昭和59年7月30日で、80歳。
今 和次郎 今和次郎こん わじろう。社会学者、建築学者。1912年、東京美術学校卒業。早稲田大学理工学部建築学科助手。1920年、教授。59年の定年まで建築美学や装飾原理を教える。都市の生活風俗を採集し、記録しようとして舞台装置家の吉田謙吉らとともに考現学を創始。生年は1888年7月10日。没年は1973年10月27日。

さ行

斉藤松洲 さいとうしょうしゅう。日本画家。鈴木松年の門に学び、特に俳画に長ずる。生年は明治3年(1870)、歿年は不詳。
斎藤茂吉 さいとう もきち。歌人。青山脳病院院長。1905年、東京帝国大学医科大学卒。1906年(明治39年)、伊藤左千夫の門下となり、「アララギ」に短歌を発表。研究・評論の業績も大きい。生年は明治15年5月14日、没年は昭和28年2月25日。享年は満70歳。
西条八十 西条八十さいじょう やそ。詩人。パリ大に留学。昭和6年、母校早大の教授。生年は明治25年1月15日。没年は昭和45年8月12日。鈴木三重吉の「赤い鳥」にもくわわり、童謡「かなりあ」を発表。「東京行進曲」「東京音頭」など歌謡曲、民謡の作詞でも有名。
酒井潔 酒井潔さかいきよし。編集者、著述家、翻訳家。生年は1895年(明治28年)。没年は1952年(昭和27年)。エログロナンセンス文化の火付け役。「彼は日本人と見られることが比較的少いさうである。」(「現代談奇作家版元人名録」(『談奇党』昭和6年12月号)
堺利彦 堺利彦さかい としひこ。号は枯川。社会主義者、思想家、著述家、小説家。明治39年(1906年)日本社会党を結成して幹事に。大逆事件(幸徳事件)」では、獄中にいたため連座はしない。大正11年(1922年)、日本共産党に参加、しかし、離反。東京無産党を結成して活動を続け、昭和4年(1929年)に東京市会議員に当選。生年は明治3年11月25日(1871年1月15日) 。没年は昭和8年(1933年)1月23日。
阪本紅蓮洞 阪本紅蓮洞さかもと ぐれんどう。文芸評論家。中等教員、新聞記者となるが長続きせず、明治36年(1903年)に与謝野鉄幹が主催する新詩社に入り、「紅蓮洞」の名をもらう。歌人・吉井勇を誘い出して飲み歩き、放浪生活で、数々の奇行が始まった。文壇の名物男として有名。生年は1866年(慶応2年)9月。没年は1925年(大正14年)12月16日。享年は満60歳
佐々木茂索 佐々木茂索ささき もさく。小説家、編集者。生年は1894年(明治27年)11月11日。没年は1966年(昭和41年)12月1日。京都府出身。京都府第一中学校中退。芥川龍之介に師事。1930年を最後に作家として筆を折り文藝春秋の幹部として活動、1935年に菊池寛らと芥川龍之介賞、直木三十五賞を創設。戦後改組した文藝春秋新社(現・文藝春秋)の社長として復帰。
笹口幸男 笹口幸男ささぐちゆきお。1940年生まれ。中央大学法学部政治学科を卒業し、ジャパンタイムズやTBSブリタニカ社、扶桑社の編集長などを経て、この当時は『International Financing Review』の東京編集部に勤務。
サトウハチロー サトウハチロー詩人。佐藤紅緑の長男。童謡・歌謡曲などを数多く作詞。歌謡曲「リンゴの歌」、童謡「ちいさい秋みつけた」、詩集「おかあさん」など。作家の佐藤愛子は異母妹。生年は1903年(明治36年)5月23日。没年は1973年(昭和48年)11月13日。
佐藤義亮 佐藤義亮さとう ぎりょう。新潮社創業者。秋田の責善学舎を経て上京、秀英舎(大日本印刷前身)勤務。明治29年、新声社創業、しかし破綻。明治37年、新潮社創業、『新潮』を創刊。大正3年、出版界初の廉価本(20銭)「新潮文庫」創刊。昭和2年発刊の『世界文学全集』が大成功。文芸出版の雄。生年は明治11年2月18日。没年は昭和26年8月18日。享年は満73歳。
佐藤春夫 佐藤春夫さとう はるお。近代日本の詩人と作家。生年は明治25年(1892年)4月9日。没年は昭和39年(1964)5月6日。慶応大学予科中退。1910年に与謝野寛・晶子夫妻の新詩社同人。同年、永井荷風を慕って慶応大学に入学。以来《スバル》《三田文学》に詩や評論を発表。この時期の詩はのちに《殉情詩集》(1921)に収集。大正期に入ると散文への転身をはかり、17年,スランプに苦しむ自身の心象風景を描いた《病める薔薇(そうび)》を発表,これはたびたび改稿加筆されて、19年《定本・田園の憂鬱》として完成。
里見弴 里見弴さとみ とん。小説家。神奈川県出身。東京帝大中退。生年は明治21年7月14日。没年は昭和58年1月21日。有島武の子。有島武郎(たけお)、有島生馬(いくま)の弟。志賀直哉の影響をうけ、明治43年、「白樺」を創刊。大正5年、短編集「善心悪心」。大正8年、久米正雄らと「人間」を創刊。長編の代表作は「多情仏心」「安城家の兄弟」。戦後は「極楽とんぼ」などを発表。
佐多稲子 佐多稲子さたいねこ。小説家。生年は1904年6月1日。没年は1998年10月12日。18歳の中学生と 15歳の女学生の恋愛の結果として誕生。父の失職などの事情で小学校5年に中退。キャラメル工場、中華そば屋、料亭、メリヤス工場を転々と。1928年に「キャラメル工場から」でプロレタリア作家として出発。戦中の行動に批判され、戦後の新日本文学会の立ち上げの発起人にはなれず、自らの内面を掘り下げる作品を発表し、「婦人民主クラブ」の委員長を長年務めるなど女性運動の一翼も。
沢田正二郎 沢田正二郎さわだ しょうじろう。俳優。略して沢正さわしょう。早大英文科卒。島村抱月と松井須磨子の芸術座に加わったが、松井須磨子と衝突して脱退。大正6年同志と「新国劇」を結成、迫力ある殺陣たてが評判を呼び、たちまち人気劇団に。生年は明治25年5月27日。没年は昭和4年3月4日で38歳。
志賀直哉 志賀直哉しが なおや。小説家で、明治から昭和にかけて活躍。生年は1883年(明治16年)2月20日。没年は1971年(昭和46年)10月21日。武者小路実篤らと雑誌「白樺」を創刊。リアリズム文学の傑作を書き、強烈な自我意識と簡潔・明晰な文体で有名。昭和12年、唯一の長編「暗夜行路」を完成。
汐見洋 しおみ よう。俳優。大正9年劇団研究座を組織。13年小山内薫らの築地小劇場創立に参加。昭和9年「さくら音頭・涙の母」で映画に初出演、後は「美徳のよろめき」など映画で活躍。生年は明治28年(1895年)7月7日。没年は昭和39年(1964年)7月1日。
式亭三馬 しきていさんば。江戸後期の草双紙・洒落本・滑稽本作者。早くから本屋に奉公し、自身も古本屋を営む。江戸庶民の町人気質を主にして滑稽本『浮世風呂』『浮世床』が代表作。生年は安永5年(1776)。没年は文政5年(1822)閏(うるう)1月6日。享年は48歳。
柴田宵曲 柴田宵曲しばたしょうきょく。大正-昭和時代の俳人。ホトトギス社に入社、昭和10年、俳誌「(こだま)」を創刊、主宰。『古句を観る』など俳句に関する随筆や考証物も多く、晩年、書肆の求めに応じて『明治の話題』『妖異博物館』などを執筆。生年は明治30年9月2日、没年は昭和41年8月23日で68歳。
島木健作 しまきけんさく。小説家。昭和2年、日本共産党入党し、農民運動に参加。投獄され転向。昭和9年、獄中体験を「らい」「盲目」にあらわし、文壇に。農民運動の実態をえがいた「再建」、求道的な帰農をテーマにした「生活の探求」などを発表。生年は明治36年9月7日、没年は昭和20年8月17日。享年は満43歳。
島崎藤村 しまざき とうそん。詩人・小説家。明治学院在学中に洗礼。北村透谷らと「文学界」を創刊。詩集『若菜集』で浪漫派詩人。のち散文に転じ『破戒』で自然主義文学の先駆に。昭和四年からの『夜明け前』は自伝的藤村文学の集大成。生年は明治5年2月17日。没年は昭和18年8月22日。享年は満72歳。
島田清次郎 島田清次郎しまだ せいじろう。石川県出身。大正8年生田長江(ちょうこう)の推薦で出版した「地上」が大ベストセラーに。11年の欧州旅行後は精神をやみ、療養中に死亡。生年は明治32年2月26日。没年は昭和5年4月29日。32歳。
島村抱月 島村抱月しまむら ほうげつ。評論家、美学者、英文学者、新劇指導者。島村家の養子となり、苦学して 1894年東京専門学校(現早稲田大学) 文学科を卒業。坪内逍遥に師事し、文芸協会を設立。「早稲田文学」を主宰し、自然主義文学運動に活躍。松井須磨子と芸術座を組織し、西洋近代劇を紹介。生年は明治4(1871)年1月10日。没年は1918年11月5日。享年は満48歳。
素木しづ 素木しづしらきしづ。小説家。生年は明治28(1895)年3月26日。没年は大正7(1918)年1月29日。北海道札幌市。明治44年、札幌高女卒。女学校時代に結核性関節炎。大正元年上京後、右足を切断。翌年から森田草平に師事して文学を志し、同年処女作「松葉杖をつく女」を発表。大正3年「三十三の死」。4年、画家の上野山清貢と結婚、その後も創作を続け、亡くなるまで5年足らずで代表作「美しき牢獄」「たそがれの家の人々」などの作品は60編に及ぶ。
杉森久英 杉森久英2すぎもり ひさひで。第二次大戦後、河出書房にはいり、「文芸」編集長に。昭和37年島田清次郎の生涯をえがいた「天才と狂人の間」で直木賞、平成5年伝記小説に一時代を画した功績で菊池寛賞。生年は明治45年3月23日。没年は平成9年1月20日。享年は84歳。
数藤五城 すどうごじょう。帝国大学卒。一高の数学教授。俳句を正岡子規の門人。また斎藤茂吉に師事し、短歌での筆名は小野三郎。生年は明治4年12月24日、没年は大正4年8月21日。享年は満45歳。
瀬沼夏葉 せぬまかよう。10歳でロシア正教会のニコライ女子神学校に入学しロシア語をまなぶ。尾崎紅葉の弟子。チェーホフの作品をロシア語から直接翻訳。明治41年「露国文豪チエホフ傑作集」を出版。生年は明治8年12月11日、没年は大正4年2月28日。急性肺炎で死亡。満41歳。
相馬泰三 相馬泰三そうまたいぞう。小説家。1912年谷崎精二、葛西善蔵、広津和郎らの『奇蹟』創刊に参加、1914年「田舎医師の子」が出世作。1918年「荊棘の路」は『奇蹟』の作家たちを悪しざまに描き、モデル問題に。のちに紙芝居の指導者。生年は1885年12月29日。没年は1952年5月15日。享年は満66歳。大正9年には横寺町36に。

た行

高田早苗 高田早苗たかた さなえ。明治・大正・昭和期の政治家、政治学者、教育家、文芸批評家。衆議院議員、貴族院議員、早稲田大学総長、文部大臣などを歴任。生年は安政7年3月14日(1860年4月4日)。没年は昭和13年(1938年)12月3日。享年は満79歳。
滝田樗陰 たきたちょいん。大正期の『中央公論』の編集者。東京大学在学中から『中央公論』を翻訳し、1904年10月、正式にその記者に。文芸欄を設けて拡充し、同誌を総合雑誌に発展し、夏目漱石,森鴎外,島崎藤村,志賀直哉,広津和郎,谷崎潤一郎などの話題作を掲載するなど小説の掲載に力を注いで業績を回復。生年は明治15年6月28日。没年は大正14年10月27日。享年は満44歳
竹田真砂子 %e7%ab%b9%e7%94%b0%e7%9c%9f%e7%a0%82%e5%ad%90たけだまさこ。小説家。神楽坂出身。時代小説を中心に活躍。作品は「十六夜に」「白春」「あとより恋の責めくれば 御家人南畝先生」など。「鴨川をどり」など邦楽舞台作品の台本も多い。生年は昭和13年3月21日。
武田麟太郎 武田麟太郎たけだりんたろう。小説家。1926年東京大学仏文科中退。新感覚派的手法による小説「暴力」でプロレタリア文学の作家として出発。転向後は井原西鶴に傾倒し、庶民の生活感情をえがく「日本三文オペラ」など「市井事もの」とよばれる風俗小説を発表。昭和11年『人民文庫』を創刊。生年は明治37年5月9日。没年は昭和21年3月31日で43歳
竹久夢二 竹久夢二たけひさ ゆめじ。日本画家・詩人。早稲田実業中退。藤島武二に私淑し、新聞・雑誌に挿絵を書き、叙情的ないわゆる夢二式美人画。明治末から大正初期にかけて一世を風靡しました。生年は明治17年9月16日。没年は昭和9年9月1日、51歳
辰野隆 たつのゆたか。フランス文学者、随筆家。辰野金吾の長男。大正5年、東京大学仏文科卒業、大正10年、2年間フランス留学。帰国後日本人ではじめて日本人によるフランス文学講座を担当。1931~48年、東京大学教授。初めて本格的にフランス文学を日本に紹介。生年は明治21年3月1日、没年は昭和39年2月28日。享年は満75歳。
田辺茂一 田辺茂一たなべ もいち。昭和の書店主、随筆家。昭和2年、新宿に紀伊国屋書店をひらく。舟橋聖一らと「文芸都市」「行動」、尾崎士郎らと「文学者」を創刊し、資金をだして刊行をささえる。戦後は海外に支店をだすなど大型書店へと発展させ、小説や随筆、艶笑随筆などに才筆をふるう。生年は明治38年2月12日。没年は昭和56年12月11日で76歳。
谷崎精二 谷崎精二たにざき せいじ。作家、英文学者。谷崎潤一郎の弟。早大教授。広津和郎らと雑誌「奇蹟」を創刊。「離合」「地に頰つけて」「小説形態の研究」など。 昭和初年、創作を半ば断念する。生年は明治23(1890)年12月19日。没年は昭和46(1971)年12月14日。享年は満80歳。
谷崎潤一郎 たにざきじゅんいちろう。小説家。精二の兄。日本橋生れ。東京帝大国文中退。小山内薫らと第二次「新思潮」を創刊。ここで「刺青(しせい)」を執筆し、またスバルに「少年」「幇間」を発表して、永井荷風氏が絶賛、耽美(たんび)派作家として文壇に登場。千代子夫人と離婚し、友人佐藤春夫に譲る出来事も。震災後、関西に移住し、古典的な日本美に傾倒。小説「痴人の愛」「(たで)喰ふ虫」「春琴抄」、発禁となった「細雪(ささめゆき)」、現代語訳の「源氏物語」など。生年は明治19年7月24日。没年は昭和40年7月30日。享年は満79歳
田村泰次郎 田村泰次郎たむら たいじろう。小説家。 1934年、早稲田大学仏文科卒業。『選手』 (1934) で文壇に登場。 1940年出征、中国を転戦、46年帰国。肉体の解放こそ人間の解放であると主張し、肉体文学の作家として1946年『肉体の悪魔』や1947年『肉体の門』を発表。生年は1911年11月30日。没年は1983年11月2日で、71歳
田山花袋 田山花袋たやまかたい。小説家。生年は1872年1月22日(明治4年12月13日)。没年は1930年(昭和5年)5月13日。群馬県生まれ。自然主義を標榜、平面描写論を唱え自然主義文学の重鎮になりました。代表作は「蒲団」「生」「田舎教師」「時は過ぎ行く」「一兵卒の銃殺」「東京の三十年」など。
近松秋江 近松秋江ちかまつしゅうこう。小説家、評論家。生年は1876(明治9)年5月4日。没年は1944(昭和19)年4月23日。「読売新聞」に評論「文壇無駄話」を連載。のち「別れたる妻に送る手紙」「疑惑」「黒髪」「子の愛の為に」などの私小説を発表。
都筑道夫

つづきみちお。推理作家。早川書房で「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の編集長勤務を経て、昭和34年、作家生活にはいり、本格推理、ハードボイルド、ショート-ショートと幅ひろく活躍。生年は昭和4年7月6日、没年は平成15年11月27日。享年は満74歳。

綱島梁川 つなしまりょうせん。キリスト教思想家。坪内逍遙に師事。東京専門学校卒業後『早稲田文学』の編集。文学、美学の評論家として浪漫的、宗教的な美文を発表。肺結核の進行とともに正統信仰に対して懐疑的となり、晩年は神秘主義に。生年は明治6年5月27日、没年は明治40年9月14日。享年は満35歳。
角田竹冷 角田竹冷つのだちくれい。俳人。弁護士。15年立憲改進党の結成にくわわり、東京市会議員、衆議院議員。『読売新聞』『毎日新聞』の俳句選者。1895年(明治28)尾崎紅葉らと秋声会を結成、明治新俳句の領袖として活躍。著作は『聴雨窓俳話』(1912)など。生年は安政4年6月15日。没年は大正8年(1919)、64歳。
坪内逍遥 坪内逍遥つぼうち しょうよう。小説家、評論家、翻訳家、劇作家。生年は1859年6月22日(安政6年5月22日)。没年は1935年(昭和10年)2月28日。代表作に『小説神髄』『当世書生気質』。シェイクスピア全集の翻訳
東儀鉄笛 東儀鉄笛とうぎ てってき。明治・大正期の雅楽家・作曲家・俳優。また西洋音楽を学び、東京音楽学校(現・東京芸術大学)講師に。生年は明治2年6月16日(1869年7月24日)。享年は大正14年(1925年)2月4日。
十返肇 十返肇とがえり はじめ。評論家、小説家。日本大学芸術科卒業。1956年、自伝小説『最初の季節』をはじめ小説も多いが、むしろ軽妙な筆による文芸社会評論で、現場主義的な批評だった。著書は1955年『現代文学白書』、1956年『筆一本』、1957年『文壇の崩壊』、1961年『十返肇の文壇白書』、1962年『けちん坊』『文壇放浪記』、1963年『実感的文学論』など。
徳川夢声 とくがわむせい。活動写真弁士。漫談家。無声映画時代には新宿武蔵野館の主任弁士(説明者) 、トーキー後は俳優・声優などに転じ、ラジオで吉川英治の「宮本武蔵」を朗読し、話芸の達人に。生年は明治27年4月13日、没年は昭和46年8月1日。享年は満77歳。
徳田秋声 徳田秋声とくだ しゅうせい。明治から昭和時代の小説家。尾崎紅葉の門で作家活動を開始。日露戦争後、『足跡』『黴』等の作品が注目を浴び、自然主義文学の代表作家に。『仮装人物』『縮図』は晩年の傑作。生年は1872年2月1日(明治4年12月23日)。没年は昭和18年11月18日。享年は満71歳。
徳富蘇峰 徳富蘇峰とくとみ そほう。評論家。熊本の生まれ。同志社中退後、自由民権運動に参加。「国民之友」「国民新聞」を発刊し、平民主義を主張。日清戦争後は政府と結び、国家主義の鼓吹者に。生年は文久3年1月25日。没年は昭和32年11月2日。享年は満94歳
徳永直 とくながすなお。小説家。小学校中退。印刷工員として1926年に起こった共同印刷争議の体験を『太陽のない街』として『戦旗』に連載。プロレタリア作家の地位を確立。戦後は新日本文学会の結成に参加。生年は明治32年1月20日、没年は昭和33年2月15日。享年は満59歳。
豊田正子 豊田正子とよだまさこ。随筆家。生年は1922.11.13。没年は2010.12.9。小学生の頃、鈴木三重吉の綴方指導の影響を受けた担当教師の大木顕一郎の指導で書いた作文が『綴方教室』に収められて、15歳(1937年、昭和12年)には中央公論社から刊行。たちまちベストセラーに。

な行

中戸川吉二 Lなかとがわきちじ。明治大学を中退。里見(とん)に師事。私小説的作風。大正12年、雑誌「随筆」を創刊。次第に創作から手を引き、もっぱら批評家として活躍。生年は明治29年5月20日。没年は昭和17年11月19日。
中村武志 なかむらたけし。1926(大正15)年、東京鉄道局(旧国鉄)に入社。1932(昭和7)年、法政大学高等師範部を卒業。内田百閒に師事。サラリーマンの目白三平シリーズで人気に。退職後、文筆生活に。生年は明治42年1月15日、没年は平成4年12月11日。享年は満83歳。
永井荷風 永井荷風若いときながい かふう。小説家。号は断腸亭(だんちょうてい)主人など。『あめりか物語』『ふらんす物語』を執筆、耽美派の中心的存在に。『腕くらべ』などで花柳界の風俗を描写。他に『濹東綺譚』『つゆのあとさき』、訳詩集『珊瑚集』、日記『断腸亭日乗』など。生年は明治12年12月3日。没年は昭和34年4月30日。享年は満79歳
永井龍男 永井 龍男ながいたつお。小説家、鎌倉文学館の館長。一ツ橋高小〔大正7年〕卒。大正9年、文芸誌「サンエス」に「活版屋の話」が当選。昭和2年、文芸春秋社入社。14年「文芸春秋」編集長、20年退社。戦後は創作が中心で、昭和24年、「朝霧」で横光利一賞受賞。格調高い文章で知られる短編の名手。生年は明治37年5月20日。没年は平成2年10月12日。享年は満86歳
長田秀雄 長田秀雄ながたひでお。詩人・劇作家。東京の生まれ。明治大学で学ぶ。幹彦の兄。「明星」「スバル」に参加。新劇運動に加わり、史劇で新分野を。生年は明治18年5月13日。没年は昭和24年5月5日。享年は満65歳
長田幹彦 ながたみきひこ。小説家、作詞家。秀雄の弟。早稲田大学英文科卒業。『(みお)』『零落』で文壇に登場。耽美享楽の情話作家から、のち通俗小説に。「祇園小唄」などの歌謡曲の作詞者としても有名。生年は1887年3月1日。没年は1964年5月6日。享年は満77歳
中根駒十郎 なかねこまじゅうろう。郷里の小学校を卒業し、神田の大鳴学館に。明治31(1898)年、義兄の佐藤儀助(義亮)の新声社に入り、1904年に創業の新潮社の発展に尽くした。昭和22年、支配人を退き顧問に。「新潮社の大番頭」。夏目漱石、島崎藤村、芥川龍之介ら作家たちの信頼も厚かった。生年は明治15(1882)年11月13日。没年は昭和39(1964)年7月18日。享年は満81歳。
中野実 中野実なかのみのる。劇作家、小説家。法政大学文科中退。岡本綺堂(きどう)に師事。映画や新派、新国劇、歌舞伎の脚本やユーモア小説を発表。生年は明治34年11月30日。没年は昭和48年1月3日。享年は満71歳。
中村吉蔵 中村吉蔵なかむらきちぞう。劇作家、小説家、演劇研究家。早大卒。明治39年、渡米し、欧州を経て明治42年に帰国、小説から劇作に転向。大正2年の芸術座結成に参加。「剃刀」などの社会劇を発表。大正末から母校で演劇史を講じ、「日本戯曲技巧論」は浄瑠璃・歌舞伎研究を集大成したもの。生年は明治10年5月15日。没年は昭和16年12月24日。享年は満65歳。
中村星湖 中村星湖なかむら せいこ。小説家。早稲田大学英文科卒業。『早稲田文学』の懸賞小説に1等当選、同誌の記者となり、自然主義文学の作品、評論を発表。戦後は山梨学院短大教授。生年は明治17年2月11日。没年は昭和49年4月13日。享年は満90歳。
中村不折 なかむらふせつ。洋画家、書家。狩野派を学び、渡仏してジャン・ポール・ローランスに師事。帰朝後は太平洋画会会員として活躍し、太平洋美術学校長。書にもすぐれ自宅に書道博物館。帝国芸術院会員。生年は慶応2年7月10日、没年は昭和18年6月6日。享年は満78歳。
中村武羅夫 中村武羅夫なかむらむらお。評論家、ジャーナリスト。『文章世界』の投稿から文学活動を始め、小栗風葉に師事。『新潮』の編集に参加。1925年には『不同調』を創刊。大正末の私小説論争、29年の『誰だ? 花園を荒す者は!』でマルクス主義文学批判など新興芸術派運動の中心的人物。生年は1886年(明治19年)10月4日。没年は1949年(昭和24年)5月13日。
中山義秀 なかやまぎしゅう。小説家。早大在学中、生涯の友である横光利一らと同人雑誌『塔』を発刊。1938年の『厚物咲あつものざき』で第7回芥川賞受賞。戦後は歴史小説や戦記物で新境地を拓いた。生年は明治33年10月5日、没年は昭和44年8月19日。享年は満68歳。
中山晋平 中山晋平なかやましんぺい。作曲家。生年は1887年3月22日。没年は1952年12月30日。18歳の時上京し、島村抱月の書生と。東京音楽学校卒。1914年、抱月の依頼で作曲した「カチューシャの唄」が松井須磨子の歌で評判に。民謡の特徴を生かした童謡、歌謡曲などの作編曲に活躍。
夏目漱石 夏目漱石なつめ そうせき。小説家、評論家、英文学者。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を教え「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判に。生年は1867年2月9日(慶応3年1月5日)。没年は1916年(大正5年)12月9日。
楢崎勤 楢崎勤ならさき つとむ。小説家、編集者。大正14年、新潮社に入社し、翌年から「新潮」の編集に従事。中村武羅夫を中心とする十三人倶楽部に属し、新興芸術派の作家としても活躍。昭和21年、読売新聞社文化部に移り、図書編集部長などを歴任。著作は「白粉草が春菊になつた話」「神聖な裸婦」「相川マユミといふ女」「作家の舞台裏」など。生年は明治34(1901)年11月7日。没年は昭和53(1978)年12月1日。享年は満77歳。
西村酔夢 西村真次にしむら すいむ。明治38年早稲田大学文学科卒。東京朝日新聞記者として活躍。大正7年、早大文学部講師となり、11年教授。史科学の基礎を作り、歴史学者、人類学者としても有名。生年は明治12年3月30日。没年は昭和18年5月27日。
ノエル・ヌエット ヌエットNoël Nouët。フランスの詩人。パリで出版社に勤務し、詩集「木の葉ごしの星」(1910年)で文壇にデビュー。翌11年には「無限を求める心」を出版。その後、26年静岡高校にフランス語教員として招かれ、一度帰国したが再び来日。東京大学、東京外語大学、学習院大学などで講師を務め、62年に帰国。日本滞在中の作品に、詩集「いぼたの香り」、小説「東京誕生記」、エッセー集「東京シルエット」など。また55年勲四等瑞宝章を受章、65年には名誉都民に選出。生年は1885年3月30日。没年は1969年9月30日。
野口冨士男 野口冨士男のぐち ふじお。小説家。生年は1911年7月4日。没年は1993年11月22日。文化学院卒。徳田秋声に傾倒し、戦後の1941年、評伝『徳田秋聲伝』で毎日芸術賞受賞。51年『わが荷風』で、54年自伝的小説『かくてありけり』で読売文学賞。『私のなかの東京』など。
野田宇太郎 野田宇太郎のだ うたろう。詩人・評論家。生年は1909年(明治42年)10月28日。没年は1984年(昭和59年)7月20日。第一詩集『北の部屋』を刊行後、上京して終戦前後期の文芸誌『新風土』『新文化』『文芸』の編集者として活躍。「文学散歩」シリーズで近代文学研究の新分野を開拓。

は行

長谷川時雨 長谷川時雨はせがわしぐれ。劇作家・小説家。三上於菟吉と結婚。雑誌「女人芸術」を創刊し、女性の地位向上の運動を開拓。生年は明治12年10月1日。没年は昭和16年8月22日で63歳。
長谷川天渓 長谷川天渓はせがわ てんけい。評論家。東京専門学校英文科卒業し博文館に入社。高山樗牛の『美的生活を論ず』に反発して『不自然は果して美か』『解決なき創作物』『文学の試験的方面』を発表。文学の研究、創作に科学的方法論を導入し、自然主義の論客に。明治43年イギリスに留学、帰国後は早大で英文学に。生年は明治9年11月26日。没年は昭和15年8月30日。享年は満65歳。
花柳小菊 花柳小菊はなやぎ こぎく。昭和の映画女優。もと東京神楽坂の半玉。昭和10年妓籍のまま日活の「恋愛人名簿」でデビュー。「恋山彦」などで人気女優に。戦後も「新選組」などに出演。昭和43年、映画界を引退。東京出身。本名は佐藤(旧姓は斎藤)芳子。生年は大正10年2月26日。没年は平成23年1月26日。享年は満89歳。
林原耕三 林原耕三はやしばらこうぞう。英文学者、俳人。大正7年、東京帝大英文科卒。明治40年漱石門下となり「木曜会」に参加。昭和3年、欧州留学、法政大を経て15年、明大教授、東京理科大教授、明大人文科学研究所長を歴任。句集「蜩」「梅雨の虹」「蘭鋳」「一朶の藤」、「俳句形式論」「芭蕉を越ゆるもの」、随筆「漱石山房の人々」など。。生年は明治20(1887)年12月6日。没年は昭和50(1975)年4月23日。
パンの会

木村荘八画「パンの会」


明治末期(1908年12月~11年2月)の耽美主義文芸運動。パンはギリシア神話の牧羊神から。『スバル 』の木下杢太郎、北原白秋、吉井勇、石川啄木等の詩歌人、美術雑誌『方寸』の山本鼎、石井柏亭、森田恒友等の美術家、自由劇場の小山内薫、市川左団次等が参加。目的は20代の芸術家たちが浪漫派の新芸術を語り合うこと。永井荷風や上田敏等も出席。
樋口一葉 樋口一葉ひぐち いちよう。明治期の小説家。中島歌子の萩の舎塾で和歌、古典を学び、小説は半井(なからい)桃水(とうすい)に師事。1894年「大つごもり」を、翌年「にごりえ」「十三夜」「たけくらべ」を書き、すぐれた日記をのこした。生年は明治5年3月25日。没年は明治29年11月23日。享年は満25歳。
日夏耿之介 日夏耿之介ひなつ こうのすけ。詩人、英文学者、評論家。1914年早稲田大学英文科卒業。在学中から詩誌『聖盃』を創刊 (1912) して詩作を開始、大正詩壇に新風を吹き込み、活躍。キーツをはじめとする英文学の造詣も深く、早大、青山学院大教授。生年は明治23年2月22日。没年は昭和46年6月13日。享年は満81歳。
平出修 平出修ひらいでしゅう。評論家、小説家、歌人、弁護士。浪漫主義系の文学者。明治法律学校卒業。「明星」の同人として活躍し,その廃刊後は石川啄木や吉井勇らと「スバル」を刊行。一方で神田神保町に法律事務所を開業するリベラルな弁護士でもあり、幸徳事件(大逆事件)で弁護人を。生年は1878年(明治11年)4月3日。没年は1914年(大正3年)3月17日。
平田禿木 ひらたとくぼく。英文学者、随筆家。1898年、東京高等師範学校英語科卒業。1903~06年イギリスに留学後、第三高等学校などの教授を歴任。サッカレーの「虚栄の市」など英米文学の名訳で有名。生年は明治6年2月10日、没年は昭和18年3月13日。享年は満71歳。
平野万里 ひらのばんり。歌人、詩人。一高在学中に与謝野鉄幹に師事。北原白秋、石川啄木らとともに「明星」の主要メンバー。東京帝大工科大学応用化学科卒。ドイツに留学。満鉄、農商務省の技師。生年は明治18年5月25日、没年は昭和22年2月10日。享年は満63歳。
広津和郎 広津和郎ひろつかずお。小説家。広津柳浪(りゅうろう)の次男。早大在学中の大正元年、葛西善蔵らと同人誌「奇蹟」を創刊。大正6年(1917年)「中央公論」に「神経病時代」を発表。戦後、中村光夫との「異邦人」論争などおおくの文学論争に。また「松川裁判」をあらわして裁判批判を展開。生年は1891年12月5日。没年は1968年(昭和43年)9月21日。享年は満76歳。
広津柳浪 広津柳浪ひろつ りゅうろう。小説家。社会底辺の暗黒面を描く深刻(悲惨)小説の代表的な作家。『黒蜥蜴』『今戸心中』『畜生腹』など。硯友社(けんゆうしゃ)同人。生年は文久元年6月8日。没年は昭和3年10月15日。享年は満67歳。
藤枝静男 藤枝静男ふじえだ しずお。小説家。千葉医大卒。志賀直哉に傾倒。戦後、眼科医を開業。作品は「空気頭」「欣求浄土」など。シュルレアリスム風の創作。生年は明治40年12月20日。没年は平成5年4月16日。享年は満85歳
藤沢浅二郎 ふじさわ あさじろう。新派俳優兼作者。川上音次郎一座に加わり、「金色夜叉」のはざま)貫一が当たり役。明治41年、私財を投じて東京俳優養成所、のち東京俳優学校を設立。晩年は不遇に。生年は慶応2年4月25日、没年は大正6年3月3日。享年は満52歳。
藤沢清造 ふじさわ せいぞう。小説家。尋常小学校を卒業し、丁稚から18歳に上京。『演芸画報』の記者に。1922年(大正11)、友人の悲惨な死を描いた長編小説『根津(ねづ)権現(ごんげん)(うら)』を発表。精神障害があり、芝公園内で凍死。生年は1889年10月28日。没年は1932年1月29日。享年は満42歳。
福士幸次郎 福士幸次郎ふくし こうじろう。詩人。青森県生まれ。口語自由詩集の「太陽の子」を発表。フランス象徴詩派の影響を受ける。のち地方主義を宣言して日本詩歌の音律や民間伝承の研究に。「原日本考」など。佐藤紅緑と親しく、サトウハチローの後見人で、木々高太郎は弟子。生年は1889年11月5日。没年は1946年10月11日。享年は満58歳。
二葉亭四迷 ふたばていしめい。小説家、翻訳家。東京外国語学校露語科中退。同年坪内逍遥に師事、言文一致体の小説『浮雲』を発表。母校の教授を経て満州に渡る。1908年、朝日新聞サンクトペテルブルグ特派員となり、翌年帰国の途上、船中で没した。生年は元治げんじ元年2月28日、没年は明治42年5月10日。享年は満46歳。
舟橋聖一 舟橋聖一ふなはし せいいち。小説家、劇作家。1928年東京大学国文学科卒業。在学中に『朱門』同人となり、河原崎長十郎主宰の劇団「心座」結成に参画。その後徳田秋声の門に入り小説に転じ、戦後は「雪夫人絵図」「花の生涯」「ある女の遠景」など官能小説、時代小説、風俗小説をつぎつぎに発表。生年は明治37年12月25日。没年は昭和51年1月13日。享年は満71歳。
細川風谷 ほそかわふうこく。講談師。明治18年渡米。サンフランシスコの太平洋商業学校で学ぶ。明治23年帰国。硯友社社友。日本郵船で外国航路の事務長をつとめた。41年退社。以後講談作家、講釈師として活躍し、講談新声会をつくった。生年は慶応3年11月7日、没年は大正8年8月18日。享年は満53歳。
堀口大学 %e5%a0%80%e5%8f%a3%e5%a4%a7%e5%ad%a6ほりぐちだいがく。詩人、歌人、フランス文学者。外交官の父の任地メキシコに赴き、南アメリカやヨーロッパの各地を転住。慶応義塾中退。新詩社に入り作歌から詩作に転じ、多くの詩集『月光とピエロ』『砂の枕』などを出版し、訳詩書は三百点以上。生年は明治25年1月8日。没年は昭和56年3月15日。享年は満89歳

ま行

前田曙山

まえだしょざん。作家。日本英学館に学ぶ。20歳、小説『江戸桜』を尾崎紅葉氏の雑誌「千紫万紅」に発表。明治29年頃には、春陽堂の編集者になっている。硯友社系。大正14年の『落花の舞』(東京朝日新聞発行所)などで大衆作家。小説の映画化は60作以上。生年は明治4年11月21日、没年は昭和16年2月8日。享年は満69歳。

牧野信一 makino-shinichiまきの しんいち。大正、昭和時代前期の小説家。私小説的作風から幻想的作風に転じました。昭和6年より「文科」を主宰し、井伏鱒二、坂口安吾らの新人を推賞。神奈川県出身。早大卒。代表作は「父を売る子」「ゼーロン」。生年は明治29年11月12日。没年は昭和11年3月24日。自殺。享年は満41歳。
正岡子規 まさおかしき。俳人、歌人。帝国大学国文科中退。大学予備門で夏目漱石と知り合いに。俳句革新に着手し、高浜虚子らの俳誌「ホトトギス」により活動。また「歌よみに与ふる書」では和歌改革を主張。また写生文の必要を説いて優れた随筆を発表。俳句・短歌に近代文学としての位置を確立。生年は慶応3年9月17日、没年は明治35年9月19日。享年は満34歳。
正宗白鳥 正宗白鳥2まさむね はくちょう。小説家・劇作家・評論家。早大卒。「塵埃」で文壇に登場。「何処へ」「微光」「泥人形」を書き自然主義文学の代表的作家に。「作家論」は他の追随を許さない人物批評。生年は明治12年(1879年)3月3日。没年は昭和37年(1962年)10月28日。享年は満83歳。
松井翠声 まついすいせい。米国帰りで、外国映画の弁士として活躍。徳川夢声のナヤマシ会に参加。のち漫談家、司会者。映画俳優。NHKラジオ「陽気な喫茶店」に出演して人気を。生年は明治33年4月9日。没年は昭和48年8月1日。享年は73歳
松井須磨子 松井須磨子まつい すまこ。新劇女優。坪内逍遥の文芸協会演劇研究所第一期生となり『人形の家』のノラで主演。島村抱月との恋愛のため文芸協会を退会、『復活』のカチューシャで人気を。抱月急死2ケ月後あとを追って首吊り自殺。生年は1886年(明治19年)3月8日。没年は1919年(大正8年)1月5日。享年は満34歳。
松山省三 松山省三とプランタンまつやましょうぞう。洋画家。白馬会の岡田三郎助に師事し、院展などに出品。明治43年、日本ではじめてのカフェー「カフェ・プランタン」を東京府京橋区日吉町に画家・文人のサロンとして開業。俳優河原崎国太郎の父。生年は明治17年9月8日。没年は昭和45年2月2日。享年は85歳。
間宮茂輔 Lまみや もすけ。小説家。「不同調」の同人から「文芸戦線」、ナップに。昭和8年投獄、10年転向。12年から「人民文庫」に長編「あらがね」を連載。戦後は民主主義文学運動や平和運動の推進に。生年は明治32年2月20日。没年は昭和50年1月12日。享年は75歳。
丸岡九華 %e4%b8%b8%e5%b2%a1%e4%b9%9d%e8%8f%afまるおかきゅうか。詩人、小説家。尾崎紅葉らの硯友社の創立にくわわり、『我楽多文庫』では新体詩を発表。硯友社随一の詩人。東京高商(現一橋大)卒業後は教職に変わり、実業界で活躍。生年は慶応元年。没年は昭和2年7月9日。享年は63歳。
真山青果 真山青果まやま せいか。劇作家。小栗風葉に師事。明治40年、小説「南小泉村」を発表して自然主義の新鋭と期待。44年原稿二重売り事件で文壇からはなれる。大正2年松竹で新派の座付き作家に。「玄朴と長英」「平将門」「元禄忠臣蔵」などの歴史劇を発表。生年は明治11年9月1日。没年は昭和23年3月25日。享年は満71歳。
三浦しをん 三浦しをんみうらしをん。小説家。早大卒。父は国文学者の三浦佑之千葉大教授。「格闘する者に○(まる)」でデビュー。「まほろ駅前多田便利軒」で直木賞受賞。「舟を編む」で本屋大賞。就職活動や少年少女の心理を題材にした作品で若い読者の支持を得る。生年は昭和51年9月23日。
三上於莵吉

三上於莵吉みかみ おときち。大正4年「春光の下に」を、5年「悪魔の恋」、以後「日輪」「炎の空」「白鬼」「黒髪」「雪之丞変化」などを発表し、大衆文学の中心人物に。活躍期には「日本のバルザック」とも。大正5年頃より長谷川時雨と同棲し、昭和3年、時雨を助けて「女人芸術」を創刊。生年は明治24(1891)年2月4日。没年は昭和19(1944)年2月7日。享年は満53歳。

三木露風 %e4%b8%89%e6%9c%a8%e9%9c%b2%e9%a2%a8みきろふう。詩人。早大・慶大中退。相馬御風、野口雨情らと早稲田詩社を結成。北原白秋とともに白露時代と呼ばれた。象徴詩から宗教詩に。童謡『赤とんぼ』を作詞。生年は明治22年6月23日。没年は昭和39年12月29日。享年は満75歳。
水谷竹紫 水谷竹紫みずたに ちくし。劇作家、演出家。生年は明治15年10月8日。没年は昭和10年9月14日。新聞記者をへて、大正2年、島村抱月の芸術座に参加。13年芸術座を再興し、経営と演出にあたります。義妹の初代水谷八重子を名女優にそだてました。享年は満54歳。
水谷八重子 水谷八重子11みずたに やえこ。女優。芸術座で新劇の子役として出発。新派に参加、花柳章太郎亡きあと同劇団を支え、演劇界を代表する女優の一人。生年は明治38年8月1日東京生まれ。没年は昭和54年10月1日。享年は満74歳。
水野仙子 水野仙子みずのせんこ。須賀川裁縫女学校在学中から投稿を続け、明治42年「文章世界」に発表した短編「徒労」が田山花袋にみとめられ福島から上京、指導をうける。44年歌人川浪磐根(いわね)と結婚、同年「青鞜」同人に。作品集に「水野仙子集」(装丁は岸田劉生)。生年は明治21年12月3日。没年は大正8年5月31日。結核のため32歳で死亡。

水上滝太郎水上瀧太郎

水上滝太郎みなかみたきたろう。小説家、評論家、劇作家。1912年慶應義塾大学卒業。父は明治生命保険相互会社の創立者。10年、『明星』派の歌人として出発。永井荷風の主宰する『三田文学』に『山の手の子』 (1911) を書いて小説に転じ、久保田万太郎とともに三田派の新進作家として認知。生年は1887年12月6日。没年は1940年3月23日。享年は満54歳。
宮城道雄 宮城道雄みやぎみちお。生田流箏曲家、作曲家。1915年宮城に改姓。7歳の頃失明。2・3世中島検校に師事し、11歳で免許皆伝。13歳から朝鮮に在住して箏曲を教授。1909年処女作『水の変態』を作曲。生年は明治27年4月7日。没年は昭和31年6月25日。東海道線の列車から転落死。享年は満62歳。
宮嶋資夫 みやじますけお。小説家。小学校を卒業後、種々の職業を転々とし、アナーキズムに接近、絶望的状況を鉱山労働者に託して描いた『坑夫』 (1916) で労働文学の先駆者に。やがて思想的悩みで、仏門に。生年は明治19年8月1日、没年は昭和26年2月19日。享年は満64歳。
宮本百合子 みやもとゆりこ。小説家。共産党中央委員の宮本顕治の妻。昭和2年、ソ連に留学。『貧しき人々の群』で文壇に。戦闘的プロレタリア作家として活躍。弾圧下で執筆活動をつづけ、非転向をつらぬく。生年は明治32年2月13日、没年は昭和26年1月21日。享年は満51歳。
村松定孝 むらまつ さだたか。国文学者、文芸評論家。昭和女子大教授をへて昭和43年上智大教授に。「泉鏡花全集」「鏡花小説・戯曲選」の編集を担当し、「近代日本文学の系譜」などの著作も。63年「あぢさゐ供養頌」で大衆文学研究賞。生年は大正7年6月17日。没年は平成19年10月5日。享年は満89歳。
室生犀星 室生犀星むろう さいせい。大正2年、北原白秋の主宰誌に「小景異情」を投稿し、生涯の友萩原朔太郎に。7年「抒情小曲集」を刊行。30歳代から小説に転じ、代表作は「あにいもうと」「(あんず)つ子」、「かげろふの日記遺文」など。生年は明治22年8月1日。没年は昭和37年3月26日。享年は満72歳。
森鴎外 森鴎外もり おうがい。明治・大正期の小説家、評論家。本名は(もり)林太郎(りんたろう)。医学博士・文学博士。ドイツへ留学。最盛期の明治42年から大正5年にかけて「ヰタ・セクスアリス」「青年」「妄想」「雁」などを執筆。軍医総監医務局長。生年は1862年2月17日(文久2年1月19日)。没年は1922年(大正11年)7月9日。享年は満61歳。
森田草平 森田草平もりたそうへい。小説家、翻訳家。本名森田米松。第一高等学校を経て 1906年、東京帝国大学英文科卒業。在学中に書いた『仮寝姿』(1903)が認められて、小説家を志し、夏目漱石に師事。卒業後文学講座での教え子平塚らいてうと心中事件を起こし物議をかもした。漱石の庇護に救われ、長編『煤煙』(1909)を発表。代表作は評伝「夏目漱石」、歴史小説「細川ガラシヤ夫人」。生年は1881年3月19日。 没年は1949年12月14日。享年は満69歳。
森田たま 森田たまもりたたま。随筆家。大正2年森田草平に師事し、短編「片瀬まで」「うはさ」などを発表。森田七郎と結婚後は筆をたったが、昭和7年随筆家として再出発。11年「もめん随筆」がベストセラーに。37年、自民党参議院議員。生年は明治27年12月19日。没年は昭和45年10月31日。享年は満75歳
森村誠一 もりむらせいいち。推理作家。ホテル勤務ののち、『高層の死角』で江戸川乱歩賞を受賞。ほかに『人間の証明』、七三一部隊をあつかった『悪魔の飽食』など。生年は昭和8年1月2日。

や行

安田武 Lやすだ たけし。上智大在学中の昭和18年、学徒出陣。戦後、戦争体験の継承を訴える。日本戦没学生記念会「わだつみ会」の再建につくして常任理事。思想の科学研究会にも属した。著作に「戦争体験」「芸と美の伝承」。生年は大正11年11月14日。没年は昭和61年10月15日。享年は満94歳。
矢田津世子 矢田津世子やた つせこ。小説家。東京の私立麹町高女卒。初め『罠を跳び越える少女』で文壇デビュー。左翼作家から芸術派に転身。『神楽坂』は芥川賞候補。肺結核で死亡。生年は明治40年6月19日。没年は昭和19年3月14日。享年は満38歳。
柳川春葉 柳川春葉やながわ しゅんよう。小説家、劇作家。生年は1877年(明治10年)3月5日。没年は1918年(大正7年)1月9日。尾崎紅葉のもとに弟子入りし、その補筆を得た『白すみれ』で地位を確立。紅葉門下の四天王と呼ばれ、家庭小説を多く残しました。代表作に『さぬなか』など。
柳田国男 やなぎだくにお。民俗学者。貴族院書記官長を退官後、朝日新聞社客員論説委員。国内を旅して民俗・伝承を調査、日本の民俗学の確立に尽力。著作に「遠野物語」「石神問答」「民間伝承論」「海上の道」など。生年は明治8年7月31日、没年は昭和37年8月8日。享年は満87歳。
柳家金語楼 柳家金語楼やなぎや きんごろう。喜劇俳優、落語家、発明家。映画・舞台にも出演。6歳で豆落語家・金登喜(きんとき)として高座に上がり、二代目三遊亭金馬に入門、金語楼襲名後も自作自演の新作(筆名有崎勉)で活躍。新作落語は千以上。エノケン、ロッパと並ぶ三大喜劇人。生年は明治34年2月28日。没年は昭和47年10月22日、71歳。
柳家三語楼 やなぎやさんごろう。横浜生まれで、セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ出身。噺家としては珍しく英語が堪能で、英語まじりのナンセンス噺で人気を集める。生年は1875年3月、没年は1938年6月29日。享年は満64歳。
山田順子 山田順子やまだじゅんこ。弁護士と離婚して上京。大正14年「流るゝまゝに」を出版。竹久夢二、徳田秋声、勝本清一郎とくらし、秋声の「元の枝へ」など一連の「順子もの」や「仮装人物」のモデルとして有名。生年は明治34年6月25日。没年は昭和36年8月27日、60歳。
山田美妙 %e5%b1%b1%e7%94%b0%e7%be%8e%e5%a6%99やまだびみょう。小説家。1885年、大学予備門 (のちの第一高等学校、現・東大教養学部) 在学中、尾崎紅葉らと硯友社を組織。『武蔵野』など短編集『夏木立』(1888年) で、二葉亭四迷とともに言文一致体の先駆者に。「日本大辞書」「大辞典」を編集。生年は慶応4年7月8日。没年は明治43年10月24日、43歳。
山野一郎 やまのいちろう。無声映画の弁士。徳川夢声らとナヤマシ会を結成。のち6代一竜斎貞山に入門し、貞寿の名で文芸講談に。戦後は漫談で活躍。生年は明治32年12月15日。没年は昭和33年12月18日。享年は満59歳。
横井弘三 よこいこうぞう。洋画家。二科展を中心に発表し、樗牛賞や二科賞を受賞。昭和5年に日本初の無審査・無賞の展覧会、アンデパンダン展を開催。戦後は露天商をしながら絵を描き、37年一水会会員に。生年は明治22年5月、没年は昭和40年10月11日。享年は満76歳。
山本実彦 山本実彦やまもとさねひこ。出版経営者、政治家。大正4年、東京毎日新聞社主に就任。8年、改造社を創立、雑誌『改造』を創刊。昭和初期に1冊1円の予約全集『現代日本文学全集』で、円本ブームの先駆者に。昭和5年衆院議員に当選。戦後、改造社を再興するが、22年、公職追放。生年は明治18年1月5日。没年は昭和27年7月1日。享年は満67歳。
横溝正史 よこみぞせいし。小説家。江戸川乱歩のすすめで上京。雑誌編集の傍、日本の風土を生かした論理的な本格推理小説を発表。探偵金田一耕助が登場する『本陣殺人事件』で第一回探偵作家クラブ賞を受賞。生年は明治35年5月25日、没年は昭和56年12月28日。享年は満79歳。
横光利一 よこみつりいち。小説家。早大中退。『文芸春秋』創刊に際し同人。のちに川端康成、片岡鉄兵らと『文芸時代』を創刊。伝統的私小説とプロレタリア文学に対抗した新感覚派の代表的作家。生年は明治31年3月17日、没年は昭和22年12月30日。享年は満49歳。
与謝野晶子 よさの あきこ。歌人、作家、思想家。『みだれ髪』を刊行。人間性賛美を歌い、「明星」の浪漫主義短歌の指標になる。源氏物語研究には独自の見解を示す。生年は明治11年12月7日、没年は昭和17年5月29日。享年は満65歳。
与謝野鉄幹 よさの てっかん。詩人・歌人。本名はひろし。新詩社を創立し、「明星」を創刊。その門に俊才が多く集まり、妻晶子とともに明治浪漫主義と呼ばれた。大正8年(1919年)、慶應義塾大学文学部教授に就任。生年は明治6年2月26日。没年は昭和10年3月26日。享年は63歳。
吉井勇 吉井勇よしいいさむ。歌人・劇作家。生年は1886年(明治19年)10月8日。没年は1960年(昭和35年)11月19日。東京の生まれ。早稲田大学中退。耽美派の拠点となる「パンの会」を結成。歌集は「酒ほがひ」「祇園歌集」「人間経」、戯曲は「午後三時」「俳諧亭句楽の死」など。
吉田甲子太郎 吉田甲子太郎よしだ きねたろう。英文学者、児童文学作家。早稲田大学英文科卒業。明治大学文芸科教授。朝日壮吉のペンネームで外国作品の翻案小説を発表。『負けない少年』、『サランガの冒険』で作家としてデビュー。生年は明治27年3月23日。没年は昭和32年1月8日で、62歳
吉田賢龍 よしだけんりゅう。教育者、帝大文学部哲学科を卒業。東京真宗中学主幹から、早稲田大学講師、千葉中学校長、広島文理科大学の学長に。泉鏡花とは親友。妻すずとの結婚では、結婚資金を工面することも。鏡花の代表作『高野聖』は、吉田賢龍の飛騨越えの体験談を元にしている。生年は1870年2月5日、没年は1943年1月5日。享年は満72歳。

ら行、わ行

古川緑波 古川緑波ふるかわろっぱ。喜劇俳優。生年は1903年8月13日。没年は1961年1月16日。男爵加藤照麿の6男。早稲田大学中退。雑誌『映画時代』の記者から菊池寛にすすめられて俳優に転じ1932年宝塚中劇場で初舞台。翌年浅草の常盤座に誕生した「笑の王国」に徳川夢声、大辻司郎らと参加。
スポンサーリンク