青山杉作 |
あおやますぎさく。演出家、俳優。大正13年、築地小劇場の創立同人。昭和17~28年、NHK放送劇団の指導。昭和19年、劇団俳優座を結成。昭和24年、俳優座養成所所長。生年は明治22年7月22日。没年は昭和31年12月26日。67歳。 |
秋田雨雀 |
あきたうじゃく。劇作家。童話作家。早稲田大学卒業。在学中に新体詩集「黎明」を自費出版。劇作家として島村抱月の芸術座創立に参画。翌年沢田正二郎らと脱退して美術劇場を組織。経営に失敗。プロレタリア芸術運動に参加。生年は明治16年1月3日。没年は昭和37年月12日。79歳。 |
秋庭俊彦 |
あきばとしひこ。ロシア文学者。早稲田大学英文科。はじめ短歌をこころざし新詩社同人に。チェーホフの作品を知り、英訳を翻訳して、紹介につとめた。昭和にはいって句作をはじめ、句集に「果樹」。生年は明治18年4月5日。没年は昭和40年1月4日、79歳。 |
芥川龍之介 |
あくたがわ りゅうのすけ。小説家。東大英文科卒。第三次・第四次「新思潮」同人。「鼻」で夏目漱石が激賞し、文壇に。第1創作集『羅生門』で不動の地位を。新技巧派の代表的作家。生年は明治25年3月1日。没年は昭和2年7月24日。様々なトラブルで自殺。36歳。 |
麻田駒之助 |
あさだこまのすけ。明治から昭和期の編集者、中央公論社創立者。西本願寺参与。西本願寺系に所属する「反省雑誌」の経営。「中央公論」と改題し、後に滝田樗蔭を迎えて創作欄を拡大、文壇、論壇の権威雑誌に発展。大正元年、本願寺から独立。生年は明治2年10月14日。没年は昭和23年11月24日。80歳。 |
浅原六朗 |
あさはら ろくろう。小説家。 早稲田大学英文科卒。1930年、新興芸術派倶楽部の結成に参加、モダニズム文学の作家として活躍。その後、通俗小説、少年読み物を量産。戦後は日本大学芸術学部教授。生年は1895年2月22日、没年は1977年10月22日。82歳。 |
浅見淵 |
あさみ ふかし。小説家、評論家。早大卒。昭和3年、丹羽文雄らと「新正統派」を創刊し、沢山の同人誌に参加。私小説風の作品や作家論、作品論などを発表。小説に「目醒時計」「手風琴」、評論に「昭和の作家たち」「昭和文壇側面史」など。生年は明治32年6月24日。没年は昭和48年3月28日。満73歳。 |
東屋三郎 |
あずまや さぶろう。俳優。新劇の劇団「踏路社」を結成。第二次舞台協会、築地小劇場等にも参加。1927年(昭和2年)、初期のトーキーに出演。生年は明治25年(1892年)5月15日。没年は昭和10年(1935年)7月3日。44歳。 |
荒畑寒村 |
あらはた かんそん。社会運動家。堺利彦や幸徳秋水の社会主義論に傾倒、1904年平民社に。社会主義宣伝のため伝道行商に。足尾鉱毒事件を素材に07年処女作『谷中村滅亡史』を著述。赤旗事件・人民戦線事件などで数度入獄。労農派として活動し、第二次大戦後、日本社会党結成に参加。生年は明治20年8月14日。没年は昭和56年3月6日。93歳。 |
有島武郎 |
ありしま たけお。小説家、評論家。有島生馬、里見弴の兄。父が横浜税関長で、幼時から文明開化の気風になじみ、学習院を経て札幌農学校に入り、のちハーバード大学大学院に。明治43年「白樺」にくわわり、「カインの末裔」「生れ出づる悩み」「或る女」などを発表。生年は明治11年3月4日。没年は大正12年6月9日。軽井沢で波多野秋子と心中。46歳。 |
飯塚友一郎 |
いいづか ともいちろう。演劇研究家。東京帝大卒。10年間、弁護士を開業したが、歌舞伎を研究し、1926年、分析的研究で『歌舞伎細見』にまとめた。日大と二松学舎大の教授を歴任、演劇学の確立に努力した。生年は明治27年11月11日。没年は昭和58年4月21日。88歳。 |
生田春月 |
いくた しゅんげつ。詩人、小説家。浪漫的、虚無的な詩風。瀬戸内海に投身自殺。詩集「霊魂の秋」「感傷の春」、翻訳「ハイネ全集」など。生年は明治25年3月12日。没年は昭和5年5月19日。39歳。 |
生田長江 |
いくた ちょうこう。評論家、小説家、劇作家、翻訳家。1908、『自然主義論』を発表。平塚らいてう等の「青踏」を援け、生田春月・佐藤春夫・杉山平助らを世に送り出した人。翻訳は「ニイチェ全集」、評論集は「最近の小説家」など。生年は明治15年4月21日。没年は。昭和11年1月11日。55歳。 |
石川啄木 |
いしかわ たくぼく。詩人、歌人、評論家。石川節子の夫。詩集「あこがれ」で将来を期待。郷里の岩手県渋民村の代用教員や北海道の地方新聞の記者、東京朝日新聞の校正係。歌集「一握の砂」を刊行。困窮で結核で死去。死後、歌集「悲しき玩具」。生年は明治19年2月20日。没年は明治45年4月13日。27歳。 |
石田衣良 |
いしだ いら。広告会社をへて、コピーライターに。生年は昭和35年3月28日。成蹊大卒。平成15年、東京月島を舞台に家庭内暴力や援助交際の中学生をえがいた短編集「4TEEN フォーティーン」で直木賞。 |
石橋思案 |
いしばししあん。小説家。東大法科中退。尾崎紅葉、山田美妙らと硯友社を結成、創刊の『我楽多文庫』に『仇桜遊里廼夜嵐(あだざくらさとのよあらし)』を発表。戯作臭の濃い作風から抜けきれず、創作から遠ざかった。その後、『中京新聞』『読売新聞』などの記者を経て、博文館に入り、退職した1916年(大正5年)まで『文芸倶楽部』の編集に従事。生年は慶応3年6月2日。没年は昭和2年1月28日。61歳。 |
井伏鱒二 |
いぶせますじ。小説家。早稲田大学仏文科を中退。昭和4年『山椒魚』を発表。昭和12年『ジヨン万次郎漂流記』で直木賞受賞。昭和41年「黒い雨」で野間文芸賞。1966年、文化勲章受賞。独特のユーモアとペーソスがある。生年は明治31年2月15日、没年は1993年7月10日。95歳。 |
伊集院静 |
いじゅういん しずか。本名は西山忠来。電通を経て、CMディレクター。『皐月』を発表し作家に。死亡した女優の夏目雅子と結婚。1992年『受け月』で直木賞。女優の篠ひろ子と再々婚。代表作に『機関車先生』など。生年は昭和25年2月9日。没年は令和5年11月24日。73歳。 |
泉麻人 |
いずみあさと。慶応義塾大学商学部卒業。1979年4月、東京ニュース通信社に入社し、『週刊TVガイド』の編集部に所属。1984年7月に退社して、フリーランスに。雑誌を中心にコラムやエッセイ、テレビのコメンテーターなどで活躍中。生年は1956年4月8日。 |
泉鏡花 |
いずみ きょうか。北陸英和学校中退。尾崎紅葉に師事。本名は泉鏡太郎。「夜行巡査」「外科室」で脚光を。明治29年、「照葉狂言」から幻想的でロマンにみちた独自の世界に。代表作に「高野聖」「婦系図」「歌行灯」など。生年は明治6年11月4日。没年は昭和14年9月7日。67歳。 |
泉斜汀 |
いずみ しゃてい。作家泉鏡花の実弟。小説家。本名は泉豊春。尾崎紅葉の門に。「新小説」を主な発表舞台として『監督喇叭』『離縁状』など下町小説、遊里の狭斜小説を多く発表。筆名斜汀は、鏡花の「舎弟」をもじってつけられたもの。生年は明治13(1880)年1月31日。没年は昭和8(1933)年3月30日。53歳。 |
石黒忠悳 |
いしぐろ ただのり(悳は徳の古字)。陸軍軍医、日本赤十字社社長。江戸の医学所に学び、兵部省軍医寮に出仕、西洋医学の移入、陸軍軍医制度や日本赤十字社の設立に尽くした。生年は弘化2年2月11日(1845年3月18日)。没年は昭和16年4月26日。死亡は97歳。 |
伊藤銀月 |
いとう ぎんげつ。評論家・小説家。秋田中学中退。「萬朝報」の記者。著書に『人情観的日本史』『日本民族史』『日本警察史』『海国日本』『詩的東京』など。生年は明治4年10月21日。没年は昭和19年1月4日。73歳。 |
伊藤左千夫 |
いとう さちお。明治法律学校(現・明治大学)中退。正岡子規に師事。子規の没後、根岸短歌会系歌人をまとめ、短歌雑誌『馬酔木』『アララギ』の中心となって、斎藤茂吉、土屋文明などを育成。1905年、小説「野菊の墓」を『ホトトギス』に発表。生年は元治元(1864)年8月18日、没年は大正2年7月30日。50歳。 |
伊藤整 |
いとう せい。小説家、評論家。小樽高商から東京商大へ進むが中退。ジョイスの「ユリシーズ」を翻訳紹介。ローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」では猥褻文書頒布の容疑で起訴、有罪に。文壇に新しい文学精神と方法を導入。生年は明治38年1月17日。没年は昭和44年11月15日。64歳。 |
稲垣足穂 |
いながきたるほ。小説家。異質の新感覚派。大正12年、小説「一千一秒物語」で反リアリズムの小宇宙を構成。昭和44年、随筆集「少年愛の美学」でタルホブームをよんだ。生年は明治33年12月26日、没年は昭和52年10月25日。76歳。 |
入江相政 |
いりえすけまさ。東大卒。官僚、歌人、随筆家。学習院大教授をへて、昭和9年宮内省侍従になり、侍従長を長く務める。生年は明治38年6月29日。没年は昭和60年9月29日。80歳。 |
色川武大 |
いろかわ たけひろ。小説家。昭和36年「黒い布」で文壇にデビュー。52年「怪しい来客簿」で泉鏡花文学賞、53年「離婚」で直木賞。また阿佐田哲也の筆名で「麻雀放浪記」などのギャンブル小説も。生年は昭和4年3月28日。没年は平成元年4月10日。60歳。 |
岩野泡鳴 |
いわのほうめい。詩人・小説家・評論家。専修学校卒。新体詩人でスタート、「耽溺」により自然主義作家に転身。神秘的半獣主義を主張。五部作「放浪」「断橋」「発展」「毒薬を飲む女」「憑き物」を完成。生年は明治6年1月20日。没年は大正9年5月9日。47歳。 |
巌谷一六 |
いわや いちろく。滋賀県出身の政治家、書家。 貴族院議員。明治の三筆の一人。書を中沢雪城、楊守敬にまなび、独自の一六流をつくりだした。巌谷小波の父。生年は天保5年2月8日(1834年3月17日)。没年は明治38年(1905年)7月12日。72歳。 |
巌谷小波 |
いわやさざなみ。童話作家、小説家、俳人。一六の子供。尾崎紅葉らと硯友社を結成。「少年世界」編集長をつとめ「日本昔噺」「世界お伽噺」などをまとめる。生年は明治3年6月6日。没年は昭和8年9月5日。64歳。 |
上野山清貢 |
うえのやまきよつぐ。洋画家。太平洋画会研究所に学び、黒田清輝、岡田三郎助に師事。和製ゴーギャンと称される。郷里の北海道に取材した風景、静物を多く描いた。生年は明治22年6月9日、没年は昭和35年1月1日。70歳。 |
上田敏 |
うえだ びん。文学者、評論家、翻訳家。多くの外国語に通じ、明治38年、訳詩集「海潮音」を刊行。「山のあなたの空遠く」「秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し」の訳詩は有名。明治41年、欧州へ留学し、帰国後、京都帝大教授に。生年は1874年(明治7年)10月30日。没年は1916年(大正5年)7月9日。41歳。 |
内田春菊 |
うちだ しゅんぎく。漫画家、小説家。ウェイトレスなどを経て、1984年『シーラカンス・ブレイン』でエッチ漫画家としてデビュー。1993年の『ファザーファッカー』と1995年の『キオミ』は直木賞候補。2016年、大腸癌で人工肛門を造る。生年は1959年8月7日。 |
内館牧子 |
うちだて まきこ。脚本家、作家。武蔵野美術大学卒業後、三菱重工業に入社。13年半のOL生活を経て、1988年から脚本家としてデビュー。2000年9月から日本相撲協会の横綱審議委員会。生年は1948年9月10日。 |
内田百閒 |
うちだ ひゃっけん。小説家、随筆家。東京帝大独文科卒。夏目漱石に私淑。在学中から俳句や写生文を発表。ユーモラスな味を持つ随筆家。法政大教授。代表作に『贋作吾輩は猫である』『阿房列車』など。生年は明治22年5月29日。没年は昭和46年4月20日。81歳。 |
内田魯庵 |
うちだろあん。評論家。小説家。翻訳家。東京専門学校(現早大)中退。「くれの廿八日」「社会百面相」などの社会小説で注目。「罪と罰」「復活」などのロシア文学や欧米文学を翻訳、紹介。文壇回顧録『思ひ出す人々』。生年は慶応4年閏4月5日。没年は昭和4年6月29日。62歳。 |
宇野浩二 |
うの こうじ。小説家・作家。早稲田大学英文科に入学し中退。島村抱月訳の下訳が機縁で広津和郎を知り、その仲介で『蔵の中』 (1919) を発表,『苦の世界』 とともに人間の生きる姿の悲惨と滑稽を大阪人らしい気どりのない饒舌体で描いた。生年は1891年(明治24年)7月26日。没年は1961年(昭和36年)9月21日。70歳。 |
歌川国芳 |
うたがわくによし。江戸後期の浮世絵師。武者絵や洋風表現を駆使した風景画や、風刺画など幅広い作域で活躍。生年は寛政9(1797)年11月15日、没年は文久1(1861)年3月5日。65歳。 |
歌川広重 |
うたがわひろしげ。江戸後期の浮世絵師。歌川豊広に師事。美人画や役者絵、さらの洋画の遠近透視法を応用した斬新な風景版画。「東海道五十三次」「名所江戸百景」などの名作を発表。生年は寛政9年(1797年)。没年は安政5年9月6日(1858年10月12日)。61歳。 |
海老沢泰久 |
えびさわやすひさ。作家、ノンフィクション作家。國學院大学折口博士記念古代研究所に勤務。昭和49年「乱」で小説新潮新人賞。52年、文筆生活に。平成6年、「帰郷」で直木賞受賞。自動車レースなどのスポーツもので注目。生年は昭和25年1月22日、没年は平成21年8月13日。59歳。 |
江見水蔭 |
えみすいいん。小説家。巌谷小波らと知り合い、その紹介で硯友社に。大衆文学の先駆者。著作に「自己中心明治文壇史」「女房殺し」など。生年は明治2年8月12日。没年は昭和9年11月3日。65歳。 |
セルゲイ・エリセイフ |
エリセイフ、セルゲイ。 ロシア語ではСергей Григорьевич Елисеев、Sergei Grigorievich Eliseev。フランス亡命後は、セルジュ・エリセーエフ、Serge Elisseeff。1889年生まれ。東京帝国大学に最初の外国人留学生として留学し、漱石の「木曜会」にも参加。その後、ロシア革命が勃発し、フィンランドに亡命。1921年、フランス・パリのソルボンヌ大学、1932年、ハーバード大学教授。1975年、死亡。86歳 |
円地文子 |
えんち ふみこ。小説家、劇作家。国語学者上田万年の二女。戯曲から小説に転じ、女の業,怨念を官能美の中に描写。源氏物語の現代語訳にも尽力。「ひもじい月日」「女坂」など。生年は明治38年(1905年)10月2日。没年は昭和61年(1986年)11月14日。81歳。 |
大久保彦左衛門 |
おおくぼひこざえもん。江戸時代初期の旗本。天正4 (1576) 年 16歳の初陣で軍功多く旗本になり、以来徳川家康に仕えた。大名になることを固辞し、その知略・奇行に関する多くの逸話があり、反骨と奇行で知られ、講談では「天下の御意見番」。生年は永禄31(1560)年。没年は寛永16(1639)年2月1日。80歳。 |
大杉栄 |
おおすぎさかえ。無政府主義の社会運動家、理論家。名古屋陸軍幼年学校時代上官に反抗して放校。東京外国語学校仏語科在学中、平民社に出入りし、幸徳秋水らの影響をうけ、社会運動に参加。大正12年9月16日、関東大震災後の混乱のなか憲兵大尉甘粕正彦らに殺害。生年は明治18年1月17日。没年は大正12年9月16日。39歳。 |
大田南畝 |
おおた なんぽ。天明期を代表する文人・狂歌師、御家人。蜀山人、四方赤良など、多くの号も。生年は寛延2年3月3日(1749年4月19日)。没年は文政6年4月6日(1823年5月16日)。74歳。 |
大貫晶川 |
おおぬきしょうせん。明治大正時代の詩人、小説家。岡本かの子の兄。一高時代から同級の谷崎潤一郎と相互に影響。谷崎らと第2次「新思潮」を刊行。明治39年、新詩社にはいり、小説「お須磨」などを発表。生年は明治20年2月23日、没年は大正元年11月2日。26歳。 |
大野洒竹 |
おおのしゃちく。俳人。泌尿器科の医師。東大卒。明治27年(1894)佐々醒雪らと筑波会を発起。医業のかたわら句作、俳諧の研究、古俳書の収集に努力。蔵書は東大図書館に「洒竹文庫」として寄贈。生年は明治5年11月19日、没年は大正2年10月12日。42歳。 |
大橋乙羽 |
おおはしおとわ。小説家。出版人。明治22年、硯友社同人。27年、博文館館主大橋佐平の長女と結婚、博文館支配人として活躍。33年欧米を漫遊。翌年、腸チフスと筋膜炎で病死。小説「露小袖」「こぼれ松葉」、紀行文集「千山万水」など。生年は明治2年6月4日。没年は明治34年6月1日。33歳。 |
大町桂月 |
おおまちけいげつ。 詩人・評論家。「帝国文学」や「太陽」などを舞台に活躍。詞華集「花紅葉」、評論集「文学小観」、紀行文「奥羽一周記」など。生年は1869年3月6日(明治2年1月24日)。没年は1925年(大正14年)6月10日。56歳。 |
太田玉茗 |
おおたぎょくめい。初期の新体詩詩人。東京専門学校卒。僧職のかたわら叙情派詩を書いた。田山花袋の義兄。国木田独歩らと「抒情詩」を刊行。生年は明治4年5月6日。没年は昭和2年4月6日。57歳。 |
大宅壮一 |
おおや そういち。東大中退。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。中立で脱イデオロギーの立場から毒舌の社会評論家。生年は1900年(明治33年)9月13日。没年は1970年(昭和45年)11月22日。70歳。 |
岡田三郎 |
おかださぶろう。小説家。大正10年、フランスにわたり、帰国後日本に初めてコントを紹介。芸術派の立場で、モダンな短篇小説が得意。生年は明治23年2月4日、没年は昭和29年4月12日。64歳。 |
岡田嘉子 |
おかだ よしこ。女優。広島の生まれ。女子美術学校卒。新劇から映画界に入り、昭和13年(1938)演出家の杉本良吉とソ連に亡命。スパイ容疑で拘束されるが、のちソ連市民権を獲得。74年(昭和49)以降はソ連の「文化使節」として日本に長期滞在。生年は1902年4月21日。没年は1992年2月10日。89歳。 |
岡野栄 |
おかのさかえ。白馬会洋画研究所に学び黒田清輝に師事、つづいて東京美術学校洋画選科を卒業。明治41年2月女子学習院に奉職、教授に。この間、明治43年には光風会を創立、同人として作品を発表。大正14年には宮内省在外研究生として欧州に遊学。生年は明治13年4月7日、没年は昭和12年3月21日。63歳。 |
岡本綺堂 |
おかもときどう。劇作家、劇評家。『修禅寺物語』が出世作に。2世市川左団次と提携し、新歌舞伎の劇作家として活躍。1917年、シャーロック・ホームズに影響を受けて、日本最初の岡っ引捕り物の大衆小説『半七捕物帳』を執筆。生年は明治5年10月15日、没年は昭和14年3月1日。68歳。 |
小川未明 |
おがわ みめい。小説家・児童文学者。ロマン主義的・社会主義的傾向の小説を発表、大正15年に童話作家宣言。童話を文学として確立した先駆者の1人。「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と。生年は1882年(明治15年)4月7日。没年は1961年(昭和36年)5月11日。79歳。 |
小倉柳村 |
おぐらりゅうそん。版画家。明治13~14年に「日本橋夜景」「水道橋月夜」「隅田川畔」など東京の風景をえがいた木版画11点を出版。夜景を得意とする洋風木版画家。生没年不詳。神楽坂を題材にした版画はない。 |
小栗風葉 |
おぐりふうよう。小説家。生年は1875年(明治8年)2月3日。没年は1926年(大正15年)1月15日。尾崎紅葉門の逸材として明治30年代に活躍。紅葉が『金色夜叉』を未完のまま死ぬと、その続き『終編金色夜叉』を執筆。自然主義の擡頭に押されて文壇を離脱。代表作「亀甲鶴」「青春」「世間師」など。新宿区の『区内に在住した文学者たち』によれば昭和39年5月から40年7月までは矢来町3に。 |
長田秋濤 |
おさだしゅうとう。劇作家、翻訳家。法律研究のために英仏に留学。演劇改良や仏文学の紹介に努めた。一時早大で教え、帝国ホテル支配人もつとめた。著書は「図南録」など。生年は明治4年10月5日。没年は大正4年12月25日。45歳 |
尾崎一雄 |
おざきかずお。小説家。早大卒。志賀直哉に師事。昭和12年、「暢気眼鏡」で芥川賞。戦後は「虫のいろいろ」「まぼろしの記」など心境小説を発表。昭和50年、自伝的文壇史「あの日この日」で野間文芸賞受賞。芸術院会員。生年は明治32年12月25日。没年は昭和58年3月31日。82歳。 |
尾崎紅葉 |
おざきこうよう。小説家。帝国大学国文科。明治18年2月、山田美妙らと小説結社の硯友社を結成。「我楽多文庫」を発刊。明治22年「二人比丘尼色懺悔」で文壇にデビュー。翌年に帝大中退。代表作は言文一致体の小説「多情多恨」(明治29年)や「金色夜叉」(明治30~35年未完)など。明治20年代は、幸田露伴と並ぶ紅露時代。満35歳で『金色夜叉』が未完のまま、胃癌で死亡。生年は慶応3年12月16日。没年は明治36年10月30日。 |
尾﨑士郎 |
おざきしろう。小説家。1933年から都新聞に『人生劇場』を連載し、これを「青春編」にまとめ、さらに「愛慾編」 (34~35) 、「残侠編」 (36) 、「風雲編」 (38~39) 、「離愁編」 (43) 、「夢現編」 (47) 、「望郷編」 (51~52) 、「蕩子編」 (59)。生年は1898年2月5日で、尾崎一雄と同じ年齢。没年は1964年2月19日。66歳。 |
小山内薫 |
おさない かおる。劇作家・演出家・小説家。東大卒。歌舞伎・新派劇にかわる近代的演劇を志し、1909年(明治42)二世市川左団次と自由劇場を創立、西欧近代劇の上演を行う。24年(大正13)土方与志と築地小劇場を設立、日本の新劇の基礎を築いた。生年は明治14年7月26日。没年は昭和3年(1928年)12月25日。47歳。 |
織田一磨 |
おだかずま。洋画家、版画家。浮世絵の研究家。洋画を川村清雄に、石版画を金子政次郎に学び、1909年美術雑誌「方寸」の同人,パンの会会員に。おもに都会風俗、近代市民生活を題材とし,後年は地方風景、山岳風景にも。生年は明治15年11月11日。没年は昭和31年3月8日。73才。 |