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弁天坂|箪笥町

文学と神楽坂

 

 大久保通りに弁天坂という坂があります。例えば、江戸時代の「町方書上」では

同所南蔵院前脇、町内入口小坂弁天坂、是南蔵院地内名高弁才天安置有之、右故里俗唱來り候哉、縁(起)旧記等無御座候

 小さい坂というのもちょっと違うんでは…と考えますが、拡大する前の道路を考えると、まあ、これもありかぁと思います。

 明治20年ごろの拡大図では

 大久保通りの一部に弁天坂があります。また「新撰東京名所図会」第42編(東陽堂、1906)では

南藏院なんぞうゐんまへより市廛への入口に坂あり、辨天坂べんてんざかといふ、是、南藏院に辨天堂べんてんだうあるに因りて得たる名なり。

市廛 してん。町にある店。店のある町。市街地。

 横井英一氏の「江戸の坂東京の坂」(有峰書店、昭和45年)では

新宿区箪笥町、南蔵院前を山伏町のほうへ上る坂。南蔵院には弁天堂がある。

 山伏町は西にありますので、これは正しいと思います。ところが、石川悌二氏の『東京の坂道-生きている江戸の歴史』(新人物往来社、昭和46年)では

弁天坂(べんてんざか) 芥坂ともいった。箪笥町の南蔵院前旧都電通り、箪笥町四二番南蔵院の道向いを横寺町の南西部に上る小坂。「府内沿革図書」についてみると、この坂は延宝年中から段坂で、現在と形があまり変わらない。(中略)
 その境内に弁天堂があったのが、弁天坂のよび名になったものである。その弁天堂は本尊として尊崇されていたが、戦災後は再建されない。

 これでは弁天坂と袖摺坂を混同しています。これでは袖摺坂と全く同じです。

 東京都も弁天坂の標識をつくっています。ちょうど南蔵院の反対側です。内容は…

 坂名は、坂下の南蔵院境内に弁天堂があったことに由来する。明治後期の「新撰東京名所図会」には、南蔵院門前にあまざけやおでんを売る屋台が立ち、人通りも多い様子が描かれている。
 坂上近くの横寺町四十七番地には、尾崎紅葉が、明治二十四年から三十六年十月病没するまで住んでいた。門弟泉鏡花小栗風葉が玄関番として住み、のちに弟子たちは庭つづきの箪笥町に家を借り、これを詩星堂または紅葉塾と称した。

 また「新修新宿区町名誌」(新宿歴史博物館、平成22年)では

南蔵院前脇から町内入り囗への坂は南蔵院に弁財天が安置されていることから、弁天坂と呼ばれる。(町方書上)。

 以上、現在、弁天坂と考える坂は、大久保通りの一部だと考えています。

横寺町|由来

文学と神楽坂

 横寺町は「町方書上」で

町名之起り通寺町之横町候間、横寺町唱候

と書かれています。新宿歴史博物館の『新修 新宿区町名誌』ではこれを受け

町名は(とおり)(てら)町の横町であったことに由来する。

と、「とおりてら」町の横町だとしています。

 明治44年に横(でら)町になりました。ここで「よこ()らまち」とふりがながついています。

 一方、2000年、町の「よこてらまち」の編集会議で、

 過日、編集会議の席で横でら町か、横てら町かの話が突然だされました。その後、調査のため区役所等へ問い合せをした結果、横てらまちが正しいことが判りました。今まで使い慣れていた言葉、読み方が誤っていたことが解かり、変な気持ちです。よって表紙の題字を平仮名で大きく印した次第です。

 ウィキペディア、マピオン、日本郵便では「よこてらまち」が正しいと考えています。
 一方、消防署と新宿区歴史博物館は「よこでらまち」が正しいと考えています。
 警察署、新宿区は漢字の「横寺町」しか使っていないようです。

 以上、横寺町をどう読むのか……困っています。「横寺町」と漢字だけしか使わないようにしようっと。

 まあ、北町、中町、南町を昭和52年の新宿区教育委員会の『新宿区町名誌-地名の由来と変遷』では北町、中町、南町と漢字だけを書いています。平成22年の新宿歴史博物館の『新修 新宿区町名誌』では(きた)(まち)(なか)(ちょう)(みなみ)(ちょう)と、「まち」と「ちょう」に分けています。なぜ分けるの。理由は? 明治20年の地図でも漢字だけなのに。