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インドネシア・デンパサール

文学と神楽坂


バリ(ベノア)、インドネシア
盛んなアートシーン、緑豊かな美しさ、壮大な海辺の景色。バリは、長い間、究極の美しさを求める旅行者を魅了してきました。島の豊かなヒンズー教の文化は、山から小川、浜辺の小石まで、すべての自然物に神が宿り、島に平和な空気を与えていると永劫に信じてきました。デンパサールは島の繁栄する首都で、市場がある町 (デンパサールは大まかに「北の市場」と訳されます) として設立されましたが、今日でも色とりどりの屋台や、明るいサロンや複雑な模様のバティックを販売する広大な店舗で賑わっています。 バリ島だからこその静謐な一面もあります。その多くのエレガントで高く評価されている寺院は、海から採取された白いサンゴから彫られているものもあります。

 朝6時に起床。6時55分からルームサービスとして朝食をとり、8時に観光バスに行き、8時25分、観光の名前は「Market Visit & Balinese Hindu Temple」。ここで車両は左側通行する、と判明。日本と同じだと気づきました。


 バスはマーケット(Pasar Badung Kota)に9時10分に着き、10時55分まで。ここで単語のPasar(パサール)は市場。バドゥン市場と日本語では訳します。しかし、マーケットに行く前に初めは左にある小さな寺。

 それから全員はバドゥン市場に行くようです。車椅子ではダメなので、私は外で待っています。

 


 バドゥン市場に行かなかった私やそそくさと帰った人はDauh Puri Kangin地域の反対側で結婚式が始まったと聞かされました。トラックで大量の人が送り込まれています。


 バスに乗り、10時半、次にジャガッナタ寺院(ジャガットナタ寺院、Pura Agung Jagatnatha)に着きました。隣にはバリ博物館があります。


 私たちはこれ以降を省略しました。塔は見ていません、はい。11時35分、デンパサールを離れ、船に。昼食は午後1時からThe Explorers’ Loungeで、サンドイッチとケーキ。

 


 

インドネシア・ベノアで

文学と神楽坂

 2023年3月18日(土)、狭い船室で洋服などを片付け、7時、The Restaurantで夕食を。その前にレクチャーがあったが、この時は全く聞きに行くという考えはなく、直接2階のThe Restaurantに行きました。
 なお、私たちが出なかったレクチャーで、1つは5時からで「Port Talk」(寄港地情報)で、クルーズ船が実施する小旅行の事前情報。もう1つは6時半からでバイキング専属の天文学者が行う「Exploring the Cosmos」(宇宙の探索)。だいだい1つで40分かかります。
 さて、The Restaurantに戻りますが、一つはずっと同じで、いわば定食。前菜、メインコース、デザートの3つに分かれています。

定食

 もう1つは毎回変わるもの。やはり前菜、メインコース、デザートの3つです。 Linguini alla Vongoleという何だかわからないものを注文しました。後で調べると、リングイネはイタリア語で、パスタの一種。アラはat (in, to) the。ヴォンゴレとはアサリのスパゲッティのことで、でできたものは……

 デザートはMango Tango。マンゴのアイスクリームとライムのシャーベット。

 量はちょうど良く、うまいと言ってもいいと、思いました。
 9時から「Balinese Dance Performance」で、ガムラン音楽を聞き、バリ舞踊を見せるもの。これも40分でした。これは地上では2時間かかることもあるのに、40分で終わるのは、いやー、素晴らしい。


 11時40分に風呂に入り、これは全く新しい経験でした。まず、このシャワーは床、壁、天井などは全てプラスチック性素材で覆っている。はいると小さな丸穴を除いて、シャワーの湯気は外に出ない。そのため、あっという間に温まる。シャワーでぽかぽかと温かい湯は他には見たことはありませんでした。(その後、他のクルーズ会社でも同様なシャワーがあるとわかりました) 12時、就寝。

日本からインドネシアに

 2023年3月16日(木)、午前11時のフライドでインドネシア・バリ島に。日本時間の午後6時5分に着き、飛行時間は約7時間。
 バリ島ではガイドをガルーダ・オリエント・ホリディー社に頼んだ。私は2年前から歩行器が必要になり、また外国旅行なので大事を取って車椅子にした。ガイドさんも飛行機の客から簡単に車椅子1人と妻を発見することは簡単だった。車に乗り込んだが、普通の車よりも少し大きい。
 日本人はこの3年間インドネシアにこなかったから大変だったとガイドさん。弟は日本人と結婚して、千葉県佐倉市に住んでいると話す。話しながら、約1時間でクタに向かう。
 ここで、車に乗るには簡単でも、降りるのが大変。大きな車体でもリアドアと車の隙間が妙に狭いので、悪い右足がリアドアにかかって車外に出ない。そこでガイドさんと運転手さんの2人の力が必要だった。はい、出られました、たいへんですが。
 ホテルはDiscovery Kartika Plaza Hotel。 日本人はこのホテルをまず使わないとガイドさん。主にオーストラリア人やニュージーランド人が使って、今も日本人はいない、という。また、レストランは4つあるらしい。あとてわかったことだが、2つは主にバーとしてやっていて、レストランは2つだけだという。
 ガイドさんと別れ、部屋に入り、レストランの1つに入ると午後8時になっていた。


 このレストランについて後で調べるとThe Pond Restaurantという名前。食べたものはサテ(焼き鳥)とトムヤムなんとか(クン=海老ではない)。バリでは日本より1時間遅れるように時刻を変更する。

翌日のThe Pond Restaurant。夜、この椅子にかけた

 翌日(金)、6時に起きる。ガイドさんとの再会は午前9時。その前に朝食を。昨日は外で食べたが、今回は中で。中に入ると超巨大なレストランでした。とにかく種類が多い。ただし、洋食が中心で、インドネシア風の食べ物は少ない。スイカ、メロン、マンゴスチンがあった。

The pond restaurent。この調子で3方が全て食品

 ホテルの内部も見てみた。スパだけですが。

 さて、9時、ガイドさんを待ち、9時30分になって現れた。階段がない名所がいいと私。1番目は有名なテガララン村(Desa Tegallalang)の棚田。しかし、中に入ってしまうと入場料(Rp20,000=約180円)を取られてしまうので、遠くから見るだけでいいとガイドさん。しかし、村に行く途中の橋は流されてしまったので、大回りをして、棚田に着いた時間は正午。昔、1回目の時は見にいきましたが、はい、日本の棚田とそれほど変わりはありません。10分で完了。

 2番目はカンディクニン(Candikuning)村にあるウルン・ダヌ・ブラタン寺院(Pura Ulun Danu Beratan)。午後1時近くに到着。

ウルン・ダヌ・ブラタン寺院

 ここで綺麗な庭園を抜けるとブラタン湖の中にある綺麗な寺院のメル(meru、多重塔)にやってくる。入場料は1人あたりRp75,000=約670円。

 どうも身障者用の通用門のような門を抜けたので、必ずある割れ門(Candi bentar)は通らなかった。

 昼もここで食べて、出たのは2時15分。途中で妻はコーヒー豆(2時40分〜3時)とチョコレート(3時20分から10分間)を買い、それからラッシュアワーに巻き込まれて、帰ったのは5時に。ガルーダ・オリエント・ホリディー「専用車&ガイドチャーター」6時間プランで1,150,000Rp(約10,200円)でした。

 夜は6時40分からSokube Baliというレストランで。2人で、ハンバーガーとミーゴレン(焼きそば)とサングリアをとった。

Sokube

 中身は普通のレストランでも、オーストラリアやニュージーランドの人々がたくさん泊まっていて、何か欧州に来た気がしました。

人が歩いているのは遊歩道。

 なお、ここは夕日がいいと言われているようです。

 18日(土)、7時に起きて、朝食は7時半、10時半から11時15分にホテルの写真を撮りました。

 

 

 

 

 11時45分、ホテルの会計を済ませ、12時、隣のそごうを見て、1階から2階にはエレベーターはないとわかり、45分、ホテルに戻る途中で、車椅子で歩道から駐車場の車道に行こうとした時に転倒しました。
 日本ではガソリンスタンドやコンビニの駐車場は歩道と同じ高さなので、歩道者は普通に歩けます。ところがインドネシアではスタンドや駐車場は車道と同じ高さで、歩道は10センチも高くなっていて、少し歩くと段差になる。ここでは段差が当たり前なのです。ただし、あっといわずに、4人位が集まり、起こしてもらいました。
 昼もホテルで済ませ、スイカのジュースとサテ(焼き牛肉)でした。2時、レストランの会計でごたごたとなり、結局現金を使い、クタをでたのは2時25分。

 これからViking Orionに乗ります。波止場(Benoa Cruise Terminal)に着いたのは3時。なお、波止場の位置は日本ではわかりませんでしたが、ここ赤丸でした。

 Benoa Cruise Terminalにはいり、コロナの質問票を1人1人書き、ベトナム入国用ビザの顔写真を撮っていないから撮るように言われて、部屋の奥に行ったら米国人には必要、日本人については不要と言われ、結局撮らず、そして乗船。3時35分、Viking Orionの客室に入りました。