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東京の横丁

文学と神楽坂

永井龍男

永井龍男

 永井龍男氏の『東京の横丁』(講談社、1991年)です。名前が“東京の横丁”なので、神楽坂も相当書かれているはずと期待は満々で、手に取ってみました。ところが、神楽坂が出てくる場面は関東大震災だけ。ここのひとつしかない。
 永井龍男氏は昭和14年に「文芸春秋」編集長になり、戦後は創作が中心になり、短編の名手と呼ばれました。生年は明治37年5月20日。没年は平成2年10月12日。享年は満86歳です。

 大正12年(1923)9月1日、関東大震災の凶日であるが、すでに60年を経過した。昔ばなしとして、なるべく繰ごとにならぬよう筆を進めたい。60年前のその日に、あんな大きな災害に襲われるとは誰一人として知らなかったが、今日(昭和59年8月25日)の各紙朝刊には昨夕のテレビ放送に続いて「東海地震発生の可能性が高くなると首相が発する警戒宣言について、該当地域の住民の六割強は、(地震はくるだろうが、まだ時間的に余裕がある)(くるかどうか疑わしい)と、のんびり構え」と市民に警告する記事が大きく掲載された。60年間の官民の努力が、とにかくここまで到達したのである。
「――私は前日大正12年8月31日、房州の海から帰り、下痢のため二階の一間に臥ていた。午前11時50何分という地震突発時から数十秒、あるいは数分間は、前後の判断を失って床の中にいた。すごい地鳴りと共に、幾度びか体の盛り上るのを感じたが、これは地鳴りではなく、木造の家々がゆれ動くと同時に発した音響からであったかも知れない。地震と察してよろめきつつ立ち上り、私が窓一杯に見たものは、もうもうとした土煙りであった。ふるわれた家々の壁土が、一時に空へ舞い立ったのである。

繰ごと 繰り言。繰言。同じこと、特に愚痴ぐちなどを何度も繰り返して言うこと。
房州 安房あわ国と同じ。現在の千葉県南部。
幾度び いくたび。多くの回数。いくど。
土煙り つちけむり。土煙。土や砂が煙のように立ちのぼったもの。
壁土 かべつち。壁を塗るのに使う、粘りけのある土。壁に塗った土。

 中野駅の奥に当る、野方村の姉夫婦の家へとにかく身を寄せるほかはなかった。牛込へ出て新宿を目指すのが近道であった。
 神楽坂下まで来て、私達はみんな思わず声を挙げた。
 坂にかかるところから、ここは一切今朝までの火災とは無関係であった。潰れた家も焼けた店もなく、私達は呆然と立ちすくんだ。このまま坂を上って、町へ入って行ってもよいものか疑われた位であった。
 乳呑み児を抱えた義姉の姿が目につくらしく、『ごらん、可哀相に』と指をさし、おしめにせよと、古浴衣をくれる人もあった。
 私は私で、そこで初めて、下痢気味で臥たままの自分の寝巻姿に気がついた。
 矢来下を抜け馬場下までくると、土蔵造りの古風な酒屋があった。兄二人はどちらからともなく店へ入って五十銭玉を帳場に置き、ビールを買った。一本を分けて呑んだか二本だったか、私にも一杯注いでくれた。ビールとは、こんなにうまいものかと思った。総身に染みわたった味を、私は生涯忘れることはあるまい。

野方村 東京府豊多摩郡にあった村。現在の東京都中野区北部に当たる。
立ちすくむ 立ったまま動けなくなること。
矢来下 やらいした。矢来町の北部にあたり、早稲田(神楽坂)通りから天神町にいたる一帯。
馬場下 東京都新宿区馬場下町をカバーし、交差点「馬場下町」に至るまでの早稲田通りの一部。

東馬場下町

馬場下町

土蔵造り どぞうづくり。家の四面を土や漆喰で塗った構造。木を骨材とし、その上に厚く土塗りを施した耐火建築物構造。
酒屋 小倉屋酒店だといいなあと思います。