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新東京百景(版画)

文学と神楽坂

 恩地孝四郎等の『新東京百景』(平凡社、昭和53年、12,000円)が新宿歴史博物館にありました。昭和3年、版画家8人が新しい東京を描き、昭和7年に完成し、発行部数も50部だけ。東京都美術館も1部をもち、これが平凡社の原典です。インターネットでは……

   ときの忘れもの
新東京百景と諏訪兼紀
綿貫不二夫 画廊主のエッセイ
 1923(大正12)年9月の関東大震災は首都東京を壊滅させた。江戸の名残はもちろん、文明開化の煉瓦の銀座も殆どが焼失してしまった。その後の数年はいたるところで工事の槌音が高く響き、東京は大変貌をとげる。復興なった新しい東京の街を八人の版画家が描いたのが『新東京百景』である。木版のもつ柔らかな線と色彩によって1920年代の大都会の夜と昼の情景が、あるいは復興で整備された街並が情趣豊かに競作され、小品ながら近代の風景版画の傑作である。
 1928(昭和3)年の秋に前川千帆(1888~1960)、藤森静雄(1891~1943)、恩地孝四郎(1891~1955)、逸見享(1895~1944)、平塚運一(1895~ )、川上澄生(1895~1972)、深沢索一(1896~1946)、諏訪兼紀(1897~1932)の卓上社を結成した八人がそれぞれの分担を決めて制作にかかった。
 『新東京百景』は版元の中島重太郎により翌年から1932(昭和7)年の完成まで足掛け五年をかけて100点ちょうどが刊行された(略)
 昭和初期の復興する東京を描いた『新東京百景』は、日本の創作版画史上に残る名作版画集だが、刊行後70年を経て、完全なセットで残っているのは恐らく数部だろう。内1セットは東京都現代美術館が所蔵している。私は1970年代に、あるイギリス人コレクタ-の依頼を受けて、創作版画の収集に没頭していたことがある。この『新東京百景』も素晴らしいコンディションのものを完全な形で入手することができ、そのコレクタ-に納めた。いまはロンドンにある。


卓上社 版画家グループ。昭和4~5年には版画展も行っている。

 東京都美術館では……

   「新東京百景―90年前の東京」
東京都現代美術館所蔵、東京都美術館
昭和初期、創作版画ブームの中、関東大震災による被害から復興し始めた首都東京の風景をノスタルジアと愛情あふれる視線で描いた版画家たち8人による版画集が刊行されました。1929(昭和4)年から刊行されはじめた「新東京百景」です。前川千帆(1888~1960)、藤森静雄(1891~1943)、恩地孝四郎(1891~1955)、逸見享(1895~1944)、平塚運一(1895~1997)、川上澄生(1895~1972)、深沢索一(1896~1947)、諏訪兼紀(1897~1932)が共同して制作にかかり、東京の新しい都市風景が版画に定着されました。

 牛込地域は逸見享作2枚(神楽坂、牛込見附)、川上澄生作1枚(早稲田大学)でした。

 逸見享。神楽坂。

『神楽坂まちの手帖』第3号(けやき舎、平成15年)では

昭和4年、恩地孝四郎などの創作版画家たちの手によって「新東京百景」が刊行された。東京駅、浅草六区など当時人気のあった都内各地を、斬新なタッチで描いた作品が満都の大気を得たという。神楽坂は逸見享が描いたが、その縁日の賑わいは、昭和4年出版された今和次郎「新版東京案内」にも「夜の神楽坂は人の神楽坂」と表現されているほどである。

 逸見享。牛込見附。

 川上澄生。早稲田大学大隅侯記念大講堂。