穴八幡神社」タグアーカイブ

花自動車(写真)昭和34年、ID 5056

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5056は昭和34年(1959年)、第14回「国民体育大会新宿区商業観光まつり」を撮ったものです。花自動車パレードで神楽坂振興会が出展しました。場所は早稲田鶴巻町の早大通りでした。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5056 祝第14回国民体育大会新宿区商業観光まつり花自動車パレード 神楽坂振興会(早稲田鶴巻町・早大通り)

「神楽坂振興会」は昭和24年に設立し、昭和41年に「神楽坂通り商店会」と改称。神楽坂1~5丁目の商店街です。昼時なのか、自動車に乗っている人はいません。「新宿区商業観光まつり」と書いた看板と、若い水着の女性の等身大バネルだけが乗っていました。この女性は王冠(ティアラ)とローブ(マント)、「(ミ)ス神楽坂 神楽坂振興会」というサッシュをつけています。「新宿区商業観光まつり」の絵図では……

名称簡単な説明
神(楽)坂通り通り
堀部安兵ヱ高田馬場の決闘と赤穂浪士四十七士
筑土(八幡)神社
赤城神社神社
牛込城址築城年は天文年間(1532〜1555)
穴八幡神社
大田 蜀山人旧居江戸後期の文人
毘沙門天寺院
関孝和墓江戸中期の数学者
漱石猫塚明治大正の作家。飼っていた猫の墓
十千万堂 尾崎紅葉旧居明治の作家
松井須磨子明治大正の女優
坪内逍遥旧居明治大正の作家
市谷八幡神社
お岩稲荷四谷怪談
抜弁天神社
太宗寺寺院
小泉八雲旧居明治の作家
新井白石旧居江戸中期の政治家、儒学者
島崎藤村旧居明治の作家
新宿映画デパート街新宿大通り街
(熊)野神社神社
神宮維画館明治天皇の維新の大改革
競技場国立競技場

高田馬場跡

文学と神楽坂

高田馬場跡

文化財愛護シンボルマーク旧跡
高田(たかだの)()()(あと)

      所在地 新宿区西早稲田三丁目一・二・十二・十四番
 西早稲田三丁目一・二・十二・十四番を含む長方形の土地が、江戸時代の高田馬場跡である。
 馬場は寛永十三年(一六三六)造られたもので、旗本たちの馬術の練習場であった。
 また、穴八幡神社に奉納するため催された流鏑馬などが行われ、将軍の供覧に入れたところでもある。
 寛永年間(一七一六~一七五三)には馬場の北側に松並木がつくられ、8軒の茶屋があったとされている。土地の農民が人出の多いところを見て、茶屋を開いたものと思われる。
 また、馬場の一角、茶屋町通りに面したところは堀部安兵衛が叔父の菅野六郎左衛門の決闘の助太刀をしたとされるところで、水稲荷神社の境内には「堀部武庸加功遺跡の碑」が建っている。
   平成三年十一月
              東京都新宿区教育委員会

高田馬場跡

高田馬場跡

高田馬場跡

高田馬場の流鏑馬

文学と神楽坂

流鏑馬

穴八幡神社の入口

文化財愛護シンボルマーク新宿区指定無形民俗文化財

高田(たかたの)馬場(ばば)(やぶ)鏑馬(さめ)
所在地 新宿区西早稲田二丁目一番十一号
(穴八幡神社内)
指定年月日 昭和六十三年三月四日
 享保13年(1728)徳川将軍吉宗が世嗣の疱瘡平愈祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場で流鏑馬が奉納された。
 明治維新以降中断し、昭和9年に皇太子(現天皇)誕生祝いのため再興され、数回行われたが、戦争のため中断された。昭和39年流鏑馬の古式を保存するため、水稲荷神社境内で復活し、昭和54年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年10月10日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。
 古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事である。
   平成4年8月
東京都新宿区教育委員会

文学と神楽坂