川喜田屋横丁|神楽坂5丁目と6丁目

文学と神楽坂

 神楽坂の西側に大久保通りがあります。その西側に神楽坂六丁目(以前の牛込通寺町)があります。しかし、神楽坂五丁目(以前の肴町)もあるのです。(☞大久保通りを越えた神楽坂5丁目

肴町(現在の神楽坂五丁目)の大半は大久保通りから見ると東側ですが、実は西側にも広がっています。牛込三光院門前(現・通寺町)と肴町の間にある横丁は、大久保通りから見ると西側に位置し、川喜田(かわきた)()横丁と呼ばれていました。現在もその他の名称はなく、使ってもいいはずです。

これは横丁角に川喜田久右衛門という町人が住んでいたといわれます(町方書上「牛込三光院門前」)。

横町有之、通はゞ九尺程、俗川喜田屋横丁と唱申候、右横丁角町内川喜田屋久右衛門と申町人住居仕候故申習候

明治時代もあまり大きな変化がありません。江戸時代と現在で神楽坂と大久保通りと朝日坂と川喜田屋横丁の関係を示します。

川喜田屋横丁と神楽坂と大久保通りと朝日坂

現在は

川喜田屋横丁

では、川喜田屋横丁を見ていきたいと思います。最初は入った所。なんとなく登りに入っています。右は「はり鍼灸院」やマンションです。

なお、明進軒、次にプランタン、婦人科の医者、マンションになった場所や、求友亭もここにありました。

川喜田屋横丁1

下の写真(↓)は「ハピネス神楽坂」です。ええ、これで1階はファッションビルなのです。でも、会社の社員が一杯いることはまずありません。創業は1974年12月。本物の手づくりにこだわり、「山の幸染め」「グラスアート」「押し花」などを作っています。13年9月28日、4チャンネルの「ぶらり途中下車の旅」でこの「山の幸染め」をやっていました。葉脈も綺麗に見えます。体験受講は1000円+教材費実費。

川喜田屋横丁2

本来の川喜田屋横丁はこれで終わりです。しかし、この坂をさらに上に登ると、右の小さな路地があります。こんなこざっぱりして清潔で綺麗な路地は、はい、ないと思います。右手の路地は1.4mしかありません。やはりほとんど人は入ってこないためだと思います。で、てっぺんの法正寺です。さらに下がる途中にある繁栄稲荷神社です。

川喜田屋横丁3

一番頂上から下に望むと、ららら、おどきですが、相当高い。幅は3.7mです。川喜田屋横丁4
三光院と養善院の横丁 白銀公園 瓢箪坂 駒坂 成金横丁 神楽坂5丁目 牛込亭
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