文学と神楽坂
小林信彦氏と荒木経惟氏の「私説東京繁盛記」(筑摩書房、2002年)は「新版私説東京繁盛記」(筑摩書房、1992年)の文庫版です。この中で神楽坂の写真が5枚撮っています。
神楽坂にあるという「パーマ 那美の店」は実際どこにあるのか、まったくわかりません。ただし、本来の神楽坂ではないと思っています。
![](https://kagurazaka.yamamogura.com/wp-content/uploads/dfe12cca1c1464995c5cc6a07ad876ea-scaled.jpg) 神楽坂の裏手(1983年)私説東京繁盛記
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おさむさんから場所がわかったと連絡が来ました。場所は矢来町160-1のサクラハウスの裏でした。おさむさんのメールでも拡大すると「パーマ 那美の店」が出てきます。![](https://kagurazaka.yamamogura.com/wp-content/uploads/IMG_4390-scaled-e1711342709803.jpg)
ここは神楽小路が軽子坂に出る出口です。看板などは「シ□マサロンくらら」「3時間で全部を御覧になれます」「上映中」「変態レイプ大全 3本立 女高生集団レイプ 人妻変態レイプ 少女密室レイプ」
![](https://kagurazaka.yamamogura.com/wp-content/uploads/483b2c6627cd7aa0c7fc59651eff90fb-scaled.jpg) 神楽坂の路地(1983年)私説東京繁盛記
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これは赤城下町の山中商店でしょう。
![](https://kagurazaka.yamamogura.com/wp-content/uploads/1739a22e8a0cc091dff1e20cae23e506-scaled.jpg) 神楽坂の裏通り(1983年)私説東京繁盛記
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津久戸町の神楽坂浴場はなくなりました。再開発されて「神楽坂AKビル」が建ったのは1995年9月。右手には「世界人類の平和でありますように」と書いています。
![](https://kagurazaka.yamamogura.com/wp-content/uploads/c7f95a761ad14ba13656227ea6790605-scaled.jpg) 神楽坂の公衆浴場(1983年)私説東京繁盛記
![](https://kagurazaka.yamamogura.com/wp-content/uploads/5430d87c6abc85c34bbcb6ad0d3bf3b2-scaled.jpg)
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はじめて本来の神楽坂にでました。左からで、すこし顔が出ている菱屋、真ん中の酒場の万平、右のコーヒーのジョンブルです。万平もジョンブルもなくなりましたが、しかし、明治以来の菱屋はなくなっていません。Oリングは万平に接する道路の下にありますが、菱屋の下にはありません。右手の丸い道路標識はおそらく「駐停車禁止」ではないかと思います。万平の看板などは「小座敷 すきやき おでん 茶めし」「酒場」。ジョンブルの2階は「ジョンブル」、1階は「コーヒー豆・コーヒー器具 」「お食事のできるコ」「珈琲豆 John Bull UCCコーヒー」「ピザ」「コーヒー豆」「週末 の」「珈琲 ンブル」「珈琲専門店」「(2行)コーヒー」「珈琲豆」
![](https://kagurazaka.yamamogura.com/wp-content/uploads/3ec805e9398820e269cc826a3d9ee9cc-scaled.jpg) 神楽坂(1983年)私説東京繁盛記
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