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船つき場のあった船河原|新宿の散歩道

文学と神楽坂

 芳賀善次郎氏の『新宿の散歩道』(三交社、1972年)「市谷地区 16.船つき場のあった船河原」についてです。

船つき場のあった船河原
      (市谷船河原町)
 堀兼の井戸跡の先は外堀通りである。外掘がまだできていない江戸時代初期までは、外堀のところは富久町住吉町田町と続く谷間で、この谷間には川があり大沼などもあって飯田橋の方に流れていた。
 この川には日本橋の方に通じている船が通っていて、その船つき場がこのへんにあったので、このあたりの町名が船河原町と名づけられたのである(牛込11参照)。

「江戸砂子」は簡単に「むかしは大川の川原にて、船をつなぎし所也。市谷に大池あり、そのはき水のながれ也といふ。逢坂の下片町なり」と書いています。下片町しもかたまちは道の片側が川で反対側が民家だったことから。

富久町住吉町田町 図を参照。ここには旧紅葉川が流れていて(以下は新宿区地盤地形(3)各論 旧紅葉川沿いによる)田安家の下屋敷(四谷4丁目)辺りの湧水や富久町の満頭谷の湧水を合わせて東に向かい、現在の靖国通りの南側に沿って流れ、曙橋付近でジク谷(河田町、住吉町)の流れを合わせ、その後、市谷八幡町で四谷見附方面からの流れと長延寺谷の小流をあわせて、市谷から飯田橋へ外堀通りに沿って流れて、船河原橋際で神田川に合流した。上流は「桜川」、尾張徳川家上屋敷(現在の防衛省)正門から下流は「大下水」「柳川」「長延寺川」とも呼ばれた。紅葉川は、現在埋め立てられて道路になっている。

大沼 小石川大沼のことでしょう。

飯田橋の方 当時の小石川大沼の流れは、平川に合流し、河口付近の常磐橋では架橋し、江戸湾にそそぎ込む。現在、この流れの多くは日本橋川である。
船河原町 市谷船河原町。いちがやふながわらまち。新宿区北東部に位置し、北で若宮町、北東部で神楽坂、東で外濠、南で市谷田町、西で市谷砂土原町と接する。